089. 紅の女王と純白の人魚の会談
フィオーレ王族以外はその扉を開けることが許されない、「刻凍の回廊庭園」。
厳重に守られたその庭園に、二人の影が入ってきた。
一人は、フィオーレ王国女王、ローズ。
もう一人は、人魚の里を統治する、パール。
「フィオーレ王国と人魚の里の国交樹立会談」――その仰々しい名目の裏で、二人の親友による私的なお茶会が執り行われようとしていた。
ローズは庭園の中央にあるテーブルへと、優雅な振る舞いでパールをエスコートした。
「紅茶を淹れよう。飲めるか?」
メイドから受け取ったティーセットをテーブルに置きながらローズが尋ねると、パールは目を細め、ふわりと微笑んだ。
「ええ、問題なくってよぅ。以前サクラちゃんに城下町で教えてもらったの……とっても美味しかったわぁ」
「そうか」
丁寧な手つきでローズが二人分の紅茶を淹れると、辺りには華やかな香りが立ち上がった。
ローズは淹れた紅茶の一つをパールの前にそっと置いた。
そして自分の分の紅茶を持ち、パールの対面に静かに腰を下ろすと、小さく息をついた。
「仰々しくてすまないな……誰かと話すだけでも、あまり自由に動ける身分じゃないんだ」
肩をすくめながらそういうローズに、パールは「ふふ」と口元を隠しながら悪戯そうに微笑んだ。
「頑張ってるみたいねぇ、ローズ女王様は」
「パールにそう呼ばれるのは慣れないな……やめてくれよ」
困ったように笑うローズに、パールは再び穏やかな笑みで返した。
そして、紅茶を一口飲んだあと、静かに呟いた。
「スフェーンちゃんとルリちゃんが……お世話になってるわねぇ。いつもありがとう」
ローズは首を振りながら答える。
「二人には、いつも我々も助けられているんだ。こちらこそ、大いに感謝しているよ」
ローズは一度深いため息をついた。
過去を思い出すように空を見上げたあと、パールに向かって、目元を緩ませ困ったように笑いながら言った。
「サクラがルリを連れてきた時はそれはもう驚いたぞ。数日前には恋人なんかいないって言ってたのに、いきなり、この人魚と婚約させてくれってさ!」
それに対してパールは困ったように頬に手を当て、答える。
「こっちも、ルリちゃんが急に里を出ていってびっくりしたわよぅ。一ヶ月ぐらい音信不通だから心配してたら、急に魔法で連絡だけ寄越してきて……『人間の国で伴侶と暮らすから、心配しないで』ですって!」
ローズとパールはさらに続ける。
「驚いたのは、アヤメがスフェーンと婚約してきた時もだ。ルリの結婚の挨拶について行ったはずが、まさか自分も婚約者を作って戻ってくるなんて……」
「そうなのよぅ。あの落ち着いてるスフェーンちゃんが、あんな衝動的につがいを見つけるなんて思わなかったわぁ……ふふっ」
ローズとパールは互いに見つめ合い、困ったように、愛おしそうに笑った。
「私たち、子どもたちに驚かされてばかりねぇ……」
「本当に……子育てというのは難しいな……ははっ」
しばらく笑い合った後、ローズはティーカップの縁に目線を落として、パールとの会談を望んだ核心を話し始めた。
「……今回パールを呼んだのは、確認したいことがあって……」
ローズが皆まで言う前に、パールはそれを把握していたかのように静かに頷いた。
「……『時止めの秘術』を解除するのねぇ?」
パールは、寂しさを含みつつも、親友の決意をそっと後押しするように微笑んだ。
「悠久の時を生きるのに疲れちゃったのかしらぁ?」
その言葉にローズは静かに首を振った。
「疲れたのでは……ないんだ。……愛する葵と、同じ時間を歩みたくなった……ただそれだけだ」
「そうねぇ……愛する人を失った後、長い時間を生きるのは苦しいものねぇ……わかるわぁ、ローズ」
パールは遠い目をしながら、同調するように悲しい笑顔を浮かべた。
「クロノスは大丈夫なのかしらぁ?」
「サクラに押しつけるつもりさ。サクラはサクラで、ルリと同じ時を歩みたがっている……」
パールはそんなローズの覚悟と愛を感じ取り、微笑んだ。
「……葵ちゃんに、入れ込んでるのねぇ」
ローズは目を伏せて、静かに語った。
「こんな化け物じみた私を守ろうなんて……馬鹿なことを言ったのは、葵だけだ。私の心はそれに喜ぶぐらい弱っていた。それを癒やしてくれた葵を……愛してるんだ」
自分のことを語り終えると、ローズは優しく話しかけた。
「パールもいい伴侶を得たんだろう?」
「そうねぇ、オニキスは……いい子よ」
何かを含んだような言い方に、ローズはあえてそれには触れず、紅茶を一口飲んで、パールの言葉の続きを待った。
パールは過去を想起するように目を閉じた。そして語り始める。
「最初は……打算で近づいたのよぅ。出会った時のあの子は独りだった。言葉も知らなくて……何らかの理由で親に育てられなかった子だとわかったわぁ。身体の大きさからして、およそ十歳。あの子はそれだけの時間を、たった独りで生きていたの……」
パールは手元のティーカップから、湯気がゆっくり登っていくのをぼんやりと眺めながら、続けた。
「当時の私は、私の大事な仲間たちを守る力がなくて……ずっと、それをどうにかしたいと思っていたのよぅ。友人としてのローズはいたけど、やっぱり、目の前の生命が、私の手から零れ落ちてしまうのを、どうにかしたいって……思っていたの……」
パールは自虐するように笑った。
「オニキスを初めて見た時、私は戦慄したの……。その幼さで、たった独りで、危険な海を生き抜いている。まさに奇跡の存在だったわぁ! その圧倒的な力を育んで我が物にしたら、私の大事なものを守ってくれるって……そう思って、私はその子を育てることにしたの。私にとってオニキスは、ただの道具だったのよぅ。……笑えるでしょう?」
震える声で罪を吐くように言うパールに、ローズは優しい言葉をかけた。
「パール……」
ローズは、驚きもせず、責めるでもなく、ただ静かに、長年の友が初めて見せた弱さを受け止めていた。
「……そこまで思い詰めていたんだろう。誰もパールを責めたりしない」
パールは過去を悔いるように首を振った。
「私は、あんな小さいオニキスに私の望みのすべてを背負わせたのよぅ……っ。それなのにオニキスは、私から愛をもらったと錯覚して、逆に私に愛をくれた……この私に利用されているとも知らずに……」
パールは目頭が熱くなるのを感じで、思わず両手で顔を覆った。
「ごめん……なさい。こんな話、誰にもできなかったのよぅ……」
「ははっ、それでこそわざわざ城に招いた甲斐があるというものだ。ここは私たち以外誰もいない……吐きたいだけ吐いておけ」
優しいローズの声に促されるように、パールは胸の内を吐き出した。
「今は私、オニキスを何より愛しているの……っ。でも、オニキスを騙していた……その罪悪感が……なくならないのよぅ……」
すすり泣くパールを見据え、ローズは温かい声で言った。
「過去なんて……関係ないよ、パール。今のパールとオニキスは愛し合っている。ただそれだけだ」
ローズは背筋を伸ばして、女王としての威厳を携えて言い切った。
「『現在』を大切にしろ、パール。過去をどう捉えるかは、『現在』のお前だ」
そして、声色を和らげ、優しく問いかける。
「過去のパールがオニキスを騙していたのを知ったとして……オニキスがパールを嫌うと思うか?」
パールはゆっくりと顔から手を離した。
その手を見つめながら、静かに呟く。
「赦してくれる……でしょうね。オニキスは、そういう子よ」
そんなパールの言葉を聞いて、ローズは小さく肩を揺らして呆れたように笑った。
「ははっ、だろうよ。見ていればわかる。ならお前ができるのは、『現在』のオニキスを精一杯愛することだけだな」
その言葉に、パールは笑みをこぼした。
「ふふっ……私、ローズより長く生きているのに……教えられる側になるなんてね」
「海に引きこもっているから、視野が狭いんじゃないか? 我が国はいい国だろう。いつでも来ていいぞ。話なら聞いてやる」
そんな風に笑うローズの変わらぬ温かさに、パールは心底から安堵するように微笑んだ。
「そうね……定期的に来たいとは思ってたのよぅ。私たち、この城に泊まるのが気に入ってねぇ」
ローズはパールの言葉を文字通り受け取り、屈託なく尋ね返した。
「なんだ? 風呂か? ああ……布団か。ルリも布団で寝るともう海には戻れないと言っていたな」
「それもあるんだけど……」
パールは内緒話をするように口に手を当てながら身を乗り出した。
何の裏も考えず、ただ素直にその続く言葉を聞くために顔を近づけたローズの耳に、パールはひっそりと囁いた。
「あのベッド、夜伽にちょうどいいのよねぇ……」
その言葉を聞いて、ローズは顔を真っ赤にした。
「おっ……おまえなぁっ! うちの城は二人の閨じゃないぞ!」
「いいじゃないのよぅ、減るものじゃないし……。この身体、すごく感度がいいのよぅ」
ローズは呆れたように深く溜め息をついた後、諦めたように笑った。
「……まあ、それでお前たちの仲が深まるならいいか。頼むから仲良くしてくれよ。以前オニキスが家出してきた時はルリがひどく心配してな……」
「あら、あれはあなたのせいでもあるのよ!」
二人の話は、その後も和やかに続いた。
互いに心を通わせるように、時に笑い合い、時に慰め合い。
二人はよき親友として、国交樹立会談という名のお茶会を楽しんだのだった。
ローズとパールの女子会でした。
ローズはかなりウブです。
千年間ずっと伴侶と共にいたパールと、千年生きながらも伴侶ができたのがほんの数十年であるローズの差がここに。
パールとオニキスの出会いの、パール目線の話をようやく書けました。
オニキス目線の話は「41.5. 《幕間》オニキスの家出」で語られています。
なんだかんだ今はラブラブですので、そこは安心してもらえたらと思います。




