45. 女王の我儘
「サクラちゃんと何を話していたの?」
寝支度を終えて専属メイドが退室した後、葵は徐ろにローズに尋ねた。ローズはそう問われることを織り込み済みで、あらかじめ用意していた答えを口にする。
「……サクラの人生相談だよ」
「わざわざ庭園を使うなんて、私に話せないこと?」
葵が後ろからローズにふわりと抱きつく。二人分のヘアオイルの匂いが混ざって、ほんのりとした花の匂いが鼻をくすぐった。
そのままローズを膝に乗せ、葵はベッドに腰かけた。『時護りの秘術』により成長が止まったローズは、未だ20歳にも満たない容姿をしている。葵の方が高身長であるのも相まって、見た目だけで言えば、二人は親子のようであった。
「まあ、そういうことだ」
背中から回された葵の手に、ローズはそっと自分の手を重ねた。葵はローズの、それ以上他の言葉を続けようとしない様子から、ローズが事情を告げるつもりはないことを悟る。もっと言えば、ローズとサクラが刻凍の回廊庭園に籠もった際から、何かを秘匿しようという明確な意思を感じ取っていた。
しかし葵はそこに悲しさや怒りを感じてはいなかった。長く連れ添った経験から、これは葵への気遣いであることはわかっていたからだ。
「本当に……ずるい人。いつも一人で解決してしまうんだから」
抱きしめる腕に力を込める。その脆く壊れそうな華奢な肩に伸し掛かっている見えない重圧を、ほんの少しでも自分に分けてもらえたらいいのに。葵は常日頃からそう、歯痒く思っている。
「ルリちゃんのお母様……パールさんと、お知り合いだったのね」
結婚式の日、サクラとルリの部屋にて、ローズと葵は部屋の水場から出てくるルリの家族たちを迎えた。
まず、道案内役のルリが顔を出す。そして、次に顔を出したのは、まるで夜の闇を切り裂く月光が形を得たかのように、髪も瞳も鱗も全てが純白に輝く、美しい人魚だった。
『パール……っ!? お前、パールなのか!?』
『ローズ……あなた、ローズなのねぇ? 久しぶりだわぁ!』
そう叫ぶと、二人は互いの温もりを確かめるように抱き合った。その様子は「感動の再会」そのもので、二人の間にただならぬ絆があることはその場にいた誰から見ても明らかだった。
「……ただの友達だぞ?」
実のところ、葵はローズの実年齢を知らなかった。ローズの身体は成長が止まった状態で、老いることはないという事実だけは知っていたが、それ以外の詳しいところは教えられていないし、あえて聞くこともなかった。二人が結ばれるにあたって、それらはさして重要なことではなかったからだ。なので、あの再会がよもや千年越しの再会であろうとは、葵は想像すらしていなかった。
「そういうのを、気にしているわけじゃないのよ。……私、あなたの昔の恋人がいたとして、それに嫉妬するような人に見える?」
「いいや。むしろ、もう少し妬いてくれた方が嬉しくなるかもしれない」
ふっと笑った後、ローズは静かに葵の膝から下り、葵の方に向き直った。そして、そっとその頬に触れる。
「葵にはいつも……負荷をかけてしまうな」
ローズが俯きながら言った言葉に、葵はふわりと微笑んだ。頬に当てられたローズの手を、そっと自分の手で包み込みながら、ゆっくりと首を振る。
「むしろ、もっとかけて欲しいわ。私、あなたを支えたいのよ」
葵はその瞳に、揺るぎない愛を込めてローズを真っ直ぐに見つめる。
「ローズは出会った時から、一人で無茶をする人だったから……ねえ、覚えてる?」
「何度も説教されたからな。忘れるはずがない」
ローズと葵が出会ったのは、フィオーレ王国とナデシコの国の、合同で訓練を行なっていた、とある訓練場でのことだった。
ローズはフィオーレ王国の女王として、葵はナデシコの国に所属する若き騎士として、そこにいた。
その日の訓練では、トラブルが発生した。訓練の音に興奮したのか、狼の魔物の群れが訓練場に乱入してきたのだ。
ローズは訓練に参加していた兵を全て退避させると、たった一人で狼の群れと相対することを宣言した。中に誰も残っていないのを確認し、静かに訓練場内に単身で足を踏み入れた。狼の牙がローズの首筋に迫り、皆が悲鳴を上げた。だがその瞬間、ローズの――実のところは、クロノスの――時止めの魔法によって、狼たちは一匹残らず動きを停止していた。
全ての狼に時止めの魔法がかかったことを確認した後、静かに周囲を見渡した。その時、ナデシコの国の騎士団長の制止を振り切って今にも突入しようとしていた葵と目が合い、ローズが声をかけた。
『私は動きを止めることしか得意でないのだ。すまないが、奴らにとどめを刺してくれないか?』
そう語りかけるローズの姿は、まるで一陣の風に吹き消されてしまいそうに、か細く見えた。葵は、彼女を護る盾が必要だと、心からそう思ったのだった。
「あなたってば、女王なのに親衛隊もいないんですもの。当時は驚いちゃったわ」
そこから葵は、迷うことなくナデシコの国からフィオーレ王国に移住し、女王ローズを護る盾となるべく、親衛隊を立ち上げた。結界魔法への適性がめっぽう強い宮廷魔術師を雇い、国力の強化も図った。その全ては、親愛なるローズのためだった。
「何を隠しているかは聞かないし、興味もないわ。でも……一人で抱え込まないでね、ローズ」
葵は心配と愛情を込めた目でローズを見つめる。その視線から逃れるように、ローズはベッドに腰掛けたままの葵の頭を、その胸にそっと抱きしめた。
「ありがとう……そろそろ寝ようか」
サクラの前では葵に話を聞かせない理由を「葵に変に期待を持たせたくない」と言ったが、それだけが理由ではなかった。ローズは自分の実の年齢や、抱えている運命を、ただ葵に知られたくなかったのだ。
今までローズの運命を知ってきた者たちは、まるで神聖なものを見るように、畏敬の念を持ってローズを見てきた。しかしローズは、葵にはそんな目で見てほしくなかった。葵とは、女王と后という関係ですらなく、ただ純粋に恋人としていたかったのである。
「おやすみ……愛しの葵」
ローズは葵の額にそっとキスをした。
葵の優しさが胸に突き刺さる。それでも、この温もりを手放したくない。どうしても、葵と一緒にいたいと願う。それはローズが、長き人生の中で抱いた、最大の我儘であった。
何気にローズと葵の二人きりの時の様子を書くのは初めてです。長齢組の年齢がバグってるだけで、葵も十分いい大人ですよね。




