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奏世コンテイル  作者: 雪宮鉄馬
第十章
91/117

91. ルートニア要塞

 外堀から城下町を抜けた使節団のルートニア入城を城壁の見張り台で見つめていたクロウは、その一団が城内に入ると、階段を駆け中庭へと降りた。使節団は、先頭にセンテ・レーバンの国旗を掲げるフランチェスカ、その後ろをフランチェスカの補佐のためにつけた外交官が二名。そのすぐ後ろをやや緊張の面持ちで続くのが、ダイムガルドからの使者マクギネス・ハットであることはすぐに分かった。

 だが、クロウはマクギネスの顔を見たかったのではない。外交の糸口は開いたが、同盟の折衝を行うのはストラインの役目である。いくら、カレンたちとともに騎士団を束ねている騎士団長と言っても、底まででしゃばることができないと言う身の丈は重々承知していた。

 マクギネスの後ろには、三頭立ての馬車ウォーラが続く。御者は年老いた老人で、荷台の幌の中間で確認することは出来なかったが、フランチェスカたちからの連絡で、三名ほど世話係として女の子を随伴させているとの話だ。そして、馬車の少し前と、馬車の後ろには、ダイムガルド軍の金色の甲冑を身に纏った騎士が警戒するように配置している。顔を覆い隠す兜の所為で、各々の顔はおろか、性別すら判じることは出来ない。

 そのうちの一人が、ちらりとこちらを見た。横に真一文字に開けられたバイザーのスリットから、一瞬だけ赤い瞳が見えたような気がしたが、気のせいかもしれない。それに、その名を呼んで駆け寄ることの出来るような雰囲気ではない。

 ダイムガルド人であるフランチェスカが、センテ・レーバンの使者として、ダイムガルドとの同盟締結を取り付けてきたのだ。マクギネスたちは言わば、政治の客人である。

「ようこそ、ルートニアへ。マクギネス・ハット外務参事官」

 出迎えを仰せつかった騎士が、馬上のマクギネスへ慇懃に頭を下げる。マクギネスは懐より一通の書状を取り出した。それは、出発の前日アイシャがフランチェスカに見せた、直筆の書状である。

「皇帝陛下の同盟の書状を預かってまいりました。ストライン卿のもとへ、案内願いたい」

 マクギネスが高らかに言うと、騎士は再び一礼をして、「こちらへ」とマクギネスの馬を引いて行く。随伴する馬車と、ダイムガルド騎士やフランチェスカたち三人もそれに従い、やがてクロウの前から姿を消した。クロウは彼らの背中を見送りながら、数日前、カレンの伝えてくれた話を反芻していた……。

『それが……使節団の中に、フェルト殿下が居られると、フランチェスカさんが仰るんです』

 信じられないことではあるが、クロウに伝えなければならないと感じたのだろう。クロウとフェルトは、歳はクロウが三つ上で、立場はフェルトが王子という間柄ではあるが、幼少期を共に過ごした、歳や立場を越えた親友でもある。そのため、何よりフェルトのことを心配していたのはクロウだ、とカレンは感じていたのだろう、言葉を濁し気味に言った。

『なんだって! それは本当か!?』

『はい。ただ、アルサスと名乗るその少年はダイムガルド軍に属しており、しかも記憶がないと言っているため、本当にフェルト殿下なのか、分からないと』

 フェルトがダイムガルド軍人? 記憶がない? ガルナックで行方不明となった親友の無事を喜びたいクロウであったが、カレンの言葉に幾つかの疑問が浮かび、それを収束させることはついぞ出来ないまま、マクギネスたちダイムガルド使節団がルートニアに到着した。

「おお、ここに居られましたか、クロウ騎士団長」

 入城する使節団を見送るクロウのもとに、副官ブレック・ケイオンが駆け寄ってくる。髭面のこの男は、クロウが親衛騎士団に入った頃から常に支えてきてくれた人物でもある。また、何も言わなくても雑務をこなす、敏腕騎士でもあり、本来なら、ブレックのような人間が騎士団長になるべきなのだが、本人は陰日なたを望む。

「どうしました、ブレック副官?」

「どうしましたじゃありませんよ。団長クラスは、すぐに会議室へ集まれと、ストラインさまが仰っていたじゃありませんか。カレン将軍が血眼になって探していますよ」

 やや困ったような顔をするブレック。

「どうせ、会議に出たところで僕……私には、難しい政治の取引なんて出来ませんよ」

「ですが、此度の同盟。提案なされたのは、クロウ隊長、あなたです。いまや、亡きトライゼン将軍の跡を継ぎ、ほぼ騎士団総長のお立場にあるのですから、自覚なさってください」

 自覚がないわけではないが、実際クロウが交渉に出て、同盟し天使と戦うことを強く訴えたところで、政治家の駆け引きに水を差すだけだということが分かっている。だから、そういうことは、一日の長あるストラインに任せ、自らはもう一つの懸案を確かめようと思っていた。

 だが、ブレックの言うとおり、トライゼンの遺志を、カレン、キリクたちと共に引き継いだ自分は、いまや事実上の騎士団総長である。ガルナックの戦いでの敗北で、決定的に人材を失った国にとって、クロウはいつの間にかなくてはならない存在となっていた。

「副官、お願いがあるのですが、私が会議に出席している間に、マクギネス参事官の護衛としてやって来た、ダイムガルド騎士のことを調べておいてください」

「は、ダイムガルドの騎士ですか? あのやたらと目立つ金色の鎧の……」

 髭面に似合わず、きょとんとするブレックに、クロウは思わず苦笑すると、踵を返した。

「よろしくお願いします」


 ルートニア要塞は、周囲を外堀で囲まれ、内部に街がある。大きな町ではないが、現在は王都からの移民で随分と騒がしくなっている。その町の中心には内堀と城壁があり、その中にルートニアの中心部、ルートニア城がある。建築様式的には、センテ・レーバンの都市作りの基本を踏襲しており、戦闘要塞としては、都市機能を持たない完全な砦であるガルナックの方が、難攻不落の要塞と呼ぶに相応しいだろう。しかし、このルートニアも、深い外堀に守られており、同時に本来の目的としては、セントレア海を越えて侵入してくるダイムガルド軍に対抗するために築かれた、強固な要塞である。街並みも複雑なブロック単位の迷路になっており、さらに、城下にくもの巣のように広がる地下通路を介して、侵入した敵を取り囲み一網打尽にするという仕組みもある。しかし、その地下通路が、太古の時代の遺跡である事を知る者はあまりいない。

 そのルートニアに、戦争ではなく、同盟のために足を踏み入れた、最初のダイムガルド軍人がアルサス、セシリア、ジャックの三人であろう。

 馬を厩舎に繋いだアルサスたちは、一人の騎士に案内されて、城内の部屋へと通された。気が付くと、マクギネスたちの姿はなく、代わりに部屋の前に、見張り役の騎士が槍を手に仁王立ちしており、事実上アルサスたちは客室に閉じ込められることとなった。

 油断した、とまでは言わないまでも、迂闊であったことは否めない。

「これじゃ、俺たち人質じゃないか」

 と、ジャックが嘆くのも無理はない。あっという間に、マクギネスと分断されてしまったのだから、護衛としてここまでやって来た意味が分からない。ジャックはふてくされたように甲冑を脱ぎ捨てると、軍服のボタンを外し、ラフな恰好で、イライラしながら部屋の中をぐるぐると廻る。

「落ち着け、ジャック。ここで事を荒立てても仕方がない。いざとなれば、こっちにはバヨネットがある。あんな槍ごときに負けたりはしない。三人でも、王国騎士団をまとめて相手できる」

 諌めるようにセシリアが言うと、ジャックは本日何度目かの溜息をついた。セシリアもすでに鎧を脱いでおり、軍服姿で、部屋の真ん中のテーブルに用意された紅茶をすすっていた。当初は、毒や眠り薬を警戒したが、そのようなものは混入されておらず、ほのかな葉の香りが部屋の中を漂っている。

「同盟交渉は上手く行ってるのかな。ここへ閉じ込められて、もう半日近く過ぎた」

 アルサスは、すっかり日が暮れた夜の城下町を、窓辺に寄りかかって見つめていた。時折、生ぬるい夜風が、もがり笛を鳴らしながら、窓ガラスを叩く。時刻は刻一刻と過ぎていくが、一向に何の報せも届かない。マクギネスと、あの少女たちが何処へ行ったのかも分からないままだ。

「くそ、もっと警戒しておくべきだった! やっぱり、この国は敵だ!」

 ジャックが頭をかきむしって、唸り声を上げる。

「ジャック、ここはアルサスの故郷の国だぞ。そんな風に言うな」

「分かってるっスよ! でも、アルサス。お前の故郷だっていうなら、一体何がどうなってるのか教えてくれ。マクギネスどのは何処へ行った!? 交渉会議はどうなっている!? 俺たちはどうすればいい!?」

 矢継ぎ早にジャックが問いかけるが、その答えに返しようもない。嫌な予感が頭を過ぎるのは、何も、セシリアとジャックだけではなかった。記憶を喪ったアルサスにとっては、たとえこの国が故郷だと言われても、見知らぬ外国に来たような気分であることに変わりはない。「忘れてしまった大切なこと」には、自分自身のこと、生まれてから十六年間の人生の思いですべてが、ごっそりと欠落してしまっているのだ。幸い、生活常識などの知識的なものは喪われていないし、体に染み付いていると思われる剣術も、一度剣を握れば思い出す。そのため、生活に苦労することがない分、余計にこの国が自分にとって縁もゆかりもない場所にしか思えない。

「わたしは、この国に来れば、アルサスが何か思い出すんじゃないかって、思ってた。でも、何も思い出せていないみたいだな。それだけ、あなたの心は傷ついた。記憶をなくしても、傷口に蓋をしなければならないくらいに……」

 セシリアがティーカップをテーブルに置く。白磁のカップには金色の絵付けが華を沿え、生活臭のまるでしない質素なこの客室に、あまりにも不釣合いなもののように見えた。

「ネル……」

 アルサスは、セシリアを見つめながらふとその名を呟いた。セシリアの横顔に、顔も思い出せない少女を重ね合わせたその声は、セシリアまで届かない。何も思い出せてはいないが、何も知らないわけではない。フランチェスカから、自分の正体も、彼女が知ることすべてを聞かされた。しかし、何も思い出せないまま、そういう話を聞かされても、ただ漠然とした不安が過ぎるだけなのもまた事実である。だが、そのことで、フランチェスカを責める気にはなれなかった。

「なあ、センテ・レーバン人。たとえお前が記憶を取り戻しても、お前は俺たちの仲間だよな……?」

 ジャックがぴたりと足を止めて、問いかける。アルサスは、小さく笑って「もちろんさ」と答えたが、その言葉に絶対な確信はもてなかった。

「下手に事を荒立てて、交渉会議に水をさす真似はしたくないが、もう半日、丸一日が過ぎたら、こちらから行動を起こす。それまで、ジャックもアルサスも休養と、甲冑のメンテナンスを怠るな。いざとなれば、『翼ある人』と戦う前に、センテ・レーバン騎士団を戦うことになるかもしれない」

 セシリアは、場の沈みかけた空気を払いのけるように、言うと再びティーカップに紅茶を注いだ。

 その時である、こんこんっ、と部屋の扉が小さくノックされる。「だれだ!?」とジャックが苛立ちを言葉に乗せて、凄みのある声で言うと、了承も得ることなく扉が開いた。

「アルサスっ!」

 突然の声とともに、扉を開けた誰かが、一目散に窓際のアルサスに抱きついた。見れば、十歳かそこらの男の子だ。肌の色から察するに、ガモーフ人だろうか。魔法使いギルドのエンブレムが入ったブレザーを着た少年は、顔の半分を覆うような丸ぶちの眼がねと切りそろえられた前髪が、利発そうな印象を与えた。

「やっぱりアルサスだ。アルサスだ! よかったよう。生きてたんだね、ボク、ずっと心配したんだよ」

 男の子は顔をくしゃくしゃにしながら、アルサスの顔を見上げる。それは、再開を喜ぶ嬉し涙だったのだが、アルサスには彼が何者なのか分からない。その戸惑いは、フランチェスカに抱きしめられた時に感じたものと同じだった。

「どうしたの? ボクだよ、ルウだよっ、忘れたの?」

 アルサスの反応が鈍いことに、男の子……ルウも気づいたのだろう、困惑した顔になる。

「ごめん、ぼくには君が誰だかわからない」

 とアルサスが言うと、ルウは更におびえたような顔をして、アルサスから離れた。分かっている、この子もあのフランチェスカと同じく、喪われた自分の仲間だったのだろう。だが、顔も名前も心当たりがなく、ただ頭の中で、きりきりと頭痛だけが走り抜けて言った。

「『ぼく』なんて、アルサスに似合わない。それに、その軍服も似合ってないよ」

「そう言われても……ホントに君が誰なのかわからないんだ。君は、フランチェスカさんの知り合い?」

「じょ、冗談きついってば! ねえ、アルサスっ、どうしちゃったの!?」

 泣き出しそうな顔になる男の子にいたたまれず、アルサスはセシリアとジャックの方に視線を向けた。二人とも呆然としながら、こちらを見ていた。しかし、ルウが開け放した扉の向こうから、鎧の音が三つこちらに近づいてくるのを聞き、すぐさま軍人の顔になると、傍らのバヨネットをすばやく構えた。

「やめなさい、ルウ」

 現れたのは、フランチェスカだった。無論、ドレス姿ではなく、ギルド・リッターの白銀の鎧を纏っている。そして、彼女の傍らには、アルサスより少し年上の背の高い青年と、アルサスたちと同年代の色白の少女だ。二人とも、センテ・レーバンの鎧と騎士団長クラスが身に付けるマントを着用している。

「誰だ貴様たちっ!」

 予期せぬ来訪者に、ジャックが敵愾心を露にして怒鳴る。ともすれば、引き金を引いてしまいかねない勢いだ。

「待って下さい、私たちは敵ではないはずです。どうぞ、武器を下ろしてください」

 背の高い青年が両手を上げて、敵愾心を鎮めようとするが、聴く耳を持たないジャックは、バヨネットの銃口を向けたまま、青年を睨みつけた。

「うるせえ、俺たちをこんなところに閉じ込めて、敵じゃないだと? だいたい、名前も名乗らずに、そんな子と言われて、信用できるか」

 そんなジャックの敵愾心をそぎ落としたのは、騎士の鎧に身を包む色白の少女である。

「無礼者! こちらは、センテ・レーバン騎士団長、クロウ・ヴェイル将軍です! 武器を下しなさい、ダイムガルド兵っ!」

 色白の少女……カレン・ミラ・ソアードのよく通る一喝に、セシリアが慌ててジャックのバヨネットを降ろさせ、自らも銃口を下に向けた。

「クロウ……ヴェイル」

 アルサスは、じっと青年の顔を見つめながら、記憶の底に引っかかるその名を呟いた。  

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