124回:GodZilla
「真柄、大丈夫か!?」
「あ~あ、こりゃ25奪三振はキツイかぁ……」
150キロのマグナスストレートを投げた瞬間、遂に腕に限界が来てしまった。もう真柄は投げられない。
「真柄、お前からだが代打を出すぞ。いいな」
「すんません監督……俺が最後まで行くつもりだったのに」
代打・竹中が打席に向かう。勿論、打ち終わったらそのままマウンドに上がる心づもりだ。
「真柄よ。俺は捕手失格かな」
「う~ん、俺としちゃここまで投げさせてくれたんだ。文句なしだよ」
「ありがとう」
「でも世間がな~」
ふふっ、と真柄がタオルの下で微笑む。きっと表情は歪んでいるだろう。痛みを噛み締めているのだから。
涙腺が緩む里見達にしてやれる事は、一つしかない。
「お前に完投勝利をプレゼントしてやる」
「できるならやって。でもできなくても気にしないでね」
「祝勝会に出られなくてもいじけるなよ!」
真柄が愛洲を打ち取って、智仁がチャンスを作って、そのチャンスが望田征士郎に潰される。今日何度、このパターンを踏んで来ただろう。
もういい加減、終わりにしよう。智仁高校の士気は最高潮に達した。今こそ、男が試される時。
「この真柄忍という稀代の投手を犬死にさせるようなら、明日からチ○コ取るべきだ」
「おう!」
「望田がなんだ、愛洲がなんだ! こっちには韋駄天にエロ主将に、左中間の悪魔がいるぜ!」
「おう!」
あと一点を取るためには、全員のメンタルを集中の極み……所謂フロー(ゾーンとも言う)に載せてやる必要がある。その為には声を出すのが手っ取り早い。
「おい誰がエロ主将だ、誰が」
「行くぞ智仁高校。俺達が頂点だ!」
しかし征士郎の壁は厚い。竹中は敢え無く三振。これで22個目、両軍合わせて45個目の奪三振となった。
「1番センター、高坂君」
高坂は心地良いプレッシャーの中にいた。静岡最強のリードオフマンとして、ここで最高のパフォーマンスを見せるイメージが、既に出来ている。
彼の武器は足。それは、この試合で存分に敦也バッテリーに見せつけている。
――『それなり』の配球が来るやろな。そこが……狙い目や!
足を活かさせない……それは即ち、ゴロを打たせないという事。マグナスエフェクトを十分に載せた、高めのストレート!
「これや!」
高坂は一二塁間目がけて絶妙のプッシュバントを放つ。当然、バントは警戒されていたが高めに強い球が来た分、カウンターの形で打球も強い。一塁手が出て来ざるを得ない場所へボールは転がっていく。
ファーストを誘き出せたなら、後はカバーに入る投手との走力勝負。大麻など、今まで何人もの投手とこの勝負を繰り広げて来た高坂。韋駄天の健脚が唸る。
そして征士郎よりも早く一塁へ到達。悠々と内野安打を勝ち取った。
「どや里見!」
「それぐらい当然だろ、威張るな!」
そして二番里見は、またも送りバントの構え。本当なら思い切りぶちかましてやりたい所だが、併殺が恐かった。ここで併殺なら、その瞬間に真柄の完投勝利は消えるのだから。
高坂も、望田―愛洲バッテリーの阻止率を考えたら盗塁というギャンブルは自嘲せざるを得ない。
――とはいえ、送りバントも簡単にやらせてくれるとは思えないが……。
「あれ?」
予想外に簡単に決まった。甘いコース、三塁手の甘いチャージ。どうやらバントをさせて確実に1アウトを取りたかった、という所だろうか。
否、と里見は思った。望田征士郎は、斎村芯太郎を打ち取りたいのだ。確実に打ち取れるバッターで、確実にチャンスを潰す。それをこの試合の必勝パターンとして、敦也学園は実践しているのだろう。
だがその前に、この男の打席がやって来る。
「3番、遊撃手、朝比奈……君」
勝負するか否か。注目はそこにしかなかった。舞子がベンチで祈る。愛しい主将に、最後のスイングをさせてあげて欲しい。
朝比奈も心の中で祈った。自分のスイングで、全てに幕を引きたい。幼いころから始まり、今に至るまで毎日。イメージトレーニングでは甲子園決勝、サヨナラホームランを思い描いてきた。
そのイメージに、今なら手が届くのだ。
だが所詮イメージとは、現実とはかけ離れる運命にあるのかもしれない。グリップを握る力を弱めた朝比奈は自嘲気味に笑った。
「朝比奈君、恨まないでくれ。確実性を考えたんだ。僕らには、君の方が恐いという事さ」
「いや、別に責めているわけじゃない。『あの人』はこの状況でどんな気持ちだったのかな、って思ってね」
「……どうだろうね。もし会う事があったら是非、聴いてみておくれよ」
フォアボールを告げられる。ベンチの舞子は顔を手で覆っている。よっぽど、打ってほしかったのだ。
だが、球場にいる野球玄人は気づいていた。朝比奈の達成した大記録に。
「え、記録じゃね?」
「記録って何が……ああ!?」
「ご、五打席連続敬遠……タイ記録じゃねーか!」
「空前絶後と言われたアンタッチャブルレコード……この眼で見られるなんて!」
勿論、朝比奈は知っていた。それ故に、口惜しさも和らいでくれている。一塁へ歩く前に、朝比奈は芯太郎に歩み寄った。
「俺の最後の打席が終わった」
「……うん」
「お前のせいで、最後までバットを振れなかったよ」
「ごめん」
朝比奈は真顔で、芯太郎の肩に手を乗せる。ありったけの握力を込めて筋肉を掴む。
「正直、俺はお前が嫌いだった」
「知ってるよ」
「けど、お前は呪いにもがき苦しんで、髪も抜けてバンダナ巻いて、それでも野球を続けて来た。その理由には共感できるよ」
「理由?」
「例えこの打席で打てなくったって」
朝比奈は手を放して、握り拳を突き出す。
「大好きな野球は、続けろよ」
「……」
芯太郎はグータッチを終えると、ゆっくりと打席に向かう。
恐らく竹中では、剣豪打線は抑えきれない。ここで点を取れなければ、事実上智仁の敗北が決まる。
「4番、レフト、斎村……君」
青空と同じ色のバンダナを引き締め直して、グリップエンドに小指をかける。
望田征士郎と斎村芯太郎。天照大御神に見守られながら育った、二人の野球少年が向き合う。最後の対決が始まった。
「……打つよ、あいつは」
ベンチでタオルを被っているエースは、しきりに同じ言葉を繰り返していた。




