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最終回:いつか、また

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「この投手と君が入れば、甲子園に行けると私は踏んでいる」

「……」

「不満かね」

「不安です。生活費とか……」


「寮費は免除してやろう。学校とは別に、この私が。ただし打席に入ったら必ず振れ。打つ意志を感じられなくなったら、すぐに免除を打ち切る」

「でも、ランナー三塁での僕の打球は……」

「それでも振れ。誰かを傷つけても振れ。この約束を守れるなら、君の寮費は全額私が持つ」

「……」

「三重から離れて、野球をやりたいんだろう」

「はい」

「ならば振れ。いつか、笑顔で打席に立てる様になったその時こそ。君は胸を張って伊勢ここに戻って来るんだ」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 壇ノ浦が、芯太郎を智仁高校にスカウトした際に言った言葉である。

 友情、頭髪、痩せ細った神経。芯太郎は色々な物を犠牲にしながら、バットを振り続けた。


 卒業するその日、芯太郎達は壇ノ浦に挨拶に行った。いつも通りの無口にサングラスだったが、一言餞の言葉をくれた。


「良かったな、斎村」

「……はい。ありがとうございました」


 あの決勝から、芯太郎は打席で一切のストレスを感じなくなっていた。

 バッティングが楽しいという当たり前の事実を、あのヒットで思い出したのだ。


「結局俺ら、あの人の掌の上やったのかもな」


 帰り道で寄ったラーメン屋で、高坂が呟く。


「甲子園の優勝監督。俺ら5人を上手く利用して、最高の肩書手に入れよった」

「凄いことだぜ。新チームが秋季大会惨敗した事から考えても」

「俺達が3年になる年。その一点に焦点を当てた指導か……恐ろしい監督だったな、壇ノ浦先生」


 生徒達が帰った後。壇ノ浦は職員室で一人、天井を見つめていた。

 特に印象が深かった生徒達との記憶に想いを馳せながら。


「良かったな、斎村。楽しんで野球を続けろよ」


 そして、もう一人。


「……あれで良かったのか、お前は」


                     ******


「レフト! バックバーック!」

「落ちるぞ落ちるぞ、回れ回れ!」


 暗闇に局所的な白を生み出す照明の下。インパクトから方向を。打球音と角度から飛距離を割り出し、すぐさまボールから目を切って走り出す。

 フェンス手前。体をフェンス側に向けてのポケッチキャッチは、ランナー全員を惑わせた。


「うわっ、捕ってる!?」

「戻れ戻れ!」


 二塁に送ってツーアウト。全力疾走の一塁走者も戻り得ず。三重殺でゲームセット。


「はい、終わり―。紅白戦は紅組の勝ち、ゲーム!」

「ありゃーっした」


 礼が終わると、チームメイトがその背中に殺到する。


「すげーな斎村、何であんな捕り方できんだよ?」

「あれって、走者騙す余裕まで有ったって事だろー?」

「違いますよ、偶々、偶々」


 謙遜する彼を見て、ニヤリと笑う先輩方。『上げて落とす』絶好の機会とみた。


「これでバッティング良かったら、間違いなくプロに行けるのになー」

「……」

「あ、ヘコんだ」

「それは言わないでくださいよ……」


 ゲラゲラ笑う先輩達を他所に、芯太郎はグラウンド整備に向かった。


「ほーんと、バッティング以外の才能は全部持ってるんだもんな。気まぐれな悪魔君は」

「行けるといいよな、ああいう奴がプロへ」

「鈴鹿の左中間には悪魔が一匹、と」



 激闘から二年。芯太郎は三重にいた。プロ志望届は出さず、急遽智仁高校に設けられた推薦枠を使い地元の自動車メーカー・SUZUKAに就職。野球に仕事に、忙しい日々を送っている。


「おう斎村、どうだ帰りに一杯!」

「お疲れさまでーす」

「お、おい待てよ! 今日で成人すんだろー、一緒に酒のもーぜー」

「先約があるんですよー」


 その言葉で察したのであろうその先輩はそれ以上野暮な事は言わなかった。


「仲睦まじいこって」

「やだな、そんなんじゃないですよ」


 花の金曜日が、その年の芯太郎の誕生日だった。芯太郎は飲みの誘いを全て断り、アパートへ一直線に帰宅した。


                    ******


「お帰り、シン」

「ごめん、遅くなって」


 家では佐那が待っていた。地元で一人暮らしを始めた芯太郎のアパートを、偶にこうして訪ねてくるのだ。

 今では、芯太郎も彼女から眼を逸らさず接している。


「20歳の誕生日おめでとう」

「ありがとう。佐那はまだお酒飲めないね」

「べっつにー。羨ましくなんかないもんね。あんな苦そうなの」


 芯太郎は買って来た初めてのビールのタブを開ける。


「じゃあお先に」

「……一口ちょうだい?」

「ダーメ」


 飲み始めた芯太郎だが、2秒でむせた。


「にっが!」

「やっぱりねー。そうなると思ったんだ」

「これが美味しく飲めない内は、まだまだなのかな~」

「シンは甘ちゃんだからね。イップスになるぐらいのお人好し。アルコール無くても年中酔ってるみたいなもんなんだし、いいんじゃない」


 二人は笑いながらテレビを点けた。注目の二人の投げ合いが、既に佳境を迎えていた。

 8回を終わって0対0。

 投げているのは知立ドラグーンズの二年目・左のクロスファイヤー、大麻友志。

 そして札幌ファイトクラブの二年目・去年新人王の快碗・望田征士郎。


「兄貴を応援してあげなよ」

「タイちゃんも頑張ってるし、どっちも頑張れ」


 だが、佐那の一番の心配はやはり芯太郎だった。


「来年、ドラフトかかるといいね」

「どうかな。スカウトは何人か接触して来たけど、いいとこ育成契約じゃないかな」

「そんなことないよ。シンならどこに行ってもGGが獲れる。タイちゃんの口癖だもん」

「大丈夫。プロに行けなくてもしっかり稼いで、俺は佐那の眼を治す。そこが俺のスタートラインだって決めたんだ」


 自分が奪ってしまった佐那の視力。それをいつか、取り戻したその日こそ。

 テレビの中の二人と一緒に、四人でゆっくり昔語りをしよう。そんな日を、芯太郎は夢見ている。


「急にいなくなったりしないでね。シンの友達みたいに」

「そりゃ最近は会わないけど、里見も高坂も大学で頑張ってるよ。朝比奈なんて、卒業したら即結婚するって聞かないんだ」

「アメリカに行った友達の事だよ」

「あいつがきっと、一番元気でやってるさ。世代で一番の天才なんだから」


 そう言うと、芯太郎はバットを持って外に出て行く。慌てて佐那が追いかけると、路地で素振りを始めていた。


「今、野球楽しい?」

「守備はいつでも。バッティングも、もっともっと楽しくするために今、振ってるんだ」

「なら、よし。頑張って稼いでね。甲子園の左中間を最後まで封鎖した、左中間の悪魔くん」


 神主打法の構えは変わっていない。数々の投手との対戦をイメージしながら、思い思いに振っていく。

 最上、下間、大麻、征士郎。

 そしていつかまた、自分の前に現れるであろうあの男。


「あれ、シン」

「え、何?」

「黒髪が……あっ」


 バンダナを取っ払うと、芯太郎の頭髪はしっかりと生えそろっていた。


「あはは!」

「何だよ、笑わないでよ」

「だって、芯太郎に、ま、前髪が……おっかしい!」




 一年後、芯太郎は育成選手契約でプロの野球選手となる。支配下に昇格し、ゴールデングラブ賞の最右翼となるのは、それから二年後の事だった――――。



 今日もまた、左中間には彼がいる。

 



――――――――左中間の悪魔 完――――――――

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