100回:Homerun Hunter
試合直前の静寂。選手達がベンチ前に整列し、闘争心剥き出しでホームへ駆け出す瞬間。高校野球と言うスポーツの始まり方は、嫌が応でも緊張感を高めるようにできている。
両校のシートノックは既に終了し、甲子園は静寂を迎えている。
爆発の導火線が、徐々に尺を失っていく。
真柄はブルペンに立っていたが、投げてはいなかった。
「おい!肩作れってば!間に合わんだろ」
里見の指示にも従っていない。
逆側のブルペンを見つめ続けている。
先発・鐘巻の横で投げる、望田征士郎。
160キロ近いストレートに、スライダー、カーブ、そしてフォーク。典型的な本格派の持ち球である。
――もしあいつを操作できるなら、どんな風に操る?
曲がりの小さいカーブでカウント稼いで、剛速球で仕留めるのは気持ちが良さそうだ。
逆にストレートでカウントを整えて、フォークで仕留めるのも面白い。それから、それから……。
「おい、引き上げるぞ馬鹿」
里見に腕を引っ張られて、真柄はベンチへ帰って行く。
ブルペンで投げた球数は十五球。たったのそれだけだった。それ以上は、肘の痛みが許さなかった。
ベンチ前に戻ってくると、芯太郎が見た事の無い顔をしていた。いつもは泣きそうなほど悲壮感を漂わせるか、他を寄せ付けないほどに敵意を剥き出しにしているのに。
憑き物が取れていた。試合をするのが、楽しみで仕方がないという顔だ。
「芯太郎、大丈夫か?今日は何かおかしいぞ」
「うん、うん!」
里見が話しかけても、今日はこの返ししかして来ない。
芯太郎は入学してからの二年半、ずっとおかしかった。おかしいのが、芯太郎なのだ。だが、今日のおかしさはベクトルが違う。
今迄の陰気なおかしさではなく、明らかに『陽』の方向へのおかしさ。ハイになっていた。
朝比奈や里見だけでなく全員が予感した。このおかしさは、必ず試合に影響する。もしかしたら、今日の芯太郎は全打席ヒットを打つかもしれないとさえ思える。
ともすれば、この試合は勝てる! 静岡・智仁高校の全国制覇。もはや夢物語ではなくなった。
「整列しろ! 行くぞ!」
「オイッ」
朝比奈はベンチ前に全選手を整列させる。
この縦の人垣。美しいラインもこれで見納めである。
勝負は、このダッシュから始まる。
まずは挨拶までの気迫のぶつけ合い。必ず倒すと言う殺気を限界ギリギリまで昂らせ、声にして放つ。
――勝ちたい。試合後に体が千切れても。
朝比奈のメンタルも、過去最高レベルまで昂っていた。
「集合!」
「いくぞ!」
「オォイッ!」
炎は、蝋燭へ点火された。
礼の前から、朝比奈は望田と目を合わし火花を散らしている。高坂は平常、里見は眼を瞑って集中。真柄は既に脂汗を流している。そして芯太郎は満点の微笑み。
「これより、敦也学園対智仁高校、甲子園決勝戦を始めます。礼!」
「よろしくお願いしゃーす!」
******
真柄がマウンドへ登ると、観客席からはチラホラと心配の声が上がる。それもそのはず、ここまで全ての試合に登板したのはこの真柄だけなのだ。しかも全て6イニング以上、その内完投二試合。オーバーワークは明白であった。
「守ります、智仁高校。ピッチャー、真柄……君」
里見はミットを、出来る限り前に出して練習球を捕球する。
真柄に、少しでも気を良くしてもらうために。
「キャッチャー、里見……君」
「ファースト、伊集院……君」
「セカンド……」
望田は静かにベンチから身を乗り出す。
「望田、見てみろあのオーダーを」
敦也学園、吉岡監督がスコアボードに人差指を向ける。
「ええ。あれは大変な事ですよ」
「捕手の里見が二番。明らかに斎村にチャンスで回そうというオーダーだな」
「この甲子園で芯太郎の得点圏は5割。ランナー三塁なら8割。出塁率の高い四人を前に置いて得点を荒稼ぎすれば、今日の真柄でも逃げ切れる。そう言った考えですかね」
「試合前。お前の言った事は本当なのか?」
「ええ。この試合は……」
その時耳に入って来た歓声の向けられている先を悟り、望田は左翼を見る。
「レフト、斎村……君」
時の人、芯太郎への歓声である。
「今日も頼むぞ、天才レフト!」
「プロあるぞ、頑張れ斎村!」
芯太郎は笑顔で手を振っていた。
決勝のみ、スコアラーとしてベンチに入れて貰った佐那は、その幸せそうな顔を直視することを拒否した。望田は佐那に声をかける。
「どうした佐那」
「セイちゃん……私はあの幸せそうなシンが、可哀想で」
「気にするな。これがアイツへの『罰』だ」
望田征士郎は佐那の帽子に手を置きながら、意味深な言葉を吐く。
「この試合の勝利は昨夜決まったんだ。俺達の勝ちは、もう揺るがない」
******
「まーまー。そ―心配しなさんなってさとみん。なんとかならぁね~」
「予兆が来たら直ぐ代えるからな」
「予兆って?」
すっ呆ける真柄を無視して、里見はホームベースへ向かう。先頭打者・1番沖田が打席に入る。剣豪打線の一番手だ。
――初球。インコースの……。
手首を固定して、なるべく捻らずに投げる。真柄のシュートは、微妙なリリースの違いによってなるべくスピードを落とさない、それでいて曲がりの大きいウィニングショット。里見は勢いをこのイニングスで欲しがった。インコースのシュート、決め球を初球に持って来たのだ。
「プレイボール!」
審判の宣言と同時に、不快さと爽快さを併せ持つサイレンが鳴り響く。ゆったりとしたテイクバックの後、真柄の手からボールが放れるその際に里見はその球筋に眼を疑った。
――え、ベルト高の……棒球!?
そしてそのサイレンが鳴り止まない内に、打球は左翼最深部へ飛んだ。
「何だと!?」
開幕初球、レフトスタンドへのホームランを沖田は狙っていたのだ。初球の入りがインコースのシュートである事は、智仁バッテリーには多い。そこをチェックされていたのだ。
「いったぁ!」
甲子園での先頭打者初球ホームランは、滅多に見れないイベントである。その角度と打球音から、誰もがスタンドインを確信した。だが、今日の左翼手はこの男。
芯太郎は打球音とほぼ同時に目を切って、落下点手前にあるフェンスへ一直線。しかもスピードをほとんど落とさない。
「おい、ぶつかるぞ!」
観客の静止も聞かず、芯太郎はフェンスの縁へ飛び乗り、そこから片足でもう一段上のフェンスへジャンプした。フェンス最上段に足をかけると、そのまま落ちてくる目標を捕捉。0.5秒後に飛翔した。
「えっ……うわぁぁぁ!?」
「きゃああ!?」
そしてそのまま、観戦に来ていたカップルに向かって落下していく。当然避けられたため、芯太郎は肩を捻って背中から椅子に激突した。
「どいて、どいて!」
長距離を走って息が上っている二塁塁審がフェンスを乗り越える。倒れて動かない芯太郎のグラブの中には、ハッキリと白球が見える。
「アウト、アウトぉ!」
アウトの宣告を確認した芯太郎はゆっくり立ち上がる。下手に動いてボールを零さないために、審判が来るのを現状維持のままで待っていたのだ。
「そんな馬鹿な! 完全捕球できるはずがない! しっかり見て下さいよ、絶対落としてる!」
打った沖田は塁審に確認する様に要求する。だが判定は覆らなかった。
普通、ホームラン取りはフェンスギリギリ、入るか入らないかの打球を奪うもの。
だが芯太郎のホームランキャッチは、見逃せば間違いなくホームランだった打球。それが超美技でワンアウトに早変わりしたのだ。しかもあんなに強く体を打ってボールを零さないなど普通は有り得ない。沖田でなくても落球を疑うところである。
「す、すげぇーー! 斎村!」
「今壁走って昇らなかった!? 忍者かよアイツ」
「いいぞバンダナ王子、日本一の外野守備!」
望田佐那はそれを見てうっとり一言。
「最高にカッコイイよシン。だからこそ、可哀想……」




