第33話 【日本政府編】 星見子の遺産
箱根の山中に佇む、政府所有の迎賓施設。その外界から完全に隔絶された会議室は、今や、人類の未来を左右する、最も奇妙で、最も創造的な坩堝と化していた。
プロジェクト・キマイラ。
日本の、いや、世界の運命を賭けた壮大な「物語」を創造するという、前代未聞の国家事業。そのために集められた、歴史、考古学、SF、ライトノベル、そしてハリウッド映画という、全く異なる分野の五人の天才たちは、賢者からもたらされたあまりにも過酷な「真実」の洗礼を受け、その衝撃からようやく立ち直ろうとしていた。
彼らの頭脳は、恐怖と、混乱と、そして何よりも自らの専門分野の常識が根底から覆されたことに対する純粋な知的興奮によって、飽和状態にあった。
だが、彼らをこの場所に召喚した鉄の女、橘紗英は、彼らが感傷や学術的興奮に浸るための時間的猶予を、一秒たりとも与えるつもりはなかった。
「……さて」
橘は、巨大なホワイトボードの前に立ち、その場を支配する熱に浮かされたような空気を、氷のように冷たい一言で断ち切った。
「感嘆の時間は、終わりです。これより我々は、『物語』を創造する。宰善総理が下した、絶対の指令です。皆様には、それぞれの分野の全ての知識と創造力を、この一点のために結集していただきたい」
彼女の言葉は静かだったが、逆らうことを許さない、絶対的な重みを持っていた。
五人の天才たちは、ごくりと喉を鳴らし、居住まいを正した。
遊びの時間は、終わった。
ここからは、仕事だ。
人類史上最も重大で、そして最も不遜な神話を紡ぐという仕事が、始まる。
「基本的な方向性は、定まりました」
橘は、ホワイトボードに力強い文字で書き記した。
『超古代遺跡より、未知の遺物群を発掘』
「問題は、そのディテールです。いつ、どこで、誰が、何を、どのようにして発見したのか。その物語に、一点の矛盾も、一点の隙もあってはならない。世界中の最も優秀な頭脳たちが、血眼になってその物語の粗を探しに来るのですから」
その言葉を皮切りに、会議室は再び激しい知の嵐に見舞われた。
「まず、場所ですわ」
口火を切ったのは、考古学者の守屋茜だった。彼女の目は、既に遥か古代の地層の奥深くを見通しているかのようだった。
「全く新しい未知の遺跡を『創造』するのは、リスクが高すぎる。既存の、しかし謎に満ちた本物の遺跡に、我々の『物語』を上書きするのです。それによって、我々の嘘は、考古学的な『真実』の衣をまとうことができる」
彼女は、ホワイトボードに走り書きで日本地図を描いた。
「候補地は、いくつかあります。出雲の黄泉比良坂。あるいは、四国の剣山。だが、私が最も有力と考えるのは……奈良、明日香村。高松塚古墳、そしてキトラ古墳。あの古代の星図が発見された謎多き王墓の、さらに地下深く。最新の地中レーダー探査によって、これまで誰も知らなかった巨大な地下神殿が発見された、というのはどうでしょう」
「ほう。飛鳥の地下神殿か」
歴史学の権威、渋沢名誉教授が、その穏やかな目で深く頷いた。
「……面白い。実に面白いですな、守屋さん。飛鳥時代。それは、我が国が初めて『日本』という国号を名乗り、律令国家としての形を整え始めた、まさに国の始まりの時代。そして、仏教という外来の文化と、古来の神道が激しくぶつかり合い、融合した、神秘と混沌の時代でもある。その時代の地下に眠る神殿。物語の舞台としては、これ以上ないほどにふさわしい」
渋沢教授の学究的な想像力が、翼を広げ始める。
「そして、その神殿を築いたのは誰か。私は、一人の女王を推したい。歴史の闇に消えた、伝説の巫女王。名を、『星見子』とでもしましょうかな」
「星見子……?」
「うむ。星を読み、未来を見通すシャーマンにして女王。彼女は、大陸から伝来した最新の陰陽五行の知識と、この国古来の神道の呪術を融合させ、独自の『秘術』を編み出した。そして、その秘術を用いて、遥か、遥か未来。我々が生きるこの時代に、この国が未曾有の国難に直面することを予見したのだ」
「……待ってくれ」
そのあまりにも詩的で、ロマンあふれる物語に冷や水を浴びせたのは、やはりSF作家の天城蓮だった。
「……話が美しすぎる。女王、予見、秘術。結構。だが、その『秘術』の正体は何だ? それが、なぜ物理法則を捻じ曲げるアーティファクトを生み出せる? そこに、科学的な、あるいは疑似科学的な説明がなければ、この物語は、ただの子供だましのおとぎ話になってしまう」
彼の指摘は、的確だった。
だが、その指摘に、思わぬ方向から助け舟が出された。
ハリウッドの脚本家、ジョージ・タナカだった。
「ノー、ノー、アマギさん。あなたの言う科学的考証は、もちろん重要だ。だが、それは後からいくらでも肉付けできる。ストーリーの核に必要なのは、もっとシンプルで、パワフルなエモーションなんだ」
彼は、まるで映画監督のように両手でフレームを作ってみせた。
「悲劇の女王、ホシミコ。彼女は、未来の我々を救うため、自らの命と魂をその『秘術』に注ぎ込んだ。そして、その力の結晶として、数々のアーティファクトを生み出した。だが、その神の如き力は、時の朝廷の権力者たちの嫉妬と恐怖を買った。彼女は、反逆者の濡れ衣を着せられ、歴史の舞台から抹殺された。そして、彼女が遺したアーティファクト群は、未来の正当なる後継者が現れるまで、その地下神殿に厳重に封印された……。どうだい? これなら、観客は泣くだろう?」
そのあまりにもドラマチックな展開に、誰もが引き込まれていたその時。
天城蓮が、何かを思いついたように手をポンと打った。
「……なるほどな。そういうことか。……ジョージさんのそのアイデア、悪くない。それに乗らせてもらおう」
彼はホワイトボードに向かうと、驚くべきアイデアを口にした。
「……よし、これだ。その女王ホシミコが遺したアーティファクト。それは、一つじゃない。重要なのは、複数形であるということだ」
「……複数形、ですか?」
橘が、問い返す。
「そうだ」と、天城は確信に満ちた目で頷いた。
「我々がこれから賢者様から受け取るであろう奇跡は、おそらく、一つや二つではないだろう。ポーション、魔石、反重力物質、不老化技術……。その種類も、形態も、全く脈絡のない様々な奇跡が、今後、我々の元にポンポンと唐突にもたらされ続ける可能性がある。その無秩序な奇跡の奔流に、その都度新しい嘘を考えていては、いずれ必ず破綻する」
彼の言葉は、このプロジェクトの根幹をなす、極めて重要なリスク管理の視点だった。
「だからこそ、我々は最初に宣言するのだ。『我々が発見したのは、一つの完全な遺物ではない。無数の用途不明のアーティファクトが詰め込まれた、いわば古代のタイムカプセル、あるいは宝物庫そのものなのだ』と。そして、そのアーティファクトは、全てが完璧な状態で見つかったわけではない、ということにする」
彼は、続けた。
「『明らかに数千年の時を超えてきたと思われる風化した石板もあれば、まるで昨日作られたかのように真新しい未知の金属もあった』と。そう、発表するのだ。そうすれば、今後、賢者様がどんな奇妙で、どんな時代錯誤な、あるいはどんな超未来的な物体を我々にもたらしたとしても、我々は常にこう言い訳することができる。『ああ、それは、先日発見されたホシミコ女王の遺物群の中から、新たに解析が完了した一つです』と。どうだ? これで、我々は未来永劫、主導権を握り続けることができる」
そのあまりにも狡猾で、そしてあまりにも完璧な未来予測とリスクヘッジ。
会議室にいた全員が、天城蓮というSF作家の、その物語作家としての能力の本質を思い知らされた。
彼は、ただ空想を描いているのではない。
彼は、未来をシミュレーションし、そのあらゆる可能性に備える、究極の未来学者なのだ。
「……素晴らしい」
橘が、心の底から感嘆の声を漏らした。
「……天城先生のご意見を、全面的に採用します。我々が発見したのは、『飛鳥の地下神殿に眠っていた女王ホシミコのアーティファクト群』。これでいきましょう」
方向性は、定まった。
物語の骨格は、完成した。
だが、まだ最も重要なピースが残っている。
「……その物語を、我々が世界にどう証明するのです?」
守屋茜が、現実的な問いを投げかけた。
「……遺跡も、遺物も、全ては我々の創造物。物的な証拠が、何一つない。これでは、ただの日本政府の妄言として、一蹴されて終わりですわ」
その問いに答えたのは、ハリウッドのジョージ・タナカだった。
「……証拠は、創ればいいのさ」
彼は、にやりと笑った。
「それも、絶対に誰も反論できない、最高の証拠をね。……そう、女王ホシミコ自身が我々に残してくれたという、『メッセージ』をさ」
「メッセージ、ですって?」
「そう。地下神殿の最深部。彼女の石棺の上に置かれていたという、一枚の巨大な石板。そこに刻まれていたという、彼女から未来の我々への、ご丁寧なメッセージ付きのね」
ジョージの想像力が、翼を広げる。
「その石板に、我々の物語の全てを刻み込むんだ。彼女の悲劇の物語。アーティファクトを創造した理由。そして、何よりも重要なのは、そのアーティファクトの扱い方についての、彼女からの厳格な指示だ」
彼は、橘の方をちらりと見た。
「なぜ、日本政府がこの世紀の大発見を世界に秘密にしていたのか。その言い訳を、我々ではなく、この悲劇の古代の女王陛下に語っていただくのさ」
そのあまりにも悪魔的で、そしてあまりにも魅力的なアイデアに、誰もが息を飲んだ。
「……完璧だ」
橘が、呟いた。
「……完璧な、責任転嫁だ」
「そういうことさ」と、ジョージはウインクした。
「『この碑文に従い、我々日本政府は、女王陛下の御遺志を尊重する。故に、この発見を他国に秘密にしていたのは、我々の意思ではない! 全ては、この碑文のせいなのだ! 日本政府ではありません!』と。そう、世界に向かって堂々と言い訳することができる。どうだい? 最高の脚本だろう?」
「……それだけじゃない」
渋沢名誉教授が、震える声で付け加えた。
「その碑文に、こう書き加えるのじゃ。『このアーティファクト群の正当なる後継者は、未来において、この日出ずる島々を治める者とする』と……!」
その一言に、会議室の空気が再び凍りついた。
「……そうすれば」と、教授は続けた。
「……我々日本政府は、この奇跡の遺産を相続する、唯一無二の法的な、そして歴史的な正当性を主張することができる……!」
そのあまりにも日本に都合が良すぎる物語の完成形を前にして。
会議室に、しばしの沈黙が流れた。
誰もが、その物語のあまりの完璧さと、そしてそのあまりの厚顔無恥さに、言葉を失っていた。
その静寂を破ったのは、神風カイトのあっけらかんとした笑い声だった。
「あっはっはっはっは!」
彼は、腹を抱えて笑い転げている。
「すげえ! すげえや、皆さん! なんですか、その完璧なご都合主義! まさに、俺の小説そのものじゃないですか!」
彼は、涙を拭いながら言った。
「『古代の伝説の女王様から、名指しで後継者に指名されちゃいました! だから、このチートアイテムは、全部俺たちのものです! 文句ありますか?』って! いやー、ここまで清々しいと、むしろ気持ちがいい! 読者(世界)も、きっと納得しますよ! 『まあ、そういう設定なら仕方ないな』って!」
そのあまりにも的確で、そしてあまりにも不謹-慎なメタ的な解説に。
会議室にいた全ての天才たちの肩から、ふっと力が抜けた。
そうだ。
それでいいのだ。
国家神話というものは、いつの時代も、その国にとって都合の良い物語でできているのだから。
彼らは、互いに顔を見合わせた。
その顔には、もはや迷いはなかった。
そこにあるのは、人類史最大級の壮大な嘘を共に創り上げる、共犯者たちの、悪戯っぽい、しかし何よりも強固な連帯感だけだった。
「……よし」
橘は、ホワイトボードにプロジェクト・キマイラの最終的な完成形を書き記した。
【カバーストーリー最終稿:コードネーム『星見子の遺産』】
発見場所: 奈良県明日香村、キトラ古墳の地下未踏査領域にて、巨大な地下神殿を発見。
建造者: 古代の巫女王、『星見子』。
発見物: 女王が未来の日本を救うために遺した、『アーティファクト群』。
状態: 年代不明。風化したものから、真新しいものまで様々。
能力: 未知の超科学、あるいは『秘術』の産物。解析は現在進行中。
根拠: 神殿の最深部で発見された、巨大な石板(碑文)。
内容: 女王の物語とアーティファントの存在。そして、未来の日本の統治者へのメッセージ。
指示①: この遺産は、世界に混乱をもたらす。故に、その存在を秘匿せよ。
指示②: この遺産の正当なる後継者は、未来の日本の統治者とする。
「……これで行きましょう」
橘は、静かに宣言した。
「これより、プロジェクト・キマイラは、この壮大な嘘を、現実の『真実』へと昇華させるための、第二フェーズへと移行します」
彼女の目は、既に次なる戦場を見据えていた。
偽りの考古学的証拠の捏造。
歴史書との整合性を取るための学術論文の作成。
そして、世界にこの物語を最も効果的に発表するための、完璧なシナリオの構築。
やるべきことは、山積みだ。
だが、彼女の心に、もはや不安はなかった。
彼女の後ろには、今や、この国で最も頼りになる、神話を紡ぐ者たちがついているのだから。
彼らの壮大で、そしてどこまでも滑稽な挑戦は、まだ始まったばかりだった。




