84. 魔物の使命
アルサスは震えた。黒い鎧を纏った男の顔を見た瞬間、何故か心の中に嫌悪感が渦巻いたのだ。喪われたはずの記憶が、激しく心をノックする。その男を許しておくな……。怒りとも、憎悪ともとれる感情が渦巻き、アルサスは腰に差した、ジャックの剣に手を当てた。
だが、ウルガンの言葉に、アルサスは斬りかかるタイミングを逸してしまう。
「予を殺しに来たか……」
「ほう、俺が来る事を分かっていたみたいだな、ウルガン」
「スコルピオのハイ・エンシェント、ラジフのフォトンが散った。それだけで、そなたがここへも来ることは分かっていた。しかし……そのために人を何人斬った? 無益なことを」
ウルガンが言うと、黒い鎧の男は大きく口を開けて哂った。そして、見せびらかすように、その手の剣を差し出す。両刃の何の変哲もない剣だが、魔法文字と紋様が刻まれた剣身には、ぬめりを帯びた鮮血が付着していた。
「無益だと? どうせ、どいつもこいつも死ぬんだ。ここで斬られて死ぬか、それとも、光の粒になるか、どちらにしても、そいつの人生はそこで終わる。下らないこの世界に別れを告げる手助けを、俺がしてやったまでのこと」
愉悦の笑みを浮かべる黒い鎧の男。男は自分のした事を当然のこととして、正当化するかのごとく言葉に変える。そして、自らの背中に差した残り二本の剣を視線で指し示した。
「メッツェが魔物狩りのために、俺に授けた三本の剣。ボアルの長チャッダは『魔剣ダーインスレイヴ』で、スコルピオの長ラジフは『蛇剣ナズ』で、そして貴様はこの『龍殺しの剣アスカロン』で仕留めてくれる」
黒い鎧の男が手にした剣……アスカロンが殺意と狂気にギラリと光る。
ダスカードへの途上、スコルピオが激昂してアルサスたちに襲い掛かってきたのは、この男が一族の長たるハイ・エンシェントを葬ったがためであったと、今更合点したところでどうすることも出来ない。あのスコルピオの怒りは、人間そのものに向けられていた。ハイ・エンシェントのような知性を持たない、ごく普通の魔物たちにとって、自分たちの長が殺されるという、黒い鎧の男の起こした凶行は、即ち人間そのものへの怒りとなったのだ。
「なぜだ、なぜ、魔物を狩る!?」
アルサスに先んじて声を上げたのは、やはりセシリアだった。男は、ニヤリとすると、顔をセシリアの方に向ける。アルサスもジャックも兜のバイザーを下ろしているため、三者とも同じ姿ではあるが、声だけでセシリアが女であることを悟ったのだろう。
「愚問だな、ダイムガルドの小娘。魔物どもは本来の使命を捨てた。自らの使命を果たそうとするメッツェにとって、魔物はもはや無用なもの。そんなものに、滅びを邪魔されるわけには行かない」
「魔物の使命?」
「そうだ。魔物とは、魔界から来た者ではない。純然たる神々の技術によって生物の進化を促した生き物。その使命は……アストレアの天使、即ち、金の若子と銀の乙女を守ることにある」
黒い鎧の男の言葉に、三人が驚きの感嘆符をあげたことは言うまでもない。男の科白は、魔物という概念を覆すようなものだった。魔界から来たもの……最初にそう言ったのが誰であるかはわからないが、少なくともその異形の姿はこの世のものではない、という固定観念があった。
「そんな……魔物がアストレアの天使のために作られたものだなんて」
信じられるか、と続くジャックの言葉は驚愕によって消え入ってしまう。だがそんなどよめきの中、ウルガンは「その者の言うとおりだ」と相槌を返した。
「女神アストレアは、我らハイ・エンシェントに長寿と知性を与える代わりに、金の若子と銀の乙女を守ることを契約とした」
「しかし、ハイ・エンシェントどもは自らの使命を捨てて、人間どもの味方をしやがった。ヴォールフのバゼットも、エイゲルのトニアも!」
黒い鎧の男は声を荒げた。
「我らが子孫が住まうこの世界を見捨てることが出来るか? 人と同じく、我らもこの世界に息づく生き物だ。その事をバセットたちも悩んでいた。使命を全うすべきか、それとも人ともに生きる道を選ぶか。答えはおのずと決まっていたのだ。予は、予の下した決断を過ちとは思わぬ。そなたたちには分からんだろう」
「分かりたくもねえな、ウルガン! 下らないこの世界に住む、下らない人間の世界を守ろうとした。そんな裏切り者どもを始末するのは、当然のことだ!」
乱暴に振り上げられたアスカロンが、ブンっと空を切り、剣身に付着した鮮血が飛び散る。忌々しげに、ウルガンを睨み付ける男の眼にも殺意が宿った。おしゃべりはここまでだ、とでも言っているように見える。
「下らない人間か……そんなお前だって、その一人じゃないのか!」
瞬間的にアルサスは、地面を蹴った。バイザー裏の画面に、敵との距離を示すインジケータと呼ばれる数値が表示される。その数値が一気に減少すると同時に、男の顔が無精ひげの一本一本まではっきりと見える位置まで来て、胸の奥に渦巻く嫌悪感を剣に載せた。
はばきの音がチン、と鳴って、抜刀と同時に、男の胸倉めがけて横薙ぎに剣を振る。やはり剣の方が、バヨネットより手に馴染みやすい。しかし、それでも刃に手ごたえは感じなかった。男は、すっと剣を引き、その屈強な体躯に似合わぬ速さで、アルサスの剣をかわす。
「俺が下らない人間かどうかも、分からんとはな!」
「分かるさ。お前の顔を見ていたら、胸がムカムカするんだよっ!」
もう一度床を蹴ったアルサスは、雷のような速さで、男の懐に飛び込んだ。一度振り下ろした剣を再び振り上げる。寸でのところで、その剣はアスカロンによって受け止められる。両者の剣は互いに火花を散らした。だが、それまで余裕を見せていた男の顔に、幾ばくかの驚きが浮かぶ。
「迅雷の剣技……、なぜ、ダイムガルドの兵隊が!?」
吐き捨てるように言うと、男は力任せにアルサスを蹴り飛ばす。筋力では、明らかに劣るアルサスの体は、大きく跳ね飛ばされて床に叩きつけられる。どんもりうつアルサスに、危険を知らせるエラーメッセージが、バイザー裏の画面に次々と映し出された。
『コード66、エラーメッセージ消去!』
耳あてのスピーカからセシリアの声が聞こえると、画面を埋め尽くすエラーメッセージが消去され、代わりにウルガンの間の天井が映し出される。強く背中を打ったことで、一時的に呼吸困難になりかけたアルサスは、顔をしかめながら、駆け寄ってくるセシリアとジャックの足音を聞いた。
『一人で突っ込むなんて、無茶な事を!』
セシリアの叱咤が飛んでくる。ジャックに助け起こされたアルサスは、少しばかりバツの悪そうな顔をして、苦笑いをする。もっとも、バイザーの所為でセシリアたちには見えないが。
「あいつ、ものすごく強い……何者なんだろう?」
アルサスは視線を眼前の黒い鎧の男に合わせながら、ジャックに尋ねた。無論、答えを期待したわけではない。ところが、思いがけずセシリアが口を開いた。彼女は真っ直ぐバヨネットの銃口を敵に向けたまま、
『知ってる……。いや、むしろ裏ギルドでその名を知らないものはいない。黒衣の騎士団団長、ギャレット・ガルシアだ。数ヶ月前に手下どもを残して姿を消した、と聞いていたが、こんなところで出会うとは、思ってもみなかった』
と神妙な声で言う。
「ほう、これは光栄なことだ、俺の名を知っているとは。俺も随分有名人になったもんだ」
返す黒い鎧の男……ギャレット・ガルシアは、からからと笑った。そして、背中に差した剣のうちの一本を引き抜き、双剣の構えを取る。引き抜かれた剣は、細剣に近い形状であるが、剣身奇妙に波打っている。さも、蛇が蛇行するかのような姿だ。その剣の名は「ナズ」と言った。
「老いぼれの魔物を仕留める前に、貴様たちから殺してやろう」
ギャレットはアスカロンとナズをバッテンに交差させると、その隙間からアルサスたちをにらみつけた。
『こっちは三人だ! 一人で勝てると思うなよっ!!』
ジャックの声がスピーカからアルサスの耳に届いた瞬間、ジャックはすでに走り出していた。小脇にバヨネットを構え、その引き金を引く。セオリー通りに、間合いは詰めず、バヨネットの最大の利点である射程距離を稼ぐ。
だが、驚いたことに、ギャレットはまるで華麗な剣舞でも踊るかのように、両手の剣を舞わせて、次々とパイルを叩き落していく。
「銃口の向きを見れば、この程度、恐るるに値しねえ!」
『ジャック! 無駄なパイルを撃つな! アルサスを援護するんだ!!』
セシリアの怒号を耳にしたジャックは攻撃の手を緩める。その瞬間、ジャックの目の前にギャレットが迫ってきた。センテ・レーバン王国騎士団伝統の迅雷の剣技である。彼もかつて十年前、センテ・レーバン騎士団の一翼を担った。しかし、ほとんど軍人と呼ぶには、規範に従わないはみ出し者の部隊であったものの、彼の体には、その剣技が染み付いているのだ。
『くっ! うわあっ!』
もう一度バヨネットの引き金を引く余裕などなかった。ジャックは両側から首を斬り裂こうとする、二本の剣にうろたえた。
「やらせるかぁっ!!」
唐突にアルサスの声が頭上から降ってくる。ふっ、と見上げればアルサスが天井ギリギリの高さまで跳躍し、落下の勢いに任せて、剣を振り下ろし、突撃してくるではないか。ギャレットは咄嗟に、ナズをアルサスめがけて投げ飛ばした。
落下するアルサスに、その気転ともいう攻撃をよける術はなかった。幸いにもダイムガルド軍の金色の甲冑は硬度が高い。ナズがどれほどの名剣であったとしても、咄嗟の攻撃にそれほどの威力はなかった。だが、投げつけられたナズを打ち払うことで、アルサスは失速してしまう。
「しゃらくせえっ!」
ギャレットはその隙を見逃さない。大きくアスカロンを振りかざすと、一気にジャックの腹に剣先を突きたてる。と、あと数瞬で届くはずの刃が、あらぬ方向から飛んできたパイルによって阻まれた。みれば、跳躍して飛び込んでくるアルサスに気をとられている内に、セシリアがギャレットの背後に廻っていた。しかも、ギャレットが攻撃を避けることまで予測して、射線にジャックが入らないような位置取りからの、射撃である。
「小娘と侮ったかっ!?」
舌打ちとともに、ギャレットは後ろに飛びのいた。間断なく、ジャックもパイルを撃ち、ギャレットは二方向からのパイル攻撃に晒されることとなった。
すかさず、もう一本の剣、ダーインスレイヴを引き抜く。黒い剣身のまがまがしさは、三本のうち、もっともギャレットに似合っているように見える。
『ジャック、アルサス、集まれっ!』
セシリアは牽制の攻撃を加えながら、アルサスとジャックに集合を促した。そして、バイザーの外に声が漏れないように、小声で囁く。
『いいか、二人とも。わたしとジャックで同時攻撃を仕掛ける。アルサスはもう一度、飛んでやつの背後に廻れ。あとは、わたしたちと三方向から、近接で一気にやつを仕留める!』
『ですが、そんなことしたら、こいつにもパイルが当たるかもしれねえっス!』
ジャックはアルサスを指さした。セシリアとジャックが正面から射撃すれば、背後に廻ったアルサスが流れ弾の餌食になってしまうかもしれない。そういう懸念をジャックは指して言ったのだ。しかし、セシリアの小さく笑う声が、スピーカから聞こえてくる。
『当てないようにする。そのために、射撃訓練をしてきたんだろう? それに、アルサスなら、うまくかわしてくれる。仲間を信じるんだ』
『そんな無茶な!』
「信じてくれよ、ジャック。ぼくも、君を信じるよ。仲間だろ?」
アルサスは、悲鳴を上げるジャックの肩をぼんぼん、と軽く叩くと一気に駆け出した。それにあわせて、セシリアとジャックが同時攻撃を開始する。交差するように、幾重にもパイルがギャレットに迫った。その、ゼロコンマ一秒。不意に、ギャレットの周りの空気が濃くなったことに気づいたのは、ウルガンただ一人だった。
「まずい、フォトンの力だ! いかん、人の子らよ!」
ウルガンの叫びも空しく、アルサスはすでに床を蹴り上げて、空中に飛翔する。次いで、セシリアたちも射撃体勢のまま、ギャレットとの間合いを詰めていく。
と、ギャレットの体が陽炎のように揺らめいた。その揺らめきが右手から、アスカロンの先へと集まる。
「ぬおりゃあっ!!」
腹の底から、まるで獣の雄たけびのような声を上げると、ギャレットが下薙ぎにアスカロンを振り上げた。すると、剣に集まった陽炎が剣圧に変わる。それは、巨大なカマイタチとなり、床のタイルをめくれ上がらせながら、アルサスたちの目の前に迫った。
しまった! そう思うまでに、それほど長い時間は必要なかった。アスカロンの剣圧は跳躍するアルサスを、駆け抜けるセシリアたちを吹き飛ばし、壁や床にその体を叩きつけさせた。
そして、剣圧はそのまま彼らの背後に鎮座する、ウルガンの巨大な体を切り裂いて消滅した。弾け飛ぶような音がして、ウルガンの肩口から胸にかけてばっさりと斬られる。あふれ出した赤い血液が、床を汚し、ウルガンは悲鳴を上げた。
「くそっ……!」
エラーメッセージが視界を塞ぐ中、アルサスは全身を駆け巡る痛みをこらえながら立ち上がった。傍らでは、セシリアが、そのすぐ傍でジャックが、同じように立ち上がる。
『いまの、技は……?』
かすれた声でジャックが言った。分からない、とアルサスは首を左右に振る。
「皆殺しにしてくれる! 死ね、ウルガンっ!!」
ギャレットの声が響き渡り、再び彼の周りの空気が濃密となり、陽炎を纏った。と、その時である、傷ついたウルガンがのそりと立ち上がった。肩口から血を流し、それがぼたりぼたりと、まるで滝のように床に落ちていく。しかし、痛みに顔をしかめることもなく、怖いとさえ思った顔にわずかな優しさを宿らせたウルガンは、双眸でアルサスたちの事を見つめた。
「約束の日は近い。世界が生まれ変わるか、それとも今ある世界を守りぬけるか、そなたたち次第だ。行け、人の子よ!」
ウルガンは叫ぶと、視線をギャレットの方に向けた。そして、大きく牙の覗く口を開け、なにごとか魔法の言葉を口ずさむと、彼の喉元から、業火があふれ出した。それは、冒険活劇の絵本に出てくる「ドラゴン」が火を噴く様に酷似していた。
ウルガンの吐き出した炎の魔法は、みるみるうちに部屋中を火の海に変えた。
『いまだ、撤退するっ!』
セシリアがアルサスの腕を引っ張った。
「でも、ウルガンが!!」
『わたしたちのために、ウルガンさまは退路を開いてくれたんだ。わたしたちは、この黄金の鍵を帝都に持ち帰らなければならない! 行こう、アルサスっ!!』
セシリアの言葉が正しいと分かっているアルサスは、後ろ髪引かれる思いのなか、今一度ウルガンの方を振り返った。ギャレットの姿は見当たらない。炎に包まれたか、それとも逃げたか……。ただ、バイザー裏で、気温の上昇を知らせるメッセージが、アルサスの視界を遮ぎる瞬間、アルサスは静かに永遠の眠りに就こうとする、ウルガンの姿を確かに見届けた。
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