091.5. 《幕間》愛のお仕置きマッサージ
「ふぅ。今日は、ここまでにします」
チェリーとキウイの広々とした新居で、本棚にただひたすらに本を収納していたキウイは、安堵と疲労の入り混じった溜め息を吐きながらそう言った。
キウイはゆっくりと本棚にかかった木製の梯子を伝って床に降り立つと、「ぐううっ」と小さな声を漏らしながら、全身を使って伸びをした。
引っ越し初日の今日は、生活に必要なものを中心に荷解きを行い、最低限の暮らしはできるようになっていた。
しかし、キウイの書斎になる予定の部屋の大部分は、キウイの持ち込んだ魔術書がぎっしり詰まった大量の木箱で占領されていた。
部屋の壁に敷き詰められた本棚に、まだ多数の空の段があるのを見ながら、キウイは「先は長そうですね」と小さく息を吐いた。
「キウイさん、お疲れ様でした」
そっとキウイに歩み寄ったチェリーは、申し訳なさそうな表情で声をかけた。
「すみません、お手伝いできればいいのですけれど……。私だと、どれをどこに仕舞えばいいのかわからなくて」
キウイの本棚は、ただ本を並べるだけでなく、細かくどこに何を仕舞うか細かく決められていて、それはキウイにしか判断できなかった。
キウイはそんな風に自分を気遣うチェリーの優しさに、思わず笑みをこぼした。
そして、そっと腕を回して、チェリーを優しくぎゅっと抱きしめた。
「はぁ……お手伝いなど、とんでもないです。こうしているだけで疲れが吹き飛びます。チェリーさんはそれだけで価値があるのですから、他のことなんて求められません」
耳元でキウイが何気なく放つ愛の囁きに、チェリーの胸は高鳴ると同時に、熱を帯びていった。
その愛に少しでも応えたい。そう思ったチェリーの脳裏に、一つ自分にできることが思い浮かんだ。
「……っ、あ……マッサージをして差し上げましょうか? 肩とか、お揉みしますよ」
キウイの腕の中からそっと離れたチェリーが、少し頬を染めながらそう提案した。
「マッサージ……ですか……」
キウイはチェリーの甘い提案に、一瞬の迷いを見せた。
嬉しい気持ちが胸にある反面、自分の身体の凝りをほぐすために、チェリーの小さな手に負担をかけてしまうのに、強い抵抗を覚えたからだ。
キウイの心の奥底にある甘い遠慮をすべて見透かしたチェリーは、熱を含んだ上目遣いでキウイを見つめた。
「もう……私たち、これから結婚するのでしょう。私、キウイさんとはいつだって対等な関係でいたいのです。変に気を遣うのはやめてください」
まるで自分の心を読んだかのようなチェリーの発言に、キウイは「本当に敵いませんね」と幸福な溜め息をつきながら、笑みをこぼした。
「そうですね……すみません。では、ぜひともお願いします」
観念したようにキウイがはにかみながらそう言うと、チェリーは満足そうに笑った。
「寝室に移動しましょう。ベッドに寝転んでいただけると、マッサージしやすいですから」
チェリーはそう言いながら、キウイの手を引いた。
チェリーとキウイの新居は、宿舎の中でも特に広々としたつくりで、二人はそれぞれの部屋を、食事や団欒のための広間、キウイの書斎、チェリーの私室、そして二人の寝室として割り当てていた。
寝室に移動すると、宿舎が二人のために用意した、二人が並んで寝るのに十分な広さのベッドが置かれていた。
上質なふかふかとした布団がかけられたそれは、疲れたキウイの身体を極上に癒してくれそうだった。
「キウイさん、ベッドの上にうつ伏せになっていただけますか?」
「はい、わかりました」
キウイは言われるがままに、その快適そうなベッドの上にうつ伏せになった。
「では失礼します……キウイさん、お身体の力を抜いて、楽にしていてくださいね」
そう言いながらチェリーは、うつぶせになったキウイの腰のあたりにそっと乗り上げた。
ネグリジェ越しに背中から伝わる、温かく柔らかいチェリーの太腿の感覚に、キウイの心臓は思わず跳ね上がった。
愛しい人の温もりが、ただの疲労回復ではない、甘い期待となって胸いっぱいに広がった。
チェリーはキウイの肩に掌を乗せると、愛を込めるように、ぐっと体重をかけた。
「あぁ……きもちいい……です……」
キウイは荷解きで凝り固まった肩の筋肉が、まるで愛の魔法のようにほぐされていくのを感じた。その心地よさに、思わず気持ちの良さそうな声を吐いた。
「このぐらいの力をかけて大丈夫ですか? 痛くないですか?」
チェリーが優しくそう尋ねると、キウイは快感に声を震わせながら答えた。
「大丈夫です……むしろ、もう少し強くてもいいぐらい……です……」
そう言われたチェリーは、小さく息を吐きながら、肩にかける体重を少しだけ強めた。
愛しいキウイが気持ちよさそうな声をあげるのに、チェリーは静かな満足感を覚えて、マッサージを続けていった。
キウイは、まるで温かい毛布に包まれるように、身体も心も、解き放たれていくような感覚を覚えていた。
ここ最近の脳の大半を占めていた、引っ越しという大仕事が終わった安堵感。
これから愛しいチェリーと一緒に暮らすという幸福感。
そして、愛しいチェリーに施されているマッサージによる、蕩けるような肉体的な快感。
この上なく甘い三つの幸せが重なり合い、キウイの全ての緊張を解きほぐし、いつもの冷静な思考力を麻痺させていった。
その結果キウイは、愛しいチェリーへの配慮を欠き、自ら招いた甘い罠へと導く、決定的な失言を漏らしてしまうことになった。
「あぁ……ドワーフの国で受けた……マッサージを、思い出します……」
その発言に、背中の上のチェリーの華奢な身体が一瞬ぴくりと硬直したが、極上の快感に意識を奪われているキウイは、その小さな異変に気づくことができなかった。
「ふうん……? ドワーフの国、ですか。……私、それ……詳しく知りたいです……」
チェリーが一切の感情を声に乗せず、冷静を装ってそう囁くと、完全に無防備になっているキウイは、その異変に気づかぬまま話を続けた。
「ドワーフの国では、湯浴みではなく、サウナで身を清めるのです……」
「……なるほど、それはいいですね。……それでは、マッサージというのは、サウナで……?」
チェリーはマッサージの手を緩めず、甘い囁きを崩さずにそう確認した。
その甘い声とは裏腹に、チェリーの表情は氷のように冷ややかだったが、キウイの目に入ることはなかった。
その囁きとマッサージの快感が、思考力を麻痺させたキウイから、さらなる情報を引きずり出す。
「……ええ、そうです……私も、ドワーフの垢すり師の方に、垢すりマッサージを施していただいて……それが……あぁ……気持ちよくて……たまらなかったのです……」
そこまで聞いたチェリーは、いつも通りに優しい声を出しながらも、掌で広く押すマッサージから、鋭い親指による指圧へと切り替え、キウイの肩にその小さな身体の全てを乗せた。
「へぇ、そうなんですね……」
「い゙っ……!? チェリーさん、ちょっと……いたい……かも……」
チェリーの指先から放たれる鋭い圧力に、キウイは極上の快感から急転直下で神経を伝う痛みを感じ、思わず悲鳴のような鈍い声を上げた。
「私が……この城で寂しく、キウイさんのことを想っている間に……キウイさんは、そんないいことを……他の人にされていたのですねぇ……?」
背中に食い込む指圧の激痛の中、キウイはそこでようやく、自分の失言の致命的な意味を悟った。
しかし、愛しい婚約者の独占欲を刺激しないように言葉を選ぶには、あまりにも遅すぎた。
「けっ、決して、私から望んだのではなく……、その場の流れで、皆様も一緒に、受けただけなのですっ、チェリーさん……」
チェリーは痛いほどの悲しみを装いながら、さらに声を細く絞り出す。
「私、独りで寂しかったのに……キウイさんは皆様と一緒になってお楽しみだったのですね……?」
キウイが必死になって言い訳をするも、チェリーの独占欲に燃える怒りをさらに増幅させただけだった。
「それに……これから、この私と二人で暮らそうという、この記念すべき輝かしい日に……私以外の他の人が、肌に触れた快感を……思い出すんですねぇ……?」
「ち、ちが……っ、垢すり師は、手袋をつけていたので、直接肌には、触れてないですしっ……あ゙ぅっ……!」
そのあまりにも意味のない的外れなキウイの弁明に、チェリーは一切の表情を動かさず、ただ冷酷に指に力を込め直した。
チェリーにとって、マッサージは完全に「愛の懲罰」へと変わっていた。
「そんな私への愛を忘れてしまった冷たいキウイさんには……愛の溢れるお仕置きが必要だと思うんです……」
そしてチェリーは、一度キウイの背中に優しく覆いかぶさった。キウイはその体温に思わず、一瞬だけ胸が高鳴った。
だが、チェリーがキウイの耳元に唇を寄せて、いつもよりワントーン低い、獲物を狩るような声で囁いた言葉に、全身の血の気が引くような感覚に囚われた。
「逃げないでくださいね……」
一言だけ言い残したチェリーは、キウイに背を向けたまま、一度ベッドから降りる。
キウイが恐る恐る身体を起こしてチェリーの方を見ると、壁に並んで掛けてある二人のメイド服の、チェリーの服から、胸元に結ばれている上質なリボンを、しゅるしゅると丁寧に外すところだった。
いつも通り丁寧な手つきで扱われているそのリボンの用途を、キウイの本能は察してはいた。
しかし、愛しいチェリーが、自分に対してそのような制裁を加える筈がないと、キウイの理性は、現実の認識を最後まで拒否していた。
「チェリーさん、あの、それ、何に……」
「何に使うと思います?」
リボンを指先に巻き付けながら、チェリーが満面の笑顔でキウイの方に戻ってきた。
その笑顔は顔にぴったりと貼り付いた仮面のように温度がなく、瞳の奥に冷たい光を宿しているのを、キウイは、はっきりと認識した。
「キウイさん……両手、出してください」
「ち、チェリーさん……一体、何を……」
「キウイさん」
「は、はいっ」
甘く優しかったはずのチェリーの、冷徹な低い声の剣幕に、キウイはもはや抗うことなどできず、まるで生贄を捧げるように震える両手を差し出した。
チェリーはその差し出された手を、二人の関係の証でもある愛用のメイド服のリボンで、優しく、しかし抵抗できないように、きゅっと結びあげた。
「あの……」
「キウイさん」
チェリーは一切の感情を排した氷のように冷たい視線で、動揺するキウイを見下ろした。
キウイの口から恐怖の言葉が漏れる前に、チェリーは静寂の中で、愛しい婚約者への独占欲に満ちた言葉を宣言した。
「今夜は……私が満足するまで寝かせませんから」
そしてチェリーは、キウイの背中に力を込め、キウイをベッドに、うつ伏せに強く押し倒した。
そのままチェリーはキウイの腰に跨るように乗り上げ、その背中を見下ろす。
両手を拘束されたキウイは、顔を布団に埋めるようにして、無力に手を前に突き出したまま、完全に支配された状態になった。
チェリーがそのキウイの無抵抗な情けない姿を、愛おしむように見つめる。
その視線には、いつもの愛しさだけでなく、獲物を捕らえたハンターのような強い熱と、絶対的な深い独占欲が宿っていた。
キウイの視界を真っ白な布団が占める中、腰に跨るチェリーの重みがキウイの背中にのしかかる。
チェリーの指先がゆっくりとキウイの肌を這った。
キウイは背筋に冷たいものが走るのを感じながら、その愛しい婚約者の肌に伝わる感触の裏にある、抗いようのない絶対的な愛を悟り、ただ静かにその運命を受け入れるしかなかった。
そしてチェリーによる「お仕置き」は、チェリーが満足するまで――そしてキウイの身体が、抵抗むなしく屈服させられ、羞恥とともに快感で満たされるまで、続けられた。
「キウイ、ちょっと、つかれてる? だいじょうぶ?」
次の日の朝、いつものようにサクラとルリの部屋で朝の支度の仕事をしているキウイに、ルリが声をかけた。
それに対して、キウイはあくまで涼しい顔を崩さずに答える。
「まあ、引っ越しで色々と力仕事をしましたからね。でも、愛しいチェリーさんとの新生活が始まったのです。愛の力で、そんな疲れなんて吹き飛びました」
キウイは身体的な疲れを実感していたが、それは明らかに昨夜のチェリーの「愛のお仕置き」によるものだった。
しかし愛しい婚約者との夜の生活の、詳細な出来事を公言にするわけにはいかない。キウイは必死に冷静を装っていた。
そんなキウイの努力も知らず、ルリは悪気なく明るい声で思い出すように言った。
「ドワーフの国のマッサージ、きもちよかったよねぇ……。あれ、いつでも受けられたらいいのにね……ねぇ、キウイ?」
ルリがそんな無邪気な爆弾を投下するので、まずいと思ったキウイは、顔が青ざめるのを懸命に隠し、一切の感情を表情に出さないまま返事をする。
「ちょっと私、それに関しては、どういうものだったか、一切、さっぱり、何もっ、覚えておりません」
キウイのその不自然な反応に、ルリは純粋に首を傾げる。
「えぇ、どうしたの、キウイ? あんなに気に入ってたのに……へんなの」
「ルリ様っ、この話もうやめましょう? ほら、早くお支度の続きをしませんと」
キウイは背後から注がれるチェリーの視線を感じて、それ以上話が及ばないように必死に話を止めようとしたが、ルリがそのキウイの焦りの理由を理解するはずもなかった。
「キウイ、ここに住みたいかも、なんて言ってたじゃん……ねぇ」
「わ、私、そんなこと言ってません、決してっ!」
キウイは全身を硬直させたまま、焦るように否定の言葉を言った。そして、恐る恐るチェリーの反応を盗み見る。
その視線の先にいるチェリーは、一切の言葉を発することなく、満面の笑みでキウイを見つめていた。
キウイはその笑顔と視線だけで、昨夜の愛の儀式が今夜も執り行われる運命を悟った。
そしてその日の晩もまた、チェリーとキウイの新居にて、愛に満ちた「お仕置き」が行われたのだった。
キウイがやらかすエピソードは書いていて楽しいですね! かわいいよ、キウイ。
本編でここまで二人の夜の様子まで踏み込むのは初めてですかね。
キウイの弁明のために言っておくと、普段は仲良くイチャイチャしてます。怒らせたのは初めてです。
※ムーンライトノベルズで、カットされた話を公開中です




