表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
109/129

107回:Tom Terrific

「なんや大麻、お前もここで見よったんかい」


 決勝を観戦に来ていた鷹野は、手洗いから帰って来た際に大麻の姿を見つけた。二人とも偶然、一塁側の近くの席に陣取っていた。


「昨日試合やった癖に、ようやるな」

「関西の人こそ、一回戦負けの分際でよく来れたな」

「まぁ優勝せなんだら、一回戦も準決勝も一緒や。同じ相手に負けとるしな」


 二人はマウンドと左翼に、それぞれ眼をやる。


「斎村はこの回からまたレフトか。んで、次の上泉からはセンターに移るんかいな」

「アイツの守備力なら、そう使わないと勿体ない。だが……」

「驚きやったな。あの状況で打てないとは思わんかったで」

 

 大麻は打てなくなった理由について、大方の想像がついているのか深く会話を掘り下げなかった。


「関西の人は芯太郎を見に来たのか?」

「まーそれもあるが……俺が気になるんはあいつやな」


 マウンドを指さす鷹野。しつこいぐらいにロージンをつけている真柄が目に入る。


「今日のアイツは本気でダメだぞ。二線級どころの話じゃない」

「せやなぁ。本当にあいつは劣化しとるわ」

「劣化?」

「ホンマはな、お前の倍くらい凄い投手なんや」


 天才左サイドを捕まえて真柄の二分の一だと言われれば、大麻のプライドにも火が点いてしまう。


「なら、この打たれ様はなんだよ? 俺なら5点も取られはしない。取られても2点までだ」

「今の真柄は、本来の真柄やない。もう奴は劣化してしまったんや」

「分からないねぇ。この年で劣化するぐらいなら、その程度の才能じゃないのか? あいつは芯太郎がレフトじゃなかったら甲子園にすら来れてない奴だぞ」


 鷹野はじっとマウンドを見つめている。一球一球のフォームを確かめると、溜め息をつく。


「やっぱ劣化しとる。よっぽど『ヒドイ事』があったんやろなぁ、アイツの人生」


                  ******


 真柄の苦心の投球は、投球練習ですら滝汗を生み出している。リードする里見は里見で、芯太郎のいる所に打たせる事しか頭に浮かばなかった。


 三番・義輝に投じた初球は、思い切り引っ張られたレフト線への長打コース。だが、守り手は芯太郎である事から里見はこの時点で打ち取ったと思った。だが。


「し、芯太郎!?」


 芯太郎は逆の左中間にスタートを切っていた。一歩目が早すぎるという事が、必ずしもいい方向に転がるわけではないのだ。義輝は悠々と二塁へ進塁。


「芯太郎が、守備でトンチンカンをやらかすなんて……」


 ボロボロの真柄に追い打ちをかける様な芯太郎のやらかし。負の要素が積もり積もった智仁高校。応援にも、どこかやる気の無さが見え隠れしていた。


「あーあ、決勝なのに塩試合だな、こりゃ」

「こんななら、大麻と望田の投げ合い見たかったー」


 それでも真柄は腐らない。何度も何度もロージンをつけて、再びセットポジションに入る。対するは、剣豪打線最強の男。


「4番ショート、上泉君」


 今大会4割打者の一人で、剣聖の名を持つ男。今大会3本塁打のスラッガーを相手に、里見は打つ手が無かった。


――芯太郎、今度こそ頼むぞ!


 芯太郎の心が乱され、守備にも影響が出ている事を知りながら、それでも里見は縋ってしまう。それほどまでに三年間、芯太郎の外野守備に助けられてきたのだ。三年間の守備率、驚愕の.999。それでいてあの守備範囲。縋るなという方が無理である。


 その発想が命取り。要求したインコースのシュート回転は、右バッターにとってまさしくホームランボールだった。


「やめてくれー!」


 レフトポール際に飛ぶ爆打球。これ以上絶望したくない一心で、里見は情けなくも叫んでしまった。


「ファールボール!」


 審判の両腕が広げられる。戻って来た上泉が、里見に優しく微笑みながら呟く。


「通じたな。悲愴な願いが」


 何も言い返せない自分は、無力な捕手かもしれないと里見は行いを恥じた。こんな時こそ、エースを支えてやるのが捕手の務めだというのに!

 しかし、二球目に要求したスライダーもジャストミートは避けられなかった。


「切れろぉー!」


 甲子園上段に突き刺さるホームラン……の飛距離だったが、やはり僅かにポールから逸れた。風が吹いていたのが幸運だっただ、もはや真柄はまな板の上の鯉である。

 もう、この先真柄の球で上泉は抑えられない。里見は今更ながら悟った。


――もう止めにしよう。お前はよく頑張ったよ。


「タイム!」


 マウンドで待つ真柄。ロージンをこれでもかと手に塗すのは、間違いなく腕の痛みを誤魔化している。『無理はするな』とか、『打たせていけ』とか、月並みな言葉はいらない。ただ一言『降りろ』と言わなければ。捕手として、今の真柄は突き放さなければならない。三年間付き添った里見にしかできない役目だった。


 だが、マウンドに来る前に真柄が掌で制した。


「分かってるってーさとみん。でもこの打者だけはさー。投げさしてくれい」

「真柄……」

「ふぅ……もう限界だけどさ、俺にも意地ってもんがあるんでさぁ」

「……分かった。持てる最高の球を投げて来い!」


 一人の投手の高校生活、最後の球を看取る。これもまた捕手の務めであった。里見は、芯太郎へ打たせるリードをやめた。ゾーンを目いっぱい使って、何としてもこの上泉だけは打ち取って見せる。決意のリードが、外角にミットを置かせた。


――ここに来い、真柄!


 その時、真柄が口パクで里見に何か言っている事に気づいた。眼を細めて、真柄の口元に焦点を合わせると、言葉の片鱗が読み取れた。


――し、つ、か、り、と、れ、よ。 シツカリトレヨ?


 その意味を理解する間もなく、真柄は足を上げた。


――256回と、攻略本には書いてあったのにな。今まで何回、何百、イニングス投げて来ただろう。


 テイクバックに入った真柄の目の色が変わる。腕に何本も待ち針が刺さった様な鋭い痛みが走る。

 真柄の体が、神経が、この痛みに支配されていた。その中で、自分がコントロールする事が許された意識の全てを、真柄少年はリリースの瞬間に投入する。


――ようやく、来たぜ。最高に痛いのが!


 もう彼の心身は、『痛み以外の事に構っていられない』。どうしても思い出して拒絶する、過去の凄惨な記憶さえも、イップスさえも、忘却の彼方へ葬り去って――。


――今なら、投げられる。五年ぶりのリリースで!


「っらぁぁぁーッ!」


 全力のリリースを追え、その球は、投げられた。ドンピシャのタイミングでスイングを始動させる上泉。フェンスオーバーを予感し、眼を瞑りたくなる里見。トドメの一撃を、グラウンド内外の皆が予想した。





 だが、ボールはスイングをすり抜けた。更に、里見のミットもすり抜けた。




 どこまで行くのかと、里見が球道を目で追っていると……自分の目の前に、隕石の様に大きくなって襲い掛かる。







「……………がっ!?」


 里見のマスクにボールが直撃し、高々とボールが舞上がる。二塁ランナーの義輝は三塁へ進塁したが、三振した上泉は茫然と立ち尽くしている。


「スイング!」

「い、今の球……何だ、おい、今のボール!おい!」

「タッチアウト、バッターアウトだ! 離れなさい!」


 バットをボールがすり抜けた事で混乱し、里見に掴みかかろうとした上泉が、審判の制止で我に返る。

 だが、ボールを拾いタッチする里見の表情は、一番驚いている人間のそれだった。


 その球の正体に気づいた人間が二人。


「あの球……あの時のボールや!」


 一人はスタンド観戦の鷹野。そしてもう一人が、相手エース、望田征士郎であった。


「あいつ……あの程度の奴が何故、あの球を!?」


 真柄は落とした帽子を拾って。不敵に笑う。


「やれやれ、上手くいってくれたか。待たせたな里見。ここからは……」


 ロージンを付け直して、次打者を睨み付ける。凍り付きそうなその眼光に、五番、兵庫が気圧される。


「正真正銘、本物の真柄だぜ!」


 攻守交代の合図であった。リードしている筈の敦也学園は、余りに屈辱的な展開を強いられることになる。

 真柄忍。傷だらけのエースがずっと欲しかったリリースが、遂に手元に還って来た。

 血塗られた盾が今、英雄の装備に変わる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ