51回:バーサーカー芯太郎
帰りのバスの中。寄り添う様に寝る舞子の頭を撫でながら、朝比奈は芯太郎の『症状』を思い出していた。
「打てなくなくなる、か……」
そんなこと、普通に考えて起こるわけがない。何せ直系7センチかそこいらの小さい小さい球を、太さ7センチそこいらの細い細い棒で打つのだ。百発百中が許されるような甘いスポーツではない。
某メジャーリーガーの様な怪物でも、高校時代の打率は五割だったのだ。高校野球ではどんなに頑張っても五割台が限界と言い換えても過言ではない。
だが事実として芯太郎は、特定の条件で七割打っている……。
「イップスか……普通、悪い方向に向かうもんなんだけどな」
打席に立ち、結果を残すたびに髪が抜けていくのだ。七割の代償はかなり高くつく。
芯太郎は、精神を削りながら打っている。
「けど、俺だってそうだ。来年は俺がチームの顔になる。俺がこいつを甲子園に連れていく……」
抱き枕の様に舞子を扱う朝比奈。だが髪から香るシャンプーの匂いを味わおうとしたとき、ふと一つの疑問が沸いた。
「……振らなきゃいいだけの話だよな? あいつ、そんなに打撃がストレスになるなら何でバットを振るんだ……?」
疑問に答えは出ないまま、いつの間にか眠りに落ちた。
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休み明けの野球部に衝撃が走った。
「ま、真柄が!?」
「今、病院行ってるらしい。大した事ないといいんだけど」
車に轢かれそうになったカブトムシを助けたせいで、交通事故に遭って全身を強打したと言うニュースであった。そういう時はお婆ちゃんとか子供とか……。
「せめて犬だろ! 何でカブトムシなんだよ」
「突っ込んでる場合じゃないぞ。どうすんだよ新人戦。下手すると秋季大会も怪しいぞ」
特待生がまだ三人残っているとはいえ、流石に夏の主戦が欠けたのは痛すぎる。暗雲漂う中、ランニングが終わり、ストレッチが終わり、キャッチボールが終わると鈍った守備の感覚を思い出す為、屋島コーチによるシートノックが始まった。
そしてグラウンドに異変が起こった。
「どないした芯太郎。センターに来るとは?」
「うん、そろそろやりたくなって」
「正面の打球多いから距離測りにくいで」
「知ってる」
レフトではなく、センターに芯太郎がいた。屋島コーチはニヤリと笑うと、センター後方へ大飛球をかっ飛ばした。
芯太郎は全力で背走するも、その体の僅か向こう側へ打球は落ちていく。芯太郎の50センチ手前に落下した……と誰もが思った。
振り向いた芯太郎の手から、セカンドにボールが放られたとき、その場にいた全外野手が度肝を抜かれた。
「い、今の捕ったのか!?」
「嘘だろ! 完全に後ろ向いてたじゃん」
「何で落下点分かった!? というか何で追いつけた!?」
芯太郎が定位置に帰ってくると、高坂が何とも言えない顔でタッチしてくる。
「ありゃあ、あかんやろ本職の前で。凹んだわ」
「あの捕り方好きなんだ」
むくれている高坂をよそに、次の順番を横取りする芯太郎。右中間のど真ん中飛んだ打球にも、スライディングキャッチで対応する。
「成田! パス」
「うわっと!?」
体勢が崩れたのを自覚して、成田に送球を任せる芯太郎。そして今度はなんと、そのままライトのノックに混ざろうとしている。
「おいおい!」
「ちょっとだけだから!」
「何なんだよ一体……」
芯太郎の様子が、というよりテンションがどこかおかしかった。
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「何だったんだ今日の芯太郎は」
「何か……ノックでストレス解消してるようやったな。楽しいを通り越して、軽く切れ気味やったぞ」
里見と高坂は、寮の風呂掃除をしながら芯太郎の異常を語る。
「何があったか知らんが、ここにきてセンターのライバルが現れてもうたわ」
「左中間の悪魔がいよいよ本気出してきたか。これで真柄さえ無事なら……」
「呼んだ~?」
廊下を通りかかった真柄が、松葉づえをつきながら声をかけてくる。風呂場のエコーが虚しく響く中、二人は大きく溜息をついた。
「終わった……センバツは無理だ」
「何がカブトムシやねん。お前アホか、虫取り少年か」
「あー、骨折はしてないから秋は投げるよ~。ただ感覚が戻るかは微妙だねい」
「何がだねい、だ! ああもう、何でこんなのしかいないんだうちの投手は」
真柄は秋までに調子を落とし、結論から言うと智仁高校のセンバツはまたもや夢に終わった。
残すチャンスは、三年の夏ただ一つ。最後の挑戦が始まろうとしていた。
「……ぶっ壊す。甲子園……ぶっ壊してやる」
布団の中でブツブツ呟く芯太郎。その守備力と裏腹に秋季大会、ノーヒットに終わった。




