第七十一話 優しさ【シロ】
輝石が本当の力を取り戻した。
女神様・・・種はどんどん芽吹いています。
ちゃんと育てますから、花開く時を待っていてください。
◆
山小屋の中がいい匂いで満たされていく。
ニルスの作るシチューのおかげだ。
「ねえチル、やっぱり座って勉強とかもしないといけない?」
「なんで?」
「え・・・だってシロはそうやって使い方教えてくれたよ」
「そんなのいらないよ」
ミランダとチルは向かい合って真面目な話をしている。
ちゃんと教えないでどうするつもりなんだろう?
「使い方の記憶は全部あげる・・・」
「え・・・」
ミランダとチルが額をくっつけた。
やってくれる・・・。
「わかった?」
「ん・・・なんか変な感じ、色んなことがたくさん頭の中に入ってごちゃごちゃしてる・・・」
「なんでシロはこれしなかったんだろうね」
チルが僕を見てきた。
ちゃんと理由がある・・・。
「女神様に許可を貰わないといけないって思った。ずっとそうだったでしょ?」
「え・・・たしかに前はそうだったけど、今は大丈夫だよ。これくらいなら許してくれるんじゃないかな」
「そうかもしれないけど・・・」
女神様に会った時に聞いておけばよかったな。
あ・・・でも聖女を作って魔法を伝えさせたし、こういう事態だからいいのかな?
本来、僕たち精霊から人間に力や記憶を渡すことはしちゃいけない。
世界が沈んだ時は例外で色んな記憶を渡していたけど、それも終わったからまったく頭に無かったことだった。
「それに、守護はイナズマが渡したんでしょ?」
「そうだけど、女神様が渡していいって言ったからだよ」
「ほら見なさい。緊急事態だからいいの」
「う・・・」
なんか言い負かされた気分だ。
でも僕は間違ってない、女神様もそう思ってるはずだしね。
「おおー、見てチル。結界の形変えられるようになったよ。ん・・・ほら、守護で階段も作れる・・・でも保つのは・・・きついな」
ミランダは貰った記憶をさっそく試した。
たしかに色んな理はこの方が早い・・・。
「使い方、技術はこれで大丈夫、あとは記憶に体が追い付くように何度も繰り返すの。それに強度と持続力も鍛えるからね」
「わかった、ありがとう。チルみたいになれるように頑張るよ」
「・・・」
チルは口元を変な形にして照れている。
褒められて嬉しい時の癖だったな・・・。
◆
「じゃあミランダには元気を付けてもらわないとな。チルも一緒に食べようね」
「あ・・・ありがと」
「今日は北部の白いのだけど、次は南部のを作ってみるね」
ニルスは張り切って作ったシチューを一番最初にチルに渡した。
おいしいから早く食べてみてほしい。
「あはは、チルは小さいから器が大きく見えるな」
「いい匂い・・・食べていいの?」
「ちょっと待って・・・まだ熱い、火傷・・・はしないか。あ、こぼしたら大変だ。膝になにかかけよう」
なんだかニルスはいつもと違う。チルと妹のルージュを重ねているのかな。
「じゃあニルスの隣で食べる」
「え・・・うん、いいよ」
チルはすっとミランダから離れた。
ニルスとも仲良くなりたいんだろう。
◆
「わあ、おいしい。お肉も野菜も柔らかーい。ラッシュが作ったのは堅いんだよ」
チルは幸せそうに笑った。
「よかった。チル、口元が汚れたから拭くね。パンもちぎってあげる」
ニルスもなんだかゆるゆるな顔だ。
ルージュにもこうなるのかな?
「・・・シロにもけっこう甘いけど、チルにはそれ以上ね」
ミランダが勝手におかわりをよそっていた。
「たぶんさ、あれがお兄ちゃんしてる時の顔なんだよ。・・・ちょっと怖いけど」
「え・・・怖いの?」
「いちいち口元拭かれちゃたまったもんじゃないって。・・・過保護すぎ」
「まあ・・・チルは嬉しそうだし」
僕たちがこんな話をしていても、ニルスにはまったく聞こえていない。
今の姿は見てておもしろい・・・。
◆
「やっぱりきのうまでと暖かさが違うわね。かいてきー」
ミランダはいつの間にか下着だけになっていた。
きのうまでの僕は役立たずだったから、こうやって暖めてあげられるようになって嬉しい。
「チルはああいう恰好しちゃダメだよ」
「なんで?」
「はしたないから」
「・・・うるさいニルス、早くお風呂準備してよ」
はしたないか・・・あれがミランダの普通だから、僕はなんとも思ってないんだけどな。
「ねえ、その傷痕はどうしたの?」
チルが当たり前の疑問を聞いた。
まあ、そりゃ気になるよね。
「ちょっとジナスにやられちゃったのよ」
ミランダは平然と答えた。
もうニルスの前であっても問題ない話題だ。
「え・・・ジナスに・・・」
「そう、でも次はこうならない。それに・・・ニルスがいつかなんとかしてくれるんだって。ね?」
「もちろんだよ。必ず消す方法を探す」
「ふふん」
ミランダは本当に嬉しそうだ。
あれからすぐに打ち明けられてよかった。
『なんかこれのことで変な空気になるの嫌なんだよね。・・・ニルスは全部自分のせいとか思ってるみたいだけど』
二人で温泉に入った時、ミランダは傷痕を指でなぞりながら言った。
『うーん、人間の女の子ってそういうの気にするものじゃないの?』
『そうね、やっぱり綺麗でいたいっては思うよ。もう、そうじゃないけど・・・』
まばたきをした目は潤んでいた。
『でもこれのせいでニルスがあたしに気を遣ってるのがわかる。・・・命を助けてもらったのに、この傷もなんとかならないかな・・・なんて、欲張りだよね・・・』
『悩んでるのはよくないと思うよ。全部ニルスに話したら?』
『今はそれどころじゃないでしょ・・・』
次のまばたきで雫がこぼれた。
いつもと違って弱々しい話し方だったな。
『気を遣ってるのはミランダもそうでしょ?さっきは断られたけど、いつもなら無理にでもお風呂に誘ってたんじゃない?』
『・・・うん、そうだと思う。シロだけじゃなくてニルスも一緒がいいんだ。それにニルスが気にしないなら、二人の前では今までみたいに着替えたりしたいのよね・・・』
『それなら早いうちにミランダが何を考えてるか話した方がいいよ』
『そうだね・・・ありがとうシロ。・・・ところであんたの体、どうなってるのか見せて』
ちゃんと伝えられたみたいでよかった。
もう二人とも変に悩むことはないだろう。
◆
ミランダはお風呂が済むと瞑想を始めた。
ニルスは・・・。
「コウモリくんは、昔失くした大切なものを探しています。わたしたちも一緒に探すよとルージュが声をかけました。ですがコウモリくんは、自分だけで見つけたいと断りました」
チルに本を読んであげている。
僕も一緒だけど・・・。
「それほど大切なものはいったいなんなのでしょう。それに、そんなに大切なものをどうして失くしてしまったのか。兄妹はコウモリくんに・・・」
ニルスは読むのをやめて顔を上げた。
「どうしたの?続き読んでよ」
「・・・風が強いなって思って」
夕食が済んだくらいから少しずつ吹き始めていた。
「どんどん強くなってる・・・」
山小屋の外は、雪ととても強い風、もう寒くはないけどきのうまでのことを思い出すと震えてしまう。
「・・・吹雪いてるけど、こういうのワクワクするよね」
ミランダがりんごをかじりながら言った。
いつの間に瞑想をやめたんだろう・・・。
「実は・・・オレも楽しい。外は極寒の世界なのにここは暖かい、シロとチルもいて安全だからってわかってるからなんだろうね」
へえ・・・どんな感じなんだろ。
「ねえねえ扉開けてみるからさ、チルとシロは暖かいの一回やめて」
「わかったー」
「え・・・待てミランダ、ふざけるな!」
僕が興味本位でちょっとだけ輝石を外した時、ミランダが開けた扉から冷たい風と雪が入ってきた。
・・・寒すぎて全然ワクワクしない。
「バカ、何てことするんだよ!せっかく暖かかったのに・・・」
ニルスが震えながらミランダを引っ張り、扉を勢いよく閉めた。
「くー寒い」
「下着でなにやってんだよ・・・」
「こんな時は・・・ニルス、ミルクあっためて飲もうよ」
「・・・自分で冷やしたくせに」
僕も人間だったら、ニルスと一緒に怒ってただろうな。
「ミルク?ねえニルス、ミルクを温めるとおいしいの?」
「チルは飲んだことないの?」
「うん、ラッシュのとこにはお酒しかないもん」
「たしかにそうだったね・・・」
ニルスがまたお兄ちゃんの顔になった。
「オレが作ってあげるよ。チルとシロのは甘くするね」
「楽しみー、チルも一緒に作りたーい」
チルもニルスがお気に入りみたいだ。
僕は早く部屋を暖めてあげよう。
◆
「チルは甘い方がいい。次のはもっとお砂糖入れて」
チルはミルクを一気に飲み干した。
ゆっくり味わってほしいな・・・。
「あと一杯だけだよ。あんまり飲み過ぎると・・・精霊だったな」
「あたしもう寝るね・・・シロ、ふかふかの暖かい毛布出して・・・」
「ベッドを作るよ。よく休んでね」
「あ・・・ありがとシロ・・・おやすみ・・・」
ミランダは一杯だけ飲むとすぐ横になり眠ってしまった。
明日からの修行もあるからな。
「ジナスは人形を千体作れるけど、二人もそうなの?」
ニルスがチルにおかわりを渡した。
真面目な話って感じじゃなくて、なんでもいいからお喋りしたいって顔だ。
「千はすぐに作れるよ。でもチルは全部動かすことはできない」
「僕も・・・そうかな」
あいつの力は僕らよりずーっと上なのは間違いないことだ。
力は無尽蔵に使えるけど、できることとできないことの差は認めなければいけない。だから僕たちは協力して立ち向かうんだ。
「かなり違いがあるんだね」
「・・・心配?」
ニルスは立ち向かうことを決めた。
不安なのは一緒に戦う僕たちのことなのかもしれない。
「あいつがいる場所に辿り着けたとして、目の前で千の人形を出されたら・・・勝てない・・・」
そういうことか。でも僕が力を使えるなら・・・。
「問題ないよ。人形なら何体いようと僕が消す」
「消す・・・そしたら戦場もすぐに終わるってこと?」
「うん、一瞬で終わる」
「・・・すごいな」
戦場の広さなら余裕で全部凍らせられる。
だけど・・・。
「でも、できれば戦場ではおとなしくしていたいんだ。・・・あいつの結界の中で力を使えること、対峙するまで知られたくない」
「・・・たしかにそうだな。不意打ちだからその方がいい」
状況による・・・でもなるべくはそうしたい。
「先にイナズマのとこ行っとけばよかったのにね」
チルがミルクを一口飲んだ。
・・・そうなんだよね。
「なんとかするから心配しなくていいよ」
「でも・・・気配を探ったら結局バレるんじゃないのか?」
「たぶん大丈夫だと思うんだ。この前、あいつの声が聞こえた時には全部の結界が消えていた」
「なるほど・・・。使えても不思議じゃない時にできるわけか」
絶対とは言えないけど、ほぼそうなると思う。どっちだとしても、あいつはこっちが転移で攻め込むことを知らない。だから確実に奇襲はできるはずだ。
「少し、安心した・・・オレももう寝るよ。明日から本格的に鍛えて、もっと強くなるから・・・」
ニルスは穏やかな顔でミランダの隣に潜り込んだ。
大丈夫だよニルス、次は僕も戦うから・・・。
◆
ニルスとミランダから寝息が聞こえてきた。
僕とチルは、今の内にやることがある・・・。
「速い・・・たしかに勝てるかも・・・でも、またおんなじことされたらどうするの?」
まずはチルにジナスとの記憶を渡した。
「そうならないようにする。アリシア・・・お母さんと仲直りできればいいんだよ」
「イナズマは本当に期待してるの?」
「うん、ちゃんと記憶も渡した。それでも信じてくれてる」
「・・・わかった。ごめんねシロ、チルは・・・どうしても行けない」
チルは不安そうな顔で俯いた。
それも大丈夫なんだけどな。
「心配しないで。精霊封印・・・僕も使えるようになるんだ」
「え・・・」
「チルから貰ってって女神様に言われた」
だからチルは気にしなくていい。
「精霊封印は・・・女神様とチルとジナスだけのはずだよ。どうやって渡せばいいの?」
「僕だけはできるんだって。まじわる時に・・・」
これであいつの力を少しでも抑えることができる。
「まじわってる時に渡せばいいのね?」
「うん。だから・・・」
「わかった。なんか久しぶりだね」
チルが抱きついてきた。
僕からは、今渡せるだけの愛を・・・。
◆
太陽が顔を出す頃、吹雪はすっかり止んでいた。
空に雲は無く、とっても気持ちいい青空が広がっている。
「ふー・・・かなり力がつきそうだ」
ニルスは楽しそうに雪を集めて山を作っている。
ミランダたちのために、朝早くから山小屋の周りの雪をどけてくれてもいた。
遊んでるようにも見えるな・・・。でも『手を出さなくていい』っても言ってたから、鍛錬・・・なのかな?
「守護の強さは思いの強さ。守りたいって気持ちだよ」
チルとミランダも修行に入った。
僕も様子を見させてもらおう。
「雪崩も止められるってことは・・・チルはこの土地がとっても好きなんだね」
「好きだよ。・・・ここは風脈の源。風が集まってまた流れる場所・・・心を世界に飛ばすのがチルの役目。女神様がここはチルの場所って言ってくれたんだ」
その通りだ。でも飛ばすのは、雨雲とかもなんだけだな・・・。
「じゃああたしは、シロとニルスを守れるように強く思うよ」
「シロが教えたみたいに体力、集中力、精神力も大事。人間は疲れがあるからチルたちみたいにはいかない。でも、素質のあるミランダなら大丈夫だと思う」
「大丈夫、全部うまくいくようにするよ」
ミランダは僕に教わっていた時と同じように真剣な顔だ。
思いはとても強いけど、器がまだ歪・・・。だから僕やチルが整えていけばきっとできるようになる。
「じゃあやってみよ。ニルスーこっち来てー」
チルがニルスを呼んだ。
「わかったー」
いつの間にかとても大きい雪山ができていて、その頂上にニルスは立っていた。
「早くー」
「うん、すぐ行くよ」
ニルスは大きな山から跳び、僕の目の前に音も立てずに着地してみせた。
オーゼの所でもそうだったけど、僕がつららを飛ばすのと同じくらい速い。ジナスの左腕を落とした時は胸が震えたな・・・。
「シロ、今からニルスにつららを撃って。ミランダは守ってあげてね」
いきなり実践するみたいだ。
もっと段階的にやるのかと思ってたけど、そうでもないんだな。
「ニルスはミランダを信じて何もしないでね」
「大丈夫、信じてるよ」
そうは言っても撃つのは僕なんだけどな・・・。
「五本くらい一気に。殺すつもりで」
「・・・わかった。撃つよ」
「ミランダ」
「うん」
ミランダが手を伸ばし、結界でニルスを包んだ。
始めた頃の壁が布だとしたら、今日のはまだ薄いけど鉄って感じだな。
◆
「く・・・」
五つのつららがニルスに風穴を開けようと宙を走り、邪魔な結界とぶつかった。
「やるじゃんミランダ」
「と・・・当然よ」
僕のつららはニルスを守る結界に五本とも弾かれ、食器が割れるような音を立てて砕け散った。
でも、これだけで結構辛そうだ・・・。
「ね、難しくないでしょ?」
「うん、できた・・・ニルスを守れたよ」
「たった一度でそんなに喜ばないで。せめて百のつららを百回防いでから」
「うん・・・そうだね」
たった一度、それでもここまでできるようになったのは驚きだ。
きっともっと頑強なものになる。
「あとね、ニルスとやってた殺気を浴びながらってすごくいいと思うの。今からできる限り、ずっと殺気を当ててあげて」
「ずっと?」
「うん、胎動の剣で斬られても平気にならなきゃいけない」
きのうまでは瞑想の時だけだった。
チルは僕より厳しいな・・・。
「ん・・・慣れないな・・・寒いのもあるけど体が震える・・・」
「チル、ずっとはさすがに辛いと思うよ。オレも経験あるけど、かなりキツい」
「大丈夫・・・あたしはそれでいい。守るって・・・言ったでしょ?」
「ミランダ・・・わかった」
ニルスのを当てられるのは本当に辛いだろうな。
僕も気を張っていないと竦んでしまいそうだ・・・。
◆
二十日が過ぎた。
「もっと集中して、殺気はまやかし。跳ね返すくらいもうできるはず」
「うん・・・これでも慣れてきたのよ。シロ、もう一回」
初めは食欲も湧かなかったミランダが、少しずつ元気になっていった。
そして、守護の強度も上がっている。
「じゃあ、ミランダは休憩。シロ、ニルスに人形出してあげて」
「うん。ニルス・・・今日はどうする?」
「オレでいいよ。できるならもっと重い攻撃してくるように」
ニルスも頑張っている。
「わかった」
「さあ来い・・・オレ」
作ったのは、僕の記憶から作ったニルス本人の人形だ。
これが一番修行になるらしい。
◆
それからまた二十日が過ぎた。
「ニルス、疲れたでしょ?明日から殺気は出さなくていいよ」
ミランダが夕食をおかわりしているのを見てチルが言った。
「やっとか・・・」
「あたし何度もニルスに殺される夢見たのよね・・・毎回怖くて飛び起きた・・・」
「う・・・もしかして嫌いになった?」
「あはは、なるわけないじゃん。感謝してるよ」
なにをされても仲間への信頼は変わらないんだろうな。・・・僕もそうだ。
「・・・チルのことも嫌いになってない?」
チルは自分も心配になったのかミランダを見た。
ふふ、気にしなくていいことなのに。
「どうしてそう思うの?」
「きびしいこと・・・たくさん言ってるから・・・」
「ふーん、あたしはチルのこと大好きだよ」
「・・・本当?」
「ほんとだよ」
ミランダがチルを頭から抱き寄せた。
偽りは無い、チルもわかっているはずだ。
「厳しく言ったのはシロとニルスを守ってほしいからでしょ?でも・・・あたしにはとっても優しく聞こえたよ・・・師匠」
「・・・チルも、ミランダのこと大好きだからね。でもまだ・・・修業は残ってるからね」
ミランダから離れたチルの口はまた変な形に曲がっていた。
女神様が蒔いた種ではないけど、ミランダもその一つなんだと思う。
そして、もう芽吹いている。実を結ぶのはそんなに遠い日じゃない。




