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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
二年夏 ――戦犯の章――
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42回:斎村マジック

「朝比奈君!出て来てよ~!」


 部屋の前で舞子がノックを続けている。野球のノックではなく、ドアをノックし続けている。

 朝比奈は学校へ行きたくなかった。全校生徒が見ている前で、自分はA級、否、S級の戦犯になってしまったのだ。


 吊し上げ、陰口、イジメ、リンチ。学校へ行けばどんな仕打ちが待っているか分からない。

 しかも自分が特待生である事。クラス内で特別な存在であるかの様に振る舞った事も、扱いに拍車をかけるに違いない。


 鍵を掛けてあるはずのドアを蹴破る音がした。


「通ちゃん!いい加減にしてよ!」

「何してんだ! 人んちのドア壊すなよ!」


 遂に痺れを切らし、実力行使に出た。


「後で弁償するわよ! 父さんが」

「行かないったら行かない」

「ダメ! 行くの!」


 布団を剥ぎ、思い切り腕を引っ張る舞子。


「痛ぇよ! 離せ馬鹿!」

「行くったら、行くの!」


 ベッドの端に足を乗せて、梃子の原理で力を加えてまで腕を引っ張っている。スカートの裾がめくれて下着が見えていても一切気にしてはいなかった。


「行かねぇっつの! 行けないんだよ!」

「おじさんとおばさんに、どうしても連れてってって言われてるの! 起きなさい!」

「いい加減にしろ!」


 一階にいる両親にも聴こえるぐらいの大声で叫んだ。断固たる意思表示である。


「あーもう……なんなら、一揉みぐらいさせてあげるから」

「アホか、お前」


 的外れな事を言う舞子を見て、一昨日の自分の誓いを思い出してしまう。

 決勝に勝って、甲子園進出が決まったら、カッコ良く告白するつもりだったのだ。

 野球が、その手段に成り下がってしまっていた。自らに愛想が尽きる事実であった。


「俺はもう、駄目なんだ」

「何が! 一回ぐらいの失敗が何よ」

「一回じゃねぇ!」


 その気迫に舞子は圧されてしまう。


「お前には、分からねぇよ」


 これっぽっちも期待されなかったのに、決勝のタイムリーエラーをした自分。

 片や全校生徒から期待されたのに、いとも簡単に満塁ホームランを打った芯太郎。


 器が違った。役者が違った。

 考え方が、違ったのだ。野球への真摯さが、違ったのだ。


 朝比奈の試合前の緊張は、大方舞子が告白をOKしてくれるかどうか。その程度の緊張であったのだと、結果が物語っていた。


「もう俺はダメだ。引き籠りになるしかない」

「だから何でよ!」

「俺は自分の事しか考えてなかった!最低のプレイヤーだ!」

「そう思うなら学校に行きなさい!」

「何でそう……」


 なるんだ、と言いかけて、舞子が平手打ちのモーションに入っている事に気づく。

 頬から脳へ、痛みの信号が駆け抜けた。

 舞子の目には涙が溜まっていた。


「スタンドの皆はね……」


 声が震えていた。


「皆泣いてたのよ。関係者だけじゃない。ベンチ入り出来なかった部員も、保護者会も。一年の女子も、男子にだって泣いてる子いたんだよ」


 頬を伝う涙が美しかった。


「その責任から逃げるのだけは、絶対にダメ。授業の時間を割いてまで応援に来てくれた皆は今日も授業があるのに、通ちゃんはここで寝てるの!? 失礼だと思わないの? 甘ったれるのもいい加減にしてよ!」


 舞子は泣きながら抱き着いてきた。


「私だって、自分の事みたいで口惜しかったんだからぁ……」

「……ごめん」


 こうして朝比奈は学校に行かざるを得なくなった。


                    ******


「じゃあ、また練習でね」


 舞子は教室の前まで付き添ってくれた。

 小学校に入った時に、初めて一人で登校する感覚に似ていた。

 扉を開けるのがこれほど怖いとは。


「重いな、この扉……」


 これから浴びせられる罵声に、何があっても耐えなければならない。

 男として、責任を果たさなければならない。

 意を決して扉をスライドさせようとしたその時だった。


「昨日はごめんなさい!」


 芯太郎の声が聴こえた。


「斎村君が謝ることないよ」

「あんな凄いホームラン打ったんだからさ」


 クラスメイト達の慰めの声が聴こえる。このタイミングで「謝るべき人」が入って行ったら不味い。朝比奈は突入を保留する。


「俺のはまぐれなんだ。打率一割の下手くその、十回に一回があの時に来ただけ。それまで打たなかった俺のせいで」

「でも斎村君って『満塁男』なんだからさ。守備もプロ級なんでしょ?」

「そーそー。やっぱり朝比奈君のせいだって」

「特待生のくせに、最後にあんなエラーするなんてさー」

「ていうか、何で斎村君は特待生じゃないの?」


 言いたい放題言われても、朝比奈は黙って拳を握るしかない。これも責務なのだから。


「あまり朝比奈を悪く言わないで欲しいんだ」

「いや、流石にあれは無いよ」

「散々偉そうな事言っといてあれだもん」

「あんなのが授業料も免除なんでしょ? やってらんないよ」

「まぁまぁ」


 伊集院が必死に取り繕おうとしているが、収束する様子は無い。

 しかしここでも芯太郎が動く。


「いや、本当に悪くないんだ、朝比奈は」

「はぁ?何で?」


 クラス中の視線が再び芯太郎へ集まる。


「アイツの守備率は三十回中二十九回成功の九割六分七厘。準決勝まで来られたのもあいつがショートの激務に耐えてくれたおかげなんだ。外野の俺とは比べ物にならない」

「えっ、九割六分?」

「それって凄くない?」


 実はそれほど凄くは無いのだが、芯太郎は数字を巧みに使って朝比奈の無罪を主張した。


「つまりあいつのエラーの方が『まぐれ』なんだ。偶々最後に来てしまっただけなんだ。だから」

「う~ん」


 クラス全員が半信半疑となり沈黙に包まれているところで、朝比奈は突入した。


「お、おはよう」

「おう朝比奈。おはよう」

「お、遅いじゃん朝比奈」


 芯太郎と伊集院が普段通りに挨拶する。そして他のクラスメイトは、今の議論を聴かれていたということが分かり背筋を凍らせていた。


「皆、ちょっと言いたい事がある」


 クラス一帯に緊張が走る。糾弾されて、乱闘にも発展しかねない。


「昨日は来てくれてありがとう。無様なとこ見せて済まなかった」


 しかし意外にも、朝比奈が選んだのは大人の対応だった。

 もう二度と、舞子を泣かせたくは無かったのだ。

 惨劇を回避したクラスメイト達は、ここぞとばかりに普段通りの関係を紡ごうとする。


「また来年頑張ろうぜ、朝比奈!」

「そうよ、来年は甲子園行けるわよ!」

「期待してるぜ、特待生!」

「ああ」


 こうして朝比奈はクラスに帰還した。

 そしてそれもこれも芯太郎のおかげであるという事が、朝比奈にとって只々意外だった。

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