25回:許さない。顔も見たくない
「こらハゲ! てめーに客だ、グラウンドに戻れ!」
「……そりゃ、どうも」
わざとらしく辛辣な言葉遣いをする朝比奈に、不快感を顔で示しながら礼を言う芯太郎。
「で、誰? 名前は?」
「えーと、確か望田とか言ってたな」
その名前を聞いた瞬間、芯太郎の体が強張るのを朝比奈は見た。
「男? 女?」
迫真の表情で尋ねる芯太郎。がっついているわけではなく、どちらかと言えば怯えているような表情だった。
「女だ。他校の」
「……」
のっぴきならない事情を感じ取ったか、いつもは茶化す筈の部員たちが静まっている。
「じゃ、お先に……」
******
芯太郎が制服に着替えてグラウンドへ戻ると、少女はスカートを風に靡かせて待っていた。
「シン!」
「佐那、何でここに……」
待ち人に表情を輝かせる『佐那』とは裏腹に、芯太郎の顔は青ざめる。
「びっくりした?」
「何しに来たんだ」
「幼馴染に……いや、彼に会いに来るのは普通でしょ? 例え電車で何時間かかろうが、ね」
芯太郎は黙ってしまった。
「帰ってくれ」
「何も言わずに静岡に行っちゃうんだもん。心配したよ。バンダナ、似合ってるよ。校則違反じゃないんだ?」
「帰れよ!」
その言葉を聴いた『佐那』は、帰るどころか芯太郎に一歩近づいた。
「何で目を反らすの」
「何でって、そんな事!」
「ちゃんと見て欲しいな。私の顔……いや」
『私の眼を』
その単語を聴いて、二倍増しで青ざめる芯太郎。
「く、来るな!」
「あなたは何もやましい事をしていないの。堂々と私の眼を見て」
「右眼は良く見えるでしょう。ほら、前髪を優しくかき分けて、左眼を見てみてよ」
芯太郎は恐る恐る、『佐那』の右眼を見る。そして、前髪に隠された左眼付近に目線を移す。
震える手で前髪を分けると、真っ黒な眼帯が露わになった。
「取ってみてよ」
「無理……だよ……」
『佐那』は深く溜息をつくと、芯太郎の右手を素早く掴み、自分の左眼に押し当てる。
「おい! やめろよ!」
「隻眼になってから、見える世界が半分になった」
「離してくれ!」
「だけどそんな事は首をちょっと回せば、もう半分が見えるのよ。でも……でもねッ!」
その時、『佐那』は持てる握力を全開放した。40キロに届くか届かないか程度の握力を。
痛くはない。だがその全力に、極まった感情が込められている事は十分に伝わった。
「片眼で野球はできないのよ!」
とうとう芯太郎は膝を地についた。『佐那』は残っている右眼から大粒の涙を流している。
「左眼は右打者の生命線。その命を私は失った」
「言うな!」
「あなたに奪われた!」
佐那は思い切り芯太郎の頬を張った。耳鳴りがするほどに。
「でもいいの。これで芯太郎とずっと一緒にいられる」
「ぐっ……!」
「でないとその呪い、消してあげないよ」
自分で張った頬を優しく撫でながら、もう片方の手でバンダナを解く。芯太郎は抵抗しない。
「可哀想に。こんなにストレスを……」
愛でるように頭を摩る。
「三重に帰って来れば、全て終わるわ」
「嫌だ」
「ランナー三塁。今度は、片眼じゃすまないけど、いいの?」
それだけ告げると、『佐那』はバス停の方へ歩いていった。ホッとした芯太郎だが、遠間から追い打ちをかけられる。
「また会えるよ、シン」
「えっ!?」
「次は球場で、ね」
その言葉の意味を芯太郎が知るのは、僅か一週間後であった。
彼女の名は望田佐那。芯太郎の呪いに絡む、高校一年生。
「逃がさないよ、絶対に」
******
東海地区大会、一回戦。智仁高校の相手は三重一位、敦也学園。
結局のところ朝比奈の願いかなわず、芯太郎は7番、朝比奈は8番のままであった。
「くそ~この試合だ、芯太郎。 証明してやる、見てろよ!」
「だから俺に言っても仕方ないんだってば」
朝比奈は気合いを入れて素振りを繰り返している。
「何だ、敦也学園。エースはライト守ってやがるな」
「舐められたもんだな、俺達も」
主将の片岡が苛立っている。先行は智仁高校である。守備に就いた敦也学園の紹介アナウンスが始まる。
「守ります、敦也学園。ピッチャー、望田……君」
「なっ!?」
芯太郎が大声をあげ、硬直する。そしてこの試合、とんでもない事になるという確かな予感を抱いた。
望田征士郎。よく見知った「男」が、マウンドに登っている。
「征士郎……どうしてお前が、そこに!?」
「どーした~芯太郎」
真柄の呑気さがせめてもの救いであった。




