110回:Evening Primrose
愛洲が初めて征士郎の球を捕った時、驚かされたのはその綺麗なバックスピンであった。
球速140キロを越えるボールなら、シニア時代にも捕って来た。だがここまでノビのある球を捕球した事は無かった。別の回転の球に眼が慣れているバッターには、とても打てる球ではない。経験則が邪魔をするのだ。
そしてこの球を取り続けていれば、いつか自分のバッティングにも大きなプラスになるだろうと思った。望田と同等か、それ以上のストレートの使い手……その相手が現れた時が、自分の真価を発揮する時であると、愛洲は3年間待ち続けた。
そしてその相手が、遂に目の前に現れた。智仁高校の主戦、真柄忍!
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初球、真柄が出したサインに里見が動揺した。タイムをかけようとしたが、もうモーションに入ってしまった以上どうしようもなかった。
――球筋を見たいはずだから、初球には絶対手を出してこない。チェンジアップでストライクを貰っておくよ。
という思惑が見え隠れするチェンジアップ。しかし愛洲のステップは、そのチェンジアップに合わせて動いていた。
「そう来ると……思ったぜ!」
フルスイングで捉えた打球がレフトスタンドへ飛ぶ。十分な飛距離だったが、チェンジアップのスピードを落としておいたおかげで僅かに打球が逸れ、ファール。1ストライクを奪った形になったが、これには流石の真柄も肝を冷やした。
「あっぶなかった……おっと怒るなよ。結果論、結果論」
睨み付ける里見を手で宥めた後の二球目、真柄はストレートのサインを出す。今度こそ球筋を見られるだろうが、一球見ただけでは解析は完了しない。という真柄の考えであった。
ランナーはいない。慌てずゆっくり足を上げ、遅れて出てくる肘から先をしならせる。なるべく手前で放たれるリリースに、全神経を集中させ……痺れる痛みと同時に、垂直に切り落とす!
130キロのストレート。通常よりノビのある速球だが、愛洲のスイングはなんとアジャストして来た。
「くおっ」
金網に激突する打球。バットにボールが当たった事を意味していた。
「ファールボール!」
「うお、愛洲の奴あの球に当てやがった!」
4,5,6番がいずれも掠る事の出来なかった真柄のストレート。完全にミートする事はできなかったが、他打者と比べると明らかに『誤差』が少ない。塩味の汗を舐めながら、真柄が独り言ちる。
「やるね。向日葵より、月見草の方が球が見えている。食したら一味も二味も違いそうだ」
「次はフェアに持っていく」
ボソリ、と里見にプレッシャーをかける愛洲。里見としても、このままストレートを続ける事に対する危惧がある。再びタイムを取ってマウンドに行こうとすると、またしても真柄がモーションに入った後だった。
「ああ、もうアイツは!」
足を上げた真柄も、愛洲がタダ者ではない事を確信していた。もう一段階、精度を上げる覚悟を決める。
――腕がぶっ壊れるかもしれないが……やるか!
今までより更に力を入れて、腕を振り下ろす。何かが千切れた様な感覚を覚えながらも、フォロースルーまで振り抜いた。
そして、投じられた高めのボール球に対し、愛洲のバットは空を切っていた。
「何だと……今の球速、まさか」
里見と愛洲は同時に電光掲示板を見る。球速表示の140キロに、しばし眼を奪われた。
今迄のMAXは133キロ。一球前の投球は130キロ。そこにいきなり10キロの球速差が生まれるとは予想していなかった。愛洲の完敗である。
だが気が気でないのは里見である。すかさずマウンドへダッシュする。
「140なんて今出せるのかよ」
「ちょっと無理した。今の回転なら140ぐらいは出せると思って」
「腕は大丈夫か!?」
「大丈夫だよ。ちゃんと計算して投げている」
腕を摩っているが、ねっとりとかいている汗がやせ我慢を物語っていた。
「ならいいが……壊すなよ」
「試合をか?」
里見は問答を避けて戻っていく。次の8番・夢想に対しては、チェンジアップ、スライダー、最後は130キロのストレートで三振に切って取った。不思議そうな顔をして戻るしかない夢想に、望田が情報を聞き入っている。
「さて、BIG3君はどんな打撃を見せてくれるかな?」
自身が速球派投手だけに、望田なら真柄のストレートについてのイメージは出来ているかもしれない。そこに真柄は興味があった。この男は、自分程客観視の能力があるかどうか?
「ストライーク、バッターアウ!」
「あら?」
しかし望田は一球も振らずに三振した。明らかに球筋を見る事に徹している。次の打席の要注意打者として、真柄と里見はマークする事にした。望田と愛洲。このバッテリーの打撃を。
ともあれこれで6者連続三振。コントロールの精度も上って来たが、上位打線に回る次の5回が里見にとっての不安であった……。
「す、すごいなこの試合。これで両チーム合わせて、9人連続で三振だぜ?」
「望田も凄いけど、あの真柄……あの球速でなんで三振を奪える!?」
観客の興味も、望田に集まっていた半分が真柄に移りつつあった。




