第42話 【現代日本編】 #ホシミコの真実
その日、日本政府が放った一石は、静かだった国際社会という名の池に、もはや波紋などという生易しいレベルではない、惑星規模の巨大な津波を引き起こした。
宰善茂総理大臣による、あの歴史的な記者会見。
それは、世界中の主要なテレビネットワークでトップニュースとして報じられ、インターネットを通じて、瞬く間に地球の隅々にまで拡散された。
ワシントンD.C.、ホワイトハウスのシチュエーションルーム。大統領とその最高安全保障顧問たちは、衛星回線で送られてくる会見の同時通訳を、苦虫を噛み潰したような、そしてそれ以上の深い嫉妬と焦燥に満ちた表情で聞いていた。
「……巫女王ホシミコだと?」
大統領が、低い声で唸った。
「我々が血眼になって宇宙開発に天文学的な予算を注ぎ込んでいる間に、彼らは自国の裏庭で、エイリアン・テクノロジーどころではない、神話そのものを掘り当てたというのか……。しかも、その遺産の正当な後継者は、日本の統治者だと? ふざけるな……! これは、極東の島国による、人類の未来に対する最も傲慢な独占宣言だ!」
北京、中南海。国家主席と政治局常務委員たちは、同じ映像を、全く別の、しかし同様に険しい表情で見つめていた。
「飛鳥時代……。我が国の偉大なる唐の文化が、かの未開の島国に文明の光をもたらしてやった、あの時代か。その時代の女王が遺した遺産だと? 笑わせる。それは、もとをただせば、我が中華文明の叡智の、ほんの派生物に過ぎぬわ。即刻、我が国の最高の歴史学者と考古学者を集めよ! その『ホシミコ』なる女王と我が国との間に、いかなる『歴史的関係性』が存在したかを、徹底的に、そして『友好的に』証明するのだ!」
ロンドン、ダウニング街10番地。英国首相は、紅茶のカップを手に、そのあまりにも出来すぎた物語を、シェイクスピアの悲劇でも鑑賞するかのように、皮肉な笑みを浮かべて眺めていた。
「……素晴らしい脚本だ。悲劇の女王、時を超えたメッセージ、そして、うまいこと隠蔽の言い訳まで用意されている。まるで、ハリウッド映画のようだ。だが、役者が三流だな。あの総理大臣の目、嘘をついている人間の目ではない。彼は本気で、あの御伽噺を信じている。あるいは、信じ込もうとしている。それこそが、何よりも恐ろしい……」
世界は、日本のそのあまりにも突拍子もない、しかし物的証拠 (とされるもの)を伴った発表に、混乱し、反発し、そして何よりも強烈な嫉妬の炎を燃え上がらせていた。
だが、彼らは動けなかった。
日本政府が提示した、『女王ホシミコの遺言』というあまりにも完璧な物語が、いかなる強硬な外交的介入をも、その大義名分を奪い去ってしまっていたからだ。
こうして、世界のパワーバランスは、静かに、しかし確実に、その地殻を変動させ始めた。
全ての視線が、極東の小さな島国、日本へと注がれていた。
その頃、世界の政治の中枢から遥かに離れた、より混沌とし、より本質的な場所――インターネットの海、特に旧Twitter、現Xのタイムライン上では、全く質の違う、しかし遥かに熱狂的な嵐が吹き荒れていた。
公式発表がなされた直後、Xのトレンドリストは、瞬く間にその話題一色で染め上げられた。
日本のトレンド
#星見子の遺産
#ホシミコ女王
#総理会見
アーティファクト
ステラ・ラクリマ
太陽の欠片
キトラ古墳の地下
#日本すごい
考古学ロマン
事実は小説より奇なり
タイムラインは、国民の驚愕と、興奮と、そしてどこまでも楽観的な熱狂の奔流で、完全に埋め尽くされていた。
最初は、ただの驚きだった。
@poly_syacho
え、何これ? 総理の会見、途中から見たけど、なんか日本でとんでもない遺跡が見つかったってこと? 病気が治る薬と、無限エネルギー? ちょっと話がデカすぎて、現実感がなさすぎるんだが……。エイプリルフールは、まだ半年先だぞ? #星見子の遺産
@sushi_tabetai
キトラ古墳の地下に巨大神殿とか、完全にゲームの世界じゃんwww ワクワクが止まらねえwww #ホシミコ女王
だが、その驚きは、すぐにナショナリスティックな熱狂へと変わっていった。
@nippon_daisuki_maru
見たか、世界よ! これが、我が国日本の真の力だ! 千数百年もの間、我々の、子孫のために、これほどの奇跡を守り続けてきた女王ホシミコ様……! なんという、気高き御心……! 涙が、止まらない……! #日本すごい #星見子の遺産
@rekishi_geek
渋沢先生が監修してるなら、この話はガチだ。飛鳥時代、蘇我氏と物部氏の宗教戦争の裏で、こんな巫女王が暗躍していたとは……。空白の世紀のミッシングリンクが、今、繋がったのかもしれない。歴史学の夜明けだぜ……!
そして、その熱狂のさらに中心で、最も激しく燃え上がっていたのが、これまで社会の片隅で日陰者として扱われてきた、一つの特殊なコミュニティだった。
オカルト、都市伝説、超古代文明、陰謀論。
そういった非科学的で、荒唐無稽な物語を信じ、愛し、探求し続けてきた者たち。
彼らにとって、この日の政府発表は、長年待ち望んだ福音そのものだった。
@mmr_saikou
な、なんだってー!
政府が、ついに認めた! 超古代文明の存在を! 俺たちが、ずっと、ずっと言い続けてきたことが、真実だったんだ! キトラ古墳の星図は、宇宙人の残した航海図だったんだよ! そして、ホシミコ女王は、地球に来た異星人と恋に落ちたんだ! 間違いない!
@urban_legend_boya
やばい、やばい、やばい。これ、完全に俺が去年出した同人誌の内容と一致してるんだけど。飛鳥の地下に眠る、巫女王の伝説。予言が、的中してしまった……。俺、政府に消されるかもしれない……。 #都市伝説が実在だった
@sekai_no_nazo
みんな、落ち着いて聞いてくれ。これは、氷山の一角だ。政府が、今回ホシミコの遺産を公表せざるを得なかったのは、もっと巨大な、隠しきれない『何か』が迫っているからだ。そう、惑星ニビルだよ。ホシミコ女王は、その来訪を予見し、我々に警告と対抗手段を遺してくれたんだ。目覚めよ、日本人!
彼らのタイムラインは、まさに狂乱の宴だった。
これまで、ただの妄想、ただの与太話として社会から嘲笑されてきた自分たちの「真実」が、国家によって公式に追認されたのだ。その歓喜は、彼らを一種の宗教的なエクスタシーへと導いていた。
『都市伝説が実在だった』。
その言葉がハッシュタグとなり、彼らのコミュニティの新たな聖句となった。
そして、その熱狂と、妄想と、そして純粋な好奇心が渦巻く肥沃な土壌に。
一人の謎めいた人物が、最初の、そして最も甘美な毒の種を、そっと蒔いた。
そのアカウントの名は、『@Truth_Seeker_JP』。
真実の探求者。
プロフィール画像は、真っ黒な背景に、白抜きで描かれた古代の神代文字のような、一つの謎めいたシンボルだけ。
これまで、ほとんど活動の形跡のなかったその無名のアカウントが、政府の記者会見が終わってから数時間後、たった一つ、しかしタイムラインにいる全てのオカルトマニア、都市伝説ファンの魂を鷲掴みにするような呟きを投稿した。
@Truth_Seeker_JP
政府の発表は、真実だ。だが、それは真実のほんの表層に過ぎない。
彼らは、まだ本当の『奇跡』を隠している。
私には、それを人々に伝える使命がある。
準備が整うまで、しばし待て。
#星見子の遺産 #ホシミコの真実
そのあまりにも思わせぶりで、そしてあまりにも中二病的な呟きは、本来であれば無数の情報の奔流の中に、一瞬でかき消されてしまうはずだった。
だが、その時のタイムラインは、異常だった。
人々は、飢えていた。
政府が提示した、科学的で、どこか無味乾燥な「真実」の、その先にある、もっと物語的で、もっと夢のある「本当の真実」に。
その呟きは、瞬く間にリポストと「いいね」によって拡散されていった。
「誰だ、こいつは?」
「政府内部の人間か?」
「本物の関係者か……!?」
人々の期待は、一気にこの謎のアカウントへと集中した。
そして、世界がその次の言葉を固唾をのんで待っていた翌日の深夜。
『@Truth_Seeker_JP』は、沈黙を破った。
それは、もはやただの呟きではなかった。
それは、世界中の人々の想像力の遥か斜め上を行く、壮大で、美しく、そしてどこまでも胡散臭い、「偽りのリーク情報」の始まりだった。
@Truth_Seeker_JP
約束の時が来た。
これより、私が『内部』で知り得た、政府が未だ公表していない、巫女王ホシミコが遺した真のアーティファクト群の一部について、その概要をここに暴露する。
信じるか、信じないかは、あなた次第だ。
#ホシミコの真実
その投稿に続く形で、彼は連投で、夢のようなアーティファクトの「紹介」を始めた。
その文章は、政府の公式発表のような無味乾燥なものではなかった。
それは、まるで最高のファンタジー小説の一節を読んでいるかのような、詩的で、荘厳で、そして人々の心を鷲掴みにする魔力に満ちていた。
@Truth_Seeker_JP
① 『月泣きの聖杯』
政府が『星の涙』と呼ぶ、あの青い液体の真の姿。
それは、ただの液体ではない。星見子女王が、未来の我々の苦難を思い、その慈悲の心から流した聖なる涙そのものが、月の光を浴びて結晶化したものだ。
故に、その力は、ただ傷を癒すだけにとどまらない。
失われた手足さえも、その場で再生させ。
いかなる呪いも、悪しき魂の憑依さえも、洗い流し。
そして、真に清らかな心を持つ者がこれを口にした時、その魂は、永遠の若さを約束されるという。
これは、薬ではない。
神の慈悲、そのものだ。
#ホシミコの真実 #アーティファクトリーク
@Truth_Seeker_JP
② 『地母神の心臓』
政府が『太陽の欠片』と呼ぶ、あの石ころの本当の力。
あれは、ただのエネルギー源などではない。
それは、この星、地球そのものの鼓動を宿した、生ける心臓なのだ。
故に、その力は、ただ熱や電気を生むだけにとどまらない。
持ち主の強い祈りに呼応し、天候を操り、雨を降らせ、嵐を鎮める。
大地に豊穣を約束し、枯れた大地を緑の楽園へと変える。
そして、真に星の声を聞く資格のある者がこれを手に取った時、その魂は、星の記憶、アカシックレコードへと接続されるという。
これは、道具ではない。
この星の魂、そのものだ。
#ホシミコの真実 #アーティファクトリーク
@Truth_Seeker_JP
③ 『運命の織機』
これは、政府がその存在自体を完全に隠蔽している、最高機密のアーティファクトだ。
それは、一見、ただの古びた木製の機織り機にしか見えない。
だが、そこにホシミコ女王の血を引くとされる正当な後継者が座り、その心に未来を思い描いた時。
その織機は、カタ、コトと自動で動き出す。
そして、そこに織り上げられるのは、ただの布ではない。
それは、起こりうる様々な『未来の可能性』が、美しいタペストリーとして織り上げられた、運命の地図そのものなのだ。
青い糸は、幸福な未来を。
赤い糸は、争いの未来を。
そして、黒い糸は、破滅の未来を示すという。
政府は、今、この織機を使い、我々の未来を、彼らにとって都合の良い方向へと導こうとしているのかもしれない。
#ホシミコの真実 #アーティファクトリーク
そのあまりにもロマンチックで、あまりにも厨二病的で、そしてあまりにも魅力的な「大嘘」のリーク情報は、Xのタイムライン上を光速で駆け巡った。
それは、もはやただの噂話ではなかった。
それは、ウイルスだった。
人々の想像力という、最も無防備で、最も感染しやすい領域に直接感染し、増殖していく、甘美な物語のウイルス。
「なんだ、これは……!」
「『月泣きの聖杯』だと……!? 政府の発表より、こっちの方がよっぽどしっくりくるじゃねえか!」
「『運命の織機』……! やばい、鳥肌が立った! 政府は、俺たちの未来を操作するつもりなのか!?」
人々は、熱狂した。
政府が発表した、科学的で小難しい「真実」よりも、この自称関係者がリークした、神話的でドラマチックな「物語」の方を、圧倒的に信じ、支持し、そして愛した。
ハッシュタグ『#ホシミコの真実』は、瞬く間に『#星見子の遺産』を抜き去り、日本の、いや、世界のトレンドの頂点へと駆け上がった。
大手新聞社やテレビ局も、この無視できない規模の社会現象を、報じざるを得なくなった。
『……インターネット上では、政府関係者を名乗る謎の人物による未確認情報が拡散しており、憶測が憶測を呼ぶ事態となっています……』
彼らが、「未確認情報」というエクスキューズをつければつけるほど、その情報は、かえって信憑性を増していった。
その頃。
全ての元凶である男は。
東京、中野区の薄暗いワンルームマンションの、ゲーミングチェアの上で。
エナジードリンクを片手に、眉間に深い皺を刻みながら、モニターに映し出された自らのキャラクターのスキルツリーと、にらめっこしていた。
彼の関心は、もはや巫女王ホシミコの悲劇の物語にも、人類の輝かしい未来にも、そして自分が引き起こした世界的騒動にも、全く、全くなかった。
彼の頭の中は、ただ一つ。
『Path of Exile』の、あまりにも広大で、複雑怪奇なパッシブスキルツリーの盤面で。
次の一ポイントを、ライフを伸ばすための『Constitution』のノードに振るべきか、それとも攻撃力を上げるための『Discipline and Training』のノードに振るべきかという、彼にとっての宇宙の真理そのものに匹敵するほど重大な問題のことで、いっぱいだった。
彼は、時折息抜きに、スマートフォンの画面をちらりと見た。
ニュースアプリのトップには、『謎のリーク情報に世界が震撼! ホシミコの真実とは!?』という、扇情的な見出しが躍っている。
彼は、その見出しを、まるで遠い国のゴシップニュースでも見るかのように、ぼんやりと眺めた。
そして、ただ一言、誰に聞かれることもなく、呟いた。
「……へー、なんか大変そうだな、世間も。……さてと。やっぱ、ライフかなあ、ここは……。うん、生存大事」
そのあまりにも呑気で、そしてあまりにもぐうたらな呟きは。
世界の歴史が、そして物語が、音を立てて軋み、彼自身でさえもはや予測不可能な混沌の未来へと、その重い扉を開けようとしている、その壮大なBGMのすぐ隣で。
誰に聞かれることもなく、ただ静かに、東京の夜の空気の中へと溶けて消えていった。
神は、サイコロを振った。
だが、その神自身は、そのサイコロの出目にさえ、全く興味がなかったのである。




