104.5. 《幕間》メイドたちと裏路地の本屋
「キウイさん……今日もたくさん愛してくださって……ありがとうございます……」
「礼には及びません……私が愛したくて愛しているのですから」
愛しいチェリーに愛を囁きながら、キウイはその汗の滲む額にそっとキスを落とした。
そのまま白い毛布に包まりチェリーの熱い身体を抱きしめると、愛し合った余韻のほどよい疲労感が全身を巡り、キウイは心地よい微睡みへと誘い込まれる。
「ねぇ……キウイさんって、こういう知識を……どこから得ているのですか? 私、キウイさんに教えられるばかりで……」
キウイは微睡みの中でチェリーの質問に答えた。
「本屋が……あるのですよ、城下町の裏路地に……。そこにある本に、そういう知識が……たくさん、書かれて、いるのです……」
路地裏の、官能小説を専門とする本屋は、王国軍の騎士たちの間では有名な存在だった。
キウイも軍の休憩中の雑談を盗み聞きして存在を認識したのだ。
「そういうお店が……あるのですね。私も、行ってみたいです……」
もうキウイは、意識のほとんどを微睡みの中に置いていた。
チェリーの質問に、目を閉じながらほぼ無意識のうちに答える。
「いいんじゃないですか……意外と、楽しい……お店ですよ……」
「では、今度……お休みの時間が合った時に、キウイさん、一緒に連れて行ってください」
「ええ……一緒に……んんっ? 一緒にっ?」
チェリーの言葉の意味を理解したキウイは、一気に微睡みから現実に引き戻された。
「私とチェリーさんが一緒に行くのですか? あの本屋に?」
「だって、私、その本屋の場所を知りません。その……そういうお店でしたら、キウイさん以外に案内を頼むわけにもいかないでしょう?」
「ええ、たしかに、その通りです……」
チェリーの言うことはどこまでも正論であった。
しかし路地裏の本屋は一人で行く店だと認識していたキウイは、その本屋にチェリーと連れ立っていくことを想像するだけで、言いしれぬ羞恥心に襲われた。
「チェリーさん……そういう知識はこれからも私が教えて差し上げますので、別にチェリーさんが学ぶ必要性は……」
「だってキウイさん、さっき、意外と楽しいお店って言ったじゃないですか。私、行ってみたいです」
「……あぅ……っ」
微睡みの中で自分が発した無責任な言葉が、鋭い刃となってキウイ自身に突き刺さった。
「それともキウイさんは、私をのけ者にして、一人だけで楽しいお店に行くんですか……」
腕の中で感じる、愛しい人が上目遣いで送ってくるきらきらした視線に、キウイは頷くことしか許されなかった。
「……わ、わかりました……。今度、私が、ご案内して……差し上げます……」
そして、チェリーとキウイは、休憩時間を合わせて取り、町娘風の服を着て街に繰り出した。
「なんでなかなか連れて行ってくれなかったんですか?」
「ちょっと、タイミングが……ございまして……」
路地裏の本屋は、キウイの同僚である王国軍の騎士たちの御用達だった。
キウイにとって、その本屋で同僚と顔を合わせることだけは、なんとしても避けたい羞恥的なことだった。
なので、王国軍の訓練と、キウイの休憩時間が重なった時に行くというルールがキウイの中に厳として存在した。
今回はさらにそこに、チェリーの休憩時間が重なるという条件も追加されたため、なかなかタイミングの調整に難儀したのだった。
「ここの路地の裏に入ります」
「こんなところにお店があるのですね……これは、知らないと来られないですね」
内心の焦りを隠すように涼しい顔を保ちながら、キウイは路地裏へと向かった。
そして、キウイに取っては慣れ親しんだ店の扉を、ゆっくりと押し開く。
からんころんという鈴の音が鳴り響くと、すぐに見慣れた店員が店先に出てきた。
(普段なら店員が親しげに話しかけてきますが、今日の私は普段と全く違う服装をしているのです。気づかれることはないでしょう)
先日、チェリーと一緒に城下町に行くまで私服を持っていなかったキウイは、当然この店にもいつも宮廷魔術師のローブで来ていた。
今日は全く印象の違う服を着ているから、初見の客と認知されるはずだ。キウイはそう考えていた。
「ああ、あんたか……いつもの本の新刊が入ってるけど……」
(あぁ、よりにもよって……っ)
店員から放たれたその何気ない言葉は、キウイにとっては死の宣告に等しかった。
いつもの「よくきたね」という挨拶ならまだ誤魔化しようがある。
しかし「いつもの本の新刊」などと言われてしまうと、キウイが通い詰めている常連客だと告発しているようなものだ。
キウイの背中をどっと冷たい汗が流れ落ちる。
「あのっ、今日は、連れがいるので……っ」
キウイは店員の声を遮るような勢いで、食い気味に声を張り上げた。
「……すまなかった、じゃあ、ごゆっくり」
焦るように言うキウイの声と、しっかりと繋がれている手に、すべてを察した店員は、目を細めて店の奥に戻っていった。
(店員というのは侮れないですね……っ)
チェリーと繋いだ手の指先が冷えていくのを感じながら、キウイは店員が店の奥に引っ込むのを見届けた。
「あの……もしかしてキウイさん、このお店にだいぶ通ってます?」
「何のことでしょう?」
キウイは焦りの感情を声色に乗せないように注力しながら、極めて涼しい顔で即答した。
「だって、『いつもの』って……」
「……店員の記憶力って、すごいですよね。ほんの数回しか来てない客も、ちゃんと認識しているのですから」
「はぁ……」
チェリーはキウイをじっとりと見つめつつも、それ以上の追求をあえてその場ですることはなかった。
だが、その「はぁ」という生返事は、明らかにキウイの苦しい言い訳を見透かしていた。
「この店は、どの棚に入ってるかで、本の内容が決まっているのです。こういう本に初めて触れるチェリーさんは、まず『純愛』の棚をご覧になるといいでしょう」
キウイは話題を逸らすように冷静を装ってそう言いながら、チェリーを「純愛」と書かれた棚の前に誘導した。
(しかし『純愛』の棚には『あれ』があるのですよね……かといってこの状況で『純愛』以外の棚に誘導するのも不自然すぎます。チェリーさんが『あれ』に気づかないことを祈るしかありません)
キウイが本を探すように迷い動くチェリーの指先を見守っていると、一冊の本の前で止まった。
「あっ……この背表紙……サクラ様のお部屋で見たことがあります。このお店の本だったのですね」
チェリーは棚からその本を抜き出して手に取る。
「本棚になんだか変な風に押し込まれて入れられていて、おかしいなあって思っていたのですよ」
キウイはチェリーが興味を持った本を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
(よし……チェリーさんが『あれ』以外に興味を持ちました。サクラ様には申し訳ありませんが、話をそらすための話題の種となっていただきましょう)
「あの変に隠されている本、逆に目立ちますよね。サクラ様は隠し方が下手でいらっしゃいます。こういうのは、堂々と本棚に並べておいたほうが、かえってわからないものですのに……」
「ということは、キウイさんの本棚にはこういう本が堂々と並んでいるのですね?」
(あっ)
キウイがまずいと思った時には既に遅かった。
チェリーは裏が読めない優しい笑顔でキウイを見つめている。
「…………ふふ、さあ、どうでしょうか」
「図星ですね、キウイさん?」
キウイは乾いた笑いを漏らしながら自分の発言を猛省した。
どうしたら自分の本棚の官能小説を隠し通せるか、即座に思案を巡らせる。
(チェリーさんは記憶力がいいのですよね……サクラ様の本棚の本も覚えていらっしゃいましたし。ただ、私の本棚の中の官能小説は、すべて視認しづらい段にあるので、まだ隠し通せる可能性が……)
「……ええと」
「キウイさんが自分から教えてくれないのでしたら……家に帰ったら、勝手に本棚から探して読ませていただきます」
「だ、ダメですっ。梯子に登って高所の本を取るのは危険ですからっ」
「本棚の高いところに入っているのですね?」
(ああっ)
キウイはもう、自分の口から出る言葉すべてが自分の首を絞めるような気分になっていた。
しかし、チェリーの危険を案じるあまりの発言は防ぎようもない。
「…………ふふ」
「図星なのですね、キウイさん」
乾いた笑いを漏らすしかないキウイに、チェリーは優しく微笑みながら、手に取った本を本棚に戻した。
そしてチェリーの興味は、再び本棚の中の本に移る。
「この本、やたらと巻数が多いですね……」
チェリーが、本棚の中でも広いスペースを占めるシリーズの一冊を手に取った。
(ああっ、それは、まずい、です……っ)
その本こそ、先程からキウイが危惧していた「あれ」だった。
「人気シリーズですからね。でも、チェリーさんは読まない方が……」
「なぜです? 内容は純愛なのでしょう?」
「あぁっ……」
チェリーがその本のページをぱらぱらとめくるのを、キウイは内心冷や汗をかきながら見守った。
(制止したことにより、かえって興味を引いてしまいました……っ。ああ、これは、もう……)
「あの……なんだか……登場人物にすごく親近感があるというか……これ……」
(……さすがに気づいてしまいましたね)
キウイは内心の動揺を必死に押し殺し、あくまで冷静に客観的事実だけを述べた。
「……クララ姫の専属メイドのエリーって、ちょっと露骨すぎますよねぇ」
その官能小説の登場人物は、明らかにサクラの専属メイドのチェリーをモデルにしたものだった。
「エリーのお相手が宮廷魔術師ならよかったのに、騎士なんですよねぇ。そこが残念です」
「詳しいのですね?」
「……人気シリーズなので、概要ぐらいは把握しています」
表向きは冷静な表情を保っているキウイをじっと見ながら、チェリーは手に持っている本をぱたんと閉じて本棚に戻し、周りを見渡した。
「お店に二階があるのですか?」
店内に階段を見つけたチェリーが呟いた。
二階は、少し刺激が強いジャンルが集められているフロアだった。
「二階はちょっと……刺激が強すぎるので、行かないほうが……」
「見るだけならいいでしょう? 行きましょう、キウイさん?」
「……はい」
有無を言わさぬチェリーの様子に、キウイは大人しく従った。
今のキウイは、余計な抵抗をしてチェリーを逆撫でしないようにすることで精一杯だった。
「わぁ……聞いたことない言葉ばかりです。この『えすえむ』って何ですか?」
「……加虐嗜好のサディストと被虐嗜好のマゾヒストが双方同意の上でお互いの望みを満たして楽しむものです」
「『りょうじょく』というのは?」
「……一方的な力関係の行使により、相手の尊厳を貶める行為そのものから性的快感を得るものです」
「ではあちらの……」
キウイは二階にある本棚に書かれた言葉の解説を順に求められ、顔を真っ赤にしながらその全てに丁寧に答えていった。
(私は……一体何を……)
愛しい人の純粋な知識欲を満たすために、キウイはただひたすらにその地獄の時間に耐え続けた。
「チェリーさん、あの……」
「なるほど……二階の本棚は全て、少し特殊なものなのですね。勉強になりました。ありがとうございます」
チェリーはキウイにお礼を言うと、階段を降りていった。
キウイはチェリーが二階の内容に深い興味を持たなかったことに、ほっと胸を撫で下ろしながら、チェリーに続いて一階に降りた。
(そろそろ私の心臓が持ちそうにありませんので、退店をお勧めしたいところなのですが……)
「チェリーさん、いかがですか? 何か購入してみたいものはありましたか?」
キウイがチェリーに聞くと、チェリーは迷うように頬に手を当てた。
「うーん、どうしましょう。まずはキウイさんがお持ちの本をお借りして読ませてもらうのがいい気がしますね……。でも、お店に来て、何も買わないのも冷やかしみたいですし……あっ、そうです」
チェリーはいいことを思いついたというように、手を打って、キウイの方を見て微笑んだ。
「店員さんが言っていた、キウイさんの『いつもの』があるじゃないですか。それを買って帰りましょう。ねぇ?」
「えっ、あっ……あぅ……」
キウイは、これ以上の店内探索につきあわされる羞恥と、自分の性的趣味が露呈する羞恥を天秤にかけ、「ここで帰れるなら安いものだ」という涙ぐましい損切り判断のもと、その提案に黙って首を縦に振ることにしたのだった。
「呆れました……! まさか本棚に一段まるごと官能小説の段があるなんて! どれだけあの店に通ったのですか、キウイさん……」
「…………ふふ」
キウイは、もはや逃げられないと観念したように、乾いた笑いを漏らした。
結局キウイはチェリーから官能小説を隠す画期的な手段も思い浮かばず、その日の夜、チェリーに言われるがまま、なす術もなく、所持している官能小説をありったけ提出させられたのだった。
「しかも『専属メイドエリー』の本、全巻揃えてるじゃないですか。今日購入した『いつもの』も、それでしたし」
「チェリーさんをお慕いする身としては外せなかったんです……」
「本物の私とお付き合いしてるのにですか?」
「……お付き合いする前に購入したものです」
「お付き合いした後に刊行された巻も揃ってるじゃないですか!」
「あぅ……だ、だって、ここまで来ると全巻揃えておきたくて……」
普段の涼しい表情は見る影もなく、そこにはただ、愛しい人の面影を本の中にまで追い求めてしまう、恋に不器用なキウイの姿だけがあった。
その後、キウイは本棚の官能小説を、チェリーの指示で、全てチェリーの取りやすい段に移動させられた。
高所の段に置いたままだと梯子に登ってでも取りに行きそうだったので、キウイはその要求を受け入れざるを得なかったのだった。
「ふふっ……私、それを読んで、キウイさんにもっと満足してもらえるように頑張ります……!」
キウイは自分の癖のすべてをさらけ出しているかのような羞恥で胸をいっぱいにしながらも、愛する人が自分を悦ばせようとしている事実には、純粋な嬉しさを覚えた。
なにより、これからのチェリーと共に過ごす、より甘い時間に、なんだかんだ期待を膨らませずにはいられないのだった。
いきなり事後から始まってすみません。
懐かしの「17.5. 《幕間》サクラと裏路地の本屋」に出てきた本屋を再登場させてみました。
ムッツリスケベのキウイをとても楽しく書きました。
余裕がなくなると「あぅ」と鳴くキウイ。かわいいですね。
※ムーンライトノベルズに、この後二人がどうなったのかの話を公開中です




