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異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語  作者: パラレル・ゲーマー


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第50話

 日本政府が、神の玩具箱からあえて三つの最も不可解で、最も常識からかけ離れたガラクタを選び出し、それを『国際協調』という名の美しく、しかし棘を仕込んだ薔薇の花束として、世界最強の同盟国へと差し出したあの日から。

 季節は、実りの秋から最初の木枯らしが吹き始める冬の入り口へと、その歩みを進めていた。

 そして、その報せは、冬の訪れを告げる渡り鳥の群れよりも遥かに速く、太平洋を越えてワシントンD.C.の白亜の宮殿へと届けられた。

 アメリカ合衆国政府の反応は、迅速かつ圧倒的だった。

 日本の、あのどこか屈辱的で、しかし抗いがたいほどに魅力的な「共同研究」の提案。

 それは、超大国の眠っていたプライドと、そして未知への尽きることのない好奇心を、同時に、そして完璧に刺激した。

 大統領は、即座に国家の最高の頭脳たちを集め、この人類史的事業に参加するためのドリームチームの結成を命じた。

 選ばれたのは、いずれもその分野において、神の領域に最も近い場所にいるとさえ言われる怪物たちだった。


 チームリーダーに任命されたのは、ドクター・エヴリン・リード。

 年は、四十代前半。マサチューセッツ工科大学で、若くして素粒子物理学の教授の座に就き、その怜悧な頭脳と、いかなる困難な状況でも決して感情に流されることのない冷静沈着なリーダーシップで、数々の国家規模の科学プロジェクトを成功へと導いてきた、物理学界の若き女王。

 その燃えるような赤毛と、そばかすの散ったどこか親しみやすい容姿とは裏腹に、彼女の思考は、常に絶対零度の論理とデータだけで構成されていた。


 その彼女の右腕として選ばれたのは、ドクター・マーカス・コール。

 カリフォルニア工科大学の、材料科学の権威。

 身長二メートル近い巨体と、子供のような好奇心に満ちた笑顔がトレードマークの、陽気なアフリカ系アメリカ人。

 彼は、未知の物質を前にすると、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように目を輝かせ、その驚異的な直感と大胆な発想で、誰も思いつかなかったようなブレークスルーをもたらす天才だった。


 そして、この奇妙なプロジェクトのために、特別にチームに加えられたのが、ドクター・ケンジ・タナカ。

 スタンフォード大学の脳神経科学と、比較言語学の二つの博士号を持つ、日系三世の若き俊英。

 彼の専門は、言語が人間の脳機能と認知に与える影響。

 その二つの文化の血を引く彼の存在そのものが、この前代未聞の日米共同プロジェクトの象徴であり、そして最も重要な鍵となることを、まだ誰も知らなかった。


 彼ら三人を中心とする十数名のアメリカの最高の頭脳たちは、大統領専用機に準ずる最高機密の政府専用機で、日本の横田基地へと降り立った。

 彼らを出迎えたのは、プロジェクト・プロメテウスの科学者チームを率いる、あの狂信的な天才、長谷川健吾教授と、その部下たちだった。

 日米の二つの天才集団が、初めて顔を合わせたその瞬間。

 滑走路の冷たいアスファルトの上で、目に見えない激しい火花が散った。

 それは、友好と協力の握手の裏側で交わされる、互いの知性とプライドを値踏みする、熾烈なマウンティングの始まりだった。

「……ようこそ、日本へ、リード博士」

 長谷川が、にこやかな、しかしその目の奥は全く笑っていない表情で手を差し出した。

「……あなた方の、その優秀な頭脳が、我々のささやかな発見に、どのような光を当ててくれるのか、楽しみにしておりますよ」

「光栄ですわ、ハセガワ教授」

 エヴリン・リードもまた、完璧な外交官の笑みを浮かべて、その手を握り返した。

「……あなた方が掘り当てたというこのパンドラの箱の中に、一体どんな希望と厄災が眠っているのか。……それを、この目で確かめられるのを、心待ちにしておりましたわ」


 彼らが、厳重な警備の下、案内されたのは、茨城県筑波研究学園都市の、さらに地下深くに極秘裏に建造された、巨大な研究施設だった。

 コードネーム、『サイト-アスカ』。

 それは、この日米共同プロジェクトのために、日本の国家予算が惜しげもなく注ぎ込まれ、わずか数週間で完成した、最新鋭の科学の神殿だった。

 地上には、カモフラージュされた小さな気象観測所しか存在しない。

 だが、その地下には、東京ドーム数個分に匹敵する広大な研究空間が広がっていた。

 アメリカの科学者たちは、そのあまりにも壮大で、そしてどこか日本の禅寺のような静謐な美意識さえ感じさせる研究施設のデザインに、度肝を抜かれた。

「……すごいな」

 マーカス・コールが、感嘆の声を上げた。

「……日本の友人たちは、どうやら本気らしい。これは、ただの共同研究じゃない。人類の未来を賭けた、祭典だ」


 その科学の神殿の、最も奥深く。

 至聖所とでも言うべき、メインラボラトリー。

 そこに、三つの神の玩具は、まるで神殿に祀られる聖遺物のように、静かに鎮座していた。

 厳重な電磁シールドと、物理的な防護壁に幾重にも守られたガラスケースの中。

 古びた真鍮製の羅針盤が、一つ。

 小さな革袋が、一つ。

 そして、一枚の黄金色に輝く羽衣が、一つ。

 アメリカの科学者たちは、そのあまりにも古風で、そしてあまりにも場違いな三つの遺物を前に、しばし言葉を失っていた。

 長谷川教授が、まるで神殿の神官のように、厳粛な口調でその一つ一つを説明し始めた。

 それは、先日、綾小路官房長官が世界に向けて発表した、あのあまりにも曖昧で、そしてどこまでも計算され尽くした「公式見解」の繰り返しだった。

「……これが、『古代の祭祀用コンパス』……。未知の地磁気に反応するが、用途は不明。下手に使えば、精神に異常をきたす危険性も……」

「……これが、『古代の防腐剤』……。有機物の時間を止めるが、その効果は不安定かつ不可逆的……」

「……そして、これが『未知の有機繊維』……。自己修復機能を持つが、その原理は全くの不明。未知の病原体を内包している可能性さえ……」

 そのあまりにも慎重で、そしてどこか脅し文句のようにも聞こえる説明に。

 エヴリン・リードは、その美しい柳眉を微かにひそめた。

(……なるほどね)

 彼女は、内心で呟いた。

(……これが、日本流のおもてなしというわけか。最高のご馳走を目の前に並べておきながら、『この料理には毒が入っているかもしれませんので、お気をつけ遊ばせ』と囁く。……どこまでも回りくどく、そしてどこまでも狡猾。……面白い。面白いじゃないの、ハセガワ教授。あなたのそのポーカーフェイスを、この私が、必ず剥がしてさしあげるわ)

 彼女の心に、科学者としての、そしてアメリカという超大国の代表としての、闘争心の火が灯った。


 実験は、まず最も物理的な特性を持つ『不死鳥の羽衣』から始められた。

 材料科学の天才、マーカス・コールが、子供のように目を輝かせ、その黄金色の羽衣を様々な角度から観察し始めた。

「……信じられない……」

 彼は、電子顕微鏡を覗き込みながら呻いた。

「……繊維構造が存在しない……! これは、織物じゃない! まるで、黄金色のアメーバだ! 生きている……! この布は、生きているぞ!」

 彼は、次にその羽衣に、ありとあらゆる物理的な攻撃を加え始めた。

 ダイヤモンドの刃を持つカッターで、切り裂こうとする。

 だが、刃が触れた瞬間、その場所の繊維が、まるで液体のようにしなやかに刃を受け流し、傷一つつかない。

 千五百度のプラズマバーナーで、焼き切ろうとする。

 だが、羽衣は熱を帯びることさえなく、ただ涼しい顔でその灼熱の炎を浴び続けている。

「……ハッハッハ! すごい! すごいぞ、こいつは!」

 マーカスは、腹を抱えて笑った。

「こいつは、物理法則に対する最大限の侮辱だ! 最高だぜ!」

 そして、彼はあのプロンプトに書かれていた歴史的な発見をすることになる。

「……おい、ハセガワ教授。ちょっと、これを着てみてくれないか?」

 彼は、その羽衣を小柄な長谷川教授に手渡した。

 長谷川が、おそるおそるそれに袖を通した瞬間。

 羽衣は、まるで意思を持つかのように、彼の体に寸分の狂いもなく、完璧にフィットした。

 そして、次に身長二メートル近い巨漢であるマーカス自身が、それに袖を通した。

 すると、羽衣は再び音もなくそのサイズを変え、彼の筋骨隆々の体を、完璧に包み込んだ。

「…………マジかよ」

 マーカスは、自分の体を包む黄金色の輝きを、信じられないといった顔で見下ろした。

「……ワンサイズ・フィッツ・オール……。それも、思考するだけでだと……? なんて、なんてぶっ飛んだ代物だ……!」

 そのあまりにも非現実的な光景に。

 日本の科学者たちと、アメリカの科学者たちが、初めて国境も立場も忘れ、ただの科学の子として、一つの驚きを共有した。

「……でしょう?」

 長谷川が、どこか誇らしげに言った。

「……私達も、最初はそう思いましたよ」

 その二人の天才が、顔を見合わせ、子供のように笑い合ったその瞬間。

 監視室でその様子を見ていた橘紗英の唇の端が、ほんの僅かに吊り上がったのを、誰も知らなかった。


 次に、実験の対象となったのは、『停滞の砂粒』だった。

 エヴリン・リードが、自らその小さな革袋を手に取った。

 彼女は、その中から一粒の白い砂を指先でつまみ上げ、顕微鏡のステージの上に置かれた一滴の水へと、振りかけた。

 その瞬間。

 水滴は、蒸発も、凍結もすることなく、その表面張力を保ったまま、完璧な球形のまま、ぴたりと動きを止めた。

 時間は、止められたのだ。

「…………素晴らしいわ」

 エヴリンは、静かに呟いた。

 そして、彼女はあのプロンプトの核心へと迫る。

 彼女は、革袋を逆さにし、中の砂を全てビーカーの中へと注ぎ出した。

 サラサラ、という心地よい音と共に、白い砂が流れ落ちてくる。

 だが、その流れは、いつまで経っても止まらない。

 小さな革袋からは、信じられないほどの量の砂が、無限に湧き出してくるかのようだった。

 やがて、一リットルのビーカーが、完全に砂で満たされた。

 そして、彼女が袋を元に戻すと、その流れはぴたりと止まった。

「……なるほどね」

 エヴリンは、頷いた。

「……異次元、あるいは亜空間と繋がったゲートウェイ。……この革袋そのものが、アーティファクトというわけか」

 そして、彼女はビーカーに満たされた砂を、床へとぶちまけた。

 だが、砂が床に叩きつけられる音はしなかった。

 白い砂は、床に触れるまさにその寸前で、まるで陽炎のように揺らぎ、光の粒子となって、完全に消滅した。

「…………!」

 その光景に、今度こそエヴリンの常に冷静だった顔に、純粋な驚愕の色が浮かんだ。

「……消えた……? 質量保存の法則を、完全に無視して……? ……違う……!」

 彼女は、気づいた。

「……これは、消滅じゃない……! 『帰還』よ! 使われなかった砂は、自動的に元の次元へと送り返される……! なんて、なんてエレガントなシステムなの……! これは、ただの道具じゃない! 高度な知性と目的を持って設計された、自律的なアーティファクトだという証明だわ……!」

 彼女の科学者としての魂が、そのあまりにも美しく、そして完璧な法則の前に、歓喜に打ち震えていた。


 そして、最後の実験。

 その主役に選ばれたのは、日系三世の脳神経科学者、ケンジ・タナカだった。

 彼は、少し緊張した面持ちで、あの『囁きの羅針盤』をその手に握りしめていた。

 最初の実験は、単純なものだった。

 エヴリンが、自分のオフィスの机の三番目の引き出しの奥に隠しておいた、予備の万年筆を思い浮かべる。

 羅針盤の針は、数秒間迷うように震えた後、ぴたりと、地球の裏側、ワシントンの方向を正確に指し示した。

「……すごいな」

 ケンジは、呟いた。

「……これは、ただのコンパスじゃない。持ち主の脳内の思考パターン、その量子的な揺らぎを読み取り、それと共鳴する対象物の時空座標を、特定しているんだ……。僕の専門分野だが、こんな芸当、現代科学では理論的にさえ不可能だ……」

 だが、本当の奇跡は、これからだった。


「……では、ケンジ」

 エヴリンが、静かに言った。

「……次は、もっとパーソナルなものを試してみてくれるかしら。……例えば、そうね。……サンディエゴに住んでいるという、あなたの妹さんのことを、強く思い浮かべてみて」

 その言葉に、ケンジの顔が、一瞬だけ曇った。

 彼と妹との間には、ここ数年、些細なすれ違いから生まれた深い溝があった。

 だが、彼はプロだった。

 彼は、頷くと、目を閉じ、その脳裏にたった一人の妹の笑顔を、懸命に思い浮かべた。

 羅針盤の針が、狂ったように回転を始める。

 そして、先ほどと同じように、アメリカの方向を指し示した。

 だが、その時。

 ケンジの身に、異変が起きた。


「…………あ……」


 彼の口から、かすれた声が漏れた。

「……聞こえる……」

「……ケンジ?」

「……聞こえるんだ、エヴリン……! 彼女の声が……! 夫と、喧嘩している……! 今夜の夕食のメニューのことで……! なんて、なんて些細なことで……!」

 彼の声は、震えていた。

 そして、その目に大粒の涙が溢れ出した。

「…………見える……」

 彼は、嗚咽を漏らした。

「……見えるんだ……! 彼女の家の、キッチンが……! 窓から差し込む、西日が……! テーブルの上の、黄色い花瓶が……! ああ……彼女、少し痩せたな……。ちゃんと、食べてるんだろうか……」

 そのあまりにも鮮明で、そしてあまりにも個人的な幻視。

 それは、もはやただの実験ではなかった。

 それは、一つの家族の断絶と、そして再生の物語の始まりだった。


 実験室は、神聖なほどの静寂に包まれていた。

 誰もが、その小さな奇跡がもたらした、あまりにも大きな感動に、ただ打ち震えていた。

 やがて、ケンジが落ち着きを取り戻した時。

 長谷川教授が、まるで神の託宣でも受けたかのように、震える声で言った。

「…………千里眼……」

「…………そうか……! この羅針盤は、ただ場所を指し示すだけではない……! その場所の光景を、音を、持ち主の脳内に直接投影する……! まさに、千里眼の能力を、持っていたのだ……!」

 そのあまりにも衝撃的な結論。

 その場にいた全ての科学者たちが、一斉に歓喜の雄叫びを上げた。

「うおおおおおおっ!」

「すごい! すごすぎるぞ、こいつは!」

「これさえあれば、スパイ衛星も、盗聴器も、何もいらなくなるじゃないか!」

「これだけで、物理法則に喧嘩を売っているどころの騒ぎじゃないぞ! これは、神への反逆だ!」

 彼らは、国籍も、立場も忘れ、ただ一つの純粋な科学の子として、そのありえないほどの奇跡の発見を、共に祝い、そして共に興奮していた。

 日米の天才たちの心は、この瞬間、確かに一つになっていた。


 そのあまりにも無邪気で、そしてあまりにも幸福な光景を。

 箱根の山中の司令室で。

 橘紗英は、一人、静かにモニター越しに見つめていた。

 彼女の氷のような仮面の、そのほんの数ミリ奥で。

 彼女の冷静沈着なマネージャーとしての魂が、静かに、しかしはっきりと呟いた。


(……素晴らしい。実に素晴らしい、茶番ですわね)


 彼女の目には、科学者たちの純粋な友情や感動など、一欠片も映ってはいなかった。

 彼女が見ていたのは、ただ一つ。

 アメリカという世界最強のライオンが、自らこちらの用意した檻の中へと、喜んでその頭を突っ込んできたという、冷徹な事実だけだった。

(……存分に、はしゃぐがいいわ、天才たち。あなた方が、その神の玩具に夢中になればなるほど。あなた方の祖国は、我々日本の掌の上で、より巧みに踊ることになるのだから……)

 彼女の口元に、微かな、しかし絶対的な勝利を確信した、冷たい、冷たい笑みが浮かんだ。

 その笑みの本当の意味を。

 まだ、この世界の誰も、知る由もなかったのである。



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― 新着の感想 ―
カクヨムとは違う感想で… アメリカ「偵察衛星いらないじゃん、言い値で買うよ!」
この羅針盤があれば賢者様の正体もバレちゃうんじゃ。 賢者様を見たら冴えないおっさんがエナジードリンクを飲みながらゲームしている映像が見れるかも?
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