105回:Curse of Goat
満を持して登場した望田の初球は、全観客の裏をかいた。誰よりも驚いたのは、朝比奈だっただろうか。それとも芯太郎だっただろうか。
それは絶対に打てないボール。捕手が立ち上がってのウエストボールだった。
「え、あれって……」
「け、敬遠!? 4番の前で?」
「いやそれより、何で1,2塁を満塁にするんだよ!?」
采配ミスなのか、背水の陣なのか。敦也ナイン以外、誰一人作戦を理解できていない。
謎が多すぎる。なぜ自分から傷口を広げるのかとか、敬遠するなら何でリリーフしたんだとか。しかしそれらの謎を一本に繋ぐ推測を行った人物がいた。ネクストで座る芯太郎である。
――ベンチからの指示じゃない。これは、征士郎と愛洲の独断……!
朝比奈を抑えるために送られた望田。だが彼は朝比奈とは勝負せず、芯太郎との勝負を望んだ。
「うっ!」
今迄幸せな気分だった芯太郎に、突然悪寒が走った。
「違うんだ、今日は楽しい試合が出来る……はずなんだ」
朝比奈は一度もバットを振らなかった。複雑な気持ちで一塁へ歩き出す。テイクワンベース。里見、高坂が進塁し、二死満塁というもっともスリルのある状況が出来上がった。
そしてウグイスコール。
「4番、センター、斎村……君」
エースと4番、二死満塁。盛り上がる条件は揃っているにもかかわらず、異様な雰囲気が盛況を許さない。ここまで仰々しく満塁にしたのだ。「何かが起こる」。その結果に皆が注視している故の静けさ。恐ろしい事にブラスバンドの演奏すら忘れられている。
芯太郎はいつも通り、バットを一塁方向へ寝かせて構える。対する望田はランナー無視のワインドアップ。そして投じられたのは。
「イーファスゥ!?」
イーファスというには軌道が低い超スローボール。イーファスは普通、ストライクゾーンを通っていてもストライクは取られない。だがこの最高到達点が低い軌道なら……。
「ストライーク!」
いつの間にか、芯太郎の顔から笑顔が消えている。さっきまであんなに楽しそうにプレーしていた芯太郎がしょんぼりしている。
その様子に構わず第二球。同じ球を、全く同じコースへ投げ込む、というか放り投げる。
「ストライクツー!」
芯太郎は振らない。戦慄きながらバットを持って立ち尽くす。神主が大幣を振らない。
「芯太郎ォ! 馬鹿野郎が、お前忘れたのか!」
チャンスが潰れる崖っぷち。敬遠された朝比奈が半ば焦りながら声をかける。
「二年前の東海地区大会だよ! お前はそいつをボコボコに打ちこんでるんだぞ!?」
確かにあの時、芯太郎は望田の150キロを悉く打ち返した。しかしあの時と今とでは、望田は比べようもない程の完成度になっている。
「実力差なんて関係ないんだろ!? お前の呪いってやつは!」
そうこう言っているうちに、望田は第三球を投げる。寸分違わず、同じコースに投じられたスローボール。ツーナッシングと追い詰められた、芯太郎は遂に打ちに行く。
「う、うわぁぁぁ!」
悲鳴にも似た奇声と共に、ドアスイングが展開した。高々と上がった打球は、一打席目と同じようにセカンドのグラブに収まった。
「アウト」
「……」
「チェンジだよ君達。早くベンチへ戻って守備の支度をしなさい」
ボーゼンと立ち尽くす高坂、里見、朝比奈。あの芯太郎が満塁で、『結果が収束する』はずの望田相手に内野フライに倒れた。一度目なら偶々だと思いもしよう。だがこの二回目でハッキリした事が一つある。
「芯太郎、あいつ……」
「ああ、信じたくないが間違いない。もう、この打順は裏目にしか出ない」
朝比奈はヘルメットをケースに投げると、歯噛みした。
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「セイ、やっぱりシンは……」
「ああ、この試合はもう俺達の勝ちだ。お前のお蔭だよ、佐那」
ベンチに帰ってきた兄・征士郎が、芯太郎の凡退記録を付けている妹・佐那の隣に座る。ポカリを口に含んで、少しずつ飲み干す望田。
「やっぱり、昨日の夜……」
「そういう事だ。結局のところあいつは、お前の事が気になって仕方なかったんだよ」
「解けたんだね」
「そうだ」
望田は愛洲と目を合わせて、確信を持った事実を述べる。
「ランナー三塁で『打てなくなくなる』呪いは昨日俺達が解呪した。もう今の芯太郎は、中学生以下のドアスインガーだよ」
スコアは4対5。しかし望田を相手にしなければならない智仁にとってのその一点は、あまりに重く遠い差なのであった。




