99. アリス
「どうなってるんだ……みんな、無事か?」
光に満たされたドームの中で、アルサスが問う。それぞれに頷き合わせるのを確認すると、その視線を石柱の方に向けた。みれば、石柱から現れた光の魔法文字が文章の形を成して、ぺかぺかと点滅している。
「これは……なんでしょう?」
何を思ったか、アルサスの制止も聞かずシオンが光の文字に触れた。すると、ぱっと文字は弾けて消えてしまう。不味かったのではなかろうか、と言いたげに振り向くシオンだが、文字が消えた代わりにドームの天井に小さな穴が開いた。そこから現れたのは七色に輝く小さな鉄アレイである。
『ようこそ。アーカイブへ』
再び、例の声が響いたかと思うと、鉄アレイが光を帯びて、アルサスたちの前に一つの像を作り上げた。それは、シオンよりもやや幼い少女の姿。幻のように透けており、見たこともないデザインの裾の長い緑の衣装に身を包み、襟首に埋まるような少女の顔はどこか「翼ある人」を思わせる無機質感があった。しかし、驚くべきは少女の耳から生える角である。角と言うのは、他に適当な言葉が見当たらないからで、板状の棒が耳から頭上に向かって生えているのである。
人間でも魔物でもない……! アルサスたちが思わず警戒してしまうのも無理はない。クロウ、セシリアたちが各々の君主の前に出て、各々の武器に手をかける。だが、少女はまったく動じることもなく、
「敵対の意思はありません。どうぞ、武器をお納めください」
と、姿に似合った声で言う。魔法言語ではなく、アルサスにも分かる言葉だ。
「敵対の意志はないって言われても、こちとら、遺跡船で鉄の魔物に襲われた身だ。あんた一体何者だ!?」
「わたしの名はALC8000。今から二千と八十九年前、マリア博士により開発された、アーカイブの根幹を成す、人工デバイスです。この姿は、フォログラムによる擬装体であり、お気に召さないようでしたら、男性でも、女性でも動物でもお好みの姿に任意の変更が可能ですが、いかがなさいますか?」
少女は深々とお辞儀すると、自らの名を名乗った。聞き慣れないどころか、意味の分からない言葉が次から次へと飛び出してくる。
「いや、姿が問題なんじゃなくて……エーエルシー八千? それがあんたの名前か?」
魔法文字とも違う聴きなれない言葉の響きに、戸惑いを隠しきれず小首をかしげるアルサスに、ALC8000は無表情のまま答える。
「はい。ですが、あなたの氏名のように、わたし固有の名称と言うわけではありません。ALCとは、ITSの標準言語で言えば、アーティフィカル・リーディング・コミュニケーター。頭文字をとって、ALCです。八千とはわたしの作られた形式番号です。もし呼びにくいなら、『アリス』とおよびください。マリア博士がわたしにつけてくれた名前です……。わたしの使命は、長期間にわたり蓄積したデータを元に、あなた方に有益な情報を与えることにあります。すでに検索深度レベルは、マリア博士によって、あなた方がわたしに尋ねたいことを仰ってください。出来うる限りの蓄積されたデータを元に、お答えいたしましょう。さあ、検索語句を何でも仰って……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
アルサスは眉間にシワを寄せながら、AHD8000ことアリスの言葉を遮った。
「ここへ来れば、俺たちの知りたいこと、つまりアストレアの天使と奏世の力のこと、世界の真実を知ることが出来ると、ドラグノのウルガンから聞いた。だけど、あんたの言ってることの八割がた分からない。もう少し、俺たちにわかりやすく説明してくれないか?」
「はあ、そう仰られましたも……」
アリスはやや困った顔をしながら、アルサスたちの事を見る。そしておもむろに、「わかりました」と言った。
「あなた方の文化水準は、マリア博士が予想した文化水準に達していないようですね。時代で言えば、中世の時代程度とお見受けしました」
「それって、ボクたちの時代が、アリスの時代より劣っているっていうの?」
ひょこっと、アルサスの背後から顔をだしたルウは憮然とする。しかし、いとも簡単にアリスは頷いた。
「そうです……神々の時代は今よりずっと進んだ文明を持っていました。もっとも、魔法と呼ばれる力はありませんでしたが、それを補って余りある科学技術が存在していました。その証明が、わたしです」
「魔法がなかった? でも、この施設もあなたも魔法言語を使っている」
セシリアが訝るような顔をすると、アリスは少しだけ笑った、ように見えた。
「あなた方が魔法言語と呼んでいる言葉は、わたしたちの時代の言語の一つです。世界の言葉は一つではなかったのです。そのうち、一つだけが、あなた方の時代まで残り、魔法言語と呼ばれるようになったに過ぎません」
「じゃあ、アリスの時代には、精霊もいなかったの?」
すかさずルウが尋ねる。
「魔法の源は、魔力と精霊の力。その二つを呼び出すのが魔法言語のはずだよ」
「精霊……そのようなものはもともとこの世界に存在していません。もちろん、精神と言う意味であれば、あなた方に備わっているものです。ただ、魔法の力は、けして精霊などと言う具現化されないものによって生み出されているわけではありません。『奏世の力』もしかりです」
「ううっ、頭がこんがらかってきちゃう……神々の時代って一体なんなのさ!」
魔法杖を振り回しながら、ルウは少しばかり苛立ったような声を上げた。すると、アリスは左手をかざす。それを合図に、ドームの壁面に地図が映し出された。魔法か何かの類のように思えたが、それ以前に、遺跡船で見た、文字の映し出される不思議な石版を思い出す。
「なんだ、これって普通の地図じゃないか」
というのは、クロウ。確かに彼の言うとおり、センテ・レーバン、ガモーフ、ダイムガルドの地図である。だが、唐突にルウが「あっ!」と声を上げた。
それは、ほとんど間違い探しのようなものだった。だが、ガモーフ出身の彼は、ひと目でその違いを見抜いたのである。
「ウェスアの弧月湾がない。それに、地名が変だよ。ほら見て、ウェスアは『フィレンツェ』、ガモーフ神都は『ローマ』って書いてある!」
「センテ・レーバン王都は『パリ』、ルートニアは『マドリード』、ハイゼノンは『ジュネーブ』」
ルウに続いて、シオンが地名の違いに気づく。更に、
「スエイド運河は『スエズ運河』、ジルブラント海峡は『ジブラルタル海峡』。これって、どういうことだ?」
と、セシリアが驚愕の顔をする。
「これは、わたしたちの時代、即ち神々の時代とあなた方が呼ぶ時代から遡ること、九十年ほど前の地図です。ご覧のように、各地の地名はわたしたちの時代ともあなた方の時代とも違うものでした。この頃、世界には、百よりももっと多い国が存在していました。あなた方が、未開の大陸と呼ぶ、ガモーフよりも東に至る場所まで、隈なく人が住んでいたのです。しかし、わたしが生まれる少し前、時代はそこで一つの区切りを迎えました」
アリスは淡々と語る。
「わたしたちの時代は、西暦二一一一年、あなた方の時代は西暦四二○○年。ひと続きの時代であり、神などというあいまいな存在は、精霊同様この世界には存在していませんでした。時代を統べてきたのは常に人、あなた方と同じ人間です。ですが、その文明は一度滅びを迎えたのです。みなさんに、お見せしましょう、世界の真実を」
映像が映し出される。それは、この世界が刻み続けた歴史の映像。モノクロに映るのは、軍服を着た兵隊の行進。バヨネットによくにた武器を携え、穴の中をかいくぐりながら走る兵隊。その穴を飛び越えていくのは、芋虫のような姿をした、箱型のもの。箱には、長柄の棒が延びており、その先端が光ったかと思うと、数瞬後に地上に爆炎を巻き上げる。いくつもの折り重なった死体の山。それを乗り越え火を噴き続ける箱。
次に映し出されたのは、デモ行進の映像だろうか。魔法文字の書かれた横断幕を掲げながら、男たちがなにやら声を荒げている。やがて、その憤懣は新たな映像へと結びつく。
ちょび髭顔の男が、恐ろしい剣幕で演説をしている。彼の左腕には腕章が巻かれ、鉤十字の紋章が描かれていた。場面が切り替わるとそこは空。だが、飛んでいるのは鳥ではない。鳥の形をした乗り物に人が乗っかっているのだ。鳥は腹に抱えた、卵のようなものを次々と地上に落としていく。すると、大地が炎に包まれていった。
また場面が変わる。魔法文字ではない、角ばった文字と、白地に赤い丸が書かれた旗がはためき、青年たちが銃を構える。彼らの前には、海があった。沖合いにはいくつかの影が見える。一見島のようだが、島にしては小さいし、船にしては大きい。その影がチカっと光ったかと思うと、青年たちは爆発に飲み込まれ、血肉を撒き散らして砕け散った。
鳥の形をした乗り物が空を飛ぶ。腹からタマゴをいくつも落としていくと、夜空が、真昼のように明るくなり、街は炎に包まれていった。まるで終末の姿に似ている。
ようやく映像に色が付く。何処の森だろうか。うっそうと覆い茂ったジャングルを上空から見つめた映像だ。かすかに映るのは、先ほどの鳥の形をした乗り物の影。その影から、真っ白い粉のようなものが地上に降り注ぐ。瞬くうちに、森の緑は赤い枯葉の森に変わっていく。それを嬉しそうに笑うのは、白い肌青い目をした男たちである。
今度は、砂漠。最初の映像に現れた芋虫のような箱が、鉄で出来た乗り物だと、映像に色が付いてようやく分かった。鉄の芋虫は、キュラキュラと足音を立てながら、砂漠の砂をかき分ける。芋虫の背中から顔を出した男が、一声差叫ぶと、芋虫の頭から突き出した長い棒が火を噴いた。すると、砂の稜線の向こうで、幾人もの人が、血まみれで死んでいく。
「うっ!」
アイシャが顔面蒼白になりながら、口元を押さえた。次々と流れていくその映像は、戦争の歴史。しかも現実の出来事であり、あまりにも凄惨で残酷な映像だった。まだ十五の少女には耐え難いほどの、苦痛の映像だ。
アルサスはすかさずアイシャのもとに駆け寄ると、その背中を軽くさすってやった。
「わたしが生まれるよりも以前、世界は何度も戦争を繰り返して来ました。世界には、沢山の国があって、民族、宗教、資源、そういったものを奪い、奪われながら、あらゆる時代が築き上げられていったのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦……その中で死んでいった人々の数は、もはや数えることなんて出来ません」
淡々としたアリスの口調が、何故か空恐ろしいもののように思えてくる。皆一様に、黙りこくって、流れ続ける映像を見つめた。
「しかし、そうした長きに渡る戦争の時代を反省しようと言う動きが出たのは、西暦二千百年を前にしたときのことです。争いに満ちた世界に平和をもたらせるべく、人々は結集し、ITSという連合国家を築き上げました」
「アイティーエス?」
アルサスが問いかけると、アリスは宙を指でなぞり、光の文字を表した。
『International Treaty Standerds』
「この時代の言葉で言えば、条約批准国連合、と呼びます。平和のためにお互いが手を取り合い、すべての武器をこの世からなくすことを誓い合い、未然に来るべき最終戦争を防ごうとしました」
「へっ、そんなこと出来るわけないじゃねえか!」
そう声を荒げたのは、ジャックである。あまり頭のいいほうではないジャックとしては、よく分からないままだったのだろうけれど、もっとも的を射た発言でもあった。
「そう、あなたの言う通り。理想と現実は常にぶつかり合うものです。人間が武器を持つのは、自らを守り、相手の富を奪うため。獣と違い、爪も牙もない人間にとって、武器はそれに値する道具なのです。それを容易に捨てられないと考える人たちは、沢山いました。かれらは、ITSの理念に背き、我々から武器を奪われることを拒みました。そんな彼らの事を、わたしたちITSは、非条約批准国ことATUと呼びました」
再び、アリスは宙に文字を書く。
『Anti Treaty Union』
「ITSとATUは、その理想と現実をぶつけ合いながら、やがて、十年以上の世界戦争……第三次世界大戦へと突入しました。戦端を切り開いたのはどちらであったかそれは誰にも分かりません。何故なら、この戦争は最も激しく、最も残酷な戦いだったからです。何故ならITSにとって、脅威であると同時に、最もこの世界で忌むべき武器をATUはたくさん隠し持っていました。その名は……通称『ホワイト・ドラグーン』」
「ホワイト・ドラグーン?」
「『白き龍』、と呼べばあなた方にも、よく分かるのではないですか?」
その言葉に、全員がはっとなる。「白き龍」、それはかつてヨルンの戦いで二百万の命を奪い、そしてルミナスを消滅させた、あのライオットが欲しがったものである。
「『白き龍』って生き物じゃないのかの?」
上擦った声で、アイシャが問う。すると、アリスは小さく首を左右に振って、再びてをかざした。彼女の背後の壁面に新たな映像が映し出される。
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