第163話
グランベル王国の王都、その南門からほど近い広大な平原。
普段は牧草地として使われているその場所は、今、歴史的な瞬間に立ち会おうとする数千の兵士と、選抜された開拓民たち、そして彼らを取り巻く無数の野次馬たちで埋め尽くされていた。
その中心、厳重に警備された一角に、国王アルトリウス三世、宰相シュトライヒ、そしてラングローブ商会会頭ゲオルグらが並び立っている。
彼らの視線の先には一人の青年――この国における絶対的な守護者であり、富の源泉である「魔法使い」こと新田創が、あくびを噛み殺しながら立っていた。
「……ふあぁ。天気いいねぇ」
創は眩しそうに空を見上げた。
彼の周りだけ、張り詰めた緊張感とは無縁の空気が流れている。
「……魔法使い様。準備は万端にございます」
ゲオルグが恭しく声をかけた。
彼の後ろには、ツルハシやスコップ、テントなどの資材を満載した荷馬車の列が、地平線の彼方まで続いている。
「ああ、そう。じゃあ、やっちゃいますか」
創は軽く頷くと、何もない空間に向かって手をかざした。
詠唱も、魔法陣の展開も、何もない。
ただ彼の「意志」が、世界に命令を下すだけだ。
「――開け」
ズウンッ……!
大気が震えた。
空間が、まるで熱せられたガラスのように歪み、溶け落ちていく。
そして次の瞬間、そこには高さ十メートル、幅二十メートルにも及ぶ巨大な「穴」が出現していた。
穴の向こう側に見えるのは、王都の風景ではない。
見たこともない植生の森、輝く川面、そして抜けるような青空。
紛れもない異世界(別大陸)の光景だった。
「……おおおおおッ……!」
見守っていた群衆から、どよめきと歓声が波のように広がる。
空間転移ゲート。
伝説の魔法使いだけが成し得るとされた奇跡が、今、白昼堂々と顕現したのだ。
「……繋がったよ」
創はゲートの縁をポンポンと叩いた。
「……向こう側の出口は、大きな川の近くだから。水には困らないはずだよ。
鑑定……いや、調査した感じだと、そのまま飲んでも大丈夫な品質だったし。
少し歩けば海も近いから、魚釣り放題だね。食料確保も楽勝でしょ」
「……水と食料の確保が容易……。
それは開拓において、何よりの朗報ですな」
アルトリウス王が感嘆の声を漏らす。
未開の地での水不足は、死に直結する最大のリスクだ。
それが最初からクリアされているというのは、この上ない好条件だった。
「……で、魔石の鉱脈だけど、ここから北へ数キロ行った岩山の辺りにあるから。
まあ、まずは拠点をしっかり作ってから調査に行くといいよ。
焦って魔獣に食われたら、元も子もないし」
「……肝に銘じます」
王が深く頷く。
「……それじゃ俺はこれで。
あとは、お好きにどうぞ。
困ったことがあったら……まあ、ゲオルグさん経由で連絡して」
創は「仕事は終わった」とばかりに手を振ると、自身の転移魔法(異界渡り)を発動させた。
ゲートとは別の光に包まれ、彼の姿は瞬きする間に消え失せた。
後に残されたのは、ぽっかりと口を開けた新世界への入り口と、興奮に沸き立つ人間たち。
「……行ったか」
アルトリウス王はゲートを見据えて、号令を発した。
「……よし!
これより『新大陸開拓作戦』を開始する!
先陣は宝珠騎士団!
安全を確保し、民を導け!」
「「「はっ!!!」」」
鉄血公ヴァルハイトの息子であり、若き騎士団長サー・ケイレブが剣を掲げた。
「……第一小隊、前へ!
……未知の世界だ、油断するなよ!
……だが恐れることもない!
……我々には、魔法使い様から授かった『力』がある!」
彼らの腕には、様々な色のスキルジェムが輝いている。
王国最強の精鋭たちが、馬のいななきと共にゲートの中へと踏み込んでいった。
◇
ゲートを潜った瞬間に感じたのは、濃密な空気だった。
王都のそれとは違う、手つかずの自然が放つ、むせ返るような草いきれと生命の気配。
「……ここが、新大陸……」
ケイレブは馬上で周囲を見渡した。
視界いっぱいに広がるのは、見渡す限りの大草原。
背丈ほどもある草が風に揺れ、緑の波を作っている。
その向こうには、魔法使いの言葉通り、大河が滔々と流れていた。
川幅は広く、水面は太陽の光を反射して眩いばかりに輝いている。
さらに遠くを見れば、霞むような水平線――海が見えた。
背後には鬱蒼とした森と、その奥にそびえる険しい岩山。
「……美しい場所だ」
副官の騎士が兜のバイザーを上げて呟いた。
「……魔物の気配は?」
「……索敵の魔法には反応ありません。
……鳥や小動物の気配は無数にありますが、脅威となる大型魔獣は近くにはいないようです」
魔法使い部隊からの報告に、ケイレブは安堵した。
少なくとも、いきなりドラゴンが出迎えてくるような修羅場ではないらしい。
「……よし、安全確認ヨシ!
……本隊に合図を送れ!
……『橋頭堡を確保した』とな!」
信号弾が空高く打ち上げられ、青空に赤い煙を描いた。
それを合図に、ゲートの向こう側――王都側で待機していた本隊が雪崩を打って動き出した。
ドッドッドッドッ……!
地響きと共に現れたのは、工兵隊と資材を積んだ荷馬車の大群だった。
「……急げ、急げ!
……日没までに仮設テント村を作るぞ!」
工兵隊長が怒鳴る。
彼らは手慣れた様子で草原の草を刈り取り、整地を始めた。
スキルジェム『アース・シェイプ(土壌操作)』を持つ工兵たちが地面に手を触れると、土が盛り上がり、また沈み込み、あっという間に平坦な地面が出来上がっていく。
魔法による土木工事。
これぞグランベル王国が誇る魔法産業革命の成果だった。
「……杭を打て!
……ロープを張れ!
……ここが俺たちの新しい街の中心だ!」
カンカンカンッ!
小気味よい音が響き渡り、次々と白いテントが立ち上がっていく。
王家の紋章が入った指揮所テント、兵舎、資材置き場、そして簡易的な食堂。
わずか数時間のうちに、何もない草原に「街」の原型が出現した。
そして、その後ろからは――。
「……うおおおおおっ! 新大陸だぁぁぁッ!」
「……広い! 空気が美味い!」
「……ここが俺たちの新しい土地か!」
期待と野心に目を輝かせた数千人の開拓民たちが押し寄せてきた。
彼らは皆、王都の過密や貧困から抜け出し、新天地での成功を夢見て応募してきた者たちだ。
あるいは二男三男で家を継げなかった若者たち、一旗揚げたい冒険者崩れ、新商売を目論む商人たち。
彼らにとって、このゲートは「希望への扉」そのものだった。
「……凄い人数だな」
ケイレブは、続々とゲートから吐き出される人波を見て、嬉しい悲鳴を上げた。
想定以上の熱気だ。
「……団長、民の誘導が追いつきません!
……皆、勝手に場所取りを始めています!」
「……まあ良い。最初は多少の混乱は付き物だ。
……だが危険区域への立ち入りだけは制限しろ!
……川には魔物がいるかもしれんし、森には何が潜んでいるか分からん!」
騎士たちが声を張り上げて交通整理を行う中、商人たちは早くも商魂逞しく動き始めていた。
ラングローブ商会のマークをつけた馬車が、一等地に陣取る。
「……さあさあ! 開拓の必需品ならラングローブ商会へ!
……丈夫なスコップ、ツルハシ、鉈!
……そして疲れた時には甘い物!
『王の慈悲のクッキー』簡易版も売ってるよ!」
商会の手代たちが台の上に商品を並べて、呼び込みを始める。
日本から輸入した高品質な道具や食料は、飛ぶように売れていく。
「……親父、テントを一張りくれ!」
「……俺は釣り竿だ! 川が近いって聞いたぞ!」
「……水筒はあるか? 冷えが消えない魔法のやつだ!」
青空市場があっという間に形成され、金貨と銀貨が飛び交う。
まだ建物一つない草原が、一瞬にして巨大なバザールと化した。
「……逞しいな、我が国の民は」
視察に訪れたシュトライヒ宰相が、その光景を見て苦笑した。
「……魔法使い殿の影響か、それとも元々こういう気質だったのか。
……未知の世界への恐怖よりも、好奇心と物欲が勝っているようだ」
「……良いことではありませんか」
同行していたゲオルグが満足げに腹をさすった。
「……欲望こそが発展の原動力です。
……彼らのこの熱気が、この荒野を黄金の都へと変えるのです」
◇
午後になると、開拓民たちの行動はさらに大胆になった。
生活基盤の確保――すなわち食料調達である。
魔法使いが「魚釣り放題」と言った言葉を、彼らは忘れてはいなかった。
「……行くぞ! 海だ! 川だ!」
「……釣り大会だぁっ!」
釣り竿や網を持った男たちが、大河の岸辺や海岸線へと殺到した。
そして、その釣果は劇的だった。
「……か、掛かったぞ! デカいッ!」
「……うおおおっ! なんだこの魚! 虹色に光ってるぞ!?」
「……こっちはカニだ! 大人の頭くらいあるハサミだ!」
未開の地の水辺は、手つかずの豊穣の海だった。
糸を垂らせば数秒で食いつく、入れ食い状態。
釣り上げられる魚たちはどれも丸々と太っており、しかも見たこともない珍しい種類ばかり。
海岸では子供たちが歓声を上げながら、貝拾いをしている。
砂浜を少し掘るだけで、拳大のハマグリのような貝がゴロゴロと出てくるのだ。
「……すげえ……。
……王都の市場で買うより、ずっとデカくて生きがいいぞ……」
釣り上げた巨大魚を前に、男が震える声で言った。
「……今夜は宴会だ!
……薪を集めろ! 塩を持ってこい!」
一方、森の近くでは狩人たちが獲物を仕留めていた。
「……鳥だ! 飛べない鳥(ドードーのような鳥)がたくさんいるぞ!」
「……動きが鈍い! 捕まえ放題だ!」
「……鹿もいる! 角が水晶みたいだ!」
彼らは弓や魔法を使って、次々と獲物を狩っていく。
この大陸の動物たちは人間を知らないためか警戒心が薄く、狩りは容易だった。
夕暮れ時。
テント村のあちこちから煙が立ち上り始めた。
獲れたての魚を串刺しにして焼き、貝を蒸し焼きにし、鳥の肉を炙る。
そこにラングローブ商会から買った日本の「塩」と「胡椒」、そして「醤油」をかける。
ジュワァァァ……!
脂の焦げる音と、脳髄を刺激する香ばしい匂いが、草原全体を包み込む。
「……うめえええええッ!!!」
「……最高だ! こんな贅沢、王都じゃできねえ!」
「……来てよかった! 新大陸バンザイ!」
酒が振る舞われ(もちろん商会が持ち込んだものだ)、歌声が響く。
それは開拓というよりは、巨大なキャンプフェスティバルのようだった。
「……おいおい、人が来すぎだぞ?」
見回りに出ていた宝珠騎士団の若手団員が、呆れたように言った。
ゲートからは、まだ途切れることなく新たな人々が流入し続けている。
「……当初の予定では五千人って話でしたが……。
……これ、もう一万人超えてませんか?」
「……ああ」
ベテランの騎士が焼き魚をかじりながら答えた。
「……『新大陸に行けば食い放題、稼ぎ放題』なんて噂が広まっちまったからな。
……国民みんな、一度は来たいと言ってるらしいぞ。
……明日にはさらに倍に増えるかもしれん」
「……警備が追いつきませんよ……。
……今はまだ平和だからいいですけど、もし魔物が襲ってきたらパニックになります」
「……そうだな」
ベテラン騎士は真剣な眼差しで周囲を見回した。
テントの明かりが、星空の下、どこまでも広がっている。
今は無防備な宴の場だが、ここは未知の大陸の最前線なのだ。
「……とりあえず城壁……いや、せめて柵が欲しいな。
……簡易的なものでもいいから、居住区を囲う必要がある。
……明日一番で土魔法使いの工兵たちに頼んで、土塁と堀を作らせよう」
「……ですね。
……あと、トイレと水場の整備も急がないと。
……これだけの人数だと、衛生面が心配です」
「……ああ。魔法使い様が伝えてくれた『公衆衛生』の概念、あれは重要だ。
……病気が流行ったら終わりだからな」
騎士たちは、浮かれる民衆を守るために夜通し警備計画を練り直していた。
彼らの献身によって、この狂乱の宴は守られていた。
◇
翌日。
朝から建設ラッシュが始まった。
騎士団の指揮の下、土魔法を使える者たちが総出でテント村の周囲に土塁を築き上げた。
高さ三メートル、幅二メートルの土の壁。
表面を火魔法で焼き固めることで、即席ながら強固な防御壁(セラミック装甲に近い強度)となる。
「……おお、魔法って便利だな!」
「……一日で城壁ができちまったぞ!」
大工たちは森から切り出した木材を使って、本格的な建物の建設に取り掛かった。
集会所、倉庫、そして恒久的な商店。
日本の建築技術(2×4工法などの知識も一部伝わっている)を取り入れた、シンプルだが頑丈な建物が次々と組み上がっていく。
ラングローブ商会は、ゲートのすぐ近くに巨大な物流センターを設置した。
王都から運び込まれる資材と、新大陸で採取された資源(魚肉、薬草、そして魔石)を交換し、管理するための中枢だ。
「……買い取りカウンターはこちらだ!
……魔石を持ってきた奴は、優先的に通すぞ!」
そう、本来の目的である「魔石」も見つかっていた。
北の岩山へ調査に向かった冒険者たちが、早くも成果を持ち帰ってきたのだ。
「……見てくれ! この輝きを!」
冒険者が袋から取り出したのは、拳大の魔石の原石だった。
まだ加工前だが、その内包する魔力量は王都で流通しているものと同等、かそれ以上だ。
「……地面を少し掘っただけで出てきたんだ!
……あそこは宝の山だぞ!」
その報告に、商会は色めき立った。
直ちに本格的な採掘隊が編成され、岩山へと向かう。
ゴールドラッシュならぬ、魔石ラッシュ(マナ・ラッシュ)の始まりである。
街の通りには名前が付けられた。
メインストリートは『アルトリウス大通り』。
市場のある通りは『ラングローブ通り』。
そしてゲートへと続く道は、感謝を込めて『賢者通り』と名付けられた。
数日後には、簡易的だが活気のある「開拓都市」の姿がそこにあった。
人々は笑い、働き、そして未来を語り合っていた。
「……いい街になりそうだ」
視察に訪れたケイレブ団長は、城壁の上からその光景を見下ろして呟いた。
彼の横には、同じく視察に来た宰相シュトライヒが立っていた。
「……ええ。
……ここを起点に、我々はさらに奥地へと進む。
……この大陸の全てを、我々の庭とするために」
宰相の目は地平線の彼方、未だ見ぬ「魔石の大鉱脈」があるという方向を見据えていた。
「……だが、忘れてはなりませんぞ、団長。
……光が強ければ、影もまた濃くなる。
……この豊かさを狙う『何か』が、必ず現れるはずです」
「……承知しております」
ケイレブは剣の柄を握りしめた。
「……その時は、我ら宝珠騎士団が全力で排除します。
……この街は、我々の希望そのものですから」
新大陸の開拓は、まだ始まったばかりだった。
賑やかで、エネルギッシュで、そしてどこか無鉄砲な人間たちの進撃。
その熱気は、この静かな大陸を確実に変えようとしていた。
そしてその様子を遥か上空――宇宙船『テッセラクト・ボイジャー』のブリッジから、ポップコーン片手に眺めている一人の男がいた。
「……うんうん、順調、順調。
……人間ってのは、放っておいても勝手に増えて、勝手に街を作るもんだなぁ」
創はモニターの中で、小さな人間たちが蟻のように働き、街を作り上げていく様子を楽しげに観察していた。
それはまるで、最高の箱庭シミュレーションゲームを見ているかのようだった。
「……おっ、あそこに露天風呂作ってるじゃん。
……分かってるねぇ。
……完成したら、入りに行こうっと」
神の気まぐれと、人間の欲望が交差する新天地。
そこには、まだ誰も知らない冒険と、そして「美味しいもの」が待っているはずだ。




