第46話 【現代日本編】 究極のアウトソーシング
プロジェクト・キマイラの始動を告げた、あの歴史的な記者会見から、季節は秋へとその色を深め始めていた。
世界は、日本政府が投下した『星見子の遺産』という、あまりにも巨大で、そしてあまりにも甘美な物語の奔流に、完全に飲み込まれていた。
それは、もはや単なる考古学的な発見などという、矮小な枠組みには収まらなかった。
一つの、新たな神話の誕生。
ワシントンの大手出版社は、渋沢名誉教授と守屋茜主任研究員の共著という名目で、プロジェクト・キマイラが全面的にバックアップした『巫女王ホシミコ - 封印された日本の叡智』という書籍の、全世界同時発売を決定。その予約部数は、発売前にして、既に数千万部を突破していた。
ロンドンの世界的に有名なドキュメンタリー専門チャンネルは、ジョージ・タナカを総合監修に迎え、最新のCG技術を駆使した超大作シリーズ『ANCIENT LULLABY: The Legend of Hoshimiko』の制作を発表。その予告編が公開されただけで、動画サイトの再生回数は、数日で億の単位に達した。
そして、日本の奈良県明日香村は、聖地と化していた。
キトラ古墳の周辺には、世界中から巡礼者のように訪れる観光客、研究者、そしてオカルトマニアたちが、連日長蛇の列をなした。政府は、急遽その一帯を国家特別史跡に指定し、厳重な警備網を敷いたが、そのことがかえって人々の好奇心と神聖さを煽る結果となった。
政府が、巧みにコントロールされた情報を小出しにするたびに、世界は熱狂し、その物語に、より深く、より熱心に没入していった。
だが、その公式の物語とは別に。
人々の、より根源的で、より渇望に満ちた想像力を支配していたのは、やはり、あの正体不明のリーカー、『@Truth_Seeker_JP』が紡ぎ出す、偽りの、しかし遥かに魅力的な神話だった。
彼(あるいは彼女、あるいは彼ら)は、もはやただのインターネット上の有名人ではなかった。
一つの、巨大なカルトの教祖。
新たな時代の、預言者。
彼が、数週間に一度、気まぐれのように投下する新たなアーティファクトのリーク情報は、その度に世界中のタイムラインを麻痺させ、人々を熱狂の渦へと叩き込んだ。
その日もまた、世界は彼の神託を、固唾をのんで待っていた。
そして、深夜。
月が、雲の隙間から地上を青白く照らし出す頃。
預言者は、沈黙を破った。
@Truth_Seeker_JP
星々の声が、私に新たな真実を告げている。
眠れる女王の宝物庫の、さらなる扉が開かれた。
聞くがいい、真実を求める者たちよ。
これが、政府がなおも我々から隠し続ける、神々の道具の真の姿だ。
#ホシミコの真実 #アーティファクトリーク
そのいつもの芝居がかった口上に続き、彼はまたしても、人々の想像力の限界を試すかのような、夢の如きアーティファクトの紹介を始めた。
@Truth_Seeker_JP
④ 『囁きの羅針盤』
それは、一見、ただの古びた真鍮製のコンパスにしか見えない。
だが、その針は、決して北を指し示すことはない。
持ち主が、その手に取り、自らの心の奥底にある真の『願い』を強く念じた時。
その針は震えながら、ゆっくりと回転を始める。
そして、その願いを叶えるための最短の『道』を、指し示すのだという。
失くした思い出の品か。
会いたいと願う運命の相手か。
あるいは、自分自身が本当に進むべき人生の道か。
その針が何を指し示すかは、持ち主の魂の純粋さによって決まる。
これは、方角を示す道具ではない。
魂の道標、そのものだ。
#ホシミコの真実
@Truth_Seeker_JP
⑤ 『停滞の砂粒』
それは、小さな革袋に詰められた、一握りの何の変哲もない白い砂。
だが、その一粒を指先でつまみ上げ、任意の物体の上に振りかけた、その瞬間。
その物体は、永遠に時を止められる。
咲き誇る一輪の薔薇は、その最も美しい姿のまま枯れることなく。
愛する者の最後の微笑みは、その温もりを失うことなく。
偉大な王が書き記した歴史の一節は、そのインクの色褪せることなく。
それは、万物の流転と崩壊という、この世界の絶対的な法則に抗うための、神が遺した唯一の慈悲。
政府は、この砂を使い、彼らにとって都合の良い『歴史』を、永久に保存しようとしているのかもしれない。
#ホシミコの真実
@Truth_Seeker_JP
⑥ 『不死鳥の羽衣』
それは、燃え盛る炎の中から生まれ変わるという伝説の不死鳥の羽だけを、千年もかけて織り上げたという神聖な衣。
その布は、いかなる鋭利な刃も通すことはなく。
いかなる灼熱の炎も、焦がすことはなく。
いかなる強力な呪いも、穢すことはない。
たとえ引き裂かれたとしても、その傷は瞬く間に自己修復し、元の完璧な姿へと戻るのだという。
それを身にまとう者は、この世のあらゆる物理的な脅威から、完全に守られる。
絶対的な、守護。
それは、王のためだけの神の鎧。
#ホシミコの真実
そのあまりにも魅惑的で、そしてあまりにも人々の欲望を的確に射抜く、新たな「大嘘」の数々。
タイムラインは、再び爆発した。
「『囁きの羅針盤』……! なんて、ロマンチックなの……!」
「『停滞の砂粒』だと……!? あれさえあれば、俺の限定版フィギュアを永久に新品同様のまま……!」
「『不死鳥の羽衣』、マジかよ……! 最強の防御装備じゃねえか! あれさえあれば、満員電車で痴漢に間違われる心配もなくなるな!」
人々の純粋な願望と、俗な欲望が渾然一体となり、新たな、そしてより巨大な熱狂の渦を生み出していく。
プロジェクト・キマイラの本部では、橘紗英がその光景をモニター越しに、静かに、そして満足げに見つめていた。
(……素晴らしい。実に素晴らしいわね、Truth_Seeker。あなたのその尽きることのない物語の才能のおかげで、我々の『キマイラ』は、もはや誰にもその真偽を確かめることのできない、神話の霧の奥深くへと、その身を隠すことができた……)
彼女は、もはやこの正体不明のリーカーを、脅威ではなく、最も優秀な、そして最もコントロールのしやすい「協力者」とさえ見なし始めていた。
◇
その頃。
全ての元凶である男は。
東京、中野区の薄汚れたワンルームマンションの、ゲーミングチェアの上で。
エナジードリンクを片手に、眉間に深い皺を刻みながら、スマートフォンのニュースアプリをぼんやりと眺めていた。
彼の関心は、もはや『Path of Exile』の新シーズン攻略からも、少しだけ離れていた。
さすがの彼も、一ヶ月以上、ほとんど不眠不休で一つのゲームに没頭し続けた結果、軽い燃え尽き症候群のような状態に陥っていたのだ。
(……はあ。さすがに、疲れたな……。メイジブラッドも手に入れたし、今シーズンはもういいかな……)
彼は、大きなあくびを一つすると、何か別の暇つぶしはないかと、ネットの海を当てもなく漂っていた。
そして、彼の目に飛び込んできたのが、世間を今最も賑わせている、あの馬鹿馬鹿しいニュースだった。
『世界が再び震撼! @Truth_Seeker_JPが新たなアーティファクト情報をリークか!? 『囁きの羅針盤』とは!?』
「……ああ、まだやってたのか、こいつ」
創は、どこか他人事のように呟いた。
彼は、その記事をタップし、そこに書かれた新たなアーティファクトの詳細な(そして、もちろん完全に捏造された)説明を読んでいった。
「……へえ」
創の口から、感心したような声が漏れた。
「『心が、本当に望むものを指し示す羅針盤』……。『時間を、永遠に止める砂』……。『絶対に壊れない、自己修復する衣』……。なるほどねえ。こいつ、なかなか良い想像力してるじゃないか。面白いこと考えるもんだな」
彼は、その荒唐無稽な、しかしどこか人の心の根源的な願望を的確に捉えたそのアイデアに、素直に感心していた。
そして。
彼の、元来怠惰であるはずの、しかし一度興味を持つとどこまでも合理的で効率的な解決策を模索し始めてしまう、元プロジェクトマネージャーとしてのあの厄介な脳が、静かに、しかし確実に起動し始めた。
(……ん?)
彼は、スマートフォンの画面を見つめたまま、動きを止めた。
(……あれ……? なんか、この設定……。どこかで見たことあるような、気がするな……)
彼の膨大なゲームとファンタジー小説の記憶のデータベースが、超高速で検索を始める。
(……『心が望むものを指し示す羅針盤』……。あったな、確か。とあるオープンワールドRPGで、伝説の秘宝を探すためのキーアイテムとして出てきたやつだ)
(……『時間を止める砂』……。これも、あった。とあるJRPGで、古代文明の遺跡のギミックを解くためのアイテムだ。確か、戦闘中に使うと、敵の動きを数ターン完全に止められる、チート級の消費アイテムだったな)
(……『自己修服する衣』……。これも、定番だ。どんなハクスラ系のゲームにも、大抵ユニークアイテムとして一つは存在するやつだ)
彼は、気づいてしまった。
この謎のリーカー『Truth_Seeker_JP』が、神託のように語っている夢の如きアーティファクトの数々。
そのほとんどが、自分自身がかつて青春の全てを捧げるほどに夢中になった、様々なゲームや物語の世界に、既に存在する、あるいは酷似した設定であることに。
その事実に気づいた瞬間。
創の怠惰な脳内に、一つの、あまりにも合理的で、そしてあまりにもぐうたらなアイデアが、稲妻のように閃いた。
(……待てよ)
彼の虚ろだった目が、きらりと輝いた。
(……こいつの、このリーク情報。これって、もしかして俺にとっての、最高の『お買い物リスト』になるんじゃないか……?)
そのあまりにも不遜で、そしてあまりにも悪魔的な発想。
一度その可能性に気づいてしまうと、もはや彼の思考は止まらなかった。
彼は、ソファからむくりと起き上がると、いつものようにプロジェクト計画書のノートを取り出した。
そして、震える手で、その恐るべき計画の骨子を書き殴り始めた。
(……こいつが、世間の注目を浴びて、勝手に新しい面白そうなアーティファクトの『設定』を考えて、リークしてくれる)
(……俺は、それを家で寝転がりながら、スマホでチェックする)
(……そして、その設定に一番近そうなアイテムが、普通に売ってそうな異世界を、この【異界渡り】の能力で検索して、探し出す)
(……あとは、そこへ行って、金貨を払って、そのアイテムを買ってくるだけ)
(……完璧だ……!)
彼は、興奮に打ち震えていた。
これぞ、究極のアウトソーシング。
面倒な商品開発や市場調査は、全て、あの正体不明の、しかし極めて優秀な「企画担当者」である『Truth_Seeker_JP』に丸投げする。
そして、自分は、その完璧な企画書(リーク情報)に基づいて、ただ商品を「調達」してくるだけの、楽な実行部隊に徹するのだ。
これほど効率的で、そしてぐうたらなビジネスモデルが、他にあるだろうか。
いや、ない。
だが、その完璧すぎる計画を前にして、彼の心のほんの、ほんの片隅で。
ちくりと、小さな罪悪感のようなものが芽生えた。
(……うーん……。でも、なあ……)
彼は、ペンを止めた。
(……なんかこれって、アイディアの丸パクリみたいで、ちょっと悪い気がするな……)
そうだ。
あの『Truth_Seeker_JP』が、必死で頭をひねって考え出したであろう、その血と汗と涙の(おそらくは、中二病の)結晶である、その創造の産物を。
何の断りもなく、勝手に現実世界に具現化させてしまう。
それは、クリエイターに対する冒涜行為ではないだろうか。
同じ物語を愛する者として、それは許される行為なのだろうか。
創は、しばし真剣に悩んだ。
だが。
その彼の人間としての最後の良心とも言うべき葛藤は。
彼の根源的な怠惰の精神によって、次の瞬間には、いとも容易く粉砕されることとなる。
(……いや、待てよ)
彼の思考が、切り替わる。
(……そもそも、悪いのは俺じゃないんじゃないか……?)
そうだ。
悪いのは、俺ではない。
(……だって、悪いのは、どう考えたって、この【異界渡り】っていう能力の、異常なまでの高性能っぷりだろうが)
彼は、責任転嫁の完璧なロジックを見出した。
(……普通は、こんな他人の妄想みたいなアイテムを、実際に手に入れることなんてできっこないんだ。それを、まるでAmazonでポチるくらいの気軽さで実現できてしまう、この能力の方がおかしいんだ。そうだ。悪いのは、全部このチート能力だ。俺は、悪くない。俺は、ただその与えられた能力を最大限に活用しているだけの、善良な一市民に過ぎない。うん、そうだ。そういうことにしておこう)
彼は、自分自身を完璧に納得させると、満足げに深く頷いた。
そして、彼の心の中から、最後の一片の罪悪感も、綺麗さっぱり消え去った。
「…………よし」
創は、立ち上がった。
その目には、もはや迷いはなかった。
そこにあるのは、新たな、そして最高に面白そうな「業務」を前にした、プロジェクトマネージャーの、あの懐かしい、燃えるような輝きだけだった。
「……やってみよう!」
彼は、ベッドの上に戻ると、胡座をかき、静かに目を閉じた。
そして、新たな世界のイメージを、その類稀なる精神力で構築し始める。
最初のターゲットは、決まっている。
『囁きの羅針盤』。
心が、本当に望むものを指し示すという、あのロマンチックなアイテム。
(……宝探しをする冒険者たちが、たくさんいて……)
(……そういう便利な魔法の道具が、当たり前のように市場で売買されているような、世界……)
(……そうだ。そんな都合のいい、ハイ・ファンタジーの世界へ……!)
彼の壮大すぎるスローライフ計画は。
今や、正体不明のインターネット上の預言者の壮大な「大嘘」を道標として利用し、それを現実の「真実」へと変えてしまうという、もはや神の領域としか言いようのない、新たな、そしてどこまでも滑稽なステージへと、その駒を進めようとしていた。
そして、彼の思考のさらにその片隅で。
もう一つの、小さな、しかし日本政府が聞けば発狂しかねないほどの恐るべきアイデアが、静かに芽生え始めていたことを、彼自身、まだ気づいてはいなかった。
(……そういえば、あの翻訳機とかシールドとか。日本政府にあげたけど……)
(……俺、アークチュリアで、あの手のお土産製品、他にもいくつか買ってたよな……)
(……似たようなアイテム、まだ持ってるし……。今度手に入れるこの羅針盤とかも、いくつか余分に買っておいて、あの狸女にあげようかな……)
(……まあ、いつも面倒な解析とか押し付けてるし。そのお詫びというか、ボーナスみたいなもんで……)
そのあまりにも無邪気で、そしてあまりにも無自覚な神の気まぐれ。
それが、やがて日本の中枢に、どれほどの混沌と、そして新たな神話創造の苦悩をもたらすことになるのか。
それを知る者は、まだ誰もいなかった。




