50回:スナイパー芯太郎
朝比奈は何故、佐那が思い出したくもないであろう過去を自分達に語ったかが、何となく分かる気がした。同情してもらいたいのだ。『芯太郎は責任を持って佐那と結婚するべきだ』という流れに、一人でも多くの人間を引き込みたいのだ。
「でも芯太郎は嫌がっている様に見えるぞ」
「そんなわけないよ。私達Cまで行ったんだから」
「ええっ!?」
「冗談よ。Aまでしか行ってないの」
それでも舞子は顔を真っ赤にしている。こういう純情な所がたまらなく可愛いと、朝比奈は惚れ直す。
「狙ったのか芯太郎」
「だから違うって! 狙って打てる技術が俺にあると思う!?」
「だが俺は見た。マウンドに立っていたから見えた。終始、お前は打席でニヤついていたじゃないか」
「何だそりゃ? 芯太郎」
芯太郎が打席で笑っていた。一聞するとどうでもいい情報に思われたが、芯太郎はなぜか言葉に窮した。
「お前これから佐那を痛めつける事が楽しくて、笑ってしまったんじゃないのか」
「ち、違う! 俺はただ……勝負が楽しかっただけで」
「何を言ってる! 誰よりも打撃が嫌いなお前が、投手との勝負を楽しめるわけがない!」
大麻が、興奮して胸倉を掴みにかかる望田を制する。
「芯太郎、本当の事を言ってくれ」
「さっきから言っている! 俺は本当に狙っていないんだ!」
「佐那を目の前にしても、同じことが言えるか?」
「えっ……あ」
いつの間にか佐那は朝比奈達をすり抜けて、玄関前に移動していた。芯太郎の顔色がみるみる変わっていく。
「酷いよ二人とも。シンを虐めないで」
「白黒はっきりさせたいだけだ」
「大丈夫よシン。私と一緒にいれば大丈夫」
「もういい加減にしてくれ!」
責められ続けていた芯太郎がついにブちぎれる。だが三人は全く動じず、肩で息をする芯太郎をじっと見つめている。
「俺は普通に打っただけなんだ! どいつもこいつも、何で俺を責める!」
「スクイズのサインを無視したのは何でだ」
「見てなかったからだよ! 打席に集中して」
「もうやめろ!」
堪えきれなくなった朝比奈が、ついに割って入る。
「何の証拠があって、そんなに芯太郎を責めるんだ? こいつは嫌な奴だけど、狙って人に打球をぶつけて平気でいられるやつじゃないぞ!」
「君は確か……去年俺が抑えたショートじゃないか」
「そんな事はどうでもいい! なんで芯太郎の言う事を……」
望田は溜め息をついて、人差し指を振る。お前は何も分かっていない。そう言わんばかりに。
「君は今、答えを言った」
「え?」
「『狙って人に打球をぶつけて平気でいられるやつじゃない』。それが答えだ」
「何を言って……」
「こいつは、『狙って打球をぶつけた』からおかしくなったのさ。平気ではいられなかったんだろうな、やはり」
朝比奈の理解は追いつかない。だが、大麻と佐那は分かっている様だった。
「さっぱり解んねーよ。何が言いたいんだ?」
「こいつは、ランナー三塁で必ず打ってしまう呪いにかかった」
「呪い?」
「普段のこいつは、笑えるほど打てない。それがランナー三塁だと、『打てなくなくなる』」
言いたい事は、うっすらと見えてきた気がした。
「イップスだ。いやこいつの場合、一種の鬱病とも言っていい。強い自責の念が刺激されて、体の制御が思う様に利かなくなる病気さ」
「確かに、こいつはランナー三塁だとほぼ必ず打つけど……」
「打つんじゃない。『打てなくなくなる』んだ。こいつの体が、あの時の状況をどうしても再現しようとしてしまうのさ」
朝比奈は黙って考えた。その言葉をもう少し解して考えると……ランナー三塁での芯太郎は、「ランナーに打球をぶつけようとしている」という事か。
「有り得ないね。投手がどんな球を投げるかは、投げてみないと分からないんだ。それを常に、狙って三塁線に打てるわけ……」
馬鹿馬鹿しい望田の持論に反論しようとした朝比奈だったが、思い当たる節を見つけて再び沈黙する。
――そうだ、あれもこれも、全部……三塁線の打球じゃないか!?
「心当たりがあるみたいだね。朝比奈君には」
擁護しようとした朝比奈が黙ってしまったため、芯太郎はまたも孤立する。
「正確にはランナー三塁の状態でなくともこいつは『打てなくなくなる』。あの時の状況に近ければ近い程、再現精度が高くなる。例えば俺が投げてたりとかね」
望田は朝比奈に向かって「分かるだろう?」と囁きながら肩に手を乗せる。そう、敦也学園との試合の時、芯太郎はランナーがいなくても打てていた。
望田征士郎がマウンドに立つと言う、事件当時の光景の一部分があったからだ。
「でもそんな……凡退の仕方にはいくらでも種類がある。常にジャストミートなんてできるわけが……」
「そうだな、できるわけがない。だが、こいつの野球センスはハッキリ言って測り知れない。守備を見てればわかると思うが……むしろ、こいつは打撃にこそ最も才能があったのかもしれないな」
無茶苦茶な事を言っているが、不思議と説得力があった。芯太郎は打撃意外のセンスはプロ級。そのセンスが打撃にだけ活かされないと言うのは、少し不自然だった。
「芯太郎、髪の毛が全部なくなる前に野球をやめたらどうだ」
「征ちゃん! それはダメよ」
「佐那という至高のプレーヤーの野球人生を奪ったんだ。しっかり責任を取るべきだ。何で、お前はあっけらかんとして、まだ野球をやっている!?」
それでも芯太郎は、首を横に振って……野球を続ける意志を示した。
「野球は……やめない」
「そうか。では俺達は一生お前を許せない」
「……」
芯太郎はトボトボと歩き出した。朝比奈と舞子はそれを追って駆け出す。朝比奈は途中振り向いて、捨て台詞を吐いた。
「それでもあいつは……狙ってないと思うよ」
残された三人の胸には、そこはかとない虚しさが残った。




