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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
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104回:Death Scythe

 例えるなら、腕に針を突き刺された感覚が一球投げる毎に真柄に襲い掛かる。甲子園の決勝と言う大舞台の緊張すら、その痛みの前には無力であった。


「これも行ったぁー!」


 敦也学園の一番打者、沖田は今大会の打率が4割を越える超高校級スラッガーである。芯太郎に阻まれはしたものの、初回のホームラン未遂でもその長打力の片鱗は見て取れた。

 そして今、再び真柄の球をピンポン玉の様にレフトスタンドへ放り込んだ。


「沖田のツーランホームラン! これで5対3!」

「敦也学園がたった1イニングで逆転だー!」


 続く2番、宮本はチェンジアップを振らせて三振に打ち取ったが、2回の表は5失点。その全てが真柄の自責だった。

 ベンチに引き揚げる守備陣の顔は、誰も彼もが曇っていた。一瞬でも『優勝』『日本一』が頭にチラついた彼らなのに、ただただ馬鹿を見た。


――……一挙五点は、ねーだろ……。


 彼らの怒りを代弁するかのように、里見が真柄に声をかける。怒気を孕んだ声を。


「おい」

「な~に」

「ストレートの最速は130いかない、シュートはもっといかない、スライダーに至っては110キロ程度だ」

「だから~?」

「もう降りろ」


 真柄からの返事はない。竹中は既にブルペンに入っている。


「五回までの約束だが、もうお前は無理だ。まだ竹中の方が勝算が有るんだよ」

「無いよ。あの青二才には、決勝のマウンドなんてとてもとても」

「味方になんてこと言うんだ」


 真柄は左腕を里見の肩に回して、耳元に息を吹きかける。


「うわっ」

「お願いだよ~。降ろすなら、このまま息を吹きかけ続けてやろー」

「分かったからやめろ! 子供じゃあるまいし、ったく」


 里見は怒ってベンチ裏にアンダーシャツを代えに行ってしまった。誰にも聴こえない様に、真柄はボソボソ喋る。


「痛い痛ーい……腕が割れそうに痛ーい。もう少し、もう少しだよ~」


 汗で腕が冷えない様に、丁寧にタオルでふき取っていた。


                      ******


「やったー!」


 真柄が5点も取られたお蔭でお通夜ムードになりかけていた智仁ベンチに一服の清涼剤が。打撃好調でスタメンに上って来た8番、相馬。嬉しい嬉しい甲子園初ヒットが飛び出した。

 戦犯一歩手前にいる真柄が送りバントを決めると、絶好調の上位陣に打席が回る。まずは高坂新兵の二打席目。


――よし、もう鐘巻のどの球種にも合わせられる!


 高坂は前打席で縦スラ以外のタイミングを掴んでいた。もう鐘巻は恐くない。タイミングを合わせやすいように、ステップ幅を小さくして待ち構える。


 もう待球は必要ない。望田が出てくるその瞬間まで、搾れるだけ搾り取る。


「そこや!」


 初球、ストライクを欲しがった甘いストレートを叩く。ミートに徹したセンター返しは、鐘巻のグラブを越えてクリーンヒット。


「っし、二点差ならいけるで!」


 二番里見の目にも生気が蘇る。二死とはいえここで同点にし、投手を竹中にスイッチすればまだ可能性がある。


――望田が来る前に一点でも多く!


 里見もバットを短く持ち、ミート打法に徹する。真ん中に入って来た横スラを芯で捉えた。左中間に落ちたセンター前ヒット。


「相馬、回れ!」


 今は芯太郎の前に三塁ランナーを残す事など、誰の頭にもなかった。喉から手が出るほどに一点が、いや希望が欲しい!

 バックホームは行われず、送球は高坂の三進を防ぐに留まった。その間に、相馬の掌がホームベースに触れる。


「よっしゃあ、一点差!」


 4-5。なおもランナー1、2塁。まだまだ試合の流れは揺蕩たゆたっている。

 そして次の打者は今大会の4割打者の1人・朝比奈通。悪くて同点、あわよくば逆転の機運が高まって来た。


「朝比奈君、打って!」

「頑張って、朝比奈ー!」


 黄色い声援すら飛び始める。普段なら舞子が頬を膨らませる展開だが、彼女の全神経は打席に向けられている。それほど、打席の朝比奈の目は真剣だ。


――通ちゃん、お願い!

――俺の力で、優勝をこの手に掴む!


 二人の想いが甲子園に奇跡を起こすか。物語のテンションが張り詰め切ったその時。


「タイム」


 その言葉を聴くまでは、間違いなく智仁はイケイケの流れに乗っていたのだ。だがその一言、敦也学園・吉岡監督のたった一言の合図が、流れを止めてしまった。

 何が起こるのか、猿だって分かる当然の流れ。ブルペンで投げる彼の姿を、全員が意識していたのだから。


「敦也学園、選手の交替をお知らせいたします。ピッチャー、鐘巻君に代わりまして――」


 何だかんだ言って、観客が待っているのは投手のスターなのだ。春夏通じて、甲子園の決勝までただの一度も敗北していない、ぐうの音も出ない主役の登場だ。


「――望田、征士郎君!」


 BIG3最後の一人がアナウンスされた瞬間、沸きに沸くマンモス甲子園球場。塁上の高坂と里見、そして打席の朝比奈の思う事は一つ。


――……一球。せめてあと一球あれば、逆転できていたんだぞ!


 それを許すほど、敦也学園は甘くないと言う事である。予定を繰り上げての望田の登板。絶望感溢れる防御率0.75。彼の登場でほとんどの高校野球ファン、玄人でもそう思ったであろう。


『この試合は終わった』。


 僅かに見えた希望でさえ、望田という死神に削り取られていく。智仁にとって残酷な継投であった。


「諦めねぇ……俺が打てばいいだけだ!」


 なおも気を張る朝比奈。対照的に後ろの芯太郎は楽しそうだった。

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