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夢とロンドンの朝

 俺は夢を見ていた。俺ではない誰かの記憶。けれど、自分のことのように感じる夢を。


 初めに空が目に映った。いつもは海原と同じように真っ青な空が血をぶちまけたような真紅に染まっている。俺……()は仰向けに倒れているらしい。


 次に私の身体に意識を向けると熱を失っていくのを感じた。胸元は空の色と同じ、真紅の鮮血が流れ出ている。どうやらこのまま死ぬようだ。それにしては焦燥も恐怖も襲っては来ない。死とはこんなにも穏やかなものなのか、と不思議に思った。


 時が経ち身体から命が抜け出ていくのは変わらない。が、死を受け入れた恩恵なのか、幾分か視野が広がる。私の周りを誰かたちが取り囲んでいる。誰もが悲哀の表情を浮かべ声も発さない……いや、何か話してはいるが聞こえない。やけに静かだと思っていたが耳はすでに聞こえていなかったようだ。


 晩春の若葉を思わせる緑髪の女性が私の腹部に何か術を施してくれている。でも、死の足音は穏やかに確かに聞こえなくなった耳に響いてくる。


 緑髪の女性が俯いて首を横に振ると、豊かな髭を蓄えた老人が一歩前に出て誰かに語り掛ける。眼も見えなくなっていているのか老人の顔はぼやけてよく見えない。老人は私の隣にいる誰かに語り掛けているのだ。


 隣の何者かの存在はずっと感じていた。深い悲しみに暮れているその思いを感じていた。私の顔に熱く、冷たい、不思議な涙がこぼれていることを確かに感じていた。


 『……我を……置いていかないで……一人は……嫌だぞ……』


 すでに聞こえなくなった耳にも届いた少女の声。ほとんど見えなくなった目に確かに映った黄金の瞳と白銀の髪。


 ああ……どうか泣かないで………私のかわいい“―――”


 伝えることのできない言葉をどうにか紡ごうとする最中、意識は堰を切ったような闇の濁流に押し流され、沈んでいった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 冬のロンドン、七大国の一角であるグレート・ブリタニア=イングランド王国(通称“ブリタニア王国”)の首都は近年まれにみる寒さに見舞われ市内を流れるテムズ川は今日も凍てついているに違いない。


 俺はそんな寝起きには厳しい寒さから身体を守ろうと頭に布団を被った。空気の冷たさで、もう起きてはいるが起きたくない。


 ……リリン……ジリリリン……


 『はい、こちら伏見宅ですが………はい……はい、かしこまりました。主にはそのように伝えておきますので……はい、それでは失礼いたします』


 部屋の外、下の階から電話が鳴る音と聞き慣れた世話役のおっとりした声が聞こえた。そして、電話が終わったのかパタパタと階段を昇ってくる足を戸が聞こえてくる。如何やら、もう起されてしまうらしい。


 『坊ちゃま、失礼いたします』


 世話役が部屋に入ってきた。普段はノックをしてくれるが、朝はそのまま入ってくる。俺がいつも寝ているからだ。気配がベッドに近づいてきて蓑虫になっている俺を優しく揺さぶった。


 「お目覚めのお時間です。起きてください」


 「……あと五分」


 俺はこういう時にお決まりの返事をした。頭は一度起きたのだが、布団の中でぬくぬくしているうちにまた眠くなってきたのだから仕方ないと思う。


 「左文も寝かせておいて差し上げたいのですが本日は学園がありますのでそのようにも行きません……あまり左文を困らせないで下さい」


 困った声を聞いて俺は少しだけ顔を出した。一言で表すなら和風美人。小袖に割烹着を着た世話係の左文が柳眉を曲げた表情を浮かべていた。そんな顔をされては起きるしかない。俺は仕方なく布団を纏った蓑虫から寝起きの蛾へと羽化することにした。


 「………おはようさん」



 「おはようございます、坊ちゃま。今日のお加減はいかがでしょうか?」

 「ん……なんとか、学園には行けそうだ」


 俺はボソボソ呟くと気怠げにベッドから立ち上がると右のこめかみを親指でグリグリと刺激する。はっきり言ってしまうと病弱体質というやつだ。しょっちゅう高熱が出て心臓が妙なテンポで拍動する厄介体質だ。


 「俺ももう十七だぞ?そろそろ坊ちゃまはキツいんだが……双魔でいいだろ?」

 「何をおっしゃいますか!坊ちゃまはいつまでも左文のかわいい双魔坊ちゃまなんですから」


 俺、伏見双魔の抗議を得意げに胸を張って却下する左文を見て、頭をボリボリ掻いた。


 「……はあ」


 思わずため息が出た。嬉しそうにされると反論する気にもならない。


 「着替えるから下で待っててくれ」

 「かしこまりました、洗濯物はそのままで構いませんよ」

 「ん、わかったから」

 「それでは失礼いたしました」


 左文が部屋を出たのを確かめてから俺は寝間着を脱ぐ。きっちりと畳んで置かれていたシャツに腕を通し、ボタンを留める。次に黒のスラックスを履き、ベルトを締める。最後に少しよれたタイを適当に締めて着替えは完了だ。昨日の内に用意しておいた鞄と洗濯物をもってフラフラと部屋を出る。洗濯物はそのままで構わないと言われている。が、それくらいは自分でやらなくてはと思うので持っていく。


 洗面所の洗濯カゴに洗濯物を放り込んでから顔を洗って髪を整える。鏡には自分の冴えない顔が映っている。北欧出身の母から受け継いだ銀髪と燐灰の瞳、日本出身の父から受け継いだ黒髪と鋭い目つき。友人が言うには整った顔立ちらしいが、顔色が真っ青で病人のようだ。当たらずとも遠からず。病気ではないが病弱体質。やっぱり、冴えない顔だ。

寝癖がついているので一応、黒と銀の入り混じった髪に櫛を入れてみる。銀髪の部分だけが癖っ毛。しかも、頑固で中々思う通りにならないので諦めてすぐに置いた。


 それからリビングの食卓に向かう。椅子を引いて新聞を手に取る。一面にはIMFのオブザーバー枠にロシア皇国が正式に加入したことや世界中の魔導学園でカリキュラム改正がされること、神秘至上主義団体の過激派が起こしたテロのことについてが書いてある。


 この世界は一度、神々から自立し、その後もう一度庇護され、加護を賜った世界だ。


 原初、この星には多くの神話体系の神々によって紡がれた糸が個々に存在した。


 神々は世界を、多くの生命を我が子と称し慈しみ、守護した。やがてそれらの中で人間は親の手を離れ自ら世界を拡張し始めた。


 神々の紡いだ糸は交わり、一枚の色鮮やかな反物を織りなした。それが形を成して幾星霜。人々は神をも超えうる力を手にした。


 それは神々の血統に根源を持つ「英雄」たち、神の御業の模倣ともいえる「魔術」、そして神秘の結晶たる「遺物」、それらは混沌を秩序に、秩序を混沌に変える力。母と子、父と子たちは岐路に立つ「共存」か「決別」か。いざこざがあったが結局母と父は愛する我が子たちを見守るという姿勢に落ち着いた。これが神代の終わりである。


 世界が人の世に変貌し久しくなると「神々の黄昏」や「神の子の誕生」といった神代の残り香を受け入れながらも人々は新たに「科学」という名の力を手に入れた。文明はより発達し豊かになる。


 一方、「科学」は時に人間を利己的な醜い怪物へと導き、無辜の民や世界が大いに傷つけられた。かつて神々に世界の安寧を託された英雄たちや魔術師たちの持つ神秘も緩やかに衰退していった。彼らの必死の献身は無残にも敗れ去り世界大戦の前夜に陥った世界に遂に神々は介入。世界は再び神々の庇護下に置かれ秩序ある世界が一時的に取り戻された。


 秩序の回復を見届けると神々は過干渉を控える運びとなったが神代よりは遠く、人の世よりは近くで我が子たちを見守るという新たなる時代が始まった。


 世界は「神秘」が力を取り戻し「科学」を僅かに凌駕した。英雄や魔術師、そして遺物使いら神秘の担い手たちは「世界神秘連盟(Intergentes Mysterio Foedus )」を設立。七大国を中心とした世界情勢が成立し、現在に至る。


 そんな世界に生きる俺は、ひょうな縁からしがない魔術師になった。さらに、縁から若輩者ながらブリタニア王立魔導学園魔術科で臨時講師を勤めている。さらにさらに、両親と師の強い勧めで学園の遺物科に学生として通っている。自分で言うのもなんだが、盛り沢山だ。


 なんて、世界の成り立ちと自分の境遇を思い浮かべながら、俺は新聞の次のページを捲ろうとした。すると左文が朝食を運んできたので新聞を置く。急須で入れた緑茶が入った湯呑を受け取って一啜り。身体が内側から温まる。冬の朝はこの一杯だ。


 「いただきます」

 「はい、どうぞ召し上がってください」


 いつも通りにまずは味噌汁をゆっくりと口に流し込む。豊かな出汁の風味と温かさがじんわりと体中に広がっていく。


 「……はぁ」

 「今日はいつにもましてお顔の色が優れないようですが何ありましたか?大丈夫でしょうか?起こしておいてなんですがやはりお休みになりますか?」


 心配そうに見つめてくる左文。いつもの心配性が出たらしい。


 「いや、大丈夫だ。変わったことと言えばはっきり覚えていないけど珍しく夢を見た気がする」

 「どのような夢でしょうか?」


 どんな夢?左文に訊かれて俺は唸りながら、水彩絵の具のように薄くなった夢の記憶をたどる。


 「んー……赤い空と………泣いている女の子?駄目だな、よく思い出せない。まあ、さっき言ったように学園には行けるから」

 「左様でございますか……どうか無理はなさいませんように」

 「分かってるよ」


 それっきり会話が途切れる。黙々と朝食を食べる。ニコニコとこちらを見ている左文の視線がこそばゆいが無視して食べ続ける。


 食べ終わり少しぬるくなったお茶を飲んでいると玄関のチャイムが鳴った。


 「あら、アッシュさまがお迎えにいらっしゃったようですね」

 「そうだな、じゃあ、行ってくる。ごちそうさまでした」


 魔術科指定の紺地に金糸の刺繍の入ったローブを羽織り玄関に向かう。パタパタと左文が見送りについてくる。


 「あ、坊ちゃま。明日、魔術科の授業に入ってほしいという旨のお電話をいただきましたのでご帰宅の前に事務課に寄ってくださいね」

 「ん、分かった」


 愛用のウエストポーチを着けながら返事をする。


 「んじゃ、行ってきます」

 「行ってらっしゃいませ」


 俺はにこやかな左文に見送られて玄関を出た。



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