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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
125/129

123回:93.2 Miles Per Hour

 愛洲はベンチにいる間、ストレートとシュートの見分け方をくまなく研究していた。しかし、結局真柄のフォームから球種を判断するのは不可能と断定。

 だが、上泉の打席でそれを補って余りある戦果を手に入れていた。


「タイム」


 初球を投じる前、敦也学園側からタイムがかかる。三塁コーチャーの交替であった。一番打者の沖田がコーチャーズボックスに入り試合再開。

 集中に水を差された真柄はマウンドを慣らしてから、改めてセットポジションに入る。


 この時、里見は交替に違和感を覚えた。普通レギュラー陣がランナーコーチをする場合、一番打順の遠い選手が務めるのが慣例だ。沖田はトップバッター。愛洲より3つ先の順番で、むしろ近い。


――何か意味があるのか? だが今の真柄は、ストレートとシュートを思い切り投げるだけだから関係ない、か。


 セットポジションから、真柄はクイック気味のモーションを見せて第一球。その時、三塁側から声が聴こえた。


「振り切れ!」


 ど真ん中のストレート、145キロ。ファーストストライクを悠然と見送った愛洲。

 里見はこの動きから、里見はシュート狙いと読み、股間からストレートのサインを出した。


 真柄はこれに頷き、第二球。マグナスエフェクト付きの141キロが真ん中へ。


「踏み込め!」

「ふしゅっ」


 愛洲が息を吐いたかと思うと、腰の回転に乗ってボールが飛んでいった。


「不味い!」


 2塁ランナーの上泉は俊足。外野へのヒットは即ち失点を意味する。三塁頭上を越えたレフト線の打球、スタート良くこれを追っていた芯太郎が飛びつく。


「捕れーッ」


 里見と朝比奈が同時に叫ぶ。ダイブした芯太郎のグラブに打球が掠り……落とした!


「ゴーッ!」


 ランコーの沖田が手をグルグル回す。そのジェスチャーを見るまでもなく、上泉は三塁を蹴ってホームへ。打った愛洲も二塁へ向かう。


 が、そこで事実に気づき、足を止めて戻って行く。審判がY字のジェスチャーを見せていたのだ。


「ファールファール、ファールボール!」


 芯太郎がボールに触れた位置がラインの外だったのだ。勝ち越しを確信した敦也側スタンドから溜め息が漏れる。


 だが、愛洲は違う。打ち直せるという自信があった。


「やっぱ堪んないネ……こいつとの勝負は」


 真柄が滴って来る汗を舐めると、今度は自分からサインを出した。セットに入ると、しっかりと静止してから素早く第三球。

 ここで投げるは、カミソリシュート!


「良く見ろ!」

「ボール!」


 振らせるためのインコースへのシュート、見送ればボールの球。それを愛洲は当然の様に見送った。


――こいつ……初見でカミソリに引っかからなかっただと!?


 今のシュートは138キロの表示。ストレートと見紛って振る筈のボールだった。

 それを見送られると、里見としてもやり辛い。今の真柄にとって最も三振を取り易い球だからだ。迷った里見はスライダーを選択するが……。


「おらー!」

「甘い!」


 まるで来るのが分かっていたかのようにフルスイング。打球は余裕でスタンドに届いたが、タイミングが早すぎたのか大きく左に切れた。


――不味い、もう投げる球が……いや、もう一つあるにはある。


「チェンジアップかい?」


 里見の背筋が蠢いた。スピードボールに慣れた頃に緩急を使い、三振を取る。その狙いを見透かされている。

 迷っている里見を見かねて、またも真柄がサインを出した。カミソリシュートのサインを。


――そうだな。お前のシュートなら……打たれない! 俺も信じる。


 インコースへ、今度はストライクに入れるカミソリシュート。狙いを外角につければ、大雑把に考えればインコースのストライクへ投げられる。

 その瞬間、芯太郎が一歩、二歩前進し、レフト線へ寄るステップを見せた。それを目視した沖田が叫ぶ。


「捉えろ!」

「オーケー……」


 139キロのシュートを、三塁線にゴロで弾き返す。相馬の左を抜いた鋭い打球だったが、またも判定はファール。


「馬鹿な、シュートを捉えやがった!?」


 ここで里見、真柄は同時に悟る。どうやら愛洲には、『投げる前から球種が分かっている』。

 真柄に癖があると考えるのが普通だが、シュートを投げ始めたのは10回からである。事実だとしたらたった1イニングでそれを見つけられた事になる。


 ゾッとせざるを得ない。世の中にはこんな恐ろしいプレーヤーがいるのかと。だとしたらもう全球種捉えられている上に、さらに投げる前に球種が分かる……もう抑える術がない。


 結論は一つだった。里見は立ち上がる。


「おいおい、敬遠かよ!」

「勝負しろ智仁ー!」

「うるせぇぞ敦也学園、お前らだって朝比奈敬遠しまくってるじゃねーか!」

「そーだ! こっちはタダで出塁させてやろうってんだ、グダグダ言うな!」


 両チーム、観客席のOB・保護者会までヒートアップする展開。

 真柄はプレートを踏まない。里見を睨み付けて、意志を眼球に叩き込んでいる。

 だが里見も座らない。打たれる事が分かっている以上、譲るわけには行かない。


「タイム願います」


 真柄はタイムをかけて、解けてもいない靴紐を結び直す。


「そうだよね、冷静になれる時間が欲しいよね」

「黙ってろ愛洲」

「ごめん」


 極限のプレッシャーの中、冷静になれる投手は少ない。真柄にとって、この最高の打者を打ち取る事は何物にも代えがたい喜びだろうから、なおさら熱くなる。

 だから冷やすために、時間をかけた。タイムが解けると里見は立ち上がる。真柄は直ぐにセットポジションに入る。キャッチボールの始まりだ。


「ボールツー」


 スタンドからちらほら出る文句や、愛洲の寂しそうな視線も無視して、真柄はウエストボールを投げた。そして七球目。セットポジションから、立ち上がっている里見に向かって……。







 ではなく、ストライクゾーンのど真ん中に向かって!


「アホォォォーッ!」


 里見が慌てて捕球しにいく。だが、ボールは愛洲のバットに当たりバックネットへ突き刺さる。


「フ、ファール!」

「ま、真柄ァァァァ! てめぇはぁーッ!」


 激怒する里見にニッコリ笑いかける真柄。もうこうなると里見も呆れかえってしまった。


「好きにしろ!」

「サンキュー。んじゃ、残り全部使うぞ」


 そう言って真柄はセットに入り、すぐさま足を上げた。この時、三塁コーチャー沖田は混乱した。サイン交換が行われなかったためである。


 愛洲が球種を読めていたのは、沖田が芯太郎の守備位置を監視して合図を出していたからなのだ。ベンチで芯太郎を観察していた愛洲はある傾向に気づいた。真柄がシュートを投げる時、芯太郎には打球の詰まりを予測し、二歩ほど前に出てくる癖がある。ストレートの場合は前に出ずに、インコースならライン際に、アウトコースなら左中間寄りに守備位置を変える。


 このポジショニングを沖田に見極めて貰い、掛け声によって合図を送らせていたのだ。

 母音が『e』で終わればストレート。『a』で終わればスライダー。『o』で終わればシュートと言った具合に。


 これを知ってか知らずか、真柄はノーサインで投げ始めた。当然、芯太郎は守備位置を勘で変えるしかないので、彼のポジショニングから球種は割り出せない。


 沖田からのかけ声はない。愛洲は勝負が五分に戻った事を察した。


――流石だよ真柄忍。君が僕の生涯で最高の好敵手だ! 最後は実力で……。


 真柄は腰の回転をギリギリまで我慢し、溜められるだけ力を溜めた。まだ電流が流れ続ける腕を思い切りしならせて、残りのありったけの力をこめて振り切った。


ァァァアアアア!」

「捻じ伏せる!」


 マグナスエフェクトがその叫びに呼応するかの様に、ボールを上へ、上へと押し上げる。逆らえない重力に、決して勝てるわけの無い力に真っ向勝負を挑んで行く。


 その球を、上から思い切り斬ろうとする最強の剣豪・愛洲。だが低めに着弾すると思った球は、本当に浮き上がったかのように『落ちない』。


 愛洲のスイングは、可能な限り焦点を合わせる。そして当てた。当てはした。

 だがそのボールの軌道を僅かに逸らしただけに過ぎない。正妻里見、意地の完全捕球。


 勝負はついた。里見と愛洲の二人は、捕手の性か。ほぼ同時に電光掲示板を見た。


「出せるのか。ほぼ壊れ切ったあの腕で」

「ああ。だからこそアイツの才能が惜しい。こうやって、涙が出る程に」

「もし万全であのリリースができたなら、もしかしたらあと10キロ……」

「言うな。言えば言うだけ、虚しいよ」


 二人はそれぞれ、反対の方向へ歩いて行く。マウンドで蹲っていた真柄だが、朝比奈に抱えられてようやくベンチに辿り着けた。


 奪三振23個目。真柄忍、18歳の夏。

 電光掲示板に光る150キロが、蝋燭の最後の輝きに思えた……。

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