18 街で
首都の屋敷に戻ったが、セナはまだノアエデンに帰るつもりはなかった。
馴染みのない自室に行き、受け取ってきた給料を見慣れない机に置き、クローゼットを探す。
服はあると別れ際にガルから言われていたのだ。
確かに、制服のまま遊びにいくわけにはいかない。
街に出かけるのは完全に予想されていた。給料を受けとって行くと言ったので、給料で買い物がしたいのだろうと予想したのかもしれない。
見慣れないクローゼットを見つけ、開くと、服がかかっていた。予想より多い。
セナの部屋であり、ノアエデンでさえセナが来るまで、セナに合うサイズの服はなかったと考えると、これはセナに用意された服なのだろう。
でも、首都の家にまで用意されているとは、今の今まで知らなかった。
「んー」
どれに着替えるべきかと考える。
ぺらぺらと、服を簡単に一枚一枚見ていくと、どうやら衣替えもされていて冬物など季節外れのものは混じっていないらしいと分かる。
ズボンにブラウス、スカートにワンピース、柄物、無地、ちょっと作りが凝っているもの、シンプルなもの。運動着のようなものはない。
「うーん……うん、仕事に戻ったらスカート履かないから、プライベートで履いとこ」
北の砦は比較的気温が低めだったが、首都はすっかり温かい。
紺色の長袖のワンピースを見つけて、着替えることにした。上と下の組み合わせを考えるより、効率的だ。
服を選ぶことに魅力を感じない性格ではないけれど、今は時間を取る。
手早く着替え、カバンも手頃なものをクローゼットから取り、給料を移した財布を入れる。
「自立するには、服もこれから自分で買わないといけないなぁ」
ノアエデンを出る際にいくらか持って出た服は、セナのお金で買ったものではない。
セナが自分で稼いだお金を手にしたのは今日が始めてだ。
この服、どれくらいするのだろう……。
肌触りのよいワンピースを摘まんで、一瞬値段に思いを馳せたが、すぐにやめた。
エベアータ家及びガルの具体的な収入は知らないものの、この家とノアエデンの家と、ガルの地位だ。
今自分が手にしている給料と比べてしまっては、これからの予定に響く気がする。
セナはカバンの革紐を掴み、隣の部屋に出て、テーブルに乗せていた白猫に「シェーザは行く?」と聞いた。
行く、と返ってきたので、小さな猫をすくい取って、ちょっと考えた結果鞄に入れた。
ワンピースには小さなポケットがあったけれど、ワンピースのポケットにいれると目立ちそうだった。
「ベアドも来る?」
辺りを見渡して尋ねると、床から出てくるような出方でベアドが姿を現し、『行くぞ』と即答した。
ベアドは隠れられるので問題ない。
「ベアドは隠れててね」
『えー』
「え、本当に出ておくつもりだったの」
『冗談だって』
出てきたばかりのベアドは笑い声を残して消えた。
「服おっけー、軍資金おっけー。よし、行こう」
向かうは、街だ。
閑静なこの区域を下りた先にある、人の営みが溢れた場所。
初給料の使い道について、実はちょっと案があった。
そのためにセナは街に下りた。
「人、多っ」
本当に同じ首都内にあるのかと思うほどの人がいた。
屋敷がある区域に人がいなさすぎるのか。
人波にそっと混じり、歩き始めたセナは、不審者にならない程度にきょろきょろする。
ノアエデンはそもそも例外以外の人がいない土地であるし、ノアエデン周辺の土地は、首都ほどに人はいない。
根本的なところとして、首都は国で一番人が多く、栄えているのだ。
色々なお店がある。食べ物屋から、衣服を売っているだろう店まで。
「誰かと遊びに来たら楽しいだろうなぁ……」
自然と目に入る周りの人たちを見て、呟いた。
夫婦か、親子か、恋人か、友人か。
一人で来ている人がぱっと見る限りでは見当たらない。
しかし今日の目的上、ガルは誘えないし、そもそも仕事であるし、──友達はいないのである。
予期しないことにまともに気がついてしまって、セナはちょっぴり寂しくなる。
友達。
同年代の子と過ごしたのは、孤児院時代と教会に入ってからくらいで、教会に入ってからはプライベートで仲良くなれる時間なんてなかった。研修からの正式配属で、北の砦にずっといた。
彼らは言わば戦友だ。
「戦友、友達……」
戦友と、ただの友達は近いようで遠いと思う。一歩ふらっと進めば、戦友は友達の領域にも入り得ると思うのだけれど。
「まあ、今いないものを思っても仕方ない」
戦友であれ、友達であれ、遊べる関係の存在がいないのが今の現実だ。
さて、目的を果たさなければ。
「帰り道だけ分からなくならないようにして、見回っていくしかないかな」
どこに何があるのか分からないので、一人で興味本位でのんきに見回るのは後回しで、先に目的を第一に見て回る方がよさそうだ。
「……にしても、どんなものを買えばいいかな」
今日、街に来た目的は二つ。
ガルへのプレゼントと、精霊たちへのお土産だ。
ガルへのプレゼントは、お世話になってきたことへのものだ。
孤児院時代に出会い、環境を与えてくれた人へ。そして、父である彼へ。当初の取引内容の一つであった召喚士になり、初給料が入ったタイミングで何か贈りたいと思った。
精霊たちにもお世話になってきた。
「どっちも難しいなぁ」
どちらも違う難しさがある。
ガルは物として一級品が手元に揃っているだろうが、セナが現段階で贈るものとしては一級品にこだわらない方がいい。値段的に。こだわれない。
なのでその点を抜いた上で、ガルが気に入ってくれるようなものを贈りたい。
しかし困ったことに、ガルの趣味が分からないのである。
一方、精霊は精霊で未知数すぎる。
彼らは物という物を所有していないからだ。
精霊全体ではなく、例えばエデにと考えてみる。
エデはお人形で遊ぶのだろうか。ぬいぐるみを抱いて寝たり……駄目だ、完全に見た目に引っ張られている。
と言うより、あの森には形に残り続ける人工物は置いておきたくない気がする。
すぐに無くなるものの方が良さそうだ。
すぐ無くなるものと言えば、エデは美味しそうにお菓子を食べていた。
精霊は食事が不可欠ではないが、出来ないわけではない。
「お菓子……」
ありかな。
と思うと、辺りにあまい匂いが微かに漂っていることに気がつく。
気のせいではなく、お菓子屋がちらほら目につく。
「お父さんも甘いものとか食べるかなぁ」
食べるは食べるけど、好きなのだろうか。
……なんだか、パンフレットが欲しくなってきた。それか、案内人サービスとかどこかにないだろうか。
目移りするし、お菓子屋さんにしてもいくつもありそうだ。巡らなくても、どの店にどの特徴があるのか知って絞りたい。
それとも、今日は下調べの日だと割りきった方がいいのだろうか。
次、いつ来られるのかは分からないし、休暇中にとは出来なくなってしまうけれど。
『セナ』
「うん?」
鞄からの声に、過ぎるお店を見逃さないよう右と左を確認しながら、生返事する。
『今の人間、お前の鞄から何か盗っていったぞ。氷漬けにするか?』
「突然物騒すぎる……え? 取った?」
何を?
鞄から?
鞄に入れていたものと言えば、シェーザと──財布。
思い出すや鞄の蓋を開けると、中には白猫がいるばかり。
財布をすられた!
「どっちに行った人!?」
『お前の進行方向と逆だ』
直ぐ様勢いよく振り返った。
するとすぐそこにいた男と目が合った。瞬間、男はこちらの雰囲気を察したように動いた。
この人が犯人か!
とっさに足が動き、手が伸びた。
手は、男の衣服の袖を捉えることができた。
「わたしの財布、返して」
それはあげるわけにはいかないお金だ。
「ちっ」
「あ」
肩を強く押され、手から布が強制的に引き抜かれた。
「いたたたた……」
後ろに倒れ、尻を強かに打ち、痛みに顔をしかめる。いくら怪我をした経験を得ようと、痛いものは痛い。
地面にもろについた手も痛い……と、その手を見て、空っぽなことに「あっ」と前を見る。
走っていく姿があるではないか。
「待って!!」
『殺していいか?』
『止めるか?』
シェーザとベアド、両方の声がした。
「どっちもストップ」
シェーザは絶対駄目だ。
ベアドも、止め方によっては避けたい。
でも財布は絶対取り戻す。
急いで立ち上がり、走り始めながら目は離さない。
速さなら問題ないけれど、周りに人がいて見失わないかが気がかりだ。
走る男を周囲の人が避けていることによって多少分かりやすくはあるが、それでもちらちらと人に隠れかけて見えてを繰り返している。
「ベアド、念のためあの人の後つけておいてくれる?」
『了解。──お?』
「お?」
ってなに?
今度はなに、と思っても聞き返す余裕は今ないためひたすら前だけを見て走っていたら、
「うわっ」
前方で、人にちらちらと隠れかけていた男が一瞬宙に浮き、派手に転んだ。
何だ何だ。
何かに躓いたのか。
派手なコケように、周りの人に反射的に大きく避けられ、見えやすくなった。
これはラッキー。今のうちに追い付いて、今度は逃げられないようにしなければ。
自分で止められれば一番だが、最悪ベアドかシェーザの手を借りよう。対人での肉体のみの戦闘は自信なんてないから、また逃げられる可能性がある。
走る足を緩めず近づいていたセナだったが、
「……え」
足が止まる。
地面に張り付く男が見上げた前に、一人、立っている人がいた。
「すりは犯罪だ。そして彼女に危害を加えたことも、程度によっては罪には問えないかもしれないが、良くはない」
「なんだお前! くそ!」
あっ、と思った。
男が立ち上がり、逃げようとしたのを見てとったからだ。
しかし、男は一瞬後、またも地面に沈む。
「いっ」
男の前に立っていた人が、見るも鮮やかに一瞬で男を阻止したのだ。
「これ以上痛い目に遭いたいか?」
容赦なく取り押さえる人は、男に言い、その淡々とした物言いに男は静かになった。
──対人でも強いのか
そんなことを思いながらも、セナは驚き冷めず、足を止めたまま見ていた。
「お兄さん、すごいな」
何があったか勘づいてやって来た人がいた。騒動の元に近づき軽く話しかけたが、男を取り押さえる人が反応して顔を上げて、なにやら息を飲んだ。
「縛れるものはないだろうか。それから、警らが近くにいないか」
「あ、ああ」
「警ら隊なら、さっき見回りを見たぞ!」
警ら隊は、言わば警察だ。
あっという間に見回りをしていた警ら隊が呼ばれ、男が引き渡され、取り押さえていた人は警らの人と話している。
話はしばらく続き、ちらりと警らがこちらを見た気がした。
そして、警らから何かを受け取った人がこちらを向いた。
勘違いではないようで、真っ直ぐ歩いてきた人は、セナの前までやって来た。
「君の物はこの中にあるか?」
セナは、差し出された三つの財布を見ていなかった。
「ヴィンセントさん、ですよね」
見慣れた制服姿ではなかったが、間違いない。
セナは、泉に映った姿ではなく、実際に目の前に存在する彼を見上げた。




