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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏 ――殊勲の章――
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53回:舎弟爆誕

 大言壮語にしか聴こえない新入生Aの発言に、周りはおいおい、と言いたげな表情。

 芯太郎はというと悲しげな顔で新入生達を見た。今にも泣きそうな顔であった。

 後輩の田中も田中で、『お前ら、失礼だぞ』ぐらいの警告を与える役目である筈なのに、ダンマリを決めている。志望人数の多さ、その動機を悟ったらしい。


 新入生の自信は、確信に変わりつつあった。


「レフト何してる! 始めるぞ」


 朝比奈の怒声が飛ぶ。全員がホームを向き直り、構えた。

 レフトへの第一打は、定位置へのフライ。芯太郎が難無く処理する。


 第二打。定位置右への打球。田中が楽々と掴み、ショートへ返球。

 そして新入生Aの番となった。


「レフト、行くぞ!」

「オイッ」


 高々と上がった打球。真正面のフライである。

 真正面の打球は、距離感が掴みづらい。横目で見えないせいで打球が落ちてきているかどうかの判断が難しいのだ。

 しかし、軟式で外野の名手だったAは事も無げに捕球して見せた。


「ナイスレフト―!」


 周囲から褒め称えられる。堂々の高校野球デビューを果たしたのだ。

 ショートへの返球も正確。自慢げな顔を見せながら列の後方へ回る。


「ナイス」


 田中が声をかける。この瞬間、Aは田中が自分の軍門に下った、とさえ思った。


 後は、斎村芯太郎さえ潰せば!


 B,C,D,E,Fも難無くフライを捌いて見せ、先輩二人にプレッシャーを与える。

 俺達はやれる。特待生の四人は無理だが、この贔屓採用の斎村になら、勝てる!

 その溢れんばかりの勝気が、文字通り表情に溢れ出ていた。


「ちょっと」


 芯太郎が遂に口を開く。賞賛が貰えるものと、新入生は嬉々として待った。

 しかし。


「6人は多すぎるよ。悪いけど4人ほど別のとこ行って」


 かけられたのは賞賛ではなく、圧力。強権の発動であった。


「何でですか」

「俺の練習時間が減るからだよ」

「嫌です」


 突然の揺さぶりにしっかり動揺しながらも、新入生Aは抵抗した。


「俺にとってはノックが唯一の至福の時なんだ。君らで時間とられたらかなわないよ」

「身勝手ですよ。俺達はレフトがやりたいんだ」

「知らないよ。どっか行ってよ」


 お互いに、冷たい視線をぶつけ合う。


「なら、先にエラーしたやつから散るってのはどうです?」

「何?」

「先輩も例外なく、ね」


 列の先頭へ来たAは後ろを振り返る。


「お前ら! それでいいだろ!」


 Aの気迫に押された.etcは首を縦に振った。

 新入生全員が思った。もう、練習ではなくなったと。

 ここからはガチンコである。男どアホウ大リーグなのだ。


「レフト!」


 一打、また一打と積み重ねられる打球。三順しても、まだ誰もエラーをしなかった。

 朝比奈がAに向けて放った打球は、悠々と頭を越えていくエフとオーバー。十メートルは後方に落ちたが、グラブに触れていないのでエラーにはならない。ノーカウントの打球だった。


「ちっ、今のはどうしようもない」


 朝比奈は狙ってこの打球を放っていた。Bも、Cも、Dも、そして二年の田中もこの打球には触れられない。


「思ったより飛距離が出やがるな……」


 Aは、硬式の打球の伸びを舐めていた事を自覚した。しかし、誰であってもあの打球は届かないと断じ、気持ちを切り替えようとしたその時。


 再び同じ打球があがる。受けているのは芯太郎。

 目を疑った。網膜に飛び込んできたのは、自分が十メートルも後ろへ落とした大飛球を、先輩が歩いて捕球する姿であった。


――間違いなく同じ位置からのスタートだった。なのに、何故追いつけた!?


「あれ、なんでまだいるの?」


 芯太郎は呆れ顔で新入生を見た。


「まだエラーしてません」

「したじゃん、さっき」

「あれはエラーじゃありません」

「ああ、なるほどね。その程度の意識か」


 その言葉に、Aは顔がヤカンの様に熱くなるのを感じた。


「あんたが追いつけたのは、同じパターンの打球が来るって分かってたからだろ! あんなのまぐれだ!」

「分かった分かった。ナシでいいよ、ナシで」


 『自分の方が大人だから折れてやった』。目が口ほどに物を言っていた。お前らはまだ中学生気分で、高校野球をやっていない。そう言いたいのだ。Aは一瞬自分がひどく子供に見えた。

 しかし、大言壮語した今、もう引くわけにはいかない。


「レフトぉ!」


 Aに向けて打たれた球は、ファールグラウンドに飛ぶ大飛球。間に合うかどうかは微妙だったが、彼は疾走した。


「うわっ!?」


 しかし、雑草の露でぬかるんだ地面に足を取られ、無様につんのめる。打球は遥か右方に落ちた。


「今のはどっちなの?」


 芯太郎は半ばニヤつきながら守備陣に尋ねる。


「エラー……じゃ、ないと思います」

「へぇ、そうなんだ」


 発言したのは田中だったが、芯太郎はつまらなそうに返答した。

 そして芯太郎に打球が放たれる。今度は、Aのものより更に深部への打球。誰もが追いつけないと思う中、芯太郎は魅せた。


「う、嘘だ!」


 追いつくペースで走っているのである。いかに俊足でも、定位置から追いつける打球では無い事は明らかなのに、追いつこうとしている。


 芯太郎は、打球を全く見ていない。なのに、落下点へ一直線に走っている。

 普通は、打球を見ながら走って落下点を対応付ける。だから全力疾走よりも走力は落ちる。しかし芯太郎は打球を全く見ていないため、さながら体育の五十メートル走の様に走っていた。


「あっ」


 芯太郎は先程Aが足を滑らせたぬかるみに足を踏み入れかけていた。当然Aは芯太郎も足を取られると予想した。

 事実芯太郎は滑った。違うのは足を滑らせたのではなく、ぬかるみに向かってスライディングを敢行したと言う事だ。


 新入生は目を疑った。まるで地面をスケートリンクの様に滑りながら、落下点へ一直線に向かう芯太郎の姿はまさに神技であった。全力疾走の加速度が、降りている草の露の影響で摩擦が軽減されているため、ほとんど落ちていない。


 ボールがグラブに収まった瞬間、グラウンドが沸いた。


「ナイスレフト!」

「さすがスライディングキャッチの申し子!」

「人呼んで左中間の悪魔!」


 背面に声援を受けて、オーガズムに達したかの様な表情で芯太郎は定位置へ戻って来る。

 そして、あろうことかもう一度列の先頭へ割り込んだ。


「斎村さん、次は僕の……」

「あ、ごめん」


 茫然とする新入生達に向かって、田中が声をかける。


「悪い事は言わない。別のポジションに行け」


 まだ誰もエラーをしていない。しかし、新入生の内の半分が、その一巡が終わるまでに別のポジションへ散って行った。

 あの男の近くにいるだけで、自分の信じていた物が壊れてしまいそうだった。大袈裟ではなく、倍。自分達の倍の守備範囲を持つ男。


――レフトは、無理だ。


 そう思わせるのに十分なパフォーマンスだった。


「あれ、まだいるの」


 残っているAに芯太郎が声をかける。


「まだエラーして無いっすから」


 本当は、あんな発言をしてしまった事が身を悶えさせるほど恥ずかしい。レフトから、球場から、野球部から消えてしまいたかった。しかし、それ以上に彼をレフトに留まらせた物がある。


 ノックの前。ファールグラウンドのコンディション確認を怠った時点で、既に自分は負けていた。

 そんな事はしたことが無かった。この男は自分の持っていない物を、まだまだ持っている。

 盗みたい。斎村芯太郎の守備を。


「名前は?」

「安東です」

「もし邪魔したら」

「邪魔はしません」


 目が据わっている芯太郎に耐えた新入生A。流石の芯太郎も厄介払いを諦める。


「好きにすれば」

「好きにします」


 新入生A改め安東の精神が、高校レベルに達した瞬間であった。しばらくして芯太郎はセンターに行ったが、安東はそこにもついて行った。

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