獣人に関する魂の総量と番との関連についての報告
獣人の定義は、人の姿と獣の両方の姿を持つものとする。人魚など半魚人に類するものは、人と魚の両方の性質をもつものではあるが、どちらかの姿に完全に変わることはないため今回の報告には含まれない。半馬、半蛇も同様である。
なお、獣と称したが一部不定形も含まれるため、獣のみとしてもいないことをあらかじめご了承いただきたい。
獣人とは、人と獣の状態、あるいはその中間を行き来できるものである。
これについては自身の体を変異させているというのが古来からの定説ではあったが、現在、これは否定されつつある。
この世界と重なるような狭間が存在し、そこに別の体を持つものが獣人であるらしいということが最新の研究結果である。
別の体と今、現れている体を入れ替えて獣化しているのである。これは入れ替えるという意識もなく刷り込まれていることのようで、一つ一つプロセスを確認し続けてようやく当人が当惑したように認める事が多い。そのくらい、当たり前で分かちがたく存在している。
一つの人格や魂に、一つの体である一般種族と比べると異質である。
もし二つの体があるならば、二つの人格や魂が必要である。しかし、基本的には地続きの人格であり、自認も異なる場合はほとんどない。
人の体を維持するために必要な魂も獣人は他種族より多いという研究結果があるが、二つの体があるとするならばそれを維持するには足りない。
獣人は二つの体を維持せねばならない魂は疲弊し、本来の力を出し切れていないのではないかという推論をされている。
極稀に本来の力を発揮していると思われる個体は存在する。
それが番を持つものだ。
番というのは、己の半身であり、替えのきかぬ大切な存在、とされていた。
しかし、誰でも持つものでもない。一生で合わぬほうが珍しくないので、番というもの自体を持つかは個体差と思われていた。だが、昨今の文明の発展により、遠隔地にいるものとも知り合う事ができ、出会う機会が増えてきた。
その結果、獣人たちが思っていたよりもずっと多く、適合者がいるらしいと知られつつある。
ただ一人ならば、番で良かったのだが、複数の番を見つけてしまうものが出てきてしまった。偽物であると再適合以外を処断するような事態がいくつか続いた。その結果、番が加入する任意団体が不当である、調査を求める裁判を起こし、番を複数得た獣人を調査することとなった。
調査の結果、番とされた者は魂の形が似ていること、その種族としては魂が過多であり、余っていることが判明した。また、獣人と魂の質が似ていて不足分を補う可能性が高いと判明。
番というのは、魂の不足を補助するためのシステムでは? と今、研究を進めている。不足していたものを手にしようと本能が動くのは生物としておかしい話でもないと説明できそうである。
また、偽物とされた番には保証と名誉の回復もって対処している。
今後、番システムがひと目見てということから、魂の質を検査したものに変容されるのではないかと噂されている。しかし、人権の観点から容認されることは今しばらくはないとされている。
また、人格については、本能と彼らがいうことは、もう一つの人格であるのではという指摘も出ており、番を得た時点での人格の変容の経過観察を求められている。
備考
番への本能抑制薬については霊的なアプローチが効くのではないかと言われていたことの裏付けが取れたとされているが、慎重な対応が求められる。




