136. メイドたちの結婚式
ヴェール越しの、白く霞んだ世界。
その膜の内側でチェリーは、自身の心臓が、とくんとくんと激しく鳴り響くのを感じていた。
隣に並ぶキウイと、どちらからともなく腕を組む。
絡めた腕にきゅっと力を入れて引き寄せると、重なる肌から鼓動がキウイに伝わってしまいそうだ。
キウイも呼応するように、チェリーの腕を強く抱き込み返してくる。
視線を送ると、ヴェール越しでもはっきりわかるほど、キウイの透き通った緑の瞳が自分だけをみている。
まるでその視界には、チェリー以外のものは映っていないかのようだ。
「扉を開けるわよ? 準備はいいかしら」
サクラが、弾むような、そして――姉のように優しさに満ちた声を上げる。
「本当に……私たちのために、すみません。使用人のようなことをさせてしまって……」
申し訳なさに身を竦めつつも、隠しきれない感謝に顔をほころばせるチェリーに、サクラが柔らかく目を細めた。
「私たちの結婚式の時は、二人が扉を開けてくれたでしょう。だから今日は、私たちがその役目を……二人の幸せな未来を開くお手伝いをさせて欲しいのよ。……ね、ルリ?」
「そうだよ! キウイとチェリーが最高にかわいくて、しあわせになれる、ケッコンシキ……わたし、とってもたのしみにしてたんだから!」
二人の温かい言葉に、張りつめていた緊張が、陽だまりに触れた氷のように溶け出していく。
「ふふっ、ありがとうございます。キウイさん……いいですか」
「私はいつでもよろしいですよ、チェリーさん。私の隣にいるこの美しい花嫁さんを、早く皆様に見せびらかしたくて、うずうずしています」
誇らしげに咲き誇った大輪のアマリリスのような、隠しきれない自慢げな微笑み。
キウイの瞳に映る自分は、どれほど輝いて見えているのだろうか。
あまりにもまっすぐすぎる言葉を向けられて、チェリーは呆れたように笑いつつも、ふんわりと熱を持った頬を緩めた。
「……もう、キウイさんったら、相変わらずなのですから……」
チェリーは、手首にしっかりと結びつけられた、シャクヤクの花のリストブーケを一度だけ見つめた。
絹のような花弁が、緊張で強張った肌を優しく撫でる。
「……では、行きましょう。お願いします、サクラ様、ルリ様」
サクラとルリが、タイミングを取るように、顔を見合わせて頷く。
重厚な扉が、未来へのファンファーレのように、ゆっくりと開け放たれた。
――扉が開いた瞬間、世界の色が鮮やかに塗り替えられた。
押し寄せる割れんばかりの拍手と歓声に、一瞬、夢見心地な気分になる。
けれど、隣で腕を組むキウイの滑らかな肌の温かさが、チェリーをこの幸福な現実へと繋ぎ止めていた。
隣のキウイと目線を合わせて、深く頷き合う。
二人はゆっくりと、まっすぐに、祝福の嵐の中へと歩みを進めた。
城のメインホールは、溢れんばかりの人で埋め尽くされている。
その中央に敷かれた、自分たちの歩む道を示すような、真っ赤なバージンロード。
二人が歩くバージンロードの頭上には、見たこともないほど繊細な、クリスタルで象られたような花々がいくつも浮遊していた。
「わぁ……キウイさん、あれは?」
驚きに目を見開くチェリーの耳元に、キウイがいたずらそうな声で囁く。
「……さあ、ショータイムですよ、チェリーさん。私の最愛の花嫁さんに、最高の光景をお見せしましょう」
キウイが、リストブーケのついた右手を、優雅に、まるでタクトを振るように天へと掲げた。
その指が虚空をなぞるたび、浮かんでいた花の結界が、ふわり、ふわり、と華やかに散っていく。
弾けた結界の破片がダイヤモンドダストのようにきらきらと瞬く。
その輝きの中から、鮮やかな色とりどりの花びらが、スローモーションのように舞い落ちた。
「綺麗、です……」
視界を埋め尽くす光の雨と、祝福の花びらに、チェリーがうっとりとした感嘆の声を出す。
はらはらと落ちてきた一枚を掌で受け止めると、それは確かな花の香りを纏っていた。
「この日のために、宝石ではなく花びらを核にした結界魔法の固定方法を編み出して……おっと、今はそういうのを語る場ではありませんね。すみません、つい興奮してしまって」
少しだけ決まり悪そうに微笑むキウイ。
この一瞬の「綺麗」のためだけに、一体どれほどの時間を研究に費やしたのだろう。
「ふふ……いいのですよ。そういう、魔法に夢中なキウイさんが、私は好きなのですから」
その重すぎるほどの情熱が、舞い踊る花びらの一枚一枚に込められているようで。
チェリーは呆れたように、そして愛おしそうに目を細めながら、歩みを進めた。
一歩、また一歩踏み出すたびに、キウイの指先を踊らせるたびに、頭上でクリスタルの花が解けていく。
きらきらと光が輝くたびに、ホール中の使用人たちから、わあっと歓声が上がり、会場は驚きと喜びに満たされた。
真っ赤なバージンロードは、瞬く間に舞い落ちた色とりどりの花びらで埋め尽くされ、二人の足元を柔らかく祝福している。
やがて、メインホールの中心に辿り着く。
足を止めたキウイが、掲げていた手をゆっくりと降ろし、チェリーの左手をそっと取り上げた。
リストブーケのシャクヤクの香りがふわりと舞い上がると同時に、手の甲にキウイの柔らかい唇が押し当てられる。
――瞬間、空気が震える。
二人を包み込むように、虹色の燐光を湛えたドーム状の結界が展開された。
それを合図にしたかのように、周囲の拍手も、感嘆の声も、一切の音と切り離される。
残されたのは、シャクヤクの香りと、二人の心臓の音だけが響く完全なる静寂だ。
ふわりふわりと蛍のような光が舞うこの小さな世界に、二人で迷い込んでしまったようだった。
「キウイさん、これは……ひゃうっ」
言いかけた言葉は、ぐい、と有無を言わせない力で腰を強引に引き寄せられた衝撃に掻き消された。
その腕に閉じ込められ、逃げ場を塞ぐように密着させられた身体から、キウイの熱い体温が直に伝わってくる。
「……防音結界です。ここは、私たちだけの世界ですよ。……さあ、誓いの言葉を交わしましょう」
外界の音から隔離された完全なる沈黙の空間。
その中でチェリーの鼓膜を震わせるのは、キウイの甘く誘うような少し低い声と、熱い吐息だけだ。
その近すぎる距離に、チェリーの心臓はさらに激しく、警鐘を鳴らし始めた。
「こ、これ人前式ですよね……? 誓いの言葉を皆様に承認してもらわなければ……っ」
焦るように言うチェリーの腰を、キウイがさらに引き寄せる。
周囲を見渡せば、会場の端の壁際で、サクラとルリが「やれやれ」と苦笑いしているのが目に入った。
キウイの指先がチェリーの顎を優しく上向かせ、チェリーの視界を白く霞ませていたヴェールを、宝物を愛でるような手つきで、ゆっくりと捲り上げていく。
静寂の中で、二人の呼吸の音に混じって、絹が擦れる音がチェリーの耳に届いた。
剥き出しになった視界。
そこに映ったのは、まだ自身のヴェールを下げたまま、ひどく妖艶に、愛おしさを込めて目を細めるキウイの顔だった。
まだ一枚のヴェールを隔てているのに、その緑の瞳だけは、恐ろしいほど鮮明にチェリーの心臓を射抜いている。
「……私たちは今、こうして皆さんの前で手を取り合っています。誓い合ったという事実だけ『認識』いただければ、それで十分ではありませんか」
キウイの指先が、チェリーの頬を熱くなぞる。
「私の誓いは、チェリーさんだけのものです。他の者に聞かせる必要はありませんし、ましてや私たちが愛し合うのに、誰かの『承認』なんて必要ないでしょう?」
有無を言わせない、独占欲に満ちた理屈。
チェリーは「そんなの屁理屈です」と言い返そうとして――自分を見つめるキウイの瞳に宿った、あまりにも純粋で重い熱量に、毒気を抜かれてしまった。
……ああ、この人は。
この完璧な静寂の中で、二人だけの「誓い」だけがあれば、それでいいのだ。
「……本当に、キウイさんは自由なのですから……。わかりました、降参です。……ふふっ」
チェリーがキウイの頭に被せられたヴェールに手を伸ばした。
白く霞んだ薄布の向こうで、キウイの緑色の瞳が、満足そうに細められる。
ゆっくりと、ヴェールを押し上げる。
ヴェールの内側に入り込んだチェリーの指先に、キウイの熱い吐息がかかった。
完全に視界が開け、二人の視線がまっすぐに絡み合う。
「キウイさん……では、誓いの言葉をお聞きいたします」
チェリーの言葉に呼応するように、キウイがチェリーの耳元へと顔を寄せた。
唇が耳に触れるほどの至近距離で、自身の心音が鳴り響くチェリーの鼓膜に、キウイの誓いが直接流し込まれる。
「チェリーさん、この私の命の全てを貴方に。チェリーさんを苦しめるあらゆる事象から私が盾となってお守りし、私に訪れるはずのあらゆる幸を全てチェリーさんへと捧げます」
それは、誓いの言葉という体裁を借りた、キウイ自身が望んでチェリーに縛られるような、まるで呪いのような契約だった。
自分が盾になれば、愛しい人は傷つかない。自分の幸せを全て譲れば、愛しい人は誰よりも幸せになれる。
そんな、算術の答えから導き出したような、あまりにも単純で、純粋で、そして歪な愛。
チェリーを幸せにするために、その不幸を全て引き受け、逆に幸福を全て差し出そうとする。
逃げ場を塞ぐような熱い囁きに当てられて、チェリーは呆れたように――そして、この重すぎる愛を生涯かけて受け止める覚悟を決めて、優しく微笑んだ。
「次は、チェリーさんの誓いをお聞かせいただけますか?」
「はい……っ」
チェリーは参列者から承認を得るために用意しておいた「誓いの言葉」を口にしようとして――その言葉を飲み込んだ。
ここには外界から切り離された、二人だけの聖域だ。
ならば、建前など要らない。
チェリーはキウイの肩に、こてん、と頭を預けた。
耳を寄せたキウイの鎖骨から伝わってくる、とくん、とくん、という確かな脈動が、チェリーの心を落ち着かせていく。
チェリーは静かに瞳を閉じて、唇に本音の言葉を載せた。
「キウイさん……ずっとずっと、永い間、私のことを想っていてくれてありがとうございます」
重なり合う肌から伝わるキウイの体温。
それを抱きしめるように、チェリーは未来への祈りを込めて言葉を紡ぐ。
「キウイさんが今まで、独りで抱えてきた寂しさを、ぜんぶ塗り替えてしまうぐらい。……これからは、ずっとずっと……たっぷり、溢れるぐらいの愛を差し上げます。……それが、私の、誓いです」
――その瞬間。
身体を預けているキウイの肩が、電流が走ったかのように、ぴくりと跳ねた。
顔を上げると、そこには驚愕に緑の瞳を見開くキウイの姿があった。
「……っ」
唖然とした様子で、微かに唇を震わせるキウイ。
キウイの瞳の奥に宿る知性の光が、乱反射するように激しく揺れ動いている。
それはまるで、チェリーが今しがた口にした言葉が、キウイの中で止まっていた何かを、静かに、けれど決定的に動かしてしまったかのような――。
「キウイ、さん……?」
不安になって名を呼ぶ。
するとキウイは、弾かれたように瞬きを繰り返し、何度も深く、鋭い呼吸を繰り返した。
それはまるで、昂ぶる脳を鎮めるために、必死に酸素を求めているかのようだった。
やがてキウイは、込み上げてくる何かを必死に抑え込むように口角を上げると、清々しい微笑みをチェリーに向けた。
「……チェリーさん……っ。ああ、そういう、ことだったのですね……っ。私は、ようやく、答えを……っ」
キウイは一度、何かを振り払うように強く瞬きすると、震える指先で自身の熱を冷ますようにこめかみを押さえた。
「……いいえ……すみません、取り乱してしまいました。あまりに、チェリーさんの言葉が……愛らしすぎて。……ありがとうございます、チェリーさん。誓いの言葉……今、私の全てを懸けて、確かに受け取りました」
そう言ったキウイの瞳は、まるで見たこともない数式を解き明かした後のように、ひどく熱く、それでいてどこか晴れやかだった。
ぎゅうっと、痛いほどの力で抱きしめられる。
キウイの身に何が起こったのか、チェリーには理解ができていない。
けれど、二人を包む空気が、これまでよりもずっと澄みきったものに変わったことだけは、肌を通して伝わってきた。
「……チェリーさん。私の、愛しい人」
キウイが腕の力を緩め、チェリーの肩を掴んで静かに距離を置く。
見上げた先、露わになったキウイの緑の瞳は、何かに救われたような静謐さと、狂おしいほどの情愛を湛えて潤んでいた。
「私たちだけの、誓いを……唇で、承認しましょう」
キウイの長い指先が、チェリーの頬を熱くなぞり、そのままそっと包み込む。
チェリーはその、二人の魂を一つの運命に縛りつける招待状を、しっかりと受け取った。
小さく頷き、キウイの腕に手を添えて、自分からも顔を寄せる。
防音結界の密室。音のない世界。
蛍のような光が舞う中で――ゆっくりと、二人の影が重なった。
一瞬だけ触れ合ったのは、綻ぶ花弁が重なるように柔らかく、けれど確かな熱を帯びた唇。
心臓の鼓動だけが響く静寂の中で、唇をほんの少しだけ離し、互いの呼吸と、誓いの余韻を分かち合う。
(私たちは――本当に、一つになったのですね)
チェリーがその深い充足感に息を吐き出した、その時。
キウイが名残惜しそうな表情をしながら、リストブーケのついた右手を掲げ、指先で中空を弾いた。
――ふわり。
二人を外界から隔てていた虹色の燐光が、極彩色の光の粒となって空へと弾け飛ぶ。
遮断されていた世界の音が、一気に洪水のように流れ込んできた。
地響きのような拍手。
サクラやルリ、城の使用人たちの祝福に満ちた大歓声。
光の粒子が祝福の星屑のように降り注ぐ中、チェリーは眩しそうに目を細め、隣で誇らしげに、そして最高に幸せそうに微笑むキウイを見つめた。
一瞬にして喧騒に包まれた世界。
けれど、チェリーの横で寄り添うキウイは、そんな周囲の熱狂などどこか遠い出来事のように聞き流していた。
未だ夢見心地でいるチェリーの頬を指先で優しく撫で、耳元で楽しげに囁いた。
「……さて。二人の時間は堪能しましたし、次は皆さまに幸せをお裾分けいたしましょう」
そこには酷くしたり顔で、会場の人々に「どうです?」と言わんばかりの不敵な視線を送るキウイがいた。
それは、「承認」なんて言葉をすっ飛ばして、自分の愛の正しさをただひたすらに見せびらかす、ひどく純粋で傲慢な――自分の愛するキウイの表情だ。
キウイは無言のままチェリーの正面に回り込むと、ぐいっと肩を引き寄せた。
そのまま、迷いのない所作でチェリーの胸元へと顔を寄せる。
白薔薇のコサージュが揺れ、ビスチェスタイルのドレスの端から覗く素肌――チェリーの心臓が鳴り響くその真上に、キウイの唇が、深く落とされた。
「っ、キウイさん……っ!?」
衆人環視の中での大胆な仕草に、思わず肩がぴくりと跳ねた。
肌に伝わる生々しい唇の熱に、恥ずかしさで意識が飛びそうになった、次の瞬間だった。
キウイの口づけを起点に、純白だったドレスが、波紋のように色を変えていく。
それはキウイの瞳の奥に宿る鮮やかな色彩をそのまま溶かし込んだような、透き通るように瑞々しい新緑の色。
そこに、虹色の光の粒が刺繍のように舞い散り、宝石を散りばめたようにきらきらと瞬いた。
お色直しの魔法をかけ終えて顔を上げたキウイは、驚きに唖然とするチェリーに、自分の胸を指差して誘うように微笑んでみせた。
「……もう。仕方がないですね」
チェリーは観念したように笑い、キウイの肩を掴んだ。
今度は自分から、キウイの心臓が脈打つ場所に、静かに唇を寄せる。
唇を離すと、キウイの純白のドレスは、チェリーの瞳と同じ――情熱を秘めたワインレッドへと鮮やかに染まり変わっていた。
新緑と深紅。
互いの色を纏いあった二人の花嫁。
会場を埋め尽くした参列者たちは、奇跡のようなその変容を目の当たりにして、一拍置いてから、地響きのような、この日一番の歓声を上げた。
「……さて、祝宴の始まりです。皆様にこの美しい花嫁姿を見せて差し上げませんと。素敵なウェディングケーキも私たちを待っています。……参りましょう、チェリーさん」
「はい、キウイさん。どこまでも一緒に」
キウイは満足げに目を細めると、そっとチェリーの右手を取った。
ひどい自信家で、歪に重い愛をくれる、愛しくてたまらない人。
握りしめた手のひらから伝わるのは、二人の人生が混ざり合ったような、確かな熱量。
踏み出した一歩ごとに、色とりどりの花びらが宙に舞う。
最愛の人の「妻」となった確かな自覚を胸に刻みつけながら――チェリーは隣を歩くその人の歩調に合わせ、光溢れる未来へと、迷いのない足取りで踏み出していった。
おめでとう、チェリー! おめでとう、キウイ……!
二人の誓いの言葉は、"Private Vows"という誓いの言葉の形式を参考にしました。
知った瞬間、二人に(というかキウイに)ぴったりと思いまして!
本来は、挙式前後に二人きりで行ったり、読み上げずに手紙でやり取りしたりするそうです。式中に引きこもってやることではありません(笑)
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
これにて長くに渡った五章、完結です。
次章は国外に出て「時魔法の真髄」に絡む話を書く予定です。
続きの六章は、一週間ほど置きまして【02/02(月)】に開始予定です。
今しばらくお待ちください!
※ムーンライトノベルズにて、初夜のエピソードを公開中です。




