tmp.59 例えばそんな在り方
どうやらショックで心を閉ざしていたみたいで、気づいたら二日ほど経っていました。最初はどうしたものかと悩んだのですが、心配して政務を抜け出してきたご主人さまの姿を見たら怒りが爆発して、妊娠のことを伝えながら「避妊魔法はどうしたんですか!? 一体どうしてくれるんですか!?」と詰め寄ったら、ご主人さまは一瞬驚いたような顔をしたあと、満面の笑みでありがとうと泣きながら抱きしめられました。
葛西さんのように青ざめるかと思ったのですが、全く予想外の反応でこっちがびっくりしました。
というかありがとうって何ですか、やっぱ意図的だったのかとこのまま首を噛みちぎってやろうかと思って噛み付きましたが、魔法で強化されてほとんどダメージを与えられず断念。ならばとご主人さまを拒絶して部屋に閉じこもったのですが、それでもお腹はすくもので、仕方なくこっそりユリアに頼んで食事を運んでもらっていたのでした。
◇
「それで、いつまでお部屋にこもっているつもりですか?」
食べ終わった食器を片付けるルルの傍らで、ユリアが何度も聞いた質問を投げかけてきます。ボクだってこのまま部屋に居て何かが解決するわけじゃないことも解ってますが、だからって納得出来ないのです。
勝手にこんな姿にされて、奴隷扱いで牢屋行き、同じ日本人に会えたと思ったらなし崩し的に性奴隷にされて挙句の果てに妊娠です。ベッドの中に引きずり込まれるのは百歩譲っていいとしても、無理矢理孕ませるとか悪鬼羅刹の所業だと思います!
「納得行かないからです……!」
「気持ちは解りますけど、旦那様だけじゃなく城の皆も心配してるんですよ?」
ボク一人が引きこもったせいで色々と迷惑をかけてることも承知の上ですが、それでも簡単に折れたくないのです。
「単刀直入に聞きますけど、センパイはシュウヤ様の赤ちゃん産むの嫌なんですか?」
配膳台に食器を乗せ終えたらしいルルが、ベッドに上に手をついて顔をずいっと寄せて眼を覗きこんできました。そりゃあ勿論…………。
「…………」
勿論、どうなんでしょうか。確かに不服ですしご主人さまには怒ってます。一応借金があるから奴隷じゃなくなったんですから、事前に作るつもりだという事を教えてくれても良かったんじゃ……ってあれ、これじゃまるで事前に言われてたら別に妊娠しても良かったみたいじゃないですか、ははは、そんなバカな。
「もう一つ、お嬢様って旦那様のことどう思ってらっしゃるんですか?」
今度は反対側からユリアが顔を覗きこんできます。反射的に俯こうとしたら二人がかりで顔の向きを固定されてしまいました、酷いのです。
「センパイ、ちゃんと答えて下さい、シュウヤ様の事、嫌いですか?」
「…………い、です」
"嫌いだ"と即答しようとしたけれど……結局出来ませんでした。
「……そんな訳、ないです」
だって、ご主人さまはボクを助けてくれた人なのです。訳もわからないまま一人で森のなかをさまよって、やっと人に会えたと思えば奴隷商人。冷たい牢屋の中は本当に地獄でした。体中を這いまわる虫のおぞましさに目を覚ましては、泣きじゃくる子供同士で身を寄せ合って暖を取る日々。
寒い日には昨日まで話していた相手が朝起きた時には冷たくなっていた事もあります、まるで壊れた人形のように棒で引き上げられて、袋に詰められて持っていかれる光景は、今でも一人で寝ると夢に見るくらいです。
希望も何もない、冷たくて暗い牢屋の中で誰も頼りにできる人もなく、無力な自分を呪いながら近づく足音に怯える日々。絶望して生命を断つ自由すら与えられず、ただいつか来る終わりに怯えて過ごす毎日から助けだしてくれたのは紛れも無くあの人なのです。
ボロボロで酷い匂いがするボクに苦笑しながら、お湯を作り身体と髪を洗ってくれて、体中に残っていた鞭の痕を綺麗に治してくれたのも、毎日温かいご飯を用意してくれたのも、こうやって、わがままを言える環境を守ってくれているのも、全部全部ご主人さまで、そんな人を……。
「嫌いになれる訳、無いじゃないですか」
でも、やっぱり自分を女性として、相手を異性として好きになる気持ちじゃないのです。あえて分類するとしたならば、これは家族に対する好きなんでしょう。
「……故郷の母がよく言っていた言葉なんですけど」
ふっと表情が緩んだユリアが、手を離してくれると、つられてルルの手も離れてやっと身体が自由になりました。でも顔をそむけることは何故か出来ません、今はちゃんと聞かなきゃいけないような気がしたからです。
「"愛だの恋だのよりも、一緒に居たいと思う相手を旦那に選びな"って、
当時は何言ってるんだーと思ってたんですけどね、今は少しだけ解る気がするんです」
「どういう意味です……?」
不審げに聞き返したボクに対して、ユリアは静かに微笑みました。
「男女の関係として好きだの嫌いだのは置いといて、
一緒に居たいという気持ちがあるなら、それでいいんじゃないですか?」
「…………」
やっぱり、否定することは出来ませんでした。解ってるのですよ、他に選択肢が無いことも、妊娠にショックは受けましたが嫌悪感や産みたくないという気持ちが湧いてこないことも。……あー、もう! うじうじ悩むのはボクのキャラじゃないのです。
「ユリア、ルル、お願いがあります」
「はい」
「何ですかセンパイ」
暫く悩むように頭を抱えたあと、勢い良く顔をあげて二人を見つめると、何故か少し姿勢を正されてしまいました。そこまで改まった話じゃないんですが、まぁいいでしょう。
「ご主人さまを呼んで下さい」
◇
「ソラ、その……何も相談せずに悪かった」
扉を開けて、睨みつけるボクに申し訳無さそうな顔をしながらご主人さまが頭を下げました。若さ故の勢いってやつなのでしょうが、もう少しこちらの気持ちを考えて欲しかったです。
「ご主人さま……」
ゆっくりとベッドから降りて、ご主人さまの方へ歩いていきます。視線を合わそうとしているのかわずかに屈んだご主人さまの頬を両手でそっと挟み込みます。ご主人さまの、不安に揺れる瞳がボクをじっと見つめてきます。ボクが少し前に失ってしまった色、夜のように真っ暗な色の瞳に映る今の姿は、ご主人さまにどんな風に映っているのでしょう。
「ソラ、たの」
「ちぇすとぉぉぉ!!」
「ぐぉ!?」
言葉を遮り、気合一発全力で頭突きを叩き込みました。ご主人さまはクリーンヒットした額を抑えて悶えております。というかこっちも凄まじく痛いのです、この石頭め。
「そ、ソラ……お前……」
「次からはちゃんと相談してからにするのです!!」
力強く指をさして言ったことで、文句を言おうとしていたご主人さまが驚いたような顔で固まり、痛みのせいか涙目でまじまじとボクの顔を見つめてきます。
「……次からって……いいのか?」
そこはサクッと流すべきなのです、鈍感さの無い奴は嫌いです。
「……はぁ、一応約束はしましたからね、
特別に産んでやるのです、精々感謝して崇め奉るがいいのですよ」
腰に手を当ててふんぞりかえると、感極まった様子のご主人さまがボクを抱き寄せてきました。やめてください、子供は産んでやるけどラブシーンはごめんです、吐き気がします!!
「ありがとう、ソラ、ありがとう……」
「ちょ、力入れすぎなのです、離して! くるしいから! だれかー!」
や、やばいです、締め付けられて物理的に吐き気が!?
「旦那様! お嬢様は妊娠されているのですから!」
「はいはい、シュウヤ様、力強いハグは今は私達にお願いしますよー」
扉の外で聞き耳を立てていたのでしょう、牛猫コンビが素早く入ってきて引き剥がしてくれましたが、危うく絞め落とされる所でした。ちょっとは加減を知るのです。それにしても、不思議と後悔はないのですが、ちょっと早まってしまった気がするのは何ででしょうね……?




