怠惰講師の授業
ハシーシュ先生はおもむろに白衣のポケットに手を突っ込むと、栄養ドリンクを取り出して一息で飲み干した。
「ぷはっ……」
そして、出席簿を手に取り目を通す。置く。
「…………はぁ」
大きなため息を一つ。
「ヤニ吸っていい?」
誰の返事も待たずにシャツの胸ポケットから紙巻たばこを取り出して咥える。
「ここ禁煙だろ」
俺の声が聞こえたのか、ハシーシュ先生がこっちを向いた。
「いーじゃんかよー、吸わせろよー」
「せめて噛むだけにしとけよ……」
「……しょーがないなー」
ハシーシュ先生は渋々といった様子で、ズボンのポケットから出しかけていたライターを押し込んだ。代わりにチョークを摘まむ。
「じゃ、欠席者もいないみたいだからぼちぼち授業始めるかー……諸君もそろそろ将来の進路について考え始める時期だろうから今日はその辺の話をするとしようか」
そういうと黒板にピラミッド型の図を描いてそれを中心に色々と書き足していく。見かけによらず彼女の書く文字や図は丁寧で読みやすい。
一通り書くとチョークをポイっと投げる。チョークは落ちて砕けた。ハシーシュ先生は一瞬、無残な姿になったチョークを見つめたが、そのまま生徒たちの方に顔を向けた。「まあ、あとで誰かが掃除するだろ」と思ったに違いない。
「さて、黒板を見るといい。というか見ろ。これは遺物協会が定める国際遺物使いの序列について極簡単に表したものだ。細かく書くのは面倒だからな」
そう言いながらポケットから指し棒を取り出して伸ばす。
「諸君もわかっていると思うが最初に世界遺物協会について説明しておく」
指し棒で箇条書きにしたところをカツカツと音を立てて叩く。
「世界遺物協会は名前の通り“遺物”について扱う国際機関だ。その役割は遺物の保護や管理。それと我々のような遺物契約者の監督をして世界の均衡を保つことだ。理由は簡単。好き勝手やらせとくと世界なんて簡単に滅びるからだ」
一旦区切ってハシーシュ先生は真正面を見た。そして視線だけを動かす。
……首動かすのが面倒なんだな
俺はそう思った。クラスメイト達も同じことを考えただろう。が、本人は気にしない。多分興味が一切ない。先生はそういう性格だ。
そんなことを思っているうちに、先生の視線が一人に定まった。
「オーエン。なぜ世界は滅びる?」
隣に座るアッシュが指名された。
「はい、端的に言うと強大な遺物は世界を滅ぼしうるからです。特に神話級遺物はその身一つで簡単に一国を消すほどの力を有していますから」
「その通り、遺物ってのは大概頭おかしい奴らばっかりだからな」
ハシーシュ先生は縮めた指し棒をペン回しのように弄んだ。
「今、オーエンが神話級って言ったな。これも常識だが遺物ってのは“神話級”と“伝説級”それと“御伽噺級”にランク付けされる。中でも上の二つはヤバい。というわけで双魔、三種類の説明」
ハシーシュ先生の視線がスライドし、今度は俺が指名された。
「ん、神話級、伝説級、御伽噺級の順にランクが高い。神話級は一般的に神々の手によるもの。神代のものが多い。例を挙げるとグングニル。伝説級は人の手によるものがほとんど。怪物殺しなどで後天的に強大な魔力を宿したものが多い。例は安綱さん。以上の二つは人間などの姿に変化できる。それと、三つとも意志を持つ部分は共通する」
クラスメイト達は俺の話に耳を傾け自分の知識と照らし合わせているようだがハシーシュは教卓に突っ伏している。
指したからにはちゃんと聞くべきだと思うんだよな……別に構わないが……
俺はそう思いつつ説明を続ける。
「最後に御伽噺級。これは神が作ったものや人の作ったものに関わらず有する魔力が少ないもの。例は枚挙にいとまがないので割愛。変化は不可能。以上」
双魔の説明が終わるとハシーシュはのっそり頭を上げた。
「はい、よくできました。満点やるぞ満点。ってことで次は遺物契約者のランクの話をしようか。はい、注目」
ハシーシュ先生はそういうと指し棒を再び伸ばして今度は図を指し示す。
「見ての通り遺物契約者は四つ、正確には五つのランクがある。上から“英雄”“聖騎士”“竜騎士”“騎士”それとそれ以下だ。私は知っての通り“聖騎士”だ。……確か今四十七位だったかな。まあ、いい。ここからが重要だがこのランクによって卒業後の待遇が決まる。既に契約者になっている多くは将来各家の次期当主になるだろうが今の時代それでも職に就かなくてはならない。私の個人的なイメージでは“騎士”の称号を得られれば安泰だ」
今度は赤のチョークを取り出して図の騎士の文字を囲う。
「“騎士”の称号があればどこかの国の王宮や政府の直轄組織からスカウトされる。ランクが上がるほど待遇がよくなるから努力することだな。ただし序列はたまにあるランキング戦等々の結果で変動するから気を付けるように……面倒なんだよな、維持するのも」
大きなため息を一つ。物臭なハシーシュ先生にとっては面倒この上ないのだろう。ランキング戦はオリンピックのような形で三年周期で行われている。大衆の熱狂的支持を集める一種の娯楽ともいえる。
「ま、それは置いておいて。現時点で遺物と契約していれば既に世界ランキングで序列がついているはずだ。学園内での序列はそれの予行練習みたいなものだ。このクラスで言うとオーエンが“竜騎士”の上位にいたな」
ハシーシュ先生の言う通りアッシュはすでにブリタニアの王宮騎士団に入団していて、今の序列は百二十六位。若きエースとして活躍しているのだ。学園内には他にも世界ランキングの上位に食い込んでいる若き獅子たちが数人いる。
「まあ、いろいろ話したが今は世界ランキングの序列より目の前の選挙だな。世界ランキングは卒業後も上を目指せるが、卒業後の最初の待遇を決めるのは学園内での序列だ。つまりスタートダッシュ。諸君の健闘を祈る」
ガラーン……ガラーン……
ハシーシュ先生がそう言ったところで授業終了の鐘がなった。
「おっと、鐘が鳴ったな。今日はここまでだ。解散」
ハシーシュ先生の授業の終わりを告げる言葉に教室内が一気に騒がしくなる。学園の座学は大体一日一コマだけなのでこの後何をするかの話し合いを始める奴らがほとんどだ。
「ソーマ、たまには評議会に寄っていかない」
「いやだよ……面倒だからな。事務にも行かなきゃならないし」
「もう、つれないんだから!事務に行くってことは明日は魔術科の方に行くの?」
「ん、なんかあったら教えてくれ」
「うん、わかった」
「おーい、双魔」
アッシュと話していると教壇でハシーシュ先生に呼ばれた。
「……なんだ?」
「なんだろうね……取り敢えず僕は評議会に行くからまたね!」
「ああ、またな」
アッシュを見送り教室からクラスメイトが全員出て行ったのを確認して、俺はハシーシュ先生のもとへ向かう。
何となく嫌な予感がした。面倒事ではないことを祈るばかりだ。
「ん、来たな」
「何ですか?ハシーシュ先生」
「おいおい、今は私とお前。それと安綱だけなんだから先生はよせよ」
ハシーシュ先生は俺の両親の学生時代からの友人で、私的な場面では堅苦しくしないように昔からうるさく言われている。
「……わかったよ。俺に何の用だ?」
「細かいことは後で学園長が説明するだろうから放課後学園長室まで行け」
「俺、事務に行って魔術科の引継ぎ手続きしなきゃならないんですけど」
「そんなの私が適当に済ましておくからいい!学園長室に行け。いいな!」
職務中もだらしないが俺と二人の時などのプライベート時はさらにだらしないハシーシュ先生の目がいつになく真剣だった。
「……分かった」
「ん、じゃ、そういうことだからよろしくな。ほれ、さっさと行った行った!」
ハシーシュ先生の目に何か感じて、俺は頷くと教室の出口に向かった。出る間際に少し振り向くと、それに気づいたハシーシュ先生は犬を追いやるように掌を振っていた。
「はてさて、何が起こるんだか……面倒事じゃなきゃいいんだろうが……」
誰もいない廊下で思わずポツリと呟いて、俺は言われた通りに学園長室に足を向けるのだった。




