102回:Captain
百獣の王を思わせる協奏曲が甲子園に響き渡る。身長185センチ、体重92キロの大男の登場である。
「2番キャッチャー、里見君」
一回裏、両チームスコアレスのこの状況。定石なら送りバントだが、壇ノ浦からサインは出ない。ここでバントをさせるなら、このオーダーにした意味はないのだ。
一人でも多く、芯太郎の前にランナーを置く。大量得点のために、併殺を恐れず打たせるための二番里見。
「さて、高坂のお蔭で縦スラ以外は見れたか」
里見は速球には強いが、軟投派の相手は正直苦手である。当然、相手側にもそのデータがあるわけだが……。
――この捕手なら、その裏をかくって事もあるな。
ランナーは(作戦上盗塁はしないのだが)俊足の高坂だ。変化球は投げにくい。里見は初球をストレートに絞った。結果、球種は予想通り。だがコースがアウトロー一杯に決まる、最高の投球が来た。
仕方なく見送った里見。初球からこの難しい球に手を出して凡退するのは勿体ない。ここにコントロールできるからこそ、決勝の先発なのだ。
二球目、里見の思考フェイズ。一球目と同じ球を続ける可能性もあるが、二球続けてアウトローにコントロールは出来ないだろう。ベルト高ならボールでも打つ。問題は球種が何かという事だ。
――この場面、相手が欲しいのは併殺。俺が捕手なら次の球は……。
クイックモーションから投じられた第二球。軌道はインコースのストレートだったが、里見は腰を残してスイングの始動を遅らせる。そして軌道が真ん中へ曲るスライダーに変わるのを見極めると、シャープなスイングでこれを捉えた。
「ドンピシャリ!」
スライダーを引っ掻けてショートゴロ。そこからの6-4-3が愛洲の狙いだったが、里見の読みが勝った。ショート頭上を越え、左中間にボールは転々。スタートの良かった高坂は、一気に二塁を蹴る。三塁へ返球される隙を見て、打者走者である里見も二塁を陥れた。
「初回から2・3塁の大チャンス!」
「ねぇ、もしかしてうちって優勝しちゃうの!?」
智仁の応援席がにわかに興奮し始める。自分達の代で甲子園の優勝旗が飾られるかもしれないなんて、入学時には想像もしていなかっただろうから当然である。
そして次のバッターは、甲子園で19打数8安打1本塁打。打率.421を誇る智仁のリーディングヒッター。
「3番ショート、朝比奈……君」
「パパパーパパパパッパラパッパッパー」
『ギガディーン』が流れ始める。大麻のクロスファイヤーをも攻略した朝比奈の登場。スタンドの期待も高まる。
朝比奈は去年の県予選決勝を思い出していた。同じような場面で、壇ノ浦に見逃し三振を指示されたあの試合を。今日も後ろは芯太郎である事から、同じ指示を出される可能性もあった。恐る恐るサインを見る。
サインは待球でもスクイズでもなかった。朝比奈は全てを任せて貰えたのだ。ちょっと涙が出そうになるのをグッと堪えて、タイミングを取り始める。
「君、今日は神主じゃないの?」
捕手の愛洲が探りを入れてくる。既に鐘巻のモーションに集中している朝比奈はそれを無視した。初球、アウトコースのストレートを見送ってストライク。
「外は見るんだ。長打狙いかな?」
囁き戦術というやつだろうか。愛洲の口数が多くなってきた。初球ストライクを入れてくる当たり、スクイズが無い事も読んでいるらしい。かなりヤリ手の捕手だと言う事は予想が出来た。
一方の朝比奈は、球種を一つに絞って待っている。
第二球。今度はど真ん中のストレートが来た。朝比奈は失投と捉え振りに行くが、ど真ん中からボールがストンと落ちた。
「縦スラ!?」
遂に姿を見せた最後の球種。初見ではまず打てないであろう球。朝比奈もまた、二球でツーストライクを奪われた。
しかし舞子の集めたデータによると、縦スラはコントロールが悪い。今もど真ん中から落としたが、ワンバウンドしていたら後逸の可能性もある危険な球だ。
――決め球では使わないだろう。俺が待っているのはあのボール……。
第三球。外角高めにストレートを外し、一球様子を見てきた。次が勝負球。ストライクゾーンで勝負して来るか、ボール球を振らせようとして来るか……。朝比奈は入れてくる方にヤマを張った。
勝負の4球目。高坂に対する決め球と、全く同じコースに来るスローカーブ。虚を突かれたかと思いきや、朝比奈のタイミングはその球にぴったりアジャストしていた。最初からカーブを待っていたのだ。
「行けっ!」
思い切り引き付けた打球はセンター右側に飛ぶ。若干芯を外してしまったため追いつくか追いつかないか、非常に難しい当たりとなった。センター沖田が横っ飛び。しかし打球はグラブを掠め、フェンスに向かったバウンドを続けた。
「回れ里見!」
コーチャーが腕を回しているが、里見は迷った。次が呪い持ちの芯太郎である事を考えれば、ここで三塁に止まっていた方が良いかもしれない。だが朝比奈の足なら……。
――絶対、三塁まで来いよ主将!
里見は三塁を蹴り、ゆっくりとホームイン。打った朝比奈も当然、三塁を蹴る。返球をカットしたショート・上泉との勝負となる。三塁手前、送球の方が若干早く到達。それでも朝比奈は諦めずに頭から滑り込む。それも内側に回り込んでの、タッチ回避のスライディングだ。
「セ、セーフ!」
「っしゃぁあー!」
朝比奈が吼える。三年間磨き続けた走塁技術の集大成。
「智仁高校、決勝で二点先制!」
「斎村ーッ、頼むぞ!」
「得点圏の鬼、軽くもう一点だ!」
望田征士郎と並んで今大会1の注目選手のコールを待って、甲子園が地鳴りを上げ始める。
「4番レフト、斎村……君」
何人もの投手を恐怖に陥れて来たメロディー『アール・クン・バンチェロ』が流れ始める。
これでもう一点が取れる事は、ほぼ確実だと誰もが思った。あわよくば、ホームランでもう二点、加点出来るかもしれない。智仁スタンドではもうお祭り騒ぎだ。
だが、捕手の愛洲は淡々としたサインを出した。初球、なんとど真ん中ストレート。
「え?」
芯太郎はニコニコしながら空振りした。ジャストミートを期待していた観客は肩すかしを喰らう。
二球目。またもど真ん中ストレート。芯太郎はこれも空振り。徐々に球場がざわつき始める。
「あれ、ランナー三塁なら絶対打つんだよね?」
「うん、ニュースで言ってたし……守備だけじゃなくて、得点圏がって……」
「じゃあなんであんな絶好球を?」
一番驚いていたのは智仁ベンチ。ランナー三塁の芯太郎は、空振りする事自体が奇跡なのだ。それが二球続けて起こった事に動揺を隠せない。
「どうしたんだアイツ」
「き、決め球を狙ってるんじゃないの?」
「狙うとか狙わないとかじゃなくて、『打てなくなくなる』んじゃなかったか?」
朝比奈は三重で体験した話をナインと共有していたため、皆が呪いについて理解があった。だからこそ、目の前の状況が解せない。
そして三球目。三度、ど真ん中ストレート。
芯太郎はバットを一塁側に寝かせて構えて。
投手のモーションに合わせて筋肉を始動させ。
腕を弓の様に後ろに引いて溜めを作り。
よっこいせとバットを押し出した。
「打った!」
「ヒヤヒヤさせやがって芯太郎!」
鈍い金属音を残した打球は、高々と上がった。そして長い長い滞空時間を経て……セカンドのグラブに治まった。
「アウトォ!」
「へ?」
甲子園がフリーズする。起こる筈の事象が、発生しなかった。
スイングがいつもの芯太郎。『呪い無しの芯太郎』のままだった。
「あ、あれ?」
観客を含めた智仁サイドの面々が、頭にクエスチョンマークを載せたまま試合は進行する。
「シンが、本当に凡退した……」
「やっぱり、な」
敦也学園ベンチで見守る望田兄妹は、全てを知っていたかのような会話を残した。




