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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
127/129

125回:A Devil Ray

 守備なら人を傷つける事はない。だから思い切り我儘になれる。調子に乗って、全ての打球を掴みたい。そんな支配欲が少年にはあった。


 芯太郎の守備能力の高さは、投手と打者、風にグラウンドコンディション。全ての動きを見逃さない視野の広さと集中力にある。その全てを把握し刺殺を成し遂げる時、芯太郎の支配欲は満たされる。


 フライを打ちあげる事しかできない芯太郎は、打席では欲を掻き立てられる事はない。はずだった。

 あの時、あの打席。そして今この時、このチャンス。


 心から打ちたいと思ったのは、実に5年ぶりだった。


                     ******


 真柄忍という天才投手が消えた。朝比奈通という闘士は、一度もバットを振る事なく最終打席を終えた。彼らの遺志を背負って、斎村芯太郎が打席に立つ。


「いっちょ前に打つ気か? 芯太郎」


 征士郎はボールを右手で弄びながら、芯太郎を呪った。妹から野球を奪った男。しかもその妹は、その男を一途にも想っていると来ている。


 何もかも、気に入らなかった。だから、野球人としての屈辱を存分に味あわせてやりたかった。五打席連続敬遠の打者の後ろで。

 ここまでの芯太郎の打撃成績は6打数0安打、4三振。文句なしのA級戦犯。甲子園は全国中継、全国ネットで恥さらし。普通の人間ならば、もう打席に立つ事すら……否。生きている事すら嫌になっている。

 

――なのになぜ、まだ大幣おおぬさを構えられる?


 知っている。この男は自分の恥に無頓着。自分より他人、自分より世界。そう考えてイップスに陥ったヤサ男だ。今は恐らく、あの投手のため。あの遊撃手のために打席に立っている。


 そして打つ気でいる。


「なら俺が……引導を渡してやる!」


 初球。まだ余力を残している征士郎は、挨拶代りのインコース高め。顔面近くに剛速球を投げ込んだ。


 それを見た誰もが背筋を凍らせた。殺意すら感じるその投球にではなく、微動だにせず球筋を見た芯太郎に対して。

 鼻先3センチを、147キロの硬球が通過していったにも関わらず。不動の構えで見送って見せた。6打数ノーヒットの4番打者になど、誰も期待していなかった。それでも、今の攻防は何かを予感させる。


 一球遅れでブラスバンドが流れ始める。『アール・クン・バンチェロ』ではなく、『逆襲の赤』。真柄のヒッティングマーチだ。応援団が、23奪三振を奪った真柄の気迫を、芯太郎に送り込もうとしているのだ。


「仰け反らなかったのは褒めてやる」


 体を起こしてアウトコースを責める。今の芯太郎にはその定石が通用しないらしい。征士郎は気を取り直して、二球目を投じる。インコース、カーブでストライクを取って来た。

 これも、微動だにしない芯太郎。


 征士郎は帽子の鍔を深くかぶり、表情を隠す。芯太郎が、自分をジッと見つめているのが気味悪く感じたのだ。


――見たって、打てやしないぞ!


 三球目。渾身のストレートでストライクを取りに行った際、遂に芯太郎が動いた。


「ふあっ」


 気合いのつもりだろうか。情けない声を出しながらのスイングは、ジャストミートの1センチ下。

 打球はバックネットに突き刺さった。


「当てた……」

「そうだ、当たるんだ斎村!」

「頼むぞ静岡県勢の夢、お前に託したぞ!」

「打てるぞ斎村ー!」


 芯太郎の実力からして、征士郎の球に当てられること事態が奇跡のはずだった。前打席のファウル連発が、まぐれではなかった事を証明して見せた。

 三年間、成長していないわけでは無かったのだ。


――ドアスイングを止めた。それだけで打てるほど甘い世界じゃない。


 ファウルにするだけでは、せいぜい四球しか選べない。前に飛ばすにはもう一段、芯太郎は殻を破らなければならない。

 それをこの甲子園の緊張感の中で成し遂げなければならない。そのプレッシャーに圧し潰されたかの様に、口元が歪んだ。


「おい……お前今、笑ったのか?」


 対照的に、征士郎の額には血管が浮き出ている。今の高校野球界で最強の投手たる自分に対してその態度

。癪に障るどころの話ではない。


「あの時も、そうやって笑っていたよな」


 声が届かないから会話にはならないが、征士郎はセットポジションに入りながらも昔語りを続ける。


「あの時お前がスクイズのサインを無視して!」


 第四球、ファウル。


「サインを信じて、お前を信じて突っ込んで来た佐那にッ!」


 第五球、ボール。


「打球をぶっつけて、光を奪ったんだろうが!」


 第六球、ファウル。ここまで投げたストレートは、全て145キロを超えていた。

 征士郎はベンチで見守る佐那に視線を向ける。スコアを付けながらも、きっとどちらかを応援している事だろう。それが芯太郎の方である事ぐらい、征士郎も分かっている。


「お前の様な奴が、どうして……」


 ストレートで空振りが取れない。しかしここでフォークを投げれば、ハッキリ言って余裕で三振を奪えるだろう。

 だが征士郎は、前打席でフォークを『投げさせられた』事を後悔していた。実力で圧倒的に劣る芯太郎如きに、決め球を使う事を強いられた。圧倒的優位にいる者にとっては、屈辱であった。


 愛洲からは、既に何度もフォークのサインが出ているが、小さく首を振るばかり。プライドが邪魔をしていた。


――いいだろう、芯太郎。お前の為に取っておいてやった、本当のウィニングショットを見せてやる。


 延長11回。既に22個の三振を奪って来た投手に、誰がこんな球を投げられると思うだろう。セットポジションからゆっくりと足を上げ、プレートに接した付け根に力を込めて体重移動を加速させる。


「これが俺の、MAXだ!」


 膝かと思いきや、ベルト高。ベルトと思いきや、胸の高さ。マグナスエフェクト全開。最高級の球のノビ。特筆すべきはその回転と音の美しさ。ストレートがホームベースを通過する頃、芯太郎の体は止まった。


 ギリギリの判断でバットを止めた。どちらともとれる高めのストレート。判定は……。





「……ボーッ!」


 会場に怒号が響く。判定と、電光掲示板の159キロに。


「約160……ふっ、うわはは!」


 芯太郎に笑いが漏れた。打席で笑う芯太郎を見て、驚いたのは智仁ナイン。


「え、守備じゃないんだぞ!?」


 その様子を見て、征士郎はある考えに辿り着いた。


――こいつ、打席で笑ってたのは、佐那を狙ったからじゃなくて……?


 征士郎はプレートを外して、心の整理をつける。

 斎村芯太郎は、あの時も今も。望田征士郎と言う投手が余りに凄い球を投げるから。

 打ってみたいと思ったのだ。勝負が楽しいと思ったのだ。


 考えてみれば、当たり前の事だった。何故なら、バッティングが嫌いな野球少年なんて。


「……いるはずが、無かったんだ。そうか芯太郎、俺を打ちたいんだな」

「うん」

「俺を相手にしたから、純粋に打撃が楽しいと思えたんだな」

「うん」


 事件の日と同じだった。芯太郎は、征士郎だけを見ている。サインを見逃すほど、投手の挙動に集中している。






                     打たれる!?





 脳裏にその映像が蘇った。今の芯太郎の集中力は、『呪い』の時と同じ。自分の剛球が、この集中を引き出してしまったのだ。この状態の芯太郎なら、例え160キロのストレートでも打ち返す。

 

 それでも、ワクワクしてしまう自分がいる事が、征士郎にもおかしくてたまらない。先程までの感情が、恐怖と歓喜で塗りつぶされた。

 こういう相手に巡り合えるから、全国は広く(と言っても二人は近所だったのだが)、高校野球は面白い。


――分かった、愛洲。俺も全力で相手をするよ。


「えっ」


 サインを出した愛洲の方が驚いた。征士郎はセットポジションから、先程と寸分違わぬフォームを始動させる。

 同時に、芯太郎の神主打法が動き出す。征士郎のテイクバックに合わせて、寝かせた手首を立たせ終る。

 そこで、膝を折って体を沈め始めた。愛洲はその時点で、自らの失策を悟る。

 この男には、もう見せている球であった。


 征士郎は眼を見開きながら、雄叫びをあげてリリースを終える。


 選んだのは、140キロの……。


「狙っていたのか、フォークをッ」


 気まぐれな悪魔のスイング。あたかも海から飛び上がるエイの様に、低めギリギリから打球は跳ね上がった。

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