111. アリスの魔法
「アルサス! よかった、無事だったのね」
ガモーフ神国軍と共にヨルン平原に姿を現した、ギルド・リッターの軍勢の中から、三頭の騎馬が土煙を上げながら、駆け出してくる。先頭を来るのは、フランチェスカだ。その両側を随伴している、二人の男の顔にも見覚えがあった。確か、名前はベイクとランティと言ったか。ギルド・リッター時代のフランチェスカ直属だった部下の二人である。
「大遅刻だな、フラン!」
やって来たフンチェスカに、アルサスはニヤリと笑う。心は感謝でいっぱいだったし、予想外の援軍を引き連れてきてくれたことは、勲功一番に列せられるほどの働きである。ただ、それを口にしないのがアルサスで、口にしなくても分かるのが、フランチェスカだった。
「あら、いいタイミングでしょ? 真打は、カッコよく登場するものなのよ」
フランチェスカのいつもどおりの皮肉返しに、アルサスはフッと笑って、辺りを見回した。戦線に参加したガモーフの軍勢は、迅速かつ的確に二つの部隊に分かれると、一隊は総攻撃部隊の援護に、もう一隊は魔法使いたちが詠唱を続ける魔法円に寄り集まった。それは、青い波のうねりが、波間に浮かぶ白い鳥を飲み込んでいくかのようだ。
見れば、いつの間にか、リアーナの姿もない。つい今しがたまで、狂気を孕んだ殺気を振りまいていたと言うのに、自らが起こした土煙に紛れて、一旦後方へと退いたのだろう。戦況を鑑みた、その冷静な判断は、まだ彼女が完全な狂戦士「ウルク・ハイ」にはなっていないということだ。
「苦戦してたみたいね、リアーナ・ロシェットに」
「まあな。俺はあんたほど、手練じゃないからな」
「あら、これでもわたしだっていろいろこれでも苦労したのよ。はじめて、地下牢に閉じ込められる気持ちも味わったわ」
「どうだった? あんまりいいものじゃないだろ。しかし、ガモーフまで連れてきてくれるとは、思いもよらなかった。どんな手を使ったんだ?」
「あら、大人にはお子様に分からない、ヒミツの技があるのよ。ぼ、う、や」
フランチェスカは、少しばかりおどけて、チュッと投げキッスの真似事をする。もちろん冗談に過ぎないことは分かっているのだが、本当にお子様なルウは、真っ赤な顔に目を白黒させながら、うろたえた。
「ええっ、ど、どういうこと!?」
「そりゃあ、なあ。フランチェスカ、アレだろ?」
「ええ、アレよ」
訳知り顔のアルサスとフランチェスカに、ルウはぽんっと頭の上から湯気を立てた。その姿に、思わずアルサスたちは顔をほころばせる。
フランチェスカは、すっと総攻撃隊の援護に入った、ガモーフ神国軍の神衛騎士を指差した。そこには、白いマントを羽織った、一際勇猛果敢に敵を切り崩していく一人の青年がいる。
「ニタ・ホルバ。名前くらい聞いたことがあるでしょ? ガモーフ神衛騎士団の若きホープ。保守派の神官たちには嫌われているけれど、法王からの信頼は篤いのよ」
ウェスアに、神衛騎士ニタ・ホルバが居たことは、ほとんど幸運であった。ランティとベイクのおかげで、ギルド・リッター支部の地下牢を抜け出したフランチェスカは、支部長を説得しようと試みたが、当然のように首を縦に振りはしなかった。それどころか、フランチェスカたちを犯罪者として、討伐しようとした。ところが、騒ぎを聞きつけてやってきたのが、ウェスア駐留隊を指揮していたニタがやって来たのである。ニタは、ウルド・リーの処刑に猛烈な反対をして、議会の神官たちからウェスアへと左遷された身だった。しかし、彼の愛国心と聡明さを風の噂に聞いていたフランチェスカは、ニタに事の次第を解いて聞かせた。一度に理解してしまうことは難しいような内容であり、あまつさえ、敵国の連合軍に加勢するなどと、ニタ一人で決められることではなかった。
しかし、ニタは直ちにフランたちを率いて、ガモーフ神都へと向かった。初めて訪れる、ガモーフの中枢にしてメッカである神都の景色を観光している余裕などなく、フランチェスカは法王の下に案内された。もともと、ニタは法王の外戚の甥であり、法王が最も信頼する青年であった。とんとん拍子に話がすすみ、フランチェスカは緊張する間もなく、法王に直訴し、支部長から取り戻したシオンの親書を見せた。ギルド・リッターに宛てられたものだが、法王はニタに意見を求め、ニタがフランチェスカたちの言う事を信じるべきだ、今ガモーフが連合軍に協力すれば、十年前の遺恨と名誉を取り戻せる、ウルドもそれを望むはずだ、という進言に法王は頷いた。
過去に犯した過ち。白き龍が恐るべきものであることも知らず、戦場に放った罪、そしてウルドの進言を聞き入れる勇気がなかったことを悔いていた法王の心情をフランチェスカは知る由もない。直ちに、ガモーフ法王からギルド・リッターのギルド長に宛てた親書を携えて、神都から程近い街にあるギルド・リッター本部に駆け込んだ。ギルド長がガモーフ法王と懇意にしていることもあって、その説得は支部長を説得するよりも遥かに容易なことであった。しかし、その頃、フランチェスカからの報告がないまま、連合軍は決戦の地、ヨルン平原に進軍を開始した。
報告がする間がなかったことを言い訳するわけにも行かないフランチェスカはとんぼ返りで、ベイクとランティにギルド・リッター集結の号令を飛ばすよう命じると、神都に戻った。すでにニタはガモーフ軍の出陣準備を整え終えていた。
そうして、ヨルンへの道すがら、ギルド・リッターの各部隊を加えつつ、進軍を開始した。時間的には、決戦が始まるまでに間に合うかどうか、微妙なラインだった。しかし、なんとしても間に合わせなければならない。フランチェスカばかりでなく、ニタも同様の使命を感じていた。
「世界が、一つになる。あんたのおかげだよ、フラン。まさか、ここまでやれる女だとは思ってなかった」
アルサスが意外そうな顔を差し向けると、フランチェスカの後ろで馬を降りた、褐色肌のダイムガルド人、ベイクが少しばかり気に食わない、と言う顔をして、「当たり前だろ、隊長をなめるな、クソガキ」と悪態をつく。それをすかさず嗜めたのは、ランティだ。眼鏡面はあいかわらず冷静そのものではあったが、それでもやや焦ったような顔をしていた。
「ご無礼を。よもや、あなた様がフェルト殿下だったとは露知らず、ウェスアでの無礼の数々、お許し下さい」
と、ランティは慇懃に頭を下げる。無理もない、ランティはセンテ・レーバン人であり、ギルドの一員であっても、愛国心がないわけではない。しかし、アルサスはそれを分かっていて、あえて親しげな笑みを浮かべると、
「許すも何も、俺はダイムガルド軍のアルサス・テイルだ。悪いけど、そういう話は、フェルトにしてくれ。でも……これからの働き次第で、フェルトも許すだろうよ。まだ戦いは始まったばかりだ」
アルサスは、背後を振り返った。丘陵の上に描かれた魔法円が俄かに輝きを強める。ガモーフ軍の魔法使いが、アリスの魔法に魔力を込めてくれるおかげだ。十分すぎる魔力がほとばしっている。
「わっ、カッコいいところを軍隊に持っていかれちゃう!」
慌てたように、ルウが踵を返し持ち場へと戻る。アルサスはその後姿を見送り、ちらとフランチェスカとその部下、そしてセシリア、ジャックに目配せをする。
「魔法が発動するまで、敵を魔法円に近づけさせるな。行くぞ!!」
頷く全員に、アルサスはアンドゥーリルを振りかざした。戦いはまだ続いているのだ。救援にただ喜んでいるわけには行かない。アルサスたちは、戦場に飛び込んだ。ガモーフとギルド・リッターの援軍は、想像以上に善戦してくれる。勢いづいた連合軍は、再び、息を吹き返して、「翼ある人」を圧倒し始めた。
悲劇から十年、いや、過ちだらけだった二千年の時代を超えて、自分たちの世界を守る、という同じ目的のために、戦場にいる者すべて一丸となった。その背中は、戦いに参加できない民衆や生き物たち、魔物たちの祈りに強く押されているかのようだった。
そうして、そう長くはない時間が過ぎ、戦場に七色の輝きが走り抜ける。その光を受けた「翼ある人」たちは一瞬怯んだ。表情らしい表情のない顔に、曇りが生じる。光は、魔法円から発せられたものであった。ついに、魔法円に魔力が充填されたのである。キラキラと、幾何学の紋様が輝きを放つ。
「ベルテスの門を開く!」
魔法使い部隊の隊長が声を上げた瞬間、ルウ、ナタリーたち魔法使いたちが手にした魔法杖を高らかにかざした。それぞれの、ミスリルやとねりこの木でできた杖の先端から、七色の光が帯になって空に舞い上がる。それは虹のようなアーチを描きながら、シエラ山の山頂へと飛んでいった。そして、薄く張った雲の中で、パーンっ、と弾け飛だ。それは、まるで戦場に降り注ぐ七色の流れ星のように見えた。
「空間が歪んでいる……あれが、ベルテスの口、いやベルテスの門?」
セシリアがごくりと唾を飲み下す音が聞こえてきた。アリスの魔法が直撃したシエラ山の山頂に、楕円形をした空間の歪みが現れる。そこだけ真っ黒に塗りつぶされ、空に突如として現れた穴のように見えた。
「アルサスーっ!!」
総攻撃部隊の中からかけてくる、銀の鎧。赤いマントは、クロウのものである。クロウは、アルサスの元までやってくると、馬から飛び降りた。
近くで見ると、クロウの鎧き血しぶきと、泥に汚れていた。しかし、クロウの体に目立った怪我はないようだ。むしろ彼のほうが、アルサスの頭から流れる血に青ざめた。
「大丈夫なのか、アルサス!」
「ああ、ちょっとリアーナにビンタを食らった。でもどうてことはない。それより、軍の指揮をしなくてもいいのか?」
「ニタ・ホルバどのに軍の指揮を委譲した。僕もベルテスに行くよ。最後まで見届けたいんだ。ライオット閣下のしでかしたことの顛末を。そういえば、カレンは、カレン将軍はどこに?」
クロウの視線が、カレンの姿を探すように辺りを見回す。
「カレンは……」
言いづらいことだ。クロウとカレンは、トライゼン亡きあと、弱体化の一途をたどるセンテ・レーバンを共に守ってきた、仲間である。しかし、すべて言わずとも、クロウは、アルサスの顔色だけですべてを悟った。
「そうか。カレンは、フォトンになったか……」
出来るだけクロウは悲痛な顔を見せないように、アルサスたちに背中を見せて、カレンのフォトンが消えたであろう空を見上げた。わずかに両肩が震えているように見える。そんなクロウの視線の先に、一隻の駆逐鯨が舞い降りてくる。
「ユキカゼだ!」
ジャックが指差した。駆逐鯨「ユキカゼ」は飛航鯨の十分の一ほどの大きさしかないが、それでも海運ギルドの客船ほどの大きさである。それが土ぼこりを巻き上げながら、アルサスたちの目の前に着陸した。ちょうど翼に当たるヒレの付け根の辺りにあるラッタル付きのタラップ開き、中から艦長らしき男が降りてくる。
「ユキカゼ艦長、ニール・リング大尉です」
男は軍帽を脱ぐと、クロウに一礼して名を名乗る。
「第一部隊騎士団長クロウ・ヴェイルです。お迎えご苦労様です、ニール艦長。これより、我々はベルテスへ突入します。しかし、突入部隊に充てられていたほとんどの部隊が戦死いたしました。残っているのは、ここにいる近衛騎士団のセシリア隊のみです」
「なんと……! しかしそれでは作戦は」
ニールは驚きを顔一面で表した。おそらく元は海の男だったのだろう、軍服の袖から覗く太い腕に、わずかな潮気を感じる。
「いえ、わたしとフランチェスカ・ハイトどのも同行し、ベルテスへ乗り込みます」
「あら、騎士さま。わたしは行くなんて言ってないわよ」
クロウの説明に、やや驚きながらフランチェスカが言うと、クロウは少しばかりニヤリとして、「行かないんですか?」と問い返してきた。
「行くわよ。わたしだって、最後まで見届ける権利はあるわ。それにしても、騎士さまったら、なんだかアルサスに似てきたわよ」
「それは、光栄なことです。あと、それから……」
一度ニールの方に向き直った、クロウは次に魔法円の方を見た。役目を果たした魔法円は、まだわずかに輝きを帯びていた。しかし、魔法使いたちは、すでに戦闘に参加することが出来ない。魔力を使い果たした彼らは、足手まとい以外の何者でもないのだ。そんな魔法使いたちの集団の中から、二人の子どもが走ってくる。ルウと、ナタリーである。
「ボクも、ボクもベルテスへ行きます!」
そんなルウの姿を見ていると、アルサスはふと、旅に同行したいとアルサスの後を追いかけてきたルウの事を思い出した。
「ルウ、魔力を使い果たしたんじゃないのか? お前を守ってやれるほど余裕はないぞ」
アルサスが言うと、駆け寄ってきたルウはぷうっ、と頬を膨らませた。
「ボクを見くびらないでよね。後、一回くらいなら魔法を使えるように、力は残してる。皆には悪いけど、メッツェに一発お見舞いしてやるんだ。お姉ちゃんを返せってね!」
ころころと表情を変えて片目を瞑って言うルウに、アルサスは少しばかり呆れた。変わってないな、と思う。「では、この六名でベルテスに突入します。よろしくお願いします、ニール艦長」
クロウが頭を下げると、ニールは「こちらです、お急ぎ下さい」と全員を艦内へと案内する。
「隊長、ご無事で。我々は、ここで戦って待っています」
ベイクとランティがフランチェスカに別れを告げる。フランチェスカは「行ってくるわ」とまるで近所に出かけるように、安穏と返しつつユキカゼに乗り込む。もちろん、それはフランチェスカなりの、気遣いだった。
「ルウ、絶対帰ってきてね」
ルウの手を掴み、ナタリーも別れを告げる。
「わたしね、ルウと一緒に魔法使いギルドをもう一度立て直したい。出来るかどうか分からないけど、あなたとだったら、何でも出来る気がするの。だから、絶対、絶対帰ってきて、お願い」
「う、うん。大丈夫だよ。だから、待っててね、ナタリー」
ルウはやや気恥ずかしそうに、ナタリーの手を解くと、後ろ髪引かれる思いを断ち切るように、ユキカゼのタラップを駆け上った。
ルウの後を、セシリアとジャックが続く。そして、最後に残されたアルサスとクロウは互いに頷くと、ユキカゼに乗り込んだ。
駆逐鯨ユキカゼは、降り立った時と同じように、土煙を巻き上げながら、地上を飛び立つ。戦場に残る多くの人たちに見送られて、真っ直ぐベルテスの門へ……。
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