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異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語  作者: パラレル・ゲーマー


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第35話 【交易世界編】 新たな『火』と社会実験

 新田にった はじめは、再びあの活気と、そして今や彼にとって第二の財布とも言うべき交易都市の、見慣れた広場に降り立った。

 SF世界アークチュリアの、無菌室のような静寂と、完璧に管理された快適さも、悪くはなかった。だが、このむせ返るような生活の匂い、人々の喧騒、そしてどこか泥臭い欲望のエネルギーに満ちた街の空気は、不思議と彼の心を落ち着かせた。

 目的は、明確だ。

 先日、あのゲーム的世界で文字通り命懸けで(と言っても、ポータルでいつでも逃げられるのだが)集めてきたあの『魔石』。その計り知れないポテンシャルを秘めた新たな奇跡の種を、この世界の最も信頼できる、そして最も面白い使い方をしてくれそうな男、ゲオルグ・ラングローブに託すために。

 これは、日本政府に丸投げしたような、ビジネスライクな「業務」ではない。

 もっと純粋な好奇心に基づいた、壮大な社会実験。

 魔法の概念が存在しないこの中世レベルの世界に、誰もが魔法使いになれる可能性を秘めた「火の種」をそっと置いてみたら、一体どうなるのだろうか。

 その結果を、神の視点からのんびりと観察してみたい。

 彼の動機は、相変わらずどこまでもぐうたらで、そしてどこまでも不遜だった。


 創は、あえてラングローブ商会に直接転移するのではなく、前回と同じように街の喧騒を楽しみながら、その変化を肌で感じることを選んだ。

 そして彼は、すぐにこの街が、彼が最後に訪れたほんの数ヶ月前から、明らかに、そして劇的に変貌を遂げていることに気づいた。

 まず、人の数が違う。

「……なんか、以前より多くないか?」

 広場を埋め尽くす人の波は、明らかに密度を増していた。それも、ただ人が多いだけではない。行き交う人々の、その構成が変わっていた。

 以前よりも、明らかに旅人の姿が多いのだ。南方の、褐色の肌を持つ商人団。北の毛皮をまとった、屈強な交易商人。そして、遥か東方の絹の服をまとった、エキゾチックな顔立ちの一団。彼らは皆、一様に好奇と、そして商機を求めるギラギラとした目をしていた。

 そして、何よりも、街全体の空気が違う。

 活気があるのは、以前と同じだ。だが、その活気の「質」が変わっていた。

 以前の活気が、日々の暮らしを営むための力強い生活感だったとすれば、今の活気は、もっと祝祭的で、浮き足立ったような、明るい高揚感に満ち溢れていた。

 道行くこの街の市民たちの顔つきが、明らかににこやかになっているのだ。以前は、その顔に日々の労働の疲れや、将来への不安の色を微かに滲ませていた人々が、今はどこか自信と、幸福感に満ちた明るい表情で闊歩している。

 そして、時折、どこからともなく人々の自発的な歓声が聞こえてくる。

「アルトリウス陛下、万歳!」

「我らが賢王に、栄光あれ!」

 それは、衛兵に強制された儀礼的なものではない。心の底から、自らの王を誇り、讃える、感謝と歓喜の声だった。

 創は、その光景を興味深く、そして少しだけ不思議な気持ちで眺めていた。

(……俺が、ほんの気まぐれで持ち込んだあの砂糖とスパイスが……。この街を、この国を、ここまで変えちまったのか……)

 彼は、自分が起こした波紋の、そのあまりの大きさに改めて驚かずにはいられなかった。


 やがて、ラングローブ商会の壮麗な本店の前にたどり着く。

 そこもまた、様変わりしていた。

 以前は、屈強な傭兵が二人、門の前に立っているだけだった。だが、今やその数は十人以上に増え、彼らが身にまとう鎧は、ラングローブ商会の紋章が刻印された、揃いの見事なプレートアーマーへと変わっていた。もはや、ただの用心棒ではない。一つの私設軍隊とでも言うべき威容を誇っていた。

 創が、その門へと近づいていくと、衛兵の一人が鋭い視線で彼を制した。

「待たれよ、旅人。ここはラングローブ商会本部である。アポイントメントなき者は、通すわけには……」

 だが、その衛兵の言葉は途中で途切れた。

 彼の隣にいた古参らしき隊長格の男が、創の顔を認め、血相を変えてその部下の頭を、兜の上からゴツンと殴りつけたからだ。

「馬鹿者っ! この、ど阿呆が! 目が節穴か、貴様は!」

 隊長は、部下を一喝すると、慌てて創の前にひざまずいた。その鋼鉄の鎧が、ガシャンと重々しい音を立てる。

「ま、ま、魔法使い様! こ、これはとんだご無礼を! この新入りの躾が行き届いておらず、誠に、誠に申し訳ございません!」

 その隊長のあまりの変わり身の早さと、尋常ではない畏怖の念に、殴られた若い衛兵は、何が何だか分からず、ただ目を白黒させている。

 創は、そのもはや喜劇のような光景に、苦笑した。

「……どうも。今日は、少し試して欲しい物があって来たんですけどね」

 創が、そう気さくに言うと、隊長は、ははーっとさらに深く頭を下げた。

「も、もちろんでございますとも! ささ、どうぞ中へ! すぐに会頭を、お呼びいたします!」


 もはや、受付を通すまでもない。

 創が、一階の取引ホールに足を踏み入れた、その瞬間。

 あれほど喧騒に満ちていたホール全体が、水を打ったように静まり返った。

 何十人、何百人といた帳簿係も、商人たちも、全員が一斉に仕事の手を止め、まるで神の降臨でも目撃したかのように、畏怖と驚愕に満ちた目で創の姿を見つめ、そしてその場にひざまずいた。

 その異様な光景の中を、創は、まるでモーゼのように人々の間を悠然と歩いていく。

 そして、二階の応接室へと続く階段を上り始めた、その時。

 階段の上から、あの恰幅のいい狸親父が、文字通り転がり落ちるかのような勢いで駆け下りてきた。

 ゲオルグ・ラングローブ。その人だった。

「おお……! おおおおっ……! ま、魔法使い様!」

 ゲオルグは息を切らし、その顔を歓喜と感動で真っ赤にしながら、創の前に深々とひざまずいた。

「……ようこそ、ようこそお越しくださいました……! このゲオルグ・ラングローブ、貴方様が再びこの地にお戻りになられる日を、一日千秋の思いで、お待ち申し上げておりましたぞ……!」

 そのあまりにも大袈裟な歓迎ぶりに、創は、やれやれといった風に肩をすくめた。

「……どうも、ラングローブさん。相変わらず、元気そうで何よりだよ」


 ラングローブ商会の主の応接室。

 そこもまた、創が最後に訪れた時から、様変わりしていた。

 壁には、異国の高名な画家の手によるであろう、壮麗な風景画がいくつも飾られている。床に敷かれた絨毯は、さらに分厚く、柔らかなものへと変わり、机や椅子も、金や銀の装飾が施された、より豪奢なものへと一新されていた。

 この短期間で、この商会がどれほどの莫大な富を手にしたのか、その一室だけで十二分に窺い知ることができた。

「……おお、これはこれは……。魔法使い様。ようこそ、お越しくださいました」

 ゲオルグは、創を主賓席へと丁重に案内すると、自らはその下座へと腰を下ろした。その態度は、もはや対等な取引相手に対するそれではなく、絶対的な主君に仕える忠実な家臣のそれだった。

「今日は、何か私めに、お持ちくださったものがあるようで……」

 ゲオルグのその声は、期待と興奮に打ち震えていた。

「ええ、まあ、そんなところです」

 創は、鷹揚に頷いた。

「実は、またとある別の世界でね。少し、面白いものを手に入れまして。これが、色々と応用が効きそうでしてね。それで、あなたにその実験をお願いしたくて、来たんですよ」

 その「別の世界」というキーワードに、ゲオルグの目がギラリと輝いた。

「……ほう。別の世界、でございますか……!」

「ええ。それで、これがその品なんですがね」

 創は、次元ポケットから、一つの青黒い、鈍い輝きを放つ石を取り出した。

 魔石だ。

 彼は、それを黒檀のテーブルの上に、ことりと置いた。


 ゲオルグは、その何の変哲もない石ころに見える物体を、食い入るように見つめた。

「……これは……? 何かの宝石でございますかな……?」

「まあ、ある意味では、宝石以上の価値があるかもしれませんな」

 創は、にやりと笑った。

 そして、部屋の隅に飾られていた見事な青磁の花瓶を指差した。

「ラングローブさん。まず、これを手に持って、あの花瓶に向かって『浮け』と、心の中で強く命令してはくれませんかな?」

 そのあまりにも奇妙な要求に、ゲオルグは一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに、はっと畏まった。

「……はっ。承知いたしました」

 彼は、恭しくテーブルの上の魔石を手に取った。

 ひんやりとして、滑らかな感触。だが、その石の内側から、確かに微かな、温かい脈動のようなものが伝わってくる。

 彼は、ゴクリと喉を鳴らすと、言われた通り、部屋の隅の花瓶をまっすぐに見据えた。

 そして、心の中で全ての精神を集中させ、強く、強く念じた。

(……浮け……!)


 次の瞬間。

 ゲオルグの五十数年の人生の常識が、音を立てて崩れ去った。

 ガタッと微かな音を立てて、重々しい青磁の花瓶が、その台座から数ミリ浮き上がったのだ。

 そして、まるで水中で揺蕩うかのように、ゆらり、ゆらりと、頼りなげに宙に浮かび始めた。

「…………おお……」

 ゲオルグの口から、絞り出すような声が漏れた。

「…………おおおおっ……!?」

 彼は、自分の目を疑った。

 花瓶が、浮いている。

 自分の意志の力だけで、あの重い陶器の塊が、重力の法則を無視して宙に浮いている。

「……こ、これは……! これは、一体……!?」

 彼は、興奮と混乱で震える手で、魔石を握りしめた。

「……素晴らしい……! この石は……! この石さえあれば、誰でも魔法が使えるようになるということで、ございますか……!?」

 その声は、もはや絶叫に近かった。

 この石がもたらすであろう軍事的な、そして経済的な価値を、彼の商人の頭脳が瞬時に計算し、弾き出していた。


「ええ。まあ、そんなところですな」

 創は、その反応に満足げに頷いた。

「ですが、この石の本当の価値は、そんなちっぽけなところに、あるのではありませんよ」

 創のその言葉に、ゲオルグは、はっと我に返った。

「……と、申されますと……?」

「例えば、この石を砕いて粉にして、畑の肥料にでも混ぜてやれば、どうなるか。普通なら収穫まで数ヶ月はかかる植物や果物が、たったの数日で、たわわに実をつけるようになります。それも、以前とは比較にならないほど、栄養価の高い極上の実をね」

「なっ……!?」

 ゲオルグは、再び絶句した。

 農業革命。その言葉が、彼の頭の中を駆け巡る。

 だが、創の驚くべきプレゼンテーションは、まだ終わらない。


「……あとは、そうだな。ラングローブさん。ちょっと、これをどうぞ」

 創は、次元ポケットから、もう一つ別の物体を取り出した。

 それは、銀の器に盛られた、真っ白で、そして冷たい湯気を立てている、不思議な食べ物だった。

「……これは……?」

「まあ、細かいことはいいですから。食べてみてください」

 ゲオルグは、促されるまま銀の匙を手に取り、その白い塊を一口すくって、口に運んだ。

 次の瞬間、彼の世界は再び変わった。


「…………なっ!?」

 衝撃だった。

 まず、舌を襲ったのは、これまで経験したことのない、強烈な冷たさ。

 この国では、冷たい食べ物といえば、北の雪山から何日もかけて運んできた貴重な雪や氷を使うしかない。それは、王侯貴族でさえ、真夏にようやく口にできるかどうかという、究極の贅沢品だった。

 だが、この冷たさは、それとは全く質の違う、もっと鋭利で、そして純粋な冷気。

 そして、その冷たさと同時に口の中いっぱいに広がったのは、あの彼を、そしてこの国の貴族たちを完全に虜にした、砂糖の悪魔的なまでの甘さと、そして牛乳を煮詰めたような濃厚でクリーミーな味わい。

 冷たくて、甘い。

 その本来、決して両立するはずのない二つの感覚が、彼の舌の上で奇跡のマリアージュを果たしていた。

「……な、なんと……! なんという食べ物だ……! 冷たくて……そして、甘い……! こんな、こんな神々のデザートが、この世に存在したとは……!」

「ええ。冷えたケーキやアイスは、美味しいですからね」

 創は、こともなげに言った。

「それで、ラングローブさん。もう一度、あの石を手に取って、今度はあの水差しに向かって『冷たくなれ』と、命令してみてはくれませんかな?」


 ゲオルグは、もはや魔法使いの言うことならば何でも聞く忠実な信徒のように、その指示に従った。

 彼は、再び魔石を握りしめると、テーブルの上の水差しに満たされた透明な水面を見つめた。

 そして、念じた。

(……冷たくなれ……!)


 その瞬間。

 奇跡は、三度起きた。

 水差しの水が、表面から急速に白く濁り始めたのだ。

 パキパキパキ、という微かな、しかし確かな音と共に、水はその形を変え、数秒後には、完全に透明な硬い氷の塊へと変貌を遂げていた。

 水差しの表面には、びっしりと白い霜が張り付いている。

「…………おお……」

 ゲオルグは、そのあまりの光景に、もはや言葉を失っていた。

「…………おおおおおおっ……! こ、凍っている……! 水が……瞬時に……! まさか……まさか、これほどの奇跡が……!」

 彼は、感動に打ち震え、その場に崩れ落ちるようにひざまずいた。

「……まさか……魔法使いになれる石が、この世に実在したとは……!」


 そのあまりにも完璧なリアクションに、創は満足げに頷いた。

 そして彼は、とどめとばかりに、次元ポケットから一つの巨大な空の木箱を、ドンと床に出現させた。

 そして、その木箱の中に、麻袋から魔石を、まるでただの豆でも移し替えるかのように、じゃんじゃんと無造作に注ぎ込み始めた。

 ザラザラザラ、という乾いた音が、静まり返った応接室に響き渡る。

 木箱は、あっという間に、きらきらと輝く魔石の山で満たされた。

「……ラングローブさん」

 創は、その魔石の山を指差した。

「ここに一杯あるので、実験してくれますかな?」

「……は、はひっ!?」

 ゲオルグは、もはやまともな返事さえできなかった。

「一人では、さすがに厳しいと思うのでね。できれば、国として動いていただけると、こちらも嬉しいのですが」


 そのあまりにもさらりとした、しかしあまりにも壮大な依頼。

 ゲオルグは、はっと我に返った。

 彼の商人の魂が、この言葉の裏にある計り知れないビジネスチャンスと、そして国家レベルのプロジェクトの匂いを、瞬時に嗅ぎ取っていた。

 これは、ただの実験依頼ではない。

 この魔法使い様が、我々に、この国に、新たな産業革命の主導権を与えようとしておられるのだ!

 その事実に気づいた瞬間、彼の全身を、これまでに経験したことのないほどの歓喜と武者震いが駆け巡った。

 彼は、床に額を擦り付けるようにして、深々と頭を下げた。

「……素晴らしい……! なんと、なんと素晴らしいご提案にございますか、魔法使い様!」

 その声は、もはや裏返っていた。

「お任せください! このゲオルグ・ラングローブ、必ずやこの御期待に応えてみせまする! 王家には、この私から直々にお話を! そして、この国の全ての叡智を結集し、この神の石の可能性の全てを、解き明かしてみせますとも!」


「ええ。では、よろしくお願いしますよ」

 創は、満足げに頷いた。

 面倒な基礎研究と実用化のプロセス、その全てを完璧な形で丸投げすることに成功したのだ。

 彼は立ち上がると、もはや自分を神のように崇め奉る商人に向かって、軽く片手を上げた。

「では、私はこれで」

 そう言い残すと、彼は、来た時と同じように、何の前触れもなく、すっとその場から姿を消した。

 後に残されたのは、神々の置き土産である魔石の輝く山と、そして自らが新たな時代の創造主となることを確信し、興奮に打ち震える一人の老獪な商人の姿だけだった。

 創が、この世界に蒔いた新たな火の種。

 それが、やがてこの穏やかな王国を、どのような未来へと導いていくのか。

 その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。

 創自身でさえも、その壮大な社会実験の結末を、ただ楽しみに待つだけだったのだから。



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