第五十七話 負担【ミランダ】
「・・・お前たちは黙って見ていろ」
ジナスの結界が目の前に現れて、あたしとシロは別々に閉じ込められた。
まずい・・・かなりまずい・・・。
「ニルス!!」
おもいきり叫んだ。
・・・聞こえてない?
横を見ると、シロも叫んでいるみたいだけどなにも聞こえない。
この結界の中だと声が外に届かないみたいだ。
こんなもの・・・。
試しに力を込めて叩いてみた。
でも、何度殴っても壊れる気配はない。
「ニルス!・・・ニルス!!!」
恐くて震えが止まらないけど、なにもせずにはいられない。
だって・・・。
「・・・アリシア」
ジナスが作り出した人形はアリシア様だ。
・・・向こうの声だけ聞こえる。悪趣味な奴・・・。
「どうだ似ているだろ?お前の記憶から作ったんだ。強さも・・・お前が想像している通りだ」
ニルスを惑わすため、記憶から心の中の一番弱い部分をぶつけてきた。
たぶんだけど、あたしたちの声が届けばニルスも冷静さを取り戻してくれるはず・・・。
だからジナスはそれも読んであたしたちを閉じ込めた。
「お前の親はこの女だったんだな。なぜさっきは隠していた?」
「黙れ・・・」
「まあ、そうだろうとは思っていた。その髪、そして同じ隊で戦っていたからな。だが疑問だ・・・なぜこの女の元を離れたんだ?」
「話す必要は無い・・・」
余裕のあったニルスの顔に少しずつ戸惑いと不安が被さっていった。
冷静になろうとしてるけど、明らかに動揺している。
暗闇ではわからなかったけど、うなされている時のニルスはあんな顔をしていたんだと思う。
実際の歳よりもずっと幼い・・・少年の顔だ。
◆
『臆病者のニルスはいらない』
人形のアリシア様は、ニルスがずっと引きずっていることを口にした。
あいつ・・・なんてこと言うのよ・・・。
「口を開くな!そんな言葉をアリシアは言ってない!!」
「すべてお前の記憶からの言葉だぞ?言われていないのなら、お前がそう思っているんだ」
きっとその通りなんだろう。
「もしそう思われていたら・・・」って悩んで、苦しんで・・・。
それでも夢だった旅人になれたけど、アリシア様への不満とか疑いは最後まであったはずだ。
だけど・・・。
「ニルス!アリシア様は絶対そんなこと思ってない!惑わされないで!!」
敵の話なんかまともに聞く必要ないのに・・・。
あたしたちの声が届けば・・・そばにいてあげられたら・・・。
「ふふふ、揺らいでいるなニルス。母親が恋しいのか?」
ジナスは薄ら笑いを浮かべながらまたニルスを煽った。
・・・それも正解だと思う。じゃなきゃ、あんなにうなされたりしない。
「誰が揺らぐものか!」
「強がるなよ。戦場で再会できて嬉しかったようだな。本当は、帰ってきてほしい・・・そう言ってもらいたかった。だがこの女からその言葉は無かった」
あたしがニルスに聞いた時、ひどく寂しそうな顔をしていた。
口には出さなかったとしても、アリシア様は「もっと話したい」って思っていたはずだ。「行かないで・・・」別れ際にはそんな顔をしていたから・・・。
ニルスはアリシア様の顔を見ないで話してたからな・・・。ちゃんと向き合っていれば、今こんなことにはなってなかったかもしれない。
◆
なにもできずに、見ているしかなかった。
『ルージュがいるからお前はもういらないんだ。帰ってきてほしいとも思っていない』『ルージュにお前の存在など教えるわけがないだろう。クライン家の恥だ』『お前が出て行った日は、今までで一番嬉しかった』
人形はニルスの心と体を容赦なく傷付けていく。
『戦士にするために育てたのに・・・時間を返してほしいくらいだ』『・・・そうだ、お前の望み通りに部屋のものはすべて捨てた』『ちょうどいいから教えてやる。ルージュは戦士にすることにしたんだ』
それでも、死なないようにはしてるみたいだ・・・。
『母だと思われるだけで虫唾が走る。逃げ出した臆病者が・・・』
ニルスがなんとか顔を上げた所に、人形の剣が突きつけられた。
「・・・」
ニルスの目は悲しみで満ちている。
立ち上がる気力は、もう無さそうだ・・・。
『私の愛したケルト・・・お前のせいで死んだ。・・・なぜお前だけ生きているんだ?』
「・・・」
あたしが今すぐに抱きしめてあげられれば・・・。
「・・・なんだ、もう立てないのか?ここまで脆いとは思わなかったぞ」
ジナスが冷めた声を出した。
アリシア様の人形が消えている・・・。
「なあニルス、お前がこんなに弱いはずないだろ?今以上の痛手は、本物から何度も受けたはずだ。それでも倒れたことは一度も無かっただろ?・・・頑張れよ」
ジナスは倒れたニルスに近付いて、荒っぽく髪の毛を掴んで頭を持ち上げた。
あの野郎・・・あたしたちに見せるために・・・。
「・・・知ったことではないが私の考えを教えてやろう。自分でもわかっていると思うが、お前は母親を心の底では信用していない。母親も、そんなお前を信用しているわけがないだろうな」
「・・・」
旅であたしたちが見ていた頼れるニルスは、その表情の中にはいなかった。
あそこまで弱い顔するのか・・・。
「だが、お前が戦場で共に戦うのならば愛してくれるのではないか?臆病者ではないと証明してやればいいんだ」
「戦場・・・愛して・・・」
「難しいことではない。あの女はそのためにお前を育て、鍛え上げた。お前もそれに応え、強くなったじゃないか」
「・・・強く?」
ニルスがやっとあたしたちの方を見てくれた。
「オレが・・・鍛えたのは・・・」
いつの間にか、力の抜けていた手が拳を作っている。
ジナスの言葉が、心の中のなにかに触れたんだ。
「違う・・・オレが鍛えたのは・・・旅人になって仲間を守るためだ。初めから・・・そうだった・・・」
「嘘をつくなよ。母親のためだろ?仲間を守るために鍛えた・・・あの二人によく言っていたようだが、自分を騙せはしないぞ」
「違う・・・違う・・・」
「めんどうな男だ・・・」
ジナスはニルスの髪の毛を掴んだまま全身を持ち上げた。
血だまり・・・あんなに・・・。
「ニルス!」
まだあたしの声は届かない・・・。
「はあ・・・はあ・・・」
ずっと顔を歪ませて苦しんでる。
「どうした?意識があるなら治癒を使えよ。それだけは許可しているんだぞ?」
「・・・」
・・・自分で治癒をかける集中力も無さそうだ。
「ふふふ・・・神に逆らうものではないなニルス、心も体も私の思うがままだ。シロ、女神、世界・・・お前ではどうしようもないことだとわかっただろ?私を楽しませる駒として、終わるまで戦場に出ていればいい」
「ごほ・・・」
ニルスの口から血が吐き出された。
「ニルス!」
・・・なんであたしはなにもできないんだ!
『オレの後ろにいればいい。・・・そのために鍛えたんだから』
何度かあたしたちに言ってくれたこと、あれは絶対に嘘なんかじゃない。
『大丈夫だから下がっててね・・・』
本当に守ってくれていた。
だから・・・あたしもニルスを守りたい・・・。
「アリシアに捨てられていてもいい・・・オレには・・・一緒にいてくれる仲間がいる。お前の・・・思い通りにはならない・・・」
ニルスの目から涙が零れた。
そう、だからあたしたちがいなきゃいけない。
「仲間・・・ああ、そうだったな。母親から見捨てられ、父親もその剣となり流れ・・・お前の寂しさを埋めたのがそれだった」
ジナスが手を離して、ニルスは自分の血だまりに落ちた。
「お前が戦場に出るのをそれが邪魔しているのならば、いなくなればいいわけだ・・・」
「ぐ・・・」
ジナスがニルスを踏みにじって消えた。
・・・いなくなれば?
「・・・神に刃を向けたな。正しくは投げた・・・か」
あたしの結界が無くなって、目の前にジナスが立っていた。
「はあ・・・はあ・・・」
さっきまでよりも呼吸が変だ。
息苦しい・・・なにこれ?
「あたしに・・・何を・・・」
「震えているな・・・だが立てていることは褒めてやる」
落ちていた剣が、ジナスの手に吸い寄せられた。
「なあミランダ、これからどうなると思う?」
・・・体が動かない。
「あんたに・・・名前・・・呼ばれたくない・・・」
「ふふふ・・・お前とシロはニルスの中で特別な存在のようだな。だから邪魔だ・・・」
「ん・・・い・・・あああああ!!!!!」
痛い・・・痛い・・・。
試し切り、そんな感じだ。
「あああああああ!!!!!」
左肩から胸、お腹・・・真っ直ぐに刃が下がってく・・・。
「強気だったのは最初だけか?」
体から刃が離れて、あたしの足から力が抜けた。
あたしって・・・ここで終わりなの?・・・なんの役にも立てなかったな。
「絶望しているな。いくら噛みついても、奇跡が無いことを悟ったか」
結局守られてるだけで・・・ただニルスの足枷だった・・・。
「ニルスはお前たちを守ると言っていたな。今の悲鳴は聞こえていたはずだが・・・実際はあのありさまだ。剣が近くにあるのに拾うことも・・・もうできない」
「・・・殺せばいい。あたしは・・・ニルスの負担にはなりたくない・・・。あたしが死んでも・・・ニルスは戦場なんかに出ない・・・」
「それはお前が決めることではない・・・」
ジナスが剣を振り上げたところで目を閉じてしまった。
ごめんね・・・ニルス・・・シロ・・・。
◆
ん・・・痛くない・・・。
とても長い時間に感じた果て、その瞬間は来なかった。
「もう・・・大丈夫だよ・・・」
目を開けると、ニルスがジナスの剣を受け止めていた。
あたしのために・・・。
「ニルス・・・」
「守るって・・・言っただろ・・・」
ニルスの体が大きな音を立てて倒れた。
そのすぐ下には新しい血だまりができている。限界はとっくに通り過ぎてたはずなのに・・・。
「・・・この女のために動いたか。私の想像を超えてくるとは思わなかったぞ。仲間のため・・・さっきは言い過ぎた、悪かったなニルス。・・・ふふ・・・ははは」
不気味な高笑いが戦場に響き渡った。
状況は余計悪くなってる・・・恐いよ・・・。
◆
「・・・いいぞ昂ってきた。シロ、お前も自由にしてやる」
ジナスの笑みが消えて、シロの結界も解かれた。
まだ・・・なにかする気なの・・・。
「ニルス!!」
シロが駆け寄ってきて、庇うようにニルスの前に立った。
その顔は怒りに満ちている。あたしみたいに恐怖で動けなくなってない。
「ジナス!僕はお前を絶対に許さない!!」
シロは大声で言い放った。
立ち向かう勇気・・・ニルスから貰ったんだ。
「だったらどうするんだ?叫んでも私に痛手は無いぞ」
ジナスは右手でシロの頭に手を置いた。
「ニルスにこうされるのが好きだったようだが、気分はどうだ?」
「・・・触るな!!」
シロはすぐにジナスの手を払った。
あれができるなら、もう負けない強さを持っている。
「そう怒るなよシロ、面白いことを考えたんだ。お前たちを奪うよりも、残しておいた方がニルスは強くなるらしい。・・・それを利用しよう」
ジナスは気にせずに話し続けた。
「お前に利用なんかされない!!ミランダ、ニルスに治癒を!」
治癒・・・ニルスを・・・。
「早く治してあげて!!」
シロの堂々とした姿を見て、意識がはっきりしてきた。
そうだ、急がないと!!
あたしはニルスに覆いかぶさって抱きしめた。
触れている部分が大きいほど効果が上がるって聞いたことある。
「ふふ、そのままニルスに種を注いでもらってもいいぞ。そいつの子なら期待できる。だから顔と生殖器だけは傷付けるのを避けた」
ジナスがあたしたちをあざ笑うみたいな声を出した。
勝手なことを・・・いけない、こっちに集中しないと。
◆
ニルスに治癒をかけ続けているけど血が止まらない。
あたしの力じゃ時間がかかりすぎる・・・。
全身傷だらけ・・・右腕は変な方向に曲がってた・・・。こんなの・・・一流の治癒士に頼むようなケガだよ・・・。
でも・・・やれるだけやるしかない。傷痕はまた残っちゃうだろうけど、絶対助けるんだ!
「ずいぶんかかるな。おいミランダ、ニルスが動けるようになるまでどのくらいかかる?」
ジナスの声が聞こえた。
今・・・話しかけるな・・・。
「ミランダ、答えなくていい!」
「お前には聞いていない。黙っていろ」
「く・・・」
「もう手出しはしない。安心して答えていいぞ」
それは・・・なんとなくわかる。
本当にもう何もする気は無いみたいだ。
「私の言っている意味がわからないのか?お前の治癒でニルスはいつ動けるようになる?」
ニルスの傷は深い、塞がったとしても・・・。
「癒えても・・・動けるかはわからない・・・」
「動けるさ、そいつはお前たちの想像以上に強いぞ」
「あんたが心を傷付けた!」
「それも含めてだ。・・・一年やる」
なにを・・・。
「ニルスが目覚めたら伝えろ・・・傷が癒えたら戦場に出ろと。お前たち二人もだな・・・そうすればより強くなるはずだ」
・・・まだニルスに戦えっての?
「なにを考えている!」
「うるさい王だな。盤上に来いと言っているのだ」
「誰がお前の言う通りにするものか!」
シロはずっとあたしたちの前に立ってくれている。
見えないけど、庇ってくれてるんだ・・・。
「・・・ニルスには大切な者が多くいるようだな。・・・一年だ、次の戦場は見逃してやる。その次からは、姿が無ければ一人ずつ奪っていく。まずは・・・妹だな」
「勝手なことを!!」
「ニルスはそれを見捨てられない。お前たちは従うしかないのだ」
どうなるかわからないって言ってるのに・・・。
戦いたくないって知ってるくせに・・・。
「・・・睨むなシロ、もう会うことも無いんだ。今回は私から姿を見せたが、今後はそれも無い。お前たちには、洗い場に入る手段が無いからな」
「僕を・・・甘く見るなよ・・・」
「ずいぶん元気だが、今のお前は恐怖に打ち勝ったわけではない。怒りで蓋をしているだけだ。それはいずれ冷める・・・そうなった時、また臆病者に戻る」
「お前を思えばそれはない!!」
シロはためらわずに言い返した。
大丈夫だよシロ、あたしも一緒だからさ・・・。
「勝手に熱くなってろ。今の話をニルスに伝えろよ?・・・お前はもう戻っていいぞ」
「はい・・・」
後ろから女の声が聞こえた。
仲間もいたのか・・・。
「さらばだ。・・・ああそうだ、半年後でも構わないからな」
「待てジナス!!!」
シロは納得いかないだろうけど、正直いなくなってくれた方がいい・・・。
◆
ジナスは本当に姿を消したみたいだ。
戦場にかかっていた結界も解けたみたいで、さっきまでの恐怖が無くなっていく。
問題が山積み・・・だけど今はニルスの傷を癒さないと・・・。
あたしに付けられた傷も、そこまで深くはないけど血が止まらない。
危機が去った途端痛みも出てきた。
けっこうまずいかも・・・。
「ごめん・・・ニルス・・・ミランダ・・・」
シロが泣きそうな声を出した。
今・・・そんな感じはやめてほしい。
「泣いてる暇なんか無い!まずはニルスの治癒でしょ!!」
キツく言ってしまった。
でも、そこまで気を回してる余裕はない。
「・・・シロ、精霊の力はもう使えるの?」
「うん・・・使える。でも僕に治癒はできない。何をすればいい?」
すぐに切り替えてくれた。
いい子だ。
「あたしもニルスも血が止まらない。止血・・・できる?」
「できる・・・風と気、外に出るのを抑えられる。ただ・・・とっても痛いと思う」
「・・・平気よ」
「・・・」
あたしたちにシロの手が触れた。
流血・・・止まったみたいだ。
「ああ!!!!!」
その分、傷口に激痛が走る・・・。
「うう・・・」
ニルスもうめき声を上げた。
本当に痛いじゃない・・・いや、いい気つけだ。
この状態なら、たぶん・・・いける。
ニルスの命は助かると思う。
・・・だけど、あたしでどこまで治せるかはわからない。
とりあえず傷が塞がれば、魔法陣でテーゼに・・・。
それまで倒れるわけにはいかない!




