第161話
ニューヨーク、マンハッタン。
イーストリバーのほとりに聳え立つ国連本部ビル。
この日、世界中の注目は、このガラスの摩天楼の一点に注がれていた。
周辺の空域は飛行禁止区域に指定され、ニューヨーク市警とシークレットサービス、そして日本のSPによる厳重な警備網が敷かれている。
国連総会。
全加盟国の代表が集うこの場所で、日米両首脳による「緊急共同声明」が発表されるという異例の事態に、世界中のメディアが色めき立っていた。
議題は、先日福島で行われた「奇跡の除染」についてであることは周知の事実だった。
だが人々が固唾を呑んで待っていたのは、その「種明かし」と、それが自分たちの国に何をもたらすのかという未来のビジョンだった。
総会議場。
黄金のエンブレムを背に、演壇には二人の男が並び立っていた。
アメリカ合衆国大統領、ジェームズ・トンプソン。
そして日本国、内閣総理大臣、宰善茂。
会場を埋め尽くす各国の代表団、そしてギャラリー席のジャーナリストたちの視線が、痛いほどに突き刺さる。
静寂。
空調の音さえ大きく聞こえるほどの張り詰めた空気の中、トンプソン大統領がマイクを引き寄せた。
「……世界の指導者の皆様、そして親愛なる地球市民の皆様」
トンプソンの声は、自信と威厳に満ちていた。
「……我々人類は、今日まで発展という名の光を追い求めると同時に、その足元に『汚染』という名の長い影を落とし続けてきました。
産業革命以降の煤煙。化学物質による水質汚濁。そして原子力の火が残した、消えることのない放射性廃棄物。
……これらは我々が背負った『原罪』であり、解決不能な課題として次世代へと先送りされ続けてきた負の遺産でした」
彼は一度言葉を切り、会場を見渡した。
「……しかし今日。
……その『負の連鎖』を断ち切る時が来ました。
……我々日米両政府は、ここに宣言します。
……人類は『地球を洗う』ための術を、手に入れたのです」
トンプソンが一歩下がり、宰善総理に場を譲った。
宰善は緊張に震える指を、演台の下で強く握りしめ、そして力強く顔を上げた。
「……日本国総理大臣、宰善です。
……先日の福島における実証実験で確認された技術。
……我々はこれを、環境浄化術式『清浄化』と命名いたしました」
背後の巨大スクリーンに、あの福島の実験映像が映し出される。
荒廃した大地を、青い光の風が吹き抜け、ガイガーカウンターの数値がゼロになる瞬間。
会場から、どよめきが漏れる。
「……この技術の根幹は、先日発表した『魔法医療』と同じく、未知のエネルギー源『魔石』と、特殊な適性を持つ『術者』によるものです。
……ですが、この『清浄化』がもたらす恩恵は、医療の枠を遥かに超えています」
宰善は手元の原稿――昨夜、綾小路や東郷たちと徹夜で練り上げた『世界を説得するための最強のプレゼン資料』――に目を落とし、朗々と語り始めた。
「……『清浄化』の本質は、『術者が害悪と定義した異物の消去』にあります。
……これは放射能除去に留まりません。
……例えば『水』です」
スクリーンが切り替わる。
映し出されたのは、泥と細菌にまみれた茶色い水が入ったビーカー。
そこに術者が手をかざすと、一瞬にしてクリスタルのように透明な純水へと変わる映像。
「……世界には、安全な水にアクセスできない人々が二十億人以上いると言われています。
……汚染された水によるコレラ、赤痢、寄生虫。
……『清浄化』は、それら全ての病原菌と有害物質を、一瞬で、かつ低コストで無害化します。
……泥水を、命の水へと変えることができるのです」
アフリカや東南アジアの代表団の席から、身を乗り出す者たちの姿が見えた。
彼らにとってそれは、放射能よりも遥かに切実な、明日の生存に関わる問題だ。
「……次に『資源』です」
さらに画面が変わる。
映し出されたのは、レアアース採掘現場の映像だ。
「……現代のハイテク産業に不可欠なレアアース。
……その採掘と精錬の過程では、大量の有害排水と放射性スラッジが発生し、深刻な環境破壊を引き起こしてきました。
……これがレアアースの供給を、一部の国に依存せざるを得なかった理由の一つです」
中国の代表団の席で、王毅がピクリと眉を動かした。
これは彼らの「独占」に対する挑戦状だ。
「……しかし『清浄化』を用いれば、採掘現場で即座に有害物質だけを消去することが可能です。
……これにより環境負荷をゼロに近づけつつ、世界中のあらゆる場所でクリーンなレアアース採掘が可能となります。
……南鳥島の海底泥も、アメリカの鉱山も、環境を汚すことなく資源の山へと変わるのです」
先進国の代表たちがざわめく。
資源の安全保障、脱中国依存。
そのキーワードが、彼らの脳内で計算機を弾き始めた。
「……そして、もちろん『核』です」
宰善は声を張り上げた。
「……原子力発電所の廃炉作業、高レベル放射性廃棄物の最終処分。
……何万年も管理が必要とされたそれらの問題を、我々はこの魔法で『終了』させることができます。
……チェルノブイリの石棺も、老朽化した原潜の原子炉も、もはや未来への負債ではありません」
会場のボルテージは最高潮に達していた。
夢物語ではない。
現実に日本とアメリカが実証した技術なのだ。
それを否定することは、自国の国民を救うチャンスを捨てることに等しい。
だがここで、トンプソン大統領が再びマイクを握り、会場の熱狂に冷や水を浴びせるような、しかし絶対に必要な「条件」を突きつけた。
「……しかし諸君。
……この力は、強大すぎるが故に危険でもあります」
トンプソンの声が、低く重くなる。
「……『異物を消す』。
……その定義を誤れば、あるいは悪意を持って使えば……この魔法は容易に『毒ガス』や『生物兵器』、あるいは特定の民族を消し去る『浄化』の道具へと転用可能です」
シーン……と静まり返る議場。
「汚れを消す」魔法は、解釈次第で「気に入らない人間を消す」魔法にもなり得る。
その恐ろしい事実に、誰もが思い至ったのだ。
「……故に我々は、厳格な管理を提案します。
……いや、要求します」
トンプソンは自身の腕に嵌められた銀色のブレスレット――『スマート・リミッター』のモックアップを掲げてみせた。
「……この技術を行使する全ての魔法使い(オペレーター)は、日米が主導する『国際魔法医療機構(IMMO)』および新設される『国際環境浄化機関(IECO)』の管理下に置かれなければなりません。
……そして常に、この制御デバイスの装着を義務付けられます」
「……このデバイスは、術者の生体反応と魔法行使のログをリアルタイムで監視し、未登録の術式や人道に反する使用が検知された場合、即座に術者の魔力を遮断します。
……これは束縛ではありません。
……人類がこの強大な力を安全に使いこなすための、絶対に必要な『安全装置』なのです」
それは実質的な「日米による魔法技術の独占管理」宣言だった。
だが反論できる国はいなかった。
技術のブラックボックスは日本にある。
そして「暴走すればジェノサイド兵器になる」という脅しは、あまりにも効果的だった。
「……我々日米は、この技術を独占するつもりはありません」
宰善がアメを差し出すように微笑んだ。
「……この『安全管理条約』に批准し、厳正な審査をクリアした国には、優先的に『浄化部隊』を派遣し、あるいは自国の術者育成を支援することを約束します。
……共に地球をきれいにしましょう。
……子供たちに、美しい水と安全な大地を残すために」
演説が終わった。
一瞬の静寂の後、議場は割れんばかりの拍手喝采に包まれた。
最初に立ち上がったのは、アフリカ諸国の連合だった。
続いて、欧州連合(EU)の代表たちが立ち上がる。
フランスやイギリスも、廃炉問題や環境問題に頭を悩ませていた国々だ。
この提案に乗らない手はない。
そして注目の中国とロシア。
中国代表の王毅は渋い顔をしていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、拍手に加わった。
(……仕方あるまい。環境汚染は我が国のアキレス腱だ。それに、ここで拒否すれば『汚染除去を拒む国』として国際社会で孤立する。……技術の中枢を日米に握られるのは癪だが、実利を取るのが賢明か)
ロシア代表もまた、無表情のまま拍手を送った。
(……シベリアの廃棄物処理に使えるなら安いものだ。それに、この技術があれば北極海航路の開発も進む)
全会一致。
G7はもちろん、対立していた東側諸国も含め、世界中が「魔法の管理」と「恩恵の共有」に合意した瞬間だった。
議長が木槌を叩く。
「……決議案は採択されました!
……『清浄化』技術の平和利用と、その管理体制の確立。
……これにより人類は、新たな環境保護の時代へと足を踏み入れます!」
『人類を救った魔法』。
後に歴史書にそう記されることになる『清浄化』の国際運用が、ここに正式決定された。
◇
総会後のレセプションパーティー。
シャンパングラスを片手にした宰善総理とトンプソン大統領の周りには、各国の首脳が群がっていた。
「……総理! 我が国の水質改善プロジェクトに、ぜひ優先的な派遣を!」
「……大統領! 我が国のウラン鉱山での実験を許可します!」
二人は笑顔で応対しながらも、その瞳の奥で冷徹な計算をしていた。
「……上手くいきましたな、総理」
トンプソンが小声で囁く。
「……これで世界のエネルギーと環境政策の首根っこは、我々が握ったも同然だ」
「……ええ。
……『毒』を消す魔法が、最強の『外交カード』になりましたね」
宰善もまたグラスを傾けながら答えた。
その会場の隅で、随行していた綾小路官房長官と、内閣情報調査室の橘紗英がひっそりと祝杯を挙げていた。
「……やれやれ。
……神星龍様の一言が、ここまで大事になるとは」
綾小路が扇子を仰ぐ。
「……まあ、結果的には最高の国益になりましたがね」
「……ええ。
……ですが、長官、忘れてはいけません」
橘が釘を刺す。
「……需要が爆発的に増えれば、また『術者の魔力不足』問題が再燃します。
……エルフの布だけでは、世界中の汚染を消すには足りません」
「……分かってますよ。
……だからこそ、次のステップが必要なのです」
綾小路は西の空――異世界の方角を見つめた。
「……『魔石式手甲』。
……魔石を燃料にして、誰でもいくらでも魔法を使えるようにするデバイス。
……これの完成と量産こそが、この『魔法バブル』を維持するための生命線です」
「……長谷川教授たちが死に物狂いで開発を進めています。
……魔導王国から鹵獲した技術と、ドワーフの協力を得て」
「……急がせましょう。
……世界が『もっと綺麗にしろ!』と叫び出す前に」
◇
一方その頃。
日本のサイト・アスカ、地下隔離チャンバー。
世界を揺るがす大騒動の元凶である神星龍(幼女)は、我関せずとばかりに新しい玩具(日本政府が献上した最新のタブレット端末)で遊んでいた。
『……ふむ。
……この「動画配信」というのは面白いな。
……人間がただ飯を食ったり、猫を愛でたりしているだけの映像が、なぜこんなに溢れておるのだ?』
彼女は画面をスワイプしながら独りごちた。
『……ん?
……「フクシマの奇跡! 魔法使いが世界を救う!」……?
……なんだこれは。ワシの教えた掃除術がニュースになっておるのか?』
彼女は鼻で笑った。
『……大げさな奴らめ。
……まあよい。
……世界が綺麗になるのは悪いことではない。
……この星が汚いままだと、ワシの寝覚めも悪いからな』
彼女はタブレットを置き、四皿目のプリンに手を伸ばした。
『……それより、この「プッチンプリン」の容器の底にある突起……。
……これを折ると中身が落ちてくるというギミック……。
……これこそが、人類の英知の結晶ではないか?』
神の視点は相変わらず、人間とはズレていた。
だが、そのズレこそが、今の地球にとって最大の幸福なのかもしれなかった。
国連での喝采。
それは魔法と科学が融合した新しい時代の幕開けを告げるファンファーレだった。
だがその裏で、膨れ上がる魔石需要を満たすため、異世界側での開発競争はより一層激しさを増していくことになる。
「きれいな水」と「安全な土地」を求めて。
人類の欲望は、次元を超えて加速していくのだった。




