134. 貴方を純白に染める
キウイの背中に、縦に規則通りに二列に並んだ、白いループ。
メイド服に身を包んだチェリーは、そこに同じ色の紐を滑らせた。
一番上のループに紐を通し、丁寧に左右の長さを揃える。
そこからは一段ずつ。
右から左へ、左から右へ。
きゅっと紐を引き締めながら、一本、また一本と交差させるたびに、キウイの背中が少しずつ「花嫁」の形に絞られていく。
衣装合わせで、もう何度も行った、手慣れた作業。
それでも今日という日の特別感が、チェリーの意識を研ぎ澄ませていく。
紐を操る指先が、透き通るような白い肌や、繊細なレースを掠めるたび、チェリーの胸が熱い緊張で震えた。
最後のループに紐を通し、ぐっと強く引き締めると、キウイの細い肩がわずかに跳ね、熱を帯びた吐息が小さく漏れる。
「これで、結びますけれど……苦しくないですか?」
背後から囁くと、鏡越しのキウイがまっすぐにチェリーを見つめながら、うっとりと微笑んだ。
「……ええ、問題ないです。チェリーさんの愛で締めつけられているようで、大変に心地がいいですよ。このままお願いします」
「ふふ、なんですかそれ」
最後に一番下で紐を交差させる。
滑らかなシルクの感触を指先で慈しむように、ゆっくりと、決して解けないように丁寧に固く輪を作った。
ふわりと出来上がった蝶の結び目は、まるでキウイの背に止まった真っ白な祝福のようだ。
「よし、留め終わりました。……さあ、キウイさん、こちらを向いて……綺麗なお姿を見せてください」
キウイがスカートの裾をふわりと持ち上げながら、ゆっくりとチェリーの方に振り返った。
重厚なサテンが床と擦れ、衣擦れの音がさざ波のように響く。
そして、チェリーが目にしたものは――。
視界を埋め尽くす、圧倒的な白。
それは、衣装合わせで何度も見たはずの装衣ではない。
今日、祝福の光を浴びるキウイが身に纏うことで、初めて生命を宿したような、真の「ウェディングドレス」だった。
振り返ったキウイの顔には、いつもの冷静な宮廷魔術師の面影はない。
頬を微かに上気させ、少しだけ照れるように細められた瞳に、長い睫毛が落ちる。
いつも魔術書を読み耽っているときの鋭い知性は影を潜め、代わりに、柔らかく咲き誇る紫陽花のような微笑みを湛えている。
自分を射抜く緑色の瞳は、熱に浮かされたように潤み、隠しようのない独占欲を孕んでチェリーを捉えている。
整えられた茶色のショートヘアから覗く耳飾り――自分の瞳と同じ、鮮やかなルビーが、キウイの白い肌の上で、妖しく、誇らしげに、煌めいた。
昨日の夜に細やかに角度を調整した白薔薇のコサージュは、キウイの呼吸に合わせて静かに上下し、キウイの端麗な顔立ちをこれ以上なく引き立てていた。
繊細なレースの下で、とろみを帯びたサテンがすらりと流れ、キウイの凛とした立ち姿を際立たせる。
余計な広がりを削ぎ落としたその白い衣は、キウイがわずかに重心を移すたび、しなやかな脚の曲線を一瞬だけ浮き上がらせては、また艷やかな光沢の中に隠してしまう。
自らの手で一針ずつ縫い留めた純白の花々が、今はキウイの体温を帯びて誇らしげに咲き誇り、これから始まる二人の幸せな時間を祝福しているようだった。
「……完璧です。キウイさん、本当に……お綺麗です……」
目頭が熱くなるのを我慢しながら、チェリーはなんとかその言葉を紡いだ。
「綺麗」なんて言葉じゃ足りないけれど。
熱いものでいっぱいになった胸に耐えながらでは、その短い一言を出すので精一杯だった。
目の前にいるのは、もう、同じ城で同じ主に仕えてきた、見慣れた仲間ではない。
チェリーの愛を身に纏った、世界でたった一人の、自分だけの「花嫁」だ。
「チェリーさん……」
キウイがおもむろに両手を広げる。
その瞳は、蕩けるような甘い熱を帯びて、自分の所有者であるチェリーを誘っている。
その胸に今すぐ飛び込んでしまいたい、という衝動が、チェリーの理性を揺さぶった。
――けれど、まだ今はその時ではない。
「……もう、キウイさん。そういうのはまだでしょう? それに……サクラ様とルリ様もおられるのですから」
「あら、私たちがお邪魔なのかしら?」
名前を呼ばれて、部屋の隅でソファに座るサクラが、いたずらそうに笑う。
「目を閉じておいた方がいいなら、そうするわよ? ねぇ、ルリ」
「ふふっ、チェリーもサクラといっしょではずかしがりやさんなんだねぇ」
からかうようなサクラとルリの言葉に、チェリーは呆れたように、けれど楽しそうに笑った。
「もう、サクラ様に、ルリ様まで……ふふ、いいのですよ。私、まだメイド服ですし」
チェリーは照れ隠しに笑いながら、部屋の隅に用意しておいた、背もたれのない椅子を持ち上げた。
キウイの傍に歩み寄ると、わずかなサテンの衣擦れ音とともに、吸い寄せられるようにキウイのすらりとした手が伸びてくる。
その白い指先が、チェリーの腰元で結ばれたエプロンのリボンを、解く予行演習をするかのように静かに絡め取る。
「私もチェリーさんの……このメイド服を剥ぎ取って、ウェディングドレスを着付けて差し上げたいのですが……」
キウイが縋るような、それでいて独占欲の滲むような瞳でチェリーを見据え、その指先で愛おしむようにリボンの結び目をなぞった。
冗談だとわかっていても、その熱い眼差しにチェリーは少しだけ背筋をこそばゆく感じながら、たしなめるようにその手をぽんぽんと叩いた。
「そんなことしたら、せっかくのウェディングドレスが着崩れてしまうでしょう? ダメですよ。ほら、こちらに座って待っていてくださいね」
チェリーは「失礼します」と断りながら、キウイのウェディングドレスの裾を、後ろから手早く捲り上げた。
最低限に開けた隙間から、スカートの中に椅子をすっと差し入れる。
椅子ごとドレスで包み込んでしまえば、座っても生地が重みで傷んだり、無粋な皺が寄ったりすることはない。
婚礼衣装を扱う際の、正しい、伝統的な作法――頭ではそう理解している。
けれど、椅子を差し入れる瞬間、純白のレースの隙間から目に飛び込んできたのは、キウイのしなやかな肢体を包むドロワーズと、そこから覗く、引き締まっていながらも柔らかそうな太腿だった。
あまりに無防備で、それでいて眩しいその白さに、チェリーは思わず息を詰めた。
恋人として、婚約者として、もう何度も触れ合ったはずの肌なのに。
「花嫁」という特別な装いのせいか、それはまるで初めて目にする神聖な供物のように見えて、チェリーの心臓は無作法なほど跳ね上がる。
逸る呼吸を抑え込みながら、ドロワーズに包まれたキウイの腰が椅子にしっかりと着地するのを見届ける。
吸い寄せられるような視線を無理やり引き剥がして、すぐにスカートの重厚なサテンを元通りに降ろした。
乱れた呼吸を整えるように、チェリーは一度、深く息を吐いた。
ふと顔を上げると、すべてを見透かしたように微笑むキウイと至近距離で視線がぶつかり、また心臓が小さく跳ねた。
「……っ。……では、私は隣の部屋で……」
沸騰しそうな頬を隠すようにして、チェリーがふいっと扉の方に向き直った、ちょうどその時。
凛とした、けれどどこか温かみのあるノック音が、部屋に響き渡った。
チェリーが返事をしながらそっと扉を開けると、そこには見慣れた二人がいた。
「あっ、カシスお母様、ヘーゼルお母様!」
扉の向こうにいたのは、チェリーの二人の母親だった。
ベテランメイドとしてチェリーを厳しく指導し、立派な専属メイドに育て上げたカシス。そして、厨房から甘い幸せを届けるパティシエのヘーゼルだった。
自分を一人前の王城の使用人にしてくれた師であり、いつも母として見守ってくれる二人だ。
「時間がかかってしまって申し訳ありません、今からお部屋を移動しようとしていたところで……」
「急かしに来たわけではありません」
慌てて謝罪の言葉を口にしたチェリーを遮るように、カシスは優しくその頭を撫でた。
大人になってからは久しくなかった、けれど記憶の底にあるのと同じ温もり。
その安らぎに、チェリーの強張っていた肩の力がふっと抜ける。
「先にキウイさんにご挨拶しておこうかと思ったのですよ。会場は人が多くて落ち着かなさそうですから」
「そうだったのですね。ちょうど今、お着替えが終わったところなのです」
チェリーに招き入れられた二人は、まず部屋の隅に座るサクラとルリに、丁寧な一礼を捧げた。
サクラが「気にしないで」と優しく手を振るうのを確認すると、二人の視線は純白の装いを纏うキウイへと注がれる。
「キウイさん……とてもお綺麗です」
カシスの落ち着いた、確かな祝福を湛えた声が部屋に響く。
「カシスさん、ヘーゼルさん……、わざわざご足労いただきありがとうございます」
「座ったままでよろしいですよ。重くて大変でしょう」
立ち上がろうとするキウイを、カシスが優しく制した。
「改めて、チェリーを選んでくれて……ありがとうございます。立派な結婚式まで用意してくださって……」
「キウイちゃん……とっても素敵! チェリーちゃんの仕立てたウェディングドレス、最高ね!」
カシスに続いて、ヘーゼルが快活に声をかける。
「二人のウェディングケーキ、私のパティシエ人生の全てをかけた、スペシャルなのを用意してあるからね! 楽しみにしておいて」
「ありがとうございます、とても……楽しみです。……あの」
キウイは少し目線を落とす。
「私の母は自由人で……ご挨拶もできず、申し訳ありません」
旅人であるキウイの母。
結局連絡を取ることは叶わず、結婚式に招待することはできなかった。
その翳りを敏感に感じ取ったのか、ヘーゼルは優しく首を振った。
「……キウイちゃんがしっかりしているから、信頼してくれているのね。いつか会ってみたいと思うけれど、あなたが気にすることではないわ」
ヘーゼルはキウイの髪を、ふわりと優しく撫でた。
「……今日からキウイちゃんも、私たちの娘だからね。もし寂しかったら……甘えてくれていいのよ」
「あ……ありがとう、ございます……っ」
キウイが零した微笑みは、とても無垢なものだった。
いつも自分に向けられる優しいものではなく、家族の温もりを知った幼子のような、あどけない表情。
二人の母がキウイを「家族」として受け入れてくれる様子に、チェリーの胸の奥がじんわり熱くなる。
「……さあ、チェリーもお支度をしましょう」
カシスはチェリーの肩に手を置く。
その、誇らしげに目を細める横顔は、いつもメイドとしての自分を指導する厳しいものではなく、愛娘を送り出す一人の母親としての優しさに満ちたものだった。
「私が責任を持って、キウイさんの隣に立つに相応しい花嫁にして差し上げますからね。では皆さま、暫しお待ちくださいませ」
「ふふ、チェリー……行ってらっしゃい。キウイの話し相手は私たちに任せて」
サクラが優しくチェリーに手を振る。
チェリーはしっかりと、けれどどこか気恥ずかしさを感じながら頷いた。
「ありがとうございます、サクラ様。……キウイさん、行ってきますね」
「はい……お待ちしています、チェリーさん」
チェリーは、優しく微笑むキウイに見送られ、二人の母親とともに部屋を後にした。
最後に一度だけ振り返ると、純白のドレスに身を包んだキウイが、宝石のような瞳でじっと自分を見送っていた。
幸せな予感を胸に、チェリーはそっと静かに、扉を閉めた。
ついに、この日です。
すみません、チェリーの着替えまで一話に収めるつもりだったのですが、無理でした……。
結婚式の前に、もう一話、チェリーの着替えをお楽しみください。
チェリーの両親が初登場しました。
まさにチェリーの親みたいなカシスさんと、ちょっと抜けてるヘーゼルさんです。
こういう組み合わせ好きです!




