112. ベルテス突入
シエラ山の山頂にぽっかりと円形に開いた、ベルテスの門。フォトン・アクシオンの力によって形成された、次元の少しずれた場所へつながる入り口である。ベルテスは、二千年前にアストレアが計画した「奏世計画」の根幹である世界再誕において、フォトン化した人々を一時的に収容するための、仮の入れ物である。同時に、計画の司令塔の役割を果たしている。
いわば、天使がそこにいる以上、天界とでも言うべきであろうか。もっとも、天使などと言っても、フォトン・アクシオンを纏った、ただの人間に過ぎない。だからこそ、メッツェは二千年の時をフォトン・アクシオンによって生きながらえさせられ、見たくないもの聞きたくないもの、人間のそういった汚く歪んだものを目に、耳にしてきた。そして、彼に残されたのは、人間の愚かな我欲と、人間は分かり合えないものなのだという結論だけである。
たとえライオットが、白き龍を手に入れようとしなくても、メッツェは世界を生まれ変わらせただろう。彼にとって、それだけが二千年を生きた使命なのだ。そして、彼が信じるものは、養母であるマリア・アストレアと、血の繋がらない妹ネルだけである。そうしたのは、結局のところ人間のあくなき欲のために巻き起こる、いくつもの戦争だ。
血で血を洗い、それでも己の価値観だけを無理矢理押し通すために、あるときは正義を、あるときは愛などという陳腐な言葉で着飾って、敵とする相手を殺す。何よりも、マリアが悲しんでいたことを知っているだけに、彼とネルに託された最後の頼み、即ち「世界が再び争いに満ち溢れるなら、奏世の眼と奏世の力によって、正しく分かり合える世界に生まれ変わらせて欲しい」という、切なる願いを果たすことだけが、彼らにとっての未来なのだろう。
それはとても悲しいことだと、アルサスは眼前に迫るベルテスの門を見つめて思った。人を信じることが出来なくなった、絶望に縁取られた冷たい心の奥からあふれ出す憎しみが、まるで真っ黒なベルテスの門から、湧き出しているかのようにさえ思える。
「あの空間の歪に、艦を突撃させます。あなたがたを降ろした後は、本艦は後退しますが、おそらく、戦列への復帰は望めないでしょう」
ニールは艦橋の、キャプテン席に腰掛けながら、アルサスたちに言った。駆逐鯨の艦橋は、海洋の鯨に例えるなら、ちょうど脳天のある場所に位置している。思うよりも狭い空間であり、操舵手や聴音手、砲雷手などが、艦橋内に方をぶつけ合うほどの距離で詰まっているものだから、尚のこと狭苦しく感じられ、自分たちが今空の上にいるんだと言う感慨はほとんどなかった。むしろ、飛航鯨と呼ばれる船がどうやって飛んでいるのかを考えれば、却って恐ろしくも思うので、みな一様に考えないようにして、意識は真っ直ぐベルテスの門に向いていた。
「ならば、私たちを降ろした後は、戦線を離脱し、総員に退艦命令を出してください。ユキカゼは、それで十分な使命を果たしたものと思います」
クロウは丁寧な口調でニールに言うと、ニールはやや笑って、「そう言ってもらえると助かります」と年下の騎士に返した。
艦橋の窓から見える眼下の戦場は、金色、銀色、青銅色の甲冑が入り乱れながらも、一糸乱れぬ動きで共闘し、白い翼の軍隊を押し返しつつあった。すでに階級の上下など、形だけのものであり、そこにいる誰もが仲間という連帯感や絆で結ばれている。分かり合えないと思えたものが、一つに繋がって行く姿を、その三色は表しているのかもしれない。
「ネルお姉ちゃんは、この光景をみているのかな? ボクたちは分かり合えるんだってこと、分かってくれたかな?」
いつの間にか、アルサスの傍にいたルウが、同じ光景を見つめながら、呟くように尋ねた。ああ、きっとそうだ、とは言えなかった。
彼女の絶望は、こんなもので洗い流せるものではない。メルを奪った人の心を世界そのものを憎んで、そして嘘をついたアルサスのことを憎み、使命を与えられた自分の存在そのものを憎んでいる。それは、あの時、差し伸べられたメッツェとアルサスの二つの手から、メッツェの手を取ったネルの寂しそうな瞳がすべて物語っていた。ネルは、自分の未来など見てはいない。世界が平穏になり、人が人を憎んだり、殺しあったりしない世界を作るためなら、自分のことなんてどうでもいいと、言っているような気がしてならなかった。
本当のネル、つまりハンナがどのような女の子だったのかは知らない。アルサスが知っているのは、ネル・リミュレという銀色の髪の少女だ。穏やかな春の風のような明るい笑顔と、誰にも優しさを振りまける少女だった。それが、たとえアストレアが銀の乙女の記憶を封印するために、ネルに与えた捏造の性格だったとしても、彼女の手の柔らかさも、いつも真っ直ぐな目をしていたことも、それが偽りの彼女の姿だったとは思いたくはない。彼女が、フェルト・テイルの事を知らなくても、アルサスはアルサスであるように、ネルもまたネルであると信じたいのだ。その上で、メッツェがその封印を解き、ネルに使命を思い出させたとしても、自分の知るネルであれば、もう一度その手を取る事が出来ると思う。そして、今度は離さない。例え彼女が拒絶しても、その手を無理矢理取ってやる。それが、アルサスの本当の決意だ。
「大丈夫だ。ネルは、俺たちの知ってるネルだよ」
アルサスは、ポンとルウの頭に手を置くと、くしゃくしゃにその頭を撫でてやった。ルウはちょっと嫌がりながらも、アルサスの顔を見上げる。その顔に、即位式典の時のような、迷いのある曇りはなかった。
「ベルテス突入まで、ふと六十秒!」
操舵手が声を上げる。と同時に、船体がガタガタと音を立てて揺れ始めた。擬似空間から流れ出してくる、風に船が反発しているのだ。
「エアブレーキ作動! 船首フィジカル・シールド展開!! このままの体勢で一気に、ベルテスへ飛び込め!!」
「ダメですっ!!」
ニールの命令に、すかさず聴音手の男が耳に当てる、インカムの音に青ざめた顔をする。
「ベルテスの門から魔力を感知しました! 内部から無数の魔法弾が接近中!!」
「くっ! ベルテスの防御機構かっ。砲雷長、弾幕を張れっ!!」
ニールが舌打ちとともに叫んだ瞬間、漆黒の異次元から、いくつもの発光体が現れた。それらが、特大の魔法弾であることに気付いた艦橋の全員は、「爆雷防御!」とのニールの言葉が飛ぶ前に、咄嗟に身をかがめた。激しい衝撃が、天井と床の両方から突き上げてくる。その度、アルサスたちの体は、天井と床に激しく叩きつけられた。
「第一雷撃管損傷! 主砲塔大破!」
「左舷フラップ制御出来ません!」
「フィジカル・シールド出力低下っ!!」
キャプテン席の脇にある、金色のラッパのような形をした伝声管から次々と、被害の報告が上がってくる。それでも、ベルテスの門から撃ち出される魔法弾の直撃を受けずに航行できるのは、艦に乗り組む者たちの熟練した操船技術の賜物と言えるだろう。アクティブ・ソナーから聞こえる音を頼りに、魔法弾が飛び出してくる軌道を予測し、的確に船のかじを切りつつ、砲撃によって魔法弾を牽制する。息の合った乗組員たちの、まに芸術的な芸当だった。
「ベルテスへ突入しますっ!!」
操舵手が叫んだとたん、艦橋は一際激しく揺れて、唐突に目の前が真っ暗になった。ところが不思議なことに、それは夜闇とはちがう。光が何処にもない静寂と闇の空間であるはずが、人の顔ははっきりと見えるのだ。それこそ、ここが擬似次元空間という、摩訶不思議な空間であることの何よりの証だった。
「ここから直下に、着陸出来るようです」
ベルテスへ突入できたことにホッと胸をなでおろす暇などない。アクティブ・ソナーから聞こえてくる音を頼りに、聴音手が報告する。そこは空も陸も分からないほど真っ黒に塗りつぶされた空間であり、本当に着地できるのか疑わしいところではあったが、確かに、ユキカゼはランディング・ギアを伸ばし、着陸した。
アルサスたちは、警戒を厳にしつつ昇降口のタラップから、ベルテスへと降り立つ。ベルテスは匂いも音もない、気味の悪い空間だった。足元に地面の感触はあるのだが、そこが地面なのか、目の前にどれほどの空間が広がっているのかも、まったく分からない。
「よろしいんですか? このまま我々は帰っても」
ニールがクロウに問う。見れば、ユキカゼは想像以上に破損しており、おそらく、もう一度ベルテスから抜け出すのがやっとであろう。ここは、敵の本拠地だ。もしも、ここで何かに襲われれば、この満身創痍となった艦はあっという間に残骸にはや代わりするだろう。そこまで、付き合わせるのは酷というものだ。もともと、ベルテスへの突入は、少数精鋭で行うと決めていた。
「脱出の手立てまで考えている暇はありません。ニール艦長、お役目ご苦労様でした。どうか、乗組員の皆さんと共に、地上へ無事戻られますよう」
クロウが言うと、ニールは頷いて敬礼を返すと、タラップの扉を閉めた。ややあって、ユキカゼはベルテスに、アルサスたちを残して再び飛び立つ。アルサスたちは、去っていくユキカゼの姿が見えなくなるまで、見送った。
「バカに静かだな」
アルサスが呟く。ユキカゼが去ってしまうと、辺りは耳かツンとするほど静かだ。まるで、戦争が嘘のような、穏やかな静けさ。肌に触れる空気は冷たくも温かくもない。言うなれば、ちょうどいい気温。体にのしかかる重力も、外部とそれほど変わりはない。ただ、ここには風景と言うものはなく、インクで塗りつぶしただけのような寂しい世界が広がっていた。
「さて、何処へ行けばいいのか?」
と、その言葉に合わせるかのように、目の前に光の階段が出来上がる。踏み板が淡く発光する階段は点々と彼方まで伸びていく。
「来いって言ってるみたいだな」
セシリアがその階段の行く手を指差した。まさか、とは思うが、まるでメッツェがアルサスたちの到着を歓迎しているかのように見える。おそらく、その先に何もないと言うことはないだろう。現に、セシリアだけでなく、全員の顔がぐっと強張っていた。
「来いって言ってるなら、行くしかないだろ。みんな、準備はいいか?」
アルサスが確認の意味を込めてそう言うと、全員こくりと頷く。そして、アルサスたちは一列に並び、階段に足をかけた。靴音はしないが、足裏には不思議な硬い感触があった。
そうして、どれだけ階段を上り詰めただろう……。最初のうちは段数を数えていたルウも、とうとう数えるのが億劫になったのか、それとも疲れたのか、数える事を断念した頃、ようやく階段は途切れた。その最後の段の向こうに誰かの姿がある。
一瞬、メッツェとネルかとも思ったが、見える姿は一人分。しかも、ネルというには大柄で、メッツェと言うには筋骨が張りすぎている。しかも、その男は真っ黒なベルテスの空間に溶け込むような、黒い鎧を身に纏っていた。
「ギャレット・ガルシア。やっぱり生きていたか……」
「やっぱりというなら、貴様もやっぱりここまでたどり着いたか。記憶を取り戻したそうだな、フェルト殿下」
ギャレットは、愉快そうに言いながら、階段を昇りきったアルサスたちの下へと近づいてくる。どうやら、ウルガンとの戦いで生き延びたとは言え、無傷では済まされなかったようで、右の頬に大きなやけどのただれた痕があった。
「まあな。おかげで、あんたの憎たらしい顔も思い出したよ、ギャレット・ガルシア」
「憎たらしいか……俺にとっちゃ、王家の者ほど憎たらしい顔はないがな。その辺りは、意見の相違というやつだ。まあ、今更長話をするつもりはない。俺は十年前に喪った騎士としての名誉を、ここで取り戻す。そのために、いけ好かないが、メッツェの駒になったんだ。なあ、フェルト殿下、剣を取れよ。俺のアスカロンで、その聖剣を砕いてやる」
「ああ、その言葉、そっくりそのままあんたに返してやるよ!!」
アルサスは腰に帯びた、アンドゥーリルの柄に手を当てた。ところがその手を、フランチェスカがそっと止める。彼女は、アルサスの前に歩み出ると、
「そう言って時間稼ぎをするつもりでしょう? メッツェはいよいよ世界再誕をはじめるつもりね。でもそうは行かないわ。アルサス、ここはわたしに任せて頂戴」
と言って、ベイクから預かった鉄槍「ブリューナク」を構えた。
「フラン……だめだ、あんたにとってこいつは……」
「ええ、隊長の仇。十年間恨み続けた相手よ。でも、心配しないで、ハイゼノンのときのような醜態は晒さない。だって、お姉さんは大人ですもの」
にこり、と笑顔を見せるフランチェスカに、アルサスはアンドゥーリルから手を離した。
「やられるなよ、フラン。俺はあんたを信じてる」
「わたしも、あなたを信じているわ。ネルのこと、お願いね」
アルサスはフランチェスカと頷きあい、ルウの魔法による牽制攻撃が水蒸気の煙幕を上げたのを合図に、ギャレットの脇を抜けて走り出した。空間の奥に新たな光の階段が現れる。アルサスたちは振り向くことなく、その階段を昇った。
一方、ギャレットと対峙するフランチェスカは、自分の傍らに、クロウが残っている事に気づき驚いた。
「加勢して、なんて言った覚えはないわよ、騎士さま」
「ギャレットは、侮れない相手です。あなたを放っておくわけには行きません。それに、アルサスにはセシリアさんやジャックさん、ルウくんもいます」
クロウは、ちらりと笑顔を向けると、剣を鞘から引き抜いた。
「あら、嬉しい。騎士さまが、わたしを心配してくれるなんて……」
笑顔に笑顔で返すと、クロウは少しばかり頬を赤らめて、「冗談は後にして下さい」と言った。二人は、互いの武器を構えると、ルウの魔法による水蒸気が晴れるとともに、ギャレットに飛び掛った。
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