54. 火山の国へ入国
「……この辺りが限界ですね」
キウイはゆっくり目を開けると、御者に馬車を止めるように合図した。
「これ以上は、御者の方の健康を考えると、馬車で近づくことはできません。馬車を降りて歩いていきましょう」
私たちはキウイの結界魔法が込められたペンダントで守られているが、御者はそうではない。キウイは、御者が結界なしで安全に戻れるギリギリのラインで、馬車を止める判断を下したのだ。
私たち全員が馬車を降りたあと、キウイは御者に、くれぐれもこれ以上ドワーフの国に近づかないように注意した。馬車がすぐ来た道を引き返していくのを、私たちは見送った。
私たちが今立っている場所は、ドワーフの国の眼前だった。空気はひんやりと冷たいが、草木は生い茂っていて、遠くからは鳥の鳴き声も聞こえる。
「本当に……山そのものが国なのね……」
私は事前に教えられた知識を思い出しながら、その雄大な光景を見あげていた。隣にいるキウイも頷く。
「ええ、火山を切り開いた国だと、知識では知っていましたが……想像を遥かに超えるスケールですね」
キウイはそう言うと、私たちの方に視線を戻した。
「……では、ドワーフの国まで歩きます」
キウイは私とアヤメの方を、魔力の流れを確認するように、目を細めてじっと見つめた。わずかな魔力の揺らぎすら見逃さないように、神経を集中させているようだった。
「お二人に渡したペンダントの結界は……問題なさそうですね。いいですか、ここからは、ルリ様はサクラ様と、スフェーン様はアヤメ様と、絶対に離れないでくださいね」
キウイのいつになく真剣な声に、私たちは静かに頷いた。
ルリと離れないように繋いでいる手にぎゅっと力を込めると、ルリも私に呼応するように、優しく握り返してくれた。未知の恐怖に対して怯えていた心が、ほんの僅かだけ温かくなる。アヤメもスフェーンさんの腕をしっかり抱きしめ直している。
私たちはキウイを先頭にして、草木が生い茂る道を、ドワーフの国へと向かって歩き始めた。
ドワーフの国に近づくにつれて、それまで聞こえていた鳥のさえずりや虫の音がぴたりと止み、不自然な静寂が辺りを支配した。足元の草木はまるで水を与えられていないかのように萎れている。くすんだ緑色の草は踏みしめる度に、かさかさと乾いた音を立てて千切れていく。茶色く変色した花弁は、今にもこぼれ落ちそうに頭垂れていた。
その光景を見て、私は思わず息を飲む。これがドワーフの国を蝕む瘴気の影響なのだろうと、肌で感じとった。
「この結界……すごいですね」
「イヤな魔力が、ぜんぜん入ってこないね! キウイ、さすが!」
瘴気を感知できるアヤメとルリは、結界の効果を十分に理解しているようだった。
私は二人と違って瘴気を感じ取ることはできない。けれど、胸にあるペンダントからは確かに温かい魔力が伝わってきて、護られているのを実感した。それはまるでキウイが常に側にいてくれるかのような、心強い温かさだった。
「お褒めいただきありがとうございます。しかし、結界もなしにあの国で暮らしているドワーフの方々は、ご無事なのでしょうか……」
キウイが心配そうな顔をして言ったその言葉に、皆の顔が一様に暗くなった。辺りの枯れ果てた荒野が、ドワーフの国に住む人たちと重なり、胸が締め付けられる。
「フィオーレ王国として支援を申し出た時、『自国で解決する』と言ってなかなか受け入れてくれなかったそうだから……。最悪の事態にまでは、なっていないのだと思うわ……きっと」
私が口にしたその言葉は、まるで自分に言い聞かせるようで、ドワーフたちが無事でいて欲しいという切なる祈りだった。
少し歩いたところで、ドワーフの国の関所に辿り着いた。瘴気の影響か、関所に並ぶ商人などはおらず、活気が失われた静寂が辺りを包みこんでいた。
「私が関所に話を通して参りますので、皆様はこちらでお待ちください」
そう言うとキウイは、足早に関所に向かっていった。門番としばらく話をして、すぐに戻って来る。
「お待たせしました。皆様、あちらへとうぞ。すぐにマレット伯爵様が、お迎えにいらっしゃるそうです」
「ありがとう、キウイ。いろいろ任せちゃってすまないわね」
今回の旅では従者としての役目を全てキウイがこなしてくれている。このような役目は本来、側仕えなどがやるべきことで、宮廷魔術師はどちらかと言えば、ゆっくり座っていてもいいような身分だ。
「問題ありませんよ。私、できるメイドですから」
キウイはいつものように調子よく笑いながらそう言った。そんなキウイの言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
しばらくすると、関所の扉が、ギイ、と音を立てて開いた。中から出てきたのは、少し背の低く引き締まった身体の、褐色肌のドワーフだった。ふわっとウェーブした茶色の髪は無造作に肩辺りで切られていて、勝ち気そうなつり上がった目は、髪と同じ茶色をしている。その手は小さくとも骨張っていて、いくつもの古い傷跡や硬いタコが刻まれている。まさしく、ハンマーを握り続けてきた職人の手だった。
「伯爵のマレットです。あなたたちがフィオーレ王国の方たちですね?」
マレット伯爵は、どこか警戒しているような眼差しで私たちを見つめている。その表情は固く、威圧感さえ感じるほどだった。その威圧的な雰囲気に他の皆が身を強張らせる。私が代表して挨拶しようと一歩前に出ると、心配そうな顔のルリが私の腰のあたりをきゅっと押してくれた。
「フィオーレの姫、サクラと申します。どうかドワーフの皆様のお力になりたいと思っています。よろしくお願いいたします」
「…………」
マレット伯爵は私の挨拶に対して返事をすることはなく、代わりに鋭い目つきで私たちの方を――正確に言えば、明らかにその視線の先にルリを捕らえて、そのどこまでも深い藍色の瞳を、威嚇するように睨みつけていた。私はその視線から、まるでルリの存在をドワーフの国に持ち込んではならない「異物」のように拒否する意思を感じ取り、思わずルリを庇うように立ちはだかった。
「……こちらへ。フォルナ公爵の元へ案内します」
マレット伯爵はまるで私たちとの会話を拒絶するように、静かに振り返ってすたすたと歩き始めてしまった。戸惑う私たちを気にする様子もない。
その場に残された私たちは、沈黙の中で顔を見合わせた。どこまでも純粋で綺麗な心のルリには、その張り詰めた空気を察することはできなかったようで、きょとんとしている。アヤメは場の空気のものものしさに、不安そうに眉を下げていた。愛する妹に露骨な拒絶の視線を向けられたスフェーンさんは、気に入らないものを見るように目を細めている。キウイに至っては私たちに対する明確な敵意と受け取ったのか、冷徹な鋭い眼差しでマレット伯爵の背中を睨みつけ、警戒の意を露わにしていた。
歓迎されていない空気をひしひしと感じながらも、ひとまず彼女に着いていくしかないと判断した。私たちは無言で頷き合い、マレット伯爵の後に続いた。
うーん、イヤな感じ……!
「人魚と姫」は「最後はみんなハッピーエンド」を目指しているので、純粋に悪い人はいません、とだけお伝えしておきます。
ここから4話ほど、シリアスな話が続きます。
女の子たちのキャッキャウフフを楽しみに「人魚と姫」を読んでいる方々は、しばらく風邪を引かないようにご注意お願いします……!
4話おわったら、少しほのぼのしますので……!




