28回:150キロの音
「芯太郎、しばいたれ! 緩い球しか来やんぞ」
高坂は一人応援するが、ベンチはどちらかと言うと白けていた。
「高坂よぉ。ランナー無しの斎村には期待するだけ無駄だぞ」
「まぁ、そーですけど……案外こういう時打つかもしれませんやん」
ネクストに入った朝比奈も、何と欠伸をし始めた。誰もランナー無しの芯太郎には期待していないのだ。
「朝比奈~」
「何だよ真柄」
朝比奈に向かってグータッチのポーズを取る真柄。
「しっかりつなげよ~」
「はぁ? 当たり前だろうが」
真柄なりの伏線であった。
******
いつにもまして、筋肉が冷たく、凍った様に動かない。芯太郎は構えるのがやっとだった。
対する望田はエネルギー消費を考えず、高々と足を上げて溜めを作る。
――今までとフォームが違う。
ネクストで見ていた朝比奈は、直感した。次に来る一球が望田の本気だと。
「おっ……らァァァ!」
ミットに球が届いた瞬間、智仁ナインはほぼ全員が、電光掲示板に視線を移した。
「145キロ!?」
「い、今までより20キロ速いじゃねーか!?」
ざわつくベンチを尻目に、望田は削れ過ぎた足場をならす。芯太郎はその間も、微動だにしない。
「何で、あの球を斎村何かに……?」
「そうだぜ、上位打線にとっておく球だろ」
二年生達は認めたくなかった。自分達が緩い球で十分だと思われた。つまり舐められたという事実を。
「ありゃ、俺より速いな~」
「言ってる場合か、アホ!」
のほほんとしたコメントは真柄のもの。そしてマウンド上の望田は帽子のツバを深く下げ、表情を隠しながら芯太郎に語り掛ける。
「手だしなよ。張り合いがない」
「打てやしないから」
「……打てばいいだろ。あの時みたいにさぁ!」
右オーバースローから、芯太郎の体目がけて硬球が投げ込まれる。「※ビーンボールか!?」と誰もが一瞬思った筈。それほどまでに、望田のカーブには変化量があった。
「ストライーッ!」
それでも芯太郎は微動だにしない。というより、反応できなかったという方が正しい。
「仰け反るくらいしてくれよ、お前の為にとっておいた球だぞ」
「……俺に投げても意味ない。勿体ないよ」
「そっか、じゃあ最後に」
ノーワインドアップだった望田が、いきなり振りかぶる。誰もが三球勝負を予感した。
「この球を見せてやる!」
その凄まじい球の回転は、空気を切り裂く音をグラウンドの選手にプレゼントした。その回転数は、明らかに普段鳴っている物とは異質であった。
150キロの音であった。
「えっ」
誰もがその後の球の行方を信じられなかった。どう見ても、打てる技術は無かったのだから。
今迄になくバットが最短距離を通った。神主打法の格好良さも相まって、神々しさを纏う程のスイング……。芯太郎がバットを振り終えると、ボールは既に消えていた。
「打った!?」
三塁手が飛びつく間もなく、弾丸ライナーが三塁線を襲う。グラウンドに白い粉が舞う。すなわち結果は。
「フ、フェー!」
三塁塁審も打球の速さにびっくりしたのか、よく分からないコールになっている。しかしジェスチャーは線内を告げていた。
「三塁線!」
「破った、長打コース!?」
「斎村、走れ走れ!」
左翼フェンスに物凄い勢いで到達した打球は、左翼手の予測と違う方向に跳ね返る。彼がようやくボールを掴んだ時には、既に芯太郎は二塁手前に来ていた。だが、そこからがおかしかった。
「げっ、あいつ二塁蹴りやがった!」
「スリーベース狙う気か!? 間に合わない、止まれ斎村!」
流石に三重県大会優勝の敦也学園、阿吽の呼吸で中継を行う。が、彼らの予想以上に芯太郎の足は速い!
頭から滑り込む芯太郎。砂埃の中で、審判はタッチより下から潜る芯太郎の手をハッキリと見ていた。
「セーフ、セェーフ!」
誰がどう見ても素晴らしいプレーだった。芯太郎らしからぬ溌剌としたプレーに、ベンチは労いの言葉を忘れるほど。
「な、ナイバッチだ斎村!」
「ナイス判断! 好走塁やで芯太郎!」
片岡や高坂が声をかける中、浮かび上がった疑問を話し合うチームメイト達。
「おい今、三塁ランナーいなかったよな?」
「何で打てたんだあいつ? やっぱり普段は手抜いてるのか?」
「ていうか今のボール……見ろよ、150キロ! あいつ、生の150キロを初見で打ちやがったんだ」
0割打者が、いきなりプロ並みの150キロを打ち返したのだ。彼らだけではない、球場全体が二人の対決にどよめいている。吹奏楽部など、演奏を忘れてしまっている。
「お前ら」
壇ノ浦監督の一言で、部員の背筋が伸びる。
「試合に集中しろ。3点のビハインド、忘れたわけじゃあるまい?」
「す、すいませんしたァ!」
その時、高坂と里見は確かに見た。ニヤリとほくそ笑む壇ノ浦の表情を。
「芯太郎……あいつ、何者なんや」
「決まってる。天才……いや」
里見は三塁の芯太郎を睨みつけながら、言葉を選ぶ。
「気まぐれに試合を支配する、悪魔……かもな」
一方で、マウンドの望田が150キロを痛打されてなお、平然としている事には誰も気づいていなかった。芯太郎と、真柄を除いては。
※ビーンボール……打者の体目がけて投げる球。危険球と見なされれば退場処分まである。




