52回:新人殺し
「よっ、芯太郎! 最後まで同じクラスだったな!」
「また伊集院か……」
芯太郎は新学年開始早々、クラス分けによってウンザリした気分を味わった。ついに三年間、野球部と違うクラスにはなれなかったのである。崩れなかった最後の砦が、この伊集院であった。
「部活紹介は任せろ! 俺の物真似で勧誘してやる!」
「お茶らけた部だと思われるよ」
「それがいいんじゃないの?」
「まぁ、そうかもなぁ」
正直、新入生が入ろうが入るまいが、芯太郎は気にしていなかった。何故なら、あと四か月で高校野球は終わるのだから。
「しかし、どうなるかなぁ?最後の夏!」
「どうって?」
「俺が六番、お前が七番。このところ絶不調じゃないっすか」
それを笑って言う所が伊集院である。この男が単に意識が低いだけなのか、それともメンタルが強いのか。芯太郎は結局、この二年では見極められなかった。
あと半年で、こいつの底の部分が分かるだろうか?
他人事と言う物は、これだから面白い。
「お前は特にヒドイもんな。一年からのレギュラーも、ここまで十五打席連続ノーヒット。練習試合とはいえ、春季大会のレギュラーも不味いんじゃない?」
「別に、もう十分楽しんだしな」
「おいおい、朝比奈の前でそんな事言うなよ。頼むから」
そう言ってのける芯太郎は、毎日満面の笑みでノックを受けている。去年の夏から、芯太郎は野球が楽しみまくっていた。
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「斎村を外して下さい」
「ダメだ」
「あいつ、打率一割を切りますよ、そろそろ」
「だから?」
朝比奈は主将として、打順の再考を提案していた。芯太郎は秋季大会から、全くと言っていいほどヒットを打っていない。
「下位の出塁率を上げて上位に繋ぐべきです。お願いします」
「考えておく。練習に行け」
「……」
「新入生の世話をして来い」
「わかりました……。失礼します」
朝比奈はわざと、聴こえるように大きく溜息をついた。
何度かけあっても、壇ノ浦監督は芯太郎をスタメンから外さない。
確かに守備は鉄壁だ。この二年、エラーしたところを見たのは一度か二度。守備率は九割九分を超えているだろう。
しかし、打率一割二分、出塁率一割八分は酷過ぎる。満塁で回らなければどうしようもない案牌。この情報は既に他校にも知れ渡っているに違いない。
使い物にならない。せめて九番に回すべきである。と言うより、ランナー三塁の状態において代打で出すのが適切な使い方。そう朝比奈は確信していた。
――何で皆、こんな簡単な事に納得しないんだ!
「ナイボーッ!」
里見は練習前に、ブルペンで真柄の球を軽く受けた。新調したミットは、気持ちの良い破裂音をさせている。何一つ破裂はしていないのだが、この音は間違いなく破裂音である。
「肘の調子は?」
「よござんすー」
真柄は秋の故障後、特に肘のケアに力を入れている。進藤コーチと里見が交互に肘をチェックし記録。違和感があればすぐに病院へ連れて行く。
真柄自身は鬱陶しいと思っているだろうが、仕方のない事だった。
「ほんじゃ、新入生の品定めでもしますかね~」
「今年は推薦が二人だってな」
「特待生は?」
「だからそれは俺らの年だけだって」
「そうだっけ?」
真柄はそう言いながらマウンドを降りる。
「それはどうと、朝比奈は芯太郎をレギュラーから外そうとしてるぞ」
「え~?それは不味いんじゃない?」
「だけど最近の打撃成績じゃ外したくもなる。正直俺も出来るなら外したい」
「そりゃ俺も出来るなら別のがいいけどさ。出来ないじゃん」
「ああ、出来ないな」
「朝比奈も、分かってないねぇ」
真柄は腕にボールを転がして、弄んで見せる。
「よし、そろそろ準備するか」
「へ~い」
ボールを片付けて、ベンチ前で集合を待つことにした。
真柄は肘がほんの少しこそばゆい気がしたが、言う必要も無いと思った。
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「キャプテンの朝比奈だ。よろしく頼む」
挨拶をした後、ヒソヒソ声聴こえた。大方、去年の決勝エラーについてでも語っているのだろうと朝比奈は断じた。
――好きにすればいい。だが主将は俺だ!
精神の制御という面においては、朝比奈は飛躍的に成長していた。
「じゃあ朝比奈、始めろ」
「はい。整列!アップ始めるぞ」
打撃練習が終わると水分補給用の休憩時間になる。
朝比奈が水で薄めたポカリを飲んでいると、舞子が嬉々として近寄って来た。
「新入生のポジション聞いてきたよ。はい」
リストを渡される。打撃練習をネット裏から眺めていた一年全員に聞いてきたらしい。
リストに目を落とす。新入生は総勢二十五人。投手が3人、捕手が3人。内野手は7人。
朝比奈が目を止めたのは次の項目。
「外野が……12人? 何だこれ」
「ね、ビックリでしょ?」
「約半分が外野志望じゃねぇか」
内野より外野の方が多いという事は珍しい。普通野球人であれば、馬車馬の様に走ってボールを拾わされる外野手より華のあるプレーの出来る内野手を志す者なのだ。
思い当たる理由は、一つしかなかった。
「レフトか?」
「当たり。12人中6人がレフトやりたいって」
舞子は『打撃練習中に』聞き込みを行った。それが全てを物語っている。
芯太郎は今日も、ほとんどの打球が芯を外していた。今どき珍しい完全な名前負けである。
それを見た一年が『もしかしたら』と思うのも無理は無かった。芯太郎がレギュラーを張れるという事実を鑑みて、選手層そのものも過小評価しているのだろう。恐らく6人中4人ぐらいは。
「アホばっかりだな、今年は」
「いいじゃん、夢があって。一年からレギュラー獲る気満々だよ?」
「こんなの夢とは言わねぇ。自分の本来のポジション捻じ曲げるくらいなら俺はレギュラーなんていらないね」
朝比奈は乱暴にリストを投げ返す。舞子は足をバタバタさせながらキャッチした。
「とにかく外野が多すぎる。小数点以下の外野は消えて貰おう」
「はいは~い。斎村君と高坂君に頼んどくね」
「芯太郎はいい。あいつは言わなくても勝手に潰すよ」
朝比奈も舞子も、下卑た笑いを浮かべた。
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練習のラスト。ナイターが点ってから、ノックが始まった。
新入生達は緊張していた。
確かに、ユニフォームを着て来いと言われたから着て来た。しかしこれは計算外、嬉しい誤算だ。初日から、シートノックを受けさせて貰えるとは!
取り分け喜んだのは、レフト志望の6人であった。
内野に比べて外野守備は複雑なプレーが少ないため、アピールポイントが分かり易い。高校も中学も、外野に関しては新しく覚えることは少ない。
今まで通りのプレーをして、目の前にいるレギュラー……、あの素人並のバッティング技術を誇る(笑)ヒョロ長な先輩を追い落とせばよいのだ。
その命題の達成に向けて、新入生達は燃えていた。
「二年の田中だ。宜しくな」
「よろしくお願いします!」
控えレフトの田中が新入生達に自己紹介をする。その第一印象は、『オーラが無い』。元気に返事をしてみたものの、ハッキリ言って眼中に無かった。
「それで、あっちが……」
「……」
芯太郎は新入生を見向きもしなかった。定位置からかなり離れたファールグラウンドの土を踏み慣らしている。ニヤニヤしながら足を動かすその姿は、新入生を不安にさせた。
「斎村さん、無視はないでしょう」
その田中の言葉すら、芯太郎には聞こえていない様だった。
「斎村さんッ!」
「えっ」
ボルテージが上って怒鳴り声になったところで、ようやく芯太郎は状況に気づく。
「ごめん田中、聞いてなかった」
「今年はこんなにレフトいるんです。しっかり威厳見せて下さいよ」
どちらが先輩か分からない様な状況になった。これが新入生達を増々増長させ、次の様な名言を生み出した。
「斎村先輩」
「何?」
「俺達の守備を見て、自信失くさないで下さいよ」
「……」
新入生Aは、不敵な表情を震えながらも浮かべていた。自信喪失まで、あと30分。




