27 話
炎火の白魔の影響だったのだろう。
このところの異常なほどの悪魔の出現はぱたりと止まった。
白魔の討伐から、三日。
会議室には、意識があり、動ける白魔討伐隊のメンバーが揃っていた。
「討伐対象の白魔の討伐は完了しました。今回本部よりこの砦に派遣された者の任務は終わりです。従って、しばらく様子見をして異常がないと確認した後、本部への帰還を命じます」
しばらく様子を見て、または怪我人はある程度回復してから。本部から今回のために来た戦力は、この北の砦を去る話だった。
ガルも、ライナスも、そしてヴィンセントも例外ではない。
ガルは白魔討伐の指揮を取りに来て、ライナスは白魔だと分かる前の悪魔の討伐に来て、ヴィンセントは北の砦の管轄域の魔獣、魔物の出現が増加傾向にあったため念のため一時的な駐屯に来ていた。
そして、セナが当初配属されるはずだった隊も本来は北の砦駐屯の部隊ではないため、最終的には北の砦を去ると思われるが……。
「セナ」
会議が終わり、ヴィンセントの執務室に戻り、しばらく経ってからのことだった。
「君の従者期間について、俺が君を不祥事の類いで解雇する理由はないのだが、このタイミングだ。一度改めて話すべきだろう」
セナは内心驚いた。
と言うのも、セナも自分がヴィンセントの従者でいられる期間について考えていた。
この前、従者の話をしたところだけれど、ヴィンセントは砦を去る。
最初、砦の責任者にはヴィンセントが砦にいる間だけになるだろうと言われた。
実際に判断するヴィンセントはどう考えているのだろうかと……。
「俺はやがて本部に戻る。まだしばらくはいるとしても、ここでの一時的な駐屯には終わりがある」
「はい」
「君はエベアータ家の跡取りだ。従者をしていても階級は上がるが、離れ時はある」
ずっと従者をしているわけにはいかないということだ。
「そして隊に戻るなら今が最良のタイミングだ。隊に所属することには段階的に自分が指示する人の数が増えていくという利点もある」
従者をしているより、余程将来的に役立てられる経験を積むことが出来るとヴィンセントは言う。
だからそうした方が経験上良いと考えられる、と続けてから。
「ただ、俺は──」
何か言おうとしたようだが、流れが淀み、途中で口を閉じる。
セナは、ヴィンセントには珍しい様子に首を傾げる。
「ヴィンセントさん?」
どうしたのだろう。
「いや、何でもない。従者の件はその内考えよう」
セナには今他に考えることがあるから、話だけ出したのだろうか。
それならば当然、セナは自分の抱えることを解決していかなければならない。
改めて考えるに、どれから、どうして解決するか。
自分の身については、ライナスが知っていることを教えてもらうことが最初だろう。ライナスは一度確かめてからにしたいと言っていたが……。
「セナ」
「……」
「セナ」
肩を叩かれ、びくりとして、反射的に振り返るとヴィンセントがいた。
「今日は終わっていい」
「え、もうそんな時間ですか」
えっ、と窓の外を見ると、もう薄暗かった。
どうやら考え事をしていて、いつの間にか時間が過ぎていたようだ。
していた自覚のない仕事に区切りをつけ、ヴィンセントの執務室を後にし、食堂に向かいながらも、セナはまた続きを考え続ける。
いやしかし、解決すると言っても難しい。どう考えればいいのか。
優先順位をつけると、自分のことは後回しになるだろう。
最も優先するべきはやはり、現在限りなく保留に近い状態となっている、『白魔』の件だ。
セナの言うことを聞くといい、側にいることを望む、かつて召喚獣だと信じていた白魔。
では白魔について何を考えるかと言えば、まず、自分がどうしたいか。養父に問われた。
判断材料はこれまでの、その白魔の行動しかないが……。
──ベアドルゥスは、なぜ、白魔のことを保証したのか。
雪が大地を覆ったあの場で、ベアドは何と言っていただろう。短時間で多くの情報が入ってきた場だった。
セナは記憶を掘り返そうとする。白魔の保証をした聖獣は何と、言ったか。
特異──という言葉が思い出された。他の白魔とは異なると言い表されていた。
「……ベアド」
こちらはまず、第一歩として、ベアドルゥスに深く聞くべきではないのか。
あの白魔について。召喚獣としていた存在ではなく、聖獣に保証される白魔としてのあの存在について。
『なんだ?』
飲んだ水でむせるかと思った。
「ベアド!」
音を立ててコップを置くと同時に横を見ると、白い豹がいるではないか。
『そうだぞ』
純白の獣に、近くにいた人が振り返っていた。姿が珍しいからか、位が高いと感じるものがあるのか。
大きな体を堂々とセナの座る横に収めたベアドは首を傾げるような動きをした。
『何か用か?』
「う、うん。ちょっと、聞きたいことがあって」
『お、何だ?』
「えぇっと……ここではちょっと無理なことだから、出来れば後で……」
『ふーん、分かった。ちょうど良かった。俺、セナに話があるんだ』
「話?」
自分に?
夜ご飯のとき、近くにベアドがいるのは意外とノアエデン以来だった。
ベアドはノアエデンでそうだったように食事しているセナを眺めて、時に喋っていた。
食事を終えて、急いで入浴し、部屋に戻ると、暗い中に浮かび上がる白い獣の姿がある。
「お待たせ、ベアド」
この部屋にベアドの姿は初だ。
ベアドはセナが入ってきて、前肢に乗せていた頭を上げた。
セナはタオルで髪から雫を絞り取り、蝋燭に火を灯してから、ベッドに座る。
『聞きたいことって何だ?』
「わたしの長くなるかもしれないから、ベアドの話から聞くよ」
ベアドの話とやらが気になりもする。
そっちからどうぞと促すと、ベアドはじゃあと口を開く。
『俺と契約するのは嫌か?』
その話だったか。
ガルに、ベアドと契約するように言われた。前向きに考えておくように言われてから、数日経った。
ベアド自身とは話していない。
聖獣の澄んだ目が、セナを見ている。
「……ベアドが契約してくれるのは、わたしが……天使の剣を使えるような『存在』だって思ってるから?」
『そうかもなぁ。でも最初は知らなかったし、分からなかった』
ベアドルゥスという聖獣の目には、セナがどう見えているのだろう。
「ベアド」
『うん?』
「わたしは、何なの?」
『何なんだろうな。人間で、でも、天使だ』
聖獣は『不思議だなぁ』と言う。
『人間なのに、今ならしっくり来た理由が分かる。あのとき、確かにセナは天使だったんだ』
撫でて欲しそうに見えたから、思わず手を伸ばして毛並みに触れると、触れた瞬間に綺麗な目が細められる。
しばらく、無言でベアドを撫でていた。ベアドは目を閉じて撫でられていた。
『なあ、セナ。俺達聖獣が、どうしてまだいると思う?』
「……どういう意味?」
どうしてまだいる、とは。
『戦いを好まない天使の代わりに戦って、敵わなくて、天使がそのあと失われたなら、俺達はいないはずだった。俺達は精霊とは完全に異なる生き物だが、天使に生み出されたという点だけは一緒なんだ。今精霊が消えてしまったら新たに生まれないように、聖獣も命を失えば新たに生まれて来られない。聖獣は精霊より力が強いが、存在意義のために精霊よりも特にだ。俺達は天使のために存在するから』
そうなのか。
魂は巡ると聞いた。巡って、また生まれてくると。
けれど今天使が不在なように、人間とは異なり、彼らには生まれることが出来ない障害があるのだ。
『俺達はろくに戦ってないんだ。二千年前、天使が失われたとき』
「でも」
今戦っているということは、戦わない理由があったのではない。
天使の遺した世界のために戦うくらいなのだから、二千年前天使のために戦わない理由はないのではないか。
『天使が望まなかった。俺達は眠らされ、起きたとき全ては終わっていた。眠らせたのは天使だから、起きれた理由は明白だった。天使に何かが起こった。ただ俺達は全てを聞いていたし、感じていた。何が天使を殺したか』
聖獣達が起きたとき、あるはずのない力が満ち、天の楽園は壊滅状態だったと言う。
そして、天使の姿は一つもなかった。
『俺達は守れなかった』
悲しみ、落ち込む声は小さかった。
『確かにそれは、事実だ。白魔に言われなくても、俺達聖獣が一番よく分かって、後悔してることだ……。俺達は、どんなに力を与えられたって、それで守るものを守れなかったら意味がない』
「ベアド、」
『俺は、出来ることならセナのことを守りたいなと思うんだ。人間世界じゃなく、セナを一番に』
聖獣に、そこまで言われるとは思わなかった。
言葉だけ考えるとまるで盛大な愛のごとき言葉だった。事実、聖獣という生き物は天使をこよなく愛しているのかもしれない。
「……ベアド、気持ちは嬉しいし、聖獣がわたしに天使を感じるなら、その言葉も理解できる」
『だけど?』
「うん、だけど、わたしはそもそもその自分が『何か』について受け止められてない。……わたしは、まず自分が何か、納得できる理由か何かを得たい」
その理解無しには、ベアドルゥスの考えも受け止められない。
聖獣の思いは、重い。
何よりも天使を優先する。その恩恵を受けるには、自分を受容できなければとてもではないが気軽には契約できない。
万が一のこともある。自分が何かをはっきりさせなければ。
『分かった』
澄んだ目を一度瞬いて、聖獣はセナの言葉に理解を示した。
ごめんねと謝るのは違う気がしたから、セナはわしゃわしゃと毛並みを撫でた。
『俺の毛並みー』
「ああごめん。ちゃんと綺麗にするね」
『まあいいけどなぁ』
「いいんだ」
『特別にな』
特別だとさらっと言う聖獣にも、答えをきっと出せるように。
『で、セナが聞きたいことって何だ?』
すっかりベアドの雰囲気に持っていかれて、言われて思い出すはめになった。
白い毛並みを撫でる手が止まり、セナはどう聞こうかと少し考えて、質問を始める。
「ベアド、ギンジが──あの白魔が特異だって言ったでしょ?」
特異な白魔だ。そこそこ信用していい、と。
『ああ、確かに。……そうか、あの白魔のことが気になるか』
「どうして聖獣のベアドが白魔のことを保証したの。──あの白魔が、どうしてわたしの召喚獣になってたか、理由を知ってる?」
あの白魔を他の白魔と同じではないと言う理由、あの白魔について知っていること全て、ベアドに教えて欲しい。
『どうして召喚獣になっていたかはさすがにあの白魔の考えだから聞かないと本当のところは分からないが、関係するかもしれない話と、どうして保証したかって話は一緒だ。ただし説明は出来ると言えば出来るんだけどな……話していいか……』
かなり迷う様子は、数秒だった。
『まあ、セナにはいいか』
いいんだ。
『これ、他の人間には言うなよ。天界の在り方についての話だからな』
軽く決断したものの、話し始めた声は小さめだった。




