33回:ドーンと来て
「成田!」
「待て!行くな」
顔面に打球を受けた成田の所へ駆けて行こうとする高坂を、片岡が制する。
「あれは十割、あいつの不注意に責任がある。マネージャーに任せておけ」
「でも!」
「練習を止める事は許さん。主将命令だ」
「くっ……」
運ばれてくる成田の姿が見える。その顔を見て、高坂は戦慄した。
あの端正な顔達の成田が、頬を紫にして、まるでエイリアンの様な顔立ちになっている。
あの顔にさせたのは、他でもないこの自分である。その事実がバーベルの様に、物理的な負荷となって感じられた。
精神が蝕まれているのが分かった。
「す、すみません、ちょっと……」
いつの間にか、吐き気まで催していた。
「チッ……もういい。代われ」
「すんません、すんません」
高校生とは、精神が脆い者である。ましてチームプレイの求められる高校生ならば尚更だ。
あと二年、共に釜の飯を食う同級生を傷つけたとなると、その自責の念は計り知れない(上級生相手ならもっともっと重いが)。
ケージを抜け出した高坂は、脱兎の如く成田を追った。
「大丈夫か、成田!」
「高坂君、今喋れないから」
「あっ、スマン」
成田は氷で顔を冷やしているが、腫れが引く様子は無い。もしも目に損傷があったら、選手生命どころか人生に関わる。
「はよ病院に連れて行ったらな!俺が付き添う」
「だめよそんなの。レギュラーメンバーが非もないのに付き添いなんて、造反になっちゃう」
「サボリの口実じゃない。俺の打球で怪我したんやぞ」
「事故なんだから、気にしちゃだめよ」
そう言うと、舞子は成田の肩を担ぎ、進藤コーチの車で病院へ向かってしまった。
その日のシートノックで、高坂は数えて五つものエラーをし、再びグラウンドを走らされた。
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「どうした!引っ張れ!右中間を割って見せろ!」
「くっ」
あの日以来、高坂はスランプに陥り、セカンドフライを量産していた。
「アカン……なんでや!」
「高坂」
壇ノ浦が歩み寄る。
「監督、調子は必ず戻しますから」
「お前は一週間、ノースイングだ」
「は?」
もっともっと振って、打ちながら調子を取り戻すつもりだった。その彼にとって、あまりに残酷な辞令が出てしまった。
「返事は」
「ちょ、待ってくださいよ!何で俺が」
「お前には休息が必要だ。指示に従え」
「……」
辞令である。拒否権は無い。
「返事は!」
「は、はい!」
高坂は特待生である。造反して退部になれば、ただ飯喰いになってしまう。
頷かないわけにはいかなかった。
「本当に恨詰め過ぎだったよ、傍から見ても」
「そうかなぁ……」
マネージャーの並里に付き添われて、紹介して貰った病院へ向かう。
「どこも怪我なんてしてへんのに」
「まぁ、普段あれほど引っ張りの上手い高坂君だもの。監督もまず怪我を疑うわよ」
「そうかなぁ」
「そうよ」
並里は二年から高坂と同じクラスで、マネージャーとしての管理能力もピカ一である。一部では『壇ノ浦監督の右目』とすら言われているとかいないとか。
「じゃあ、私はここで待ってるから」
「おう。すぐ済むと思うから堪忍や」
壇ノ浦から紹介されたスポーツドクター。信頼を置いて良い人物なのであろうが、正直どのように症状を訴えるべきか高坂は悩んだ。
なにしろ、身体的な異常はどこにも見当たらないのだ。
「失礼します」
「座って下さい」
「失礼します」
二回も失礼してしまった。
「壇ノ浦先生から話は聞いていると思います。高坂新兵と言います」
「はじめまして。僕は壇ノ浦先生の大学の同級生でね。榊原と言います」
「よろしくお願いします」
「では、症状を教えてくれるかな?」
高坂は迷った末、包み隠さず全て教えることにした。
自分の打球が成田に当たり、重傷を負わせてしまった事。それ以来、強い打球が打てなくなった事。体の故障はなんら無い事。
それらの情報を聞いた榊原は、即座に診断を下した。
「恐らく、イップスの予兆ですね」
「イップス?」
「君は責任感が強い方ですか?」
「中学ではキャプテンやっとりました」
「ふむ」
榊原は看護婦にメモを手渡す。それを見るなり、看護婦は姿を消した。
「薬を出しておきますね。あと二日はバットを握らない事。一週間して直っていなかったら、また来てください」
「はぁ」
「しかし君といい、あの子といい、壇ノ浦先生の指導は……」
「あの子?」
「いえ、君とは関係ありませんよ。では、お大事に」
あまりに短い診察に、高坂は戸惑いながら並里の待つロビーへ戻る。
「えっ、もう終わったの?」
「薬出されるから待てって」
「じゃあ私が処方箋貰いに行くね」
自分で行く、と言いかけたが処方箋と言う言葉を知らなかったため、行ってもらう事にした。
並里と一緒にグラウンドへ戻ると、成田が復帰していた。
「お、おい!大丈夫なんか」
「顔が腫れただけで練習は休めないよ」
「いやいや、休んでええやろ!」
自分の打球で怪我をさせたのだ。練習して悪化されたら、高坂は更に精神衛生が悪くなってしまう。だが、北条は想像以上に軽傷だったらしく。
「骨に異常は無いって。目もね。打撲だけで済んだから許可貰って練習してるんだ」
「そ、そうか」
「お前調子崩してるんだってな。センターにもチャンスはあるか」
「何!?」
おーい、と外野を招集する声が響き、成田は戻って行った。
高坂はバットを持てない事がもどかしかった。もしかしたら本当に、と思うと危機感を煽られずにはいられない。
「何してんだ高坂!着替えてノックに入らんか!」
「は、はい! 今行きますんで」
ノックをしている片岡の激が飛ぶ。言われるまでもなく高坂は、カッターシャツの下にアンダーを着こんでいた。




