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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
二年夏 ――戦犯の章――
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44回:青春をBowker

翌日から、朝比奈の苦悩の日々が始まった。


「ストレッチ終わったらキャッチボール! 急げ!」

「オーイッ」


 ストレッチが前日よりも十分も長い上に、全員のキャッチボールが始まるまでのタイムロスが十分。

 反対こそしなかったものの、朝比奈が選ばれると考えていた部員は少数であった。よっていきなり纏まりは得られない。


 練習効率の悪さ。それは練習量に限界のある高校生にとっては致命的であった。


「一年はケージとマシン準備しろ! 急げ!」

「オーイッ」


 返事にも覇気がない。動きの機敏さも無い。フリーバッティングの用意にも十五分のタイムロス。

 副主将となった里見あたりにガツンと喝を入れて欲しいところだが、既に真柄とブルペンに向かってしまった。


 その後ケージの片づけにまで十五分のロスが発生し、この時点でまさかまさかの照明の出番となった。なおメニューには、シートノックとサーキットトレーニング(筋力トレーニング)が残ってしまっている。


 最終的に練習メニューをすべて消化したころには、夜九時を回っていた。

 毎日このペースでやっていたら途轍もなく疲れが溜まるし、授業の予習及び復習もできない。私立校と違い、野球だけをやっているわけにはいかないのだ。

 そしてダウンが済んだ後、円陣を組んで監督、コーチの話を聞いている時であった。


「朝比奈、ここは喝を入れておいた方がいい」


 成田がヒソヒソ声で助言する。言われなくとも朝比奈はそうするつもりだった。


「頼むよ~。大沼親分みたいなのをさ」


 真柄は名監督と謳われた大沼啓二氏の大ファンであった。


「俺からは以上だ。朝比奈、終われ」

「監督、その前に一言よろしいでしょうか」

「構わん」


 朝比奈は許可を得て円陣の真ん中へ出る。


「今日の練習、どれだけタイムロスしたか分かるか?一時間だぞ、一時間。それだけあれば何本スイングできるか、お前ら分からないのか?」


 ただの沈黙が、嫌な空気を纏った沈黙へ変わる。


「これから一年、三百六十五日練習したら三百六十五時間のロスだ。約十五日も練習をサボる気か?」

「単純すぎだろ」

「おい、今発言したやつ誰だ」


 人込みをかき分け、発言主の一年生の胸倉を掴む。


「お前か、コラ」

「言いがかりですよ、キャプテン」

「甲子園行きたくないのか」

「ていうか、そもそも行けるはずだったんだけど……」

「何ィ!」


 朝比奈が右拳を振り上げた瞬間、壇ノ浦が拳を掴んで止めた。


「もういい。終われ」

「しかし……」

「主将なら自分の感情は捨て置け。もう一度言う。終われ」


 壇ノ浦は個人的感情が入っていると見て、仲裁に入って来たのだ。ここは先輩が折れる場面であった。


「……」

「朝比奈」

「くっ……これで本日の練習を終わりとする。礼!」

「あーっしたッ!」


 こういう時だけ元気の良い声を出す事が、ただただ情けなく思った。


                   ******


「どう思う?成田」

「う~ん」


 伊集院と成田は帰り道、朝比奈政権の纏まりの悪さについて語りながら歩く。


「二年は納得したけど、一年は納得してないってとこかな」

「朝比奈じゃ役不足ってこと?」

「あ、それ使い方違うらしいよ」

「え、そうなの?」


 成田の国語の成績は学年トップである。


「まぁ、それはいいとして」


 成田は腕を組みながら眉間に皺を寄せる。


「例えば、里見がキャプテンだとしたらどう?」

「まぁ文句ないわな。実力も人望も」

「そう。俺も里見だと思ってたんだよ、実は」


 伊集院は『やっぱり?』と言いたげな顔をしている。苦楽を共にして来た二年生でさえ、朝比奈の抜擢は意外だったのだ。


「こんな言い方はしたくないけど、里見になるはずが戦犯の朝比奈になってしまったんだ。一年がやる気を無くす原因としては十分かもしれない」

「う~ん……そうかなぁ」


「新しい担任が全く冗談の通じない生真面目野郎だったらガッカリするだろ?」

「いや、それは人に依るんじゃない?」

「だから人に依るんだよ。俺たちは別に朝比奈で構わないんだから」

「あ、そうか」


 伊集院にもほんの少しだけ、下級生の気持ちが理解できた。


「仕方無いってことかぁ」

「まぁな。俺だって、例えば芯太郎がキャプテンになったりでもしたら、やる気の一つも失せるよ」

「え?」

「え?」


 伊集院は成田の言葉が意外だった。成田は伊集院の反応が意外だった。


「……まぁ、それはいいや」


「ああ。何とかして朝比奈主将に人望を集めないと」

「俺たちが朝比奈を慕って見せるってことだな」

「御名答」


 甲子園へのチャンスは残り二回。迷っている時間は無かった。


                     ******


 その頃、芯太郎はコンビニで真柄と高坂が出てくるのを待っていた。二人はプロ野球を題材としたカードゲーム『BOWKER‘S LEAGUE』を買いに行っている。


 中身が分かるわけでもないのに、ダウンジングだの何だの言って注意深く袋を厳選しているのだ。そのせいで既に寮の門限まで後三十分まで迫っていた。


「本当、冷めるわー。あの給料泥棒がキャプテンとか」

「監督も予想外なんじゃね?伝統だかなんだか知らないけど、里見さんにすべきだったろ」


 聞き覚えのある声に反応し、芯太郎は目線を横にスライドさせる。一年の野球部員が屯していた。


「お前らまだいたの?」

「あれ、斎村さん?」

「何してんすか?」

「ダウジングが終わるのを待ってる」

「はぁ?」


 一年は説明が欲しそうな顔をしていたが、あまりにも馬鹿馬鹿しい内容なので説明は拒否した。


「この際だから聞いときたいんですけど、斎村さんは納得してるんですか?」

「おい、よせって!」


 取り巻きの一年生が制止するも、時すでに遅し。質問は芯太郎の耳に届いてしまった。


「何を?」

「キャプテンですよ。朝比奈さんでいいんですか」

「別にいいけど」

「何でですか?」

「一番向いてるからだよ」

「里見さんの方が向いてますよ」

「キャッチャーにやらせるのって激務すぎるだろ。内野手が適任だと思うよ?」

「……」


 理に適っていた。高校野球における捕手の役割は投手のリードは勿論、相手打者への配球や弱点の記憶、守備位置及び送球の指示など余りに多い。この上チーム全体のまとめ役まで任せたら、頭の容量が持つという保証は無いだろう。


 だから分業する。捕手には副主将としてブルペンを管理してもらい、グラウンド全体は主将(内野手)が管理すれば良い。


 理屈は分かるのだ。


 しかし、結果を出せなかった者について行くことには、疑問符が取り除けない。これから芯太郎がどんな説得を試みようとも、そう簡単に譲るわけにはいかない。


「まぁお前らが朝比奈を嫌おうとどうでもいいけどさ。俺も嫌いだし」

「えっ」


 朝比奈政権を良しとしない考えを容認するというのだろうか。その言葉を聞き、一年生の心には安堵の気持ちが去来した。


「でもさ。俺にとって守備の練習って生命線なんだよね」

「え?」


 芯太郎の細目が見開かれ、その場の全員の背筋が凍り付いた。


「今度タイムロスしやがったら、ただじゃ済まさないよ」

「……」


 身長177センチ。少し大きい程度の体格であるはずの芯太郎が、まるで仁王の様に大きく見えた。

 一年は、飲まれてしまった。


「返事」

「は、はい」


 コンビニから真柄と高坂が笑顔を綻ばせながら出てくると、芯太郎の厳しい表情は呆れ顔に変わった。


「まぁ、早く帰れよ。それじゃ」

「はい……」


 残された一年は、後一年は左翼のレギュラーが動かない事を悟った。

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