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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
119/129

117回:A Man Of Iron

「こんな8、9回、今まで見た事ないかもしれん……」

「ああ、両方三者凡退はともかく、12アウトのうち8が三振なんて」


 望田征士郎の顔にはまだまだ余裕があった。140キロ台が多くなっては来ているものの、カーブ、フォークと空振りも見送りのストライクも獲れる球種があるのが大きい。遂に自責点ゼロのまま8回を終えた。


 対する真柄は9回を遂に投げ終えた。しかしその顔は真っ白になっている。それだけ血の気を持っていかれた状態で、繊細に指先をコントロールしていたのだから無理もない。

 アンダーシャツで隠れているが、その腕の色が今どうなっているか……想像するに難くなかった。


「里見、俺今ムショーにサツマイモが見たくなってきたよ」

「馬鹿、変にかまうな! とにかく冷やせ!」


 自分の腕を見てしまったら余計血の気が引くだろう。里見が必死で止め、朝比奈がバットとヘルメットを渡す。そう、9回裏のトップバッターは……。


「本当にスマンが、お前からだぞ」

「バッティングとか領分じゃないんだよなぁ」

「だが、ここで引き下がる事もできる」


 朝比奈は出したバットを引っ込めた。


「十分頑張ったよ。後は俺らに任せて下がれ」

「勝つ気がないなら、そうしてもいいよ」

「何?」

「もしまだ勝つ気があるんなら、俺だよ。監督だってそう思ってる」


 壇ノ浦はまだ無言のまま。誰を代打に送るでもなく、誰をブルペンに行かせるでもない。つまり『このまま真柄』なのだ。


「監督! いい加減にしてください!」


 里見が胸倉を掴みにかかる。慌てて朝比奈と高坂が壁を作って隠した。


「何だ、造反か里見」

「そうですよ! 真柄をここで壊す気なら、これ以上黙っていられない!」

「落ち着けって里見……どうどう」

「お前だっておかしいと思うだろう朝比奈。この人の真柄への姿勢が」


 確かに、降ろすタイミングは幾らでもあった。結果的に3回以降は無失点という点では、采配は当たっているが……。

 真柄の腕は、もう壊れる寸前……いやもう壊れてしまっている可能性が高い。


「まーまー。取り敢えず俺の話を聴いてよ。俺はこの試合が終わったら、もう投げられない」

「え?」

「腕が壊れようが壊れまいが、今日のピッチングが出来る真柄忍はもう明日にはいないのさ。痛みがなくなったら、イップスは復活すると思うし」

「だからって、腕を壊したら野球が」


 分かってないな、と真柄は手をヒラヒラさせる。里見はいつの間にか壇ノ浦の胸倉から手を放していた。


「今日のピッチングをもう一度するために、生きて来たんだよ。今日しかできないんなら、今日は最後まで投げる。監督とは、入学直後からそういう約束だったんだ」

「入学直後から?」

「そうだよ。だから他の推薦は全部蹴って、特待生としてこんな高校に来たんだよ」


 サラッとヒドイ事を言っているが、喋りが流暢な時の真柄は頑固。もう皆学習している。


「そうですよね、監督」

「……」

「真柄忍と、斎村芯太郎。この二人とセンターラインに特待生を三人。これで甲子園に行ける。そう言ったから俺はその条件を出した。絶対に譲れない条件を」

「そうだ。だから俺はお前をここまで変えなかった」

「監督! でも真柄は……プロに行けるかもしれない選手ですよ!?」


 仮に今イップスが治らないとしても、この才能を潰す事だけは避けなければならない。実際にボールを受けている里見はそれが自分の使命の様に思えた。

 そうこう言っている内に、※ボールバックの時間が来てしまった。


「智仁高校、先頭打者を出して下さい」

「はい。今行きますから」


 真柄はヘルメットを被って出て行ってしまった。もう里見には、智仁ナインにはどうする事もできないのか。

 いや違う。勝って、さらに真柄に投げさせない方法……この回での逆転サヨナラ勝ちが残っている。


 もう円陣を組む時間はない。だが先発メンバーは眼で語り合い、気合いを入れた。


「俺まで回せ。決めてやる」

「朝比奈はどうせ敬遠されるだろう」

「その時は芯太郎に託すしかないな」

「俺は……」


 高坂・里見・朝比奈が一斉に芯太郎の背中を叩く。


「誰も期待しちゃいねーよ!」

「けどその状況は必ず作ったる。覚悟して待っときーや」

「その後は、お前の好きにしていい。ここまでこれたのはお前のお蔭も大きいからな」


 三人はそう言うと、望田のモーションに合わせてグリップを握り、タイミングを取り始めた。打つための最善を行い始めた。


「斎村」

「か、監督……」


 壇ノ浦も口を開く。


「見せてやれ。お前の現時点を。変わったところを、望田と真柄に」


 芯太郎の背筋がざわつく。しかしそれは今迄と違い、どこか気持ちいいプレッシャーに思えた。


※ボールバック……投球練習が終わるタイミングで、内外野手が使っている練習球をベンチへ投げ返す事。

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