98回:無理なものは無理
「真柄が投げるのには反対です! こいつの腕は絶対壊れてる!」
「監督~、俺が投げれば優勝ですよ、優勝監督ですよ~」
宿舎に帰ってからのミーティング。決勝の先発を巡って、里見と真柄が火花を散らしている。今後の野球人生を考え、真柄に無理をさせないつもりの里見。だが真柄はしつこく粘る。
「誰がイニング稼いで来たと思ってるのさ~。エースを最後に投げさせないなんて薄情なチームだな~」
「お前はいいから病院にいけよ! これ以上投げたら、もう右腕が使い物にならなくなるだろうが」
真柄は大きく息を吐くと、里見に向き直って問いを投げる。
「じゃあ誰が投げるのさ。竹中に今日以上の負担をかけるわけ~?」
「芯太郎だ」
「ブフーッ」
その名前を聴くや噴き出す真柄。幾らなんでも本職でない芯太郎はないだろう、と言いたげだ。ムッとしながらも静観を決め込む芯太郎。
だが、壇ノ浦は里見の提案にまんざらでもないらしかった。
「斎村」
「はい」
「明日、先発行けるか」
「無理です」
その場の空気が凍った。無理な事は無理だと言うのが芯太郎の流儀である。公式戦ではほとんど登板のない自分が甲子園で、まして決勝の舞台で投手など冗談にしても性質が悪い。
「なら三番手の相馬(二年)でいいだろう」
「ぼ、僕そんな、決勝なんて」
一向に決まらない先発投手。やる気満々の男は、ただ一人であった。
「……しかたない。真柄、先発だ」
「ひゃっほーう」
「ただし、五回までだ。それ以上は許さん」
結局、優勝したいのならば真柄に託すしかないのだ。体力は他投手の方が余っていても、緊張で実力が出せないだろうと思われる。甲子園のマウンドは真柄にこそ合っている。
里見はその時点で、嫌な予感がしていた。明日の決勝、タダでは終わらないという予感が。
「大丈夫、大丈夫。明日は超真柄、マグナム真柄……ああ、いい名前が思い浮かばんけど凄い真柄で行くから~」
よく分からない事を言う真柄。ミーティングが済むとすぐさま風呂に駆けて行った。
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「おー朝比奈。お前もポーカーやらんか」
「ぽ、ぽーかー? お前ら、決勝前に緊張の無い……」
「やらんのか、残念。そうだ、芯太郎知らんか? ディーラー含めて三人でやろうと思ったのにおらへんねん」
「さぁなぁ」
高坂は伊集院とポーカー勝負をしていた。緊張を解すためにやっているらしいが、両者秘蔵のエロ本を賭けているため逆に緊張感が高まっている。
朝比奈は彼らに夜更かししない様忠告すると、舞子を探しに行く。
「お、決勝前に気合い入れてもらうんか?」
「そんなんじゃねーよ。望田の投球データが欲しいだけだ」
「はぁ~、なんで俺彼女できなかったんだろうなぁ」
部内の彼女持ち二人(朝比奈・高坂)を見て深い溜め息をつく伊集院。メジャーリーガーの物まねをリクエストするとすぐに元気になった。
「舞子、ここにいたのか」
舞子は宿舎のベランダにいた。夜風にふわりと揺れるスカートが朝比奈の目線を釘づけにする。
「いよいよ決勝だね」
「まさかここまで来るとはな」
「通ちゃん、やっぱり凄いね」
かぶりを振る朝比奈。主将であり主力であるとはいえ、自分一人ではここまで来られなかった事を自覚している。
「真柄、里見、高坂……それに芯太郎。あいつらがいてくれたお蔭だ」
「ここまで来たら、楽しもうって気になって来ない? ここまで来れた事が奇跡なんだから」
「勝つよ」
風で靡く舞子の髪ごと、胸に抱き寄せる。誰も見ていないせいか、舞子も抵抗しない。
「他の特待生は勝つ気だ。俺もそうしたい」
「うん。私はベンチからだけど、ずっと見てる」
「そうだ。勝利ついでに、何か記録でも残してやるよ」
「記録?」
「そう。俺達だけの、栄光不滅の記録をさ」
舞子がクスクス笑うので、胸板がくすぐったく感じる。それほどおかしな事を言っただろうか?
「三振と失策の記録だけはやめてよね」
「あー、そういう事言う?」
「えへっ。期待してるよ、私だけのヒーロー」
決勝戦。まさか本当に、しかも予想の斜め上の記録を作る事になるとは、朝比奈自身も想像できなかった。
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同時刻。誰にも悟られずに、芯太郎は宿舎を抜け出していた。ある人物からの着信によって、呼び出しを喰らったのだ。
芯太郎の一歩一歩が、震えている。もし決勝でこの震えが来たら、まともな打撃はおろか、まともな守備すらできないだろう。それほどの恐怖を覚えさせる人物とは、やはりこの二人だった。
「よく抜けて来れたな、シン」
「征士郎、佐那も……どうせ、明日会うのにどうして?」
双子の兄が背中を押すと、佐那が一歩前に出る。芯太郎が一歩下がると、更に一歩前に出る。
「……約束は明日の試合じゃなかったの?」
「違うんだ芯太郎。今日はお前に謝っておかなければならない」
「……え、俺に?」
逆なら分かる。だが望田征士郎が、もしくは望田佐那が自分に謝る事とは一体。流れが読めずにいると、佐那は隙を見て唇が当たる程の距離に近づいた。
「ちょっと……」
「よく見て、シン」
佐那が、傷を覆っていた眼帯を外す。芯太郎が恐る恐る眼を開けると……。
「傷が……無い!?」
試合前から、決勝戦は山場を迎えようとしていた。




