129. 人魚たちの夜語り
ベッドの横の脇机の上で、サクラの人形が優しい月明かりを浴びている。
チェリーが心を込めて綿を入れ替え、「治して」くれた人形は、本物のサクラのように穏やかな微笑みを浮かべていた。
ルリはその愛らしい瞳を見つめ、つられてふにゃりと頬を緩める。
いつもならそのサクラの人形は、ここで眠る二人を見守っている。
でも今日は――一緒に連れていきたかった。
たとえ一晩だけでも、サクラと離れるのは寂しいから。
ルリは優しい手つきで人形をそっと抱き上げ、柔らかな感触を確かめるようにぎゅっと抱きしめた。
「お人形、持っていくのね?」
「うん! 今日もいっしょにねたいから……」
元気よく答えたルリだったが、ふと抱きしめた人形と、目の前の「本物」を見比べて動きを止める。
そして、困ったように眉を下げた。
「あっ……でも、そしたら、サクラがさみしくなっちゃうよね……。やっぱり、この子は……サクラのとなりにいてもらおうか?」
「ふふ……子どもじゃないんだから、大丈夫よ。そんなに心配しなくても、私は一人で寝られるわ」
サクラが可笑しそうに、そして愛おしそうに目を細めた。
その優しい眼差しに、ルリの胸の奥がじんわりと温かくなる。
「そう……? じゃあ、そろそろ、わたし……」
名残惜しそうなルリの言葉を遮るように、不意のノックが空気を震わせた。
寝支度を整えてくれたメイドたちは既に下がっていて、あとは静かな夜が更けていくだけの時間だ。
可能性としては、一人しかいない。
――けれど、自分から会いに行こうとしていたのに、「あっち」から来るなんて。
思ってもみなかったそのノックに、ルリは目を丸くして扉を見つめた。
「あれれ? こっちに来ちゃったのかな?」
「ふふ、ルリが遅いからお迎えに来たんじゃない?」
サクラが返事をしながらそっと扉を開くと、予想通りの人物――煌めく黄緑色の髪を輝かせた、姉のスフェーンが立っていた。
「少し、お邪魔するわね。……ルリ、準備はできたのかしら?」
「スフェーン姉さま! もう……いまからいこうとおもってたところなの!」
慌てたようにルリが言い訳をするのに、スフェーンは柔らかな笑みで受け止める。
「ふふ、別に急かしに来たわけじゃないわ。サクラに挨拶しておこうと思っただけよ」
その優しい瞳をサクラに向けると、柔和に微笑んだ。
「悪いわね、サクラ。じゃ、言っていた通り……今夜は、あなたの愛しい妃を借りていくわ」
「ええ、どうぞ……姉妹水入らずで、ゆっくりと楽しんできてくださいな。ルリ、行ってらっしゃい」
サクラが優しい声でルリの背を押す。
自分たちの我が儘に嫌な顔一つせず対応してくれるその優しさに、ルリは思わず胸がきゅうっと締めつけられ、衝動のままにサクラの懐へと飛び込んだ。
驚きに目を見開くサクラの唇を、逃さないように、その感覚を自分の身体に刻み込むように、しっかりと塞いだ。
「んっ……んぅっ!?」
「ん……ふ……、……んっ! ……おやすみ、サクラっ! だいすきっ」
唇を離すと、サクラは耳の先まで林檎のように真っ赤になって、口をぱくぱくしている。
それがあまりにも可愛くて、ルリは「にひひ」と悪戯っぽく笑みをこぼす。
「……っ、る、ルリっ! ちょっと……、スフェーンさんの前で……っ!」
サクラは真っ赤な顔のまま、熱を持った自分の唇を指先で押さえた。
恥ずかしさに涙目になったサクラは、隣で笑う義姉のスフェーンをまともに見ることもできない。
「ふふ、二人は相変わらずねぇ……。それじゃあ、おやすみなさい、サクラ。また明日ね」
スフェーンのおやすみの挨拶に、サクラは口を開いて声にならない声を出す。
そんなサクラに手を振りながら、ルリはその腕の中にサクラの人形をしっかりと抱きしめ、弾むような足取りでスフェーンの――今夜は姉妹の語らいの場となる部屋へと向かった。
「ここが私の部屋よ。いらっしゃい」
「ふふ、はじめて入るね〜。おじゃまします!」
スフェーンに招かれるように、ルリは扉をくぐった。
「ここが、スフェーン姉さまの部屋……ふふ、人魚の里のお部屋と、あんまりかわらないね」
「お気に入りの細工道具はほとんど持ってきたからね」
そういえば、スフェーンが人魚の里から引っ越してきた当時に、母のオニキスが空間魔法でスフェーンの荷物を運ばされ、その荷物の多さにげんなりしていたっけ。
そんなことを思い出し、ルリは「ふふっ」と笑みをこぼした。
ルリはベッドに歩み寄ると、「違和感」に気づいた。
「あれ? まくら、みっつなの?」
広いベッドの上には大きな枕が三つ、むぎゅっと押し込まれて並べられている。
このベッドで寝るのは、スフェーンと、婚約者のアヤメだけなので、枕は二つが正しい。
「ビュランよ。いつでもここでも寝られるように……なんて言って、わざわざメイドに用意させたのよ。本当に……図々しいんだから」
呆れたようにため息をつくスフェーンは、どこか嬉しそうだ。
「スフェーン姉さまが、さみしくないように……って?」
「ふふ……そんな、変な気遣いをする子じゃないわ」
スフェーンは苦笑混じりに言うと、枕の一つを愛おしそうに抱き上げた。
腕の中でとんとんと優しく叩いて形を整え、それをベッドの脇へ丁寧に避ける。
残った二つの枕を中央に寄せ、シーツの皺を伸ばすその手つきは、どこか慈しみに満ちていた。
「ビュランは、アヤメと二人きりだと緊張してしまうのですって。それで、いたたまれなくなって、二人で私のところに逃げてくるの。城に来て一週間経った今日、ようやく二人きりで過ごすふんぎりがついたみたいね」
くすくすと喉を鳴らして笑うスフェーンの瞳は、慣れない恋に奮闘するビュランを、陽だまりのような温かさで見守るような、優しさに満ちたものだった。
スフェーンはなんだかんだ、自分の幸せをしっかりと掴んでいるようだ。
そう実感すると、ルリの胸にも温かい気持ちが広がっていった。
「ふふ……ビュランは、スフェーン姉さまをたよりにしてるのね」
「どうかしら。便利に使われてるだけのような気もするけど……まあ、悪い気分じゃないわね。誰かに必要とされるっていうのは」
スフェーンはベッドの端に腰掛け、隣をぽんぽんと叩いた。
ルリは楽しげに、そこにぽすっと座ると、腕に抱いたサクラの人形を無意識のうちにぎゅっと抱きしめ直した。
「……その人形は、サクラなの?」
スフェーンの柔らかな問いかけの声に、ルリはサクラの人形の頭を優しく撫でながら答えた。
「そうなの。チェリーが作ってくれたんだ。……スフェーン姉さま、わたしね……サクラのことが好きすぎるみたいなの」
ぽつりとこぼれた言葉。
それは、「情動」に振り回されつつも、周囲の優しく頼もしい支えを噛み締めるような言葉だった。
「好きがいっぱいになって……サクラがぜんぶほしいってきもちが、あふれちゃうことがあるの。そうなった時に、本物のサクラをケガさせないように……こっちのサクラをぎゅってして、がまんするの。チェリーが作ってくれたんだよ」
「ルリ……」
心配そうに言葉を詰まらせるスフェーンに、ルリは努めて明るい笑顔を見せた。
「それにね! キウイが、がまんのやり方を考えて、おしえてくれたんだよ! 練習はとってもきびしかったけど……キウイもいっしょにがんばってくれたの! サクラがだいすきだから……がんばるんだ!」
窓から差し込む月光が、ルリの瞳をきらきらと輝かせる。
その目は、間違いなく、サクラとの明るい未来に向けられていた。
「ふふ……キウイとはどんな『練習』をしたの?」
「もう、ほんとうに、むずかしくて……! わたしがとってもがんばってやってるのに、キウイってば、『簡単すぎましたね、次はもっと難しくします』なんて言うんだよ!」
ルリがキウイの声真似をしながら言うのに、スフェーンは堪えきれなくなったように、声をあげて笑った。
「……っ、ふふ! キウイらしいわね。さ、続きは眠りながら話しましょう?」
「このサクラもいっしょでいい?」
「もちろんよ」
二人は微笑み合うと、広いベッドの上で、ゆっくりと横になった。
賑やかだった話し声が、だんだんと途切れ途切れになり、やがて穏やかな寝息になる。
同じ国の空の下で、それぞれの愛を育む人魚の姉妹。
二人の穏やかな夢を包み込むように、月明かりがほんのりと照らしていた。
人魚姉妹のお話でした。
仲がいいという設定なのにあんまり絡ませられてないなーと思いまして。
書いてない範囲では楽しくおしゃべりしてるんだと思います。お茶会したり!
女子トークはよいですね……




