101回:Igniter
芯太郎の超美技を見届けた後、軽く真柄に声を掛ける。
「異常は?」
「ないね~」
「……」
相変わらず、返事には迫力のかけらもない。
しかし里見の眼や手は誤魔化せなかった。
ボールが、来ていない。
「二番サード、宮本……君」
真柄は三遊間、そしてレフトを見やる。
データからすると、この二番はレフト方向へのヒットが七割。
インコースへのシュートを得意とする真柄ならばなおさらその方向に飛びやすい。
守備位置が深めになっている事を確認した真柄は、里見のサインを見る。
初球、外角ストレート。
ボールが来ていないと感じた里見は、まず外にコントロールできるかどうかを確かめる配球を選んだ。
だが。
「おおっと、真柄君第一球をまだ投げない!」
実況席でもそんな事を言っているかもしれない。
何度里見が外を要求しても、真柄は首を振る。
「おい!」
里見の大声がブラスバンドの応援を切り裂く。
それを受けて、ようやく真柄が頷く。
しかし、投じられたのは逆球。インコースであった。
「馬鹿!」
思わず里見も叫ぶが、時すでに遅し。
バッター海潮の打球はレフト後方へグングン伸びる長打コース。
「これは今度こそ! レフト頭上を……越えない!?」
ボールは躍動する芯太郎のグローブに収まった。
「今の追いつくぅ!?」
「今、打球飛ぶ前から走ってたのでは? それぐらいロングランだったぞ?」
数万の視線が芯太郎に叩きつけられる。
それが、あまりに心地良く。
それが、あまりに気持ちよく。
芯太郎の顔に再び笑みが浮かぶ。
斎村芯太郎、十八歳の灼熱の夏。最後の最後で、心から甲子園を堪能していた。
******
三番義輝の打球は快音残し、ショート朝比奈の頭上を越える。しかしその打球の伸びが災いし、芯太郎の守備範囲にピッタリ嵌ってしまった。
仮に左中間ど真ん中でも、捕れる範囲なら全て捕るのが芯太郎である。
「アウトォ!」
「くっそ、またあのレフトか」
一見すると快調にスリーアウトを奪った様に見える。しかし里見は真柄の球質が明らかにいつもと違う事を見過ごせない。
「どうなってる、シュートのキレが全くない」
打者の手元で曲るシュートと、曲がりバナが早いシュートとでは打ちやすさが違う。この差を生むのは球速……つまり今日の真柄のシュートは遅いのだ。
いつもなら、ストレートの平均球速が137,8キロ。シュートは132,3キロという所。5キロしか球速が落ちないから、ストレートのつもりで迎える打者を打ち取る事が出来る。
だが今日のシュートは、120キロ出ているか出ていないか、その程度のスピードしか乗っていない。しかも変化量も少ないので、体を開けば簡単に打たれてしまう。
――やはり、腕が壊れているのか……5回持たせるなんて、これじゃ無理に決まっている!
一回は抑えた。だがその作戦は、芯太郎・高坂・朝比奈の鉄壁守備陣の方向へ打たせて運を天に任せる。そんな穴だらけの作戦が偶々うまくいっただけなのだ。のベンチに戻って来た真柄は、既に脂汗をビッショリかいている。
「芯太郎、あんがと」
「ん~ん、全然大丈夫! もっともっと打たせてよ!」
片や、どうやら心の底からこの試合を楽しんでいるらしい芯太郎。普段からプロレベルである彼の守備が、今日はまた一段とキレている。ホームランキャッチで観客席の椅子に激突したのに、治療も受けずにケロリとしているところを見ると、痛みを忘れる程エンジョイしているらしい。
この芯太郎なら、今日の真柄でもあるいは。そう考えた里見は、先頭打者高坂へ助力を願いに行く。
「今日の真柄なら、五点はいる」
「五点ねぇ。なら初回で一点も取れなかったら、キツイやんな?」
「話が早くて助かる。頼むぞ!」
「任しとき」
先発投手・鐘巻のモーションに合わせてバットを振り、入念にタイミングをチェックする高坂。最初の彼の任務は、ともかく球数を投げさせる。更にその上で出塁しなければならないというハードな仕事だ。
「一番最初に球筋を見極めなアカン。切り込み隊長ってホンマ損な役目やで」
「一回の裏。智仁高校の攻撃、一番センター、高坂君」
『ナポレオン三世』のブラスバンドが流れ始める。聞きなれたハイテンポに乗って高坂が打席に足を踏み入れた。
「静岡県はー、日本最強ォォォ!」
意味の分からない掛け声もいつも通り。常にセットポジションで投げる鐘巻の足が上ると、高坂は投球練習中に確認したタイミングを取り始める。
――ここか?
初球、ストレートを空振りしてストライクを奪われる。しかしこの一球で、ストレートのタイミングに確証が持てた。
「さて、できるだけ球種を引き出さなアカン」
データによればカーブと縦横二種のスライダー。以上が鐘巻の持ち球だが果たして二球目は……。
「ストライクツーッ」
二球目もストレート。東海地区大会の時と同じである。球種を引き出したいという意図を読まれ、まんまとツーストラクを献上してしまった。
――この捕手、愛洲とか言うたか。甘そうな名前とは逆に強かな奴やんけ。
ならば、と高坂は逆にそのリードを逆手に取る方法を考え、ストレート狙いに切り替える。そして投じられた三球目。
「っとぉ!?」
「ボール!」
高坂の考えがまたまた読まれた。外角、ストレートからボールになる横スライダー。球速に差があったためギリギリで気づき、スイングを何とか堪えた。
「けど、スライダーは見せてもろうたで」
カウント1-2。そろそろ、インコースが来る頃合いだろうと感じた高坂は、どの球種が来ても良い様に策を立てる。セットポジション、大きめのストライドから投げられる四球目。
球種はカーブ。ストライクゾーンからストライクゾーンに曲るカーブ。ストレート狙いのスイングなら、ほぼ間違いなく凡打になる球。
しかし高坂はスイングをしなかった。
「ここでセーフティか!」
智仁ベンチが唸る。
追い込まれてからのスリーバントは想定していなかったのか、捕手の愛洲も三塁の宮本も完全に虚を突かれた。勢いを殺した打球が三塁線に転々とする。ファウルゾーンに切れる事もない、完璧な内野安打を決めた。
「っし、球種も三種類見れた。球数はあれやけど、役目は果たしたで!」
特待生として智仁に来てはや二年半。なくてはならない切り込み隊長の、普段通りの仕事振り。
智仁打線の導火線に、しっかりと火を灯した。




